地蔵菩薩三国霊験記 6/14巻の3/22
三大山大智明神の地蔵垂迹の事
我が委國に佛法未だ弘まらざる時、人更に因果の道理を辨(わきまへ)へず。生を殺し、殺を哀(かなし)む事なし。何ぞ禽獣に難(はん)せん乎。爰に伯州(伯耆国)に田猟を好んで日以って夜に継ぐ人有り。或時何(いずく)ともなく異人形を現じて殺生を防ぐ。是の如くする事数度に及ぶ。猟者怒りて之を射んと欲すれども神にして測るべからず。此の男一人のみならず一國皆然り。故に自然に殺生等閑になんす後に大智明神と現じ玉ひき。此の山昔はをかの松皆大山に向ひて靡き、麓の沙は坂をのぼり暁下る事は帰依の心を顕はし、松は拝のやうを示し沙は下向の心を見ずとこそ申し傳ひき。無情の木石だも是の如し、心有る人などか信ぜざるや。忝くも此の神は大智浦菩薩と申したてまつり三徳兼具の薩埵、假に應物して男山石清水に垂迹し玉へり。されば八幡大菩薩の御託宣にも我を敬せん輩は先ず大智菩薩を供養すべしとなり。永承元年(1046年)二十九代の別当元命法師幡摩守(はりまのかみ)行任(ゆきたふ)朝臣(平安時代中期の貴族・近江守・丹波守・播磨守)に語られつ。彼の元命は豊前國の椽(じょう・国司の第三等官)連卿の子孫なり。同國の講師賢高の弟子也。本(もと)海人なりしが寛仁三年(1019年)七月十六日里務を受く所を領すること十三年長任の宣旨此の時より始まる。敬神の興法古につき造営昔に越ゆ。春秋八旬にして宇佐にて身退りぬ。凢そ八幡三所の御事別当元命法師の説に中間は八幡大菩薩本地阿弥陀佛東間は大智滿菩薩本地地蔵菩薩西間は大勢至権現本地大勢至菩薩也と云々。
引証。延命地蔵經に云、三界所有の四生五形變ぜざる所無し。延命菩薩は如是の法身の自體遍き故に種種身を現じ六道に遊化し衆生を度脱したまふ云々
(仏説延命地蔵菩薩経「延命菩薩は或は佛身を現し或は菩薩身を現し或は辟支佛身を現し或は聲聞身を現し 或は梵王身を現し或は帝釈身を現し或は閻魔王身を現し或は毘沙門身を現し或は日月身を現し或は五星身を現し或は七星身を現し或は九星身を現し或は轉輪聖王身を現し或は諸小王身を現し或は長者身を現し或は居士身を現し或は宰官身を現し或は婦女身を現し 或は比丘比丘尼優婆塞優婆夷身を現し或は天龍夜叉人等身を現し 或は醫王身を現し或は薬草身を現し或は商人身を現し或は農人身を現し或は象王身を現し或は師子王身を現し或は牛王身を現し或は馬形身を現し或は大地形を表し或は山王形を現し或は大海形を現す。三界のあらゆる四生五形は變ぜざるところなし。延命菩薩は如是に法身自體遍きが故に種種身を現じ六道に遊化し衆生を度脱したまふ」)。
本願經に云、文殊普賢観音弥勒の如きも亦百千の身形を化して六道を度すれども其の願尚畢竟有り。是の地藏菩薩は六道一切衆生を教化して所發の誓願恒沙の如し云々(地藏菩薩本願經地神護法品第十一「是地藏菩薩於閻浮提有大因縁。如文殊・普賢・觀音・彌勒。亦化百千身形度於六道。其願尚有畢竟。是地藏菩薩教化六道一切衆生。所發誓願劫數如千百億恒河沙」)。又畋猟(でんれふ・狩)恣情の者に遇へば 驚狂喪命の報を説く云々(地藏菩薩本願經閻浮衆生業感品第四「若遇慳悋者説所求違願報。若遇飮食無度者説飢渇咽病報。若遇畋獵恣情者説驚狂喪命報。若遇悖逆父母者説天地災殺報」)。