「復次に精勤して專心に此真如三昧を修學する者は、現世に當に十種の利益を得る。十とはなにか。一は常に十方諸佛菩薩が護ってくださる。二は諸魔・惡鬼もこの人を恐怖させることができない。三は九十五種の外道や鬼神によって惑亂せれることがない。四は甚深の仏法を誹謗することがなくなり重罪業障がすこしずつ微薄となる。五は一切の疑と諸惡覺觀がなくなる。六は如來にたいして信心が増長する。七は憂を遠ざかり生死の中におい . . . 本文を読む
「また次にこのような真如三昧に入ることによって諸々の現象の根本はすべて同一であると覚ることができる。すなわち一切諸仏の本性としての法身と衆生の身とは根本において平等不二であるからその意味でこの三昧をまた一行三昧と名ずける。このように真如三昧はあらゆる三昧の根本である。若し人がこの真如三昧を修習すればあとは次々と無量の三昧を生ずるに至るのである。三昧を修行中衆生に善根を育てる力がない時は、諸魔外道鬼 . . . 本文を読む
「神仏も衆生も目的は一つであること」
神仏の目的も我々衆生の人生の目的も同じではないか。つまりそれは「不条理への挑戦」ではないか?と思うようになってきました。この世は地獄で「不条理」で満ち満ちています。言い換えれば「解のない苦悩」でみちみちています。ウクライナでも幼子が無残に殺され、東日本大震災でも無数の人々が津波に浚われました。コロナでもアッという間に世界中で700万人が犠牲になりました。自分 . . . 本文を読む
修行には五門ある。その五門を通じて信心を完成させるのである。一は布施門。二は持戒門。三は忍辱門。四は精進門。五は止觀門。第一の布施門はどのようにして修行するのか?それはどんな人でも家に来て求める人がいればあらゆる財物を力に応じて与え、おのれの慳貪の心を捨ててその人をよろこばせること(財施)。またひとが苦難に逢い恐怖し危険が切迫しているのを見たら可能な範囲で無畏を与えること(無畏施)。さらに人が教え . . . 本文を読む
.百錬抄 / 康元元年(1256)九月十七日甲辰条「十七日甲辰 赤斑瘡、(宮中で)御祈等繁多なり」天皇は後深草天皇。鎌倉幕府は宗尊親王、執権は北条時頼。・建長八年十月五日に康元に改元。これは赤斑瘡によるとする説がある(『百錬抄』)。・赤斑瘡(あかもがさ)ははしか。 . . . 本文を読む
三代実録 / 貞観四年862九月十七日癸未条(862)「十七日癸未 是月 京師の人家の井泉、皆悉く枯竭す。 所有水の処 人相借り汲みて用ふ。 是の日 神泉苑西北門を勅開し 諸人の汲水を聴す」天皇は清和天皇。神泉苑は禁苑でしたがここを庶民に開放しています。天皇と庶民は昔は想像より相当近い距離だったのかもしれません。 . . . 本文を読む
今日は宮中において何度も百万遍念仏が修せられています。以下いずれも天皇は後土御門天皇。彼岸念仏と思われます。・「親長卿記」「文明六年1474九月十六日、晴、早旦参内、お召に依る也。百万反御念仏有り・・」・「実隆公記」「文明七年1475九月十六日、壬戌、晴、恒例の百万反念仏各之を申す・・」・「実隆公記」「文明八年1476九月十六日丙辰、晴、今朝恒例百萬反念仏各之を唱ふ」・「実隆公記」「文明十一年14 . . . 本文を読む
弘安の役直後も九州の武士は警護のため留まるよう命じられています。史料綜覧 卷五 / 弘安四年1281九月十六日条「一六日 六波羅探題北条時村 九州諸士ノ上洛遠行ヲ禁ジ 元ノ捕虜 異国人始来ノ取扱法ヲ命ジ 警固番役ヲ勤仕セシム」弘安の役は七月三十日に終わっていますから、直後も警戒を解いていなかったことがわかります。 . . . 本文を読む
般若寺文殊菩薩像造立願文「造立し奉る、白檀木丈六文殊菩薩像一躯。御身裏に圖し奉る五字文殊曼荼羅。八字文殊曼荼羅。金剛界曼荼羅。胎蔵界曼荼羅。御身内に納め奉る、佛舎利五十三粒。大般若経一部六百巻。般若心経一千巻。寶筐印陀羅尼一千遍。本尊真言一萬遍。餘尊真言各一千遍。一字三禮妙法蓮華経一部八巻。同開結二経阿弥陀般若心経各一巻。同最勝王経一部十巻。比丘比丘尼菩提心願文七十五通。奉加帳一通。華座中に奉納す . . . 本文を読む
教説についての解釈を完了したので、信心の修行について説明する。此の段ではまだ正しい信心に入ってない衆生に対して、信心を修行することを説く。ではどのような信心をどのように修行するのか?要約すると信心には4種ある。第一は根本を信ずること。すなわち真如の法を願いもとめるのである。第二は佛に無量の功徳有りと信ずること。すなわち常に仏を思い、近ずき、供養し、恭敬して善根を起し、一切智を願求するのである。第三 . . . 本文を読む
又問うて曰。若し諸佛に自然業あり、能く一切處に現じて衆生を利益するならば、一切衆生は若しくは其身を見、若しくは神變を見、若しくは其説を聞いて利を得ざることなけんに、云何が世間は多く見ることあたわざるや。答曰。諸佛如來の法身は平等にして遍一切處、作意することあること無きが故に、而も自然なりと説くも、但だ衆生の心によりてのみ現る。衆生の心は猶ほ鏡の如く、鏡にして若し垢あらば色像不現なり。如是の衆生心に . . . 本文を読む
問曰く。虚空無邊なるが故に世界無邊なり。世界無邊なるが故に衆生無邊なり。衆生無邊なるが故に心行の差別もまた無辺なり。是のごとく境界は不可分齊にして難知難解なり。若し無明にして斷ぜば心想もあること無きに、云何が能く了するを名ずけて一切種智とするや。答曰。一切境界は本來一心にして想念を離れたり。衆生は妄に境界を見るをもっての故に、心に分齊あり。妄に想念を起こして法性に稱わざるがゆえに決了すること能わざ . . . 本文を読む
今日は伏見天皇が「宸翰御告文」を奏された日です。(伏見天皇は後深草天皇の第二皇子。大覚寺統の後宇多天皇のあとを受けて即位。第92代。両統迭立の最初となる。「伏見院宸記」あり。書道伏見院流祖。京極派の有力歌人。《玉葉和歌集》を勅撰。 妙蓮寺所蔵「国宝・伏見天皇宸翰法華経」あり。)「伏見天皇宸翰御告文」は伏見帝が国の平安を願い洪水等の災厄消除のための神佑を祈った願文です。以下「宸翰英華」によります。「 . . . 本文を読む
深覚 「東寺長者、禅林寺大僧正または石山大僧正と称し右大臣藤原師輔の第十一子。天歴九年生まる。幼にして池上寛忠の室に入りて得度、永祚元年十二月二日寛朝国師に伝法灌頂を受く。常に苦修怠らず悉地を得、呪験に長じ、洛東禅林寺に住して密綱を皇張し、勸修・勝算とともに瑜伽三傑の称あり。正暦三年七月東大寺別当に任じ以来斯職に復任すること四度に及ぶ。長保四年二月左大臣道長の病を加持し同七月少僧都 . . . 本文を読む