本物の美女は美貌を隠そうとすること
世相が薄っぺらくなってくると顔まで表面的な美貌を喜ぶようになっていますが昔は美貌は障碍でした。
・お釈迦様の弟子ケーマ尼とウッパラヴァンナー尼は共に美貌で有名ですが経典によると、二人が悪党に襲われたとき神通力で両眼を抉り出し、内臓をも掴んで与えようとしたので暴漢たちは驚いて情欲の心を詫び懺悔してお釈迦様の弟子になったといいます(経律異相二十三)。(もともとケーマー尼は ビンビサーラ王の妃で美貌を誇っていたのでお釈迦様が神通力で美女の老醜の相を示され、無常を知り出家しています)。
・嵯峨天皇の后・檀林皇后は絶世の美女であったとされますが、死に際して自らの身を京の六道の辻に放置し、その腐っていく様を世人にみせよと遺言され、その様子が「檀林皇后九相圖」として六道の辻の西福寺に伝わっています。
・慧春尼は室町時代の尼僧ですが大変な美貌であったとされます。曹洞宗最乗寺をひらいた了庵慧明の妹でしたが兄が出家を許さないので自分の顔をやいてようやくゆるされたといいます。のち印可をうけ最乗寺山麓の摂取庵に住んでいます。機鋒がするどく,男僧の誘惑にたいしては,集僧の前で裸体になって諭したといいます。(デジタル日本人名辞典)
・了然尼は江戸時代の黄檗宗尼僧。白翁和尚に入門を懇請したが、美貌のゆえに許されなかった。そこで了然は火のしを顔に当て「昔宮裏に遊んで蘭麝を焼く 今禅林に入って面皮を燎く 四序の流行 亦た此くの如し 知らず誰れか是れ箇の中に移ることを」と賦し、「いける世にすてゝやく身やうからまし終の薪とおもはざりせば」と詠み、それにより弟子入りを許されたということです。
・明治の尼僧太田垣連月は数奇な運命後に出家しますが余りの美貌の故に世の男たちを迷わせたので自ら抜歯したと伝えられています。