世人の云うがごとくただ現在一世を見て原因結果を論じれば、果たして「天道是か非か」(注1)の疑問に陥らざるを得ず。世人は現在一世のみを見て己が妄識をもって臆断していまだ未生以前の過去世の原因あることを知らず、また一期瞑目を限りとして現在の原因によりて必ず未来に結果が生ずることを知らず。いわゆる三世因果善悪応報は原因結果の尽極の了義なることを知らず、まったく・・増上慢の罪のなすところなり。・・古に「知らざるを知らずとする、これ知るなり」という。
いまもしこの原因結果の真理を未だわからざるをわからずとする智、発することあらばここにおいてはじめて三世因果善悪応報の真理の神聖にして我を欺かざるをしることを得べし。
故に経にいわく「過去を知らんと欲せば現在の果を見よ、未来の果を知らんと欲せば現在の因を見よ」と(「法苑珠林・貧賤篇第六十四述意部第一」に
「夫貧富貴賤並因往業。得失有無皆由昔行。故經言。欲知過去因當觀現在果。欲知未來
果當觀現在因」)またいわく「人の善悪業を作るにその身死すといえども善因は必ず善を牽き悪因は必ず悪業を牽くことは、なほ夜、字を書して灯滅するといえども字は存して遂に滅せざるがごとし」と(「仁王護國般若波羅蜜多經囑累品第八」に「人壞佛教無復孝子。六親不和天神不祐。疾疫惡鬼日來侵害。災恠首尾連禍縱横。死入地獄餓鬼畜生。若出爲人兵奴果報如響應聲。如人夜書火滅字存。三界果報亦復如是。」)・・・
これを「智によりて識によらず、了義によりて不了義によらず」というなり。(
「大般涅槃經卷第六・如來性品第四之三」に「依法不依人依義不依語依智不依識依了義經不依不了義經如是四法」
「大智度初品中放光釋論之餘卷第九」に「不依人應依義不依語應依智不依識應依了義經不依未了義」)
(注1.史記。伯夷列伝「或ひと曰はく、「天道に親しん 無し。常に善人に与くみ す」と。伯夷・叔斉の若ごと きは善人と謂ふべき者か非か。仁を積み行ひのきよ きこと此か くの如くにして餓死せり。且つ七十子の徒仲尼ちゅうじ は独り顏淵を薦めて学を好むと為す。然るに回や屢しばしば 空しく、糟糠そうこう すら厭あ かずして卒つひ に蚤夭そうよう せり。天の善人に報施すること、其れ何如ぞや。
盜蹠たうせきは日に不辜ふこ を殺し、人の肉を肝かんにし、暴戻恣睢ぼうれいしき 、党を聚あつ むること数千人、天下に横行するも、竟つひ に寿じゅ を以て終はる。 是れ何の徳に遵したが ふや。此れその尤も大いに彰明較著しょうめいかうちょなる者なり。
近世に至り、操行不軌、専ら忌諱を犯すも、終身逸楽富厚に、累世絶えず、或いは地を択えら びてこれを蹈み、時ありて然る後に言を出し、行くに径こみち に由よ らず、公正に非ずんば、憤を発せざるも、禍災に遇ふが若き者は、数ふるに勝ふべからざるなり。余甚だ惑へり。儻ある いは所謂いはゆる 天道、是か非か。」)
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