お正月のお餅の意味
結論。宗教歳時記(五來重)には「餅は奈良時代から始まっていた修正会・修二会のお供えであった。」とあります。(通説的には年神様の宿るもの、等とされていますがそうはいっていません)
以下引用します。
1、「修正会・修二会の餅は「壇供」とよばれ、莫大な数の鏡餅が本尊の須弥壇のまわりに積み上げられ、その上に燈明皿を置く。これは東大寺修二会(お水取り)や村々の「おもなひ」に見られる通りである。花は造花であることも「お水取り」を見た人ならばよく知っているはずである。・・・この荘厳の餅と花は衆僧や参詣人に与えられるが、実利的な人は造花より餅(壇供)の方がよいといったので「花より壇供」と諺ができ、やがて団子と誤られた・・。」
2、「日本書紀(神武天皇紀)に「飴たがね」として出てくるが(注1)、修正会の餅は「今昔物語・巻十九」に出てくる。あるお坊さんが村の修正会の導師をつとめたお礼にもらった餅を壺にいれて酒に発酵さようとしたら、蛇になっていた、という話である。(注2)」
3,「すべて我々の宗教行事は共同体全体で共同祈願、共同祭祀するものであり、正月もお堂やお宮で一緒に年を取った。しかし個人意識の発展とともに銘々の家庭でも正月を祝うようになって、修二会・修二会の鏡餅や花餅が家庭へ入ったのである。しかし鏡餅は神前や仏前へ懸けて拝むということが忘れられて、三宝にのせて名称だけを鏡餅といっている。そして豊作予祝の御幣や造花は、鏡花や繭玉から吉兆笹、縁起物に変貌し、ただ正月の景物とおもわれている。しかしこのようなものに日本人の「心の歴史」が刻み込まれており、宗派のない仏教の庶民信仰が生きていたこともおもいおこしたいものである。」
(注1)日本書紀では神武天皇の項で「天皇甚悅、乃以此埴、造作八十平瓮・天手抉八十枚(手抉、此云多衢餌離嚴瓮)、而陟于丹生川上、用祭天神地祇。則於彼菟田川之朝原、譬如水沫而有所呪著也。天皇又因祈之曰「吾今當以八十平瓮、無水造飴。飴成、則吾必不假鋒刃之威、坐平天下。」乃造飴、飴卽自成。」(天皇は喜び、すぐにこの土で八十平瓮(ヤソヒラカ)、天手抉(アマノタクジリ)を80枚、嚴瓮(イツヘ)を作って丹生(ニウ)の河の上流に登って、天津神や国津神を奉って、菟田川の朝原に水の泡のように敵軍が儚いものになるように呪いをかけて、浸けました。
天皇はまたここで誓約をしました。
「わたしは今、八十平瓮(ヤソノヒラカ)で水無しに飴(タガネ=アメ)を作ろう。飴が出来たならば、私は必ず武力を使わずに天下を平定できるだろう」 それで飴を作ると飴が自然と出来ました。)」
(注2、今昔物語・巻十九第二十一話 以仏物餅造酒見蛇語 第廿一
「今昔、比叡の山に有ける僧の、山にて指る事無かりければ、山を去て、本の生土(うぶすな)にて、摂津の国□□の郡に行て、妻など儲て有ける程に、其の郷に、自然ら法事など行ひ、仏経など供養するには、多くは此の僧を呼懸て、講師としけり。才賢き者には無けれども、然様の程の事は心得てしければ、修正など行にも、必ず此の僧を導師にしけり。
其の行ひの餅を、此の僧、多く得たり。人にも与へで、家に取置たりけるを、此の僧の妻、「此の多くの餅を、無益に子共にも、従者共にも食せむよりは、此の餅の久く成て、□□たらむを、破集て、酒に造らばや」と思ひ得て、夫の僧に、「此なむ思ふ」と云ければ、僧、「糸吉かりなむ」と云ひ合はせて、酒に造りけり。
其の後、久く有て、「其の酒出来ぬらむ」と思ふ程に、妻、行て、其の酒造たる壺の蓋を開て見るに、壺の内に動く様に見ゆ。「怪し」と思ふに、暗て見えねば、火を灯して、壺の内に指入て見るに、壺の内に、大なる、小さき蛇、一壺、頭を指上げて、蠢(うごめ)き合たり。「穴怖し。此れは何に」と云て、蓋を覆て、逃げ去ぬ。
夫に此の由を語るに、夫、「奇異(あさまし)き事かな。若し、妻の僻目か」と。「我れ、行て見む」と思て、火を燃して、壺の内に指入て臨(のぞ)くに、実に多くの蛇有て蠢く。然れば、夫も愕て去ぬ。然て、壺に蓋を覆て、「壺乍ら遠く棄む」と云て、掻出て、遠き所に持行て、広き野の有けるに、窃に棄つ。
其の後、一両日を経て、男三人、其の酒の壺棄たる側(ほとり)を過けるに、此の壺を見付て、「彼れは何ぞの壺ぞ」と云て、一人の男こ、寄て壺の蓋を開て臨くに、先づ壺の内より、微妙き酒の香匂出たり。奇異くて、今二人の男に、「此く」と云へば、二人の男も、寄て共に臨くに、酒一壺入たり。三人の男、「此れは何なる事ぞ」なむど云ふ程に、一人が云く、「我れ、只此の酒を呑てばや」と。今二人の男、「野の中に此く棄て置たる物なれば、よも只にては棄てじ。定て様有る物ならむ。怖し気に、否(え)呑まじ」と云けるを、前に、「呑む」と云つる男、極たる上戸にて有ければ、酒の欲さに堪へずして、「然はれ、其達(そこたち)は否呑まぬぞ。我は、譬ひ何なる物を棄置たる也とも、只呑てむ。命も惜しからず」と云て、腰に付たりける具を取出て、指救(さしすくひ)て、一杯呑たりけるに、実に微妙き酒にて有ければ、三杯呑てけり。
今二人の男、此れを見て、其れも皆上戸也ければ、「欲(ほし)」と思て、「今日、此く三人列ぬ。一人が死なむには、我等も見棄てむやは。譬ひ、人に殺さるとも、同じくこそは死なめ。去来(いざ)、我等も呑てむ」と云て、二人の男も亦、呑てけり。世に似ぬ美き酒にて有ければ、三人指合て、「吉く呑てむ」と云て、大なる壺也ければ、其の酒多かりけるを、指荷て、家の持行て、日来置て呑けるに、更に事無かりけり。
彼の僧は、少の智り有ければ、我が仏物を取集めて、邪見深きが故に、人にも与へずして、酒に造たれば、罪深くして、蛇に成にけり。悔恥て有ける程に、其の後、程を経て、「其々(そこそこ)に有ける男三人こそ、其の野中にて、酒の壺を見付て、家に荷ひ持行て、吉く呑ければ、実に微妙き酒にてこそ有けれ」など語りけるを、僧、自然ら伝へ聞て、「然らば、蛇には非ず。罪の深きが故に、只、我等が目許に蛇と見えける也けり」と思て、弥よ恥悲びけり。
此れを思ふに、仏物は量無く、罪深き物也けり。現に蛇と見えて蠢きけむ、極て有難く希有の事也。然れば、尚然様ならむ仏物をば、強に貪らずして、人にも与へ、僧にも食はしむべき也。
此の事は、彼の酒呑たりける三人の男の語ける也。亦、僧も語けるを、聞継て此く語り伝へたるとや。
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