掃除の功徳について「釈氏要覧」に次のようにありました。『掃地、仏、逝多林におわすとき地不浄なるを見て衆生を樂福ならしめ勝福田に淨業を植えんと欲して、仏即ち自ら箒をとり掃はんとす。時に大聲聞見て、皆箒をとりて共に掃く。仏曰く、およそ掃くことについていわば、地に五勝利あり。一には自らの心を清淨にす。二には他者の心をして清淨ならしむ。三つには諸天歡喜す。四つには端正業を植る。五には命終して當に天上に生ま . . . 本文を読む
地蔵菩薩三国霊験記 6/14巻の16/22十六、 女人信力に依りて蘇生の事(今昔物語集巻十七京住女人依地蔵助得活語 第廿八にあり)寛弘の年(1004から1012)東の京刀帯町に住みける女性あり。元は東夷の者なりしが故有りて京に居りしに毎月廿四日に六波羅密寺の地蔵尊に参詣しける。されば此の薩埵の本願を聞て信心肝に徹り他佛よりも功の優れる事を思ひ或時宿に皈り我が着したる衣を工にあたへ地蔵の . . . 本文を読む
28日は大山阿夫利神社例大祭です。大山阿夫利神社は本社に大山祇大神(オオヤマツミ)を祀っています。江戸以前には石尊大権現が祀られていました。大山阿夫利神社は、ウキペヂア等によると「崇神天皇の御代に創建、天平勝宝4年(西暦752年)、良弁により神宮寺として雨降山大山寺が建立され、本尊として不動明王が祀られた。以後、神仏習合が続いた。中世以降は大山寺を拠点とする修験道(大山修験)が盛んになり、源頼朝を . . . 本文を読む
文治元年1185八月二十八日後白河法皇開眼導師 開眼師定遍(東大寺要録)(治承四年1180、平重衡の南都焼討により焼亡したのを再建)定遍・・左馬權頭源顕定の息。忍辱山定遍方の祖。仁和寺尊寿院の寛遍に伝法灌頂をうける。東寺長者,東大寺別当,仁和寺別当、法勝寺別当などをつとめ,文治元年の東大寺大仏開眼供養では導師をつとめた。平家調伏の五壇法で中壇を勤めた。文治元年12月18日死去。53歳。通称は大納言 . . . 本文を読む
地蔵菩薩三国霊験記 6/14巻の15/22
十五、 地蔵看病し給事
鎌倉に真観法師(鎌倉時代末期から南北朝時代。時宗四条派の祖。後伏見上皇の女御広義門院藤原寧子の安産を願って霊験があり、後の北朝初代光厳天皇が誕生。鎌倉極楽寺の忍性に密教,紀伊興国寺の心地覚心に禅法を学んでいる)とて密宗の明匠あり。歳八旬に及びければ壮年の俊傑のありしを弟子秘法をも傳授し印信をも許さんと思ひけれども十 . . . 本文を読む
今日は清和開拓団事件の起こった日です
清和開拓団事件碑
https://ameblo.jp/nomaru1256/entry-12346845733.html
裏面碑文昭和十三年当時の我が国重要国策たる第七次集団移民として同年三月三十日我等同志は故郷新潟県から雄躍満州国虎林県清和地区に入植爾来孜孜営営として開拓に従事すること七年間昭和二十年三月には一九五戸八一〇名(うち成年男 . . . 本文を読む
1945年(昭和20年)8月27日、ソ連国境に接する黒竜江省東部の七台河市郊外にある佐渡開拓団農場跡地に、清和開拓団、萬金山高社郷、尖山更級郷、東索林埴科郷、東横林南信濃、南哈馬笠間、共哈知阿知郷の七つの開拓団がたどり着いていたがソ連兵の攻撃を受け、開拓団の男たちはソ連軍戦車隊に玉砕突撃して950人が死亡。女たちは子どもをつれて514人が自決し、わずか18人しか生き残らなかったと . . . 本文を読む
今日は貝原益軒の没した日です。以下人物逸話辞典等に依ります。「貝原益軒。儒者、また博物学者。名は篤信、字は子誡、久兵衛と称す。・・福岡黒田候の臣。正徳四年1714八月二十七日没す。年八十五。一生の著述極めて多く、著述を通しての偉大な社会教育家であったとも見ることが出来る。」「貝原益軒は平生はいかにも穏やかで仁愛が深く身を持つことが確実・貞信だったそうで、その仮名書きの書物を多く出版せられたのは何と . . . 本文を読む
今日は定蓮社正誉廓山遷化の日です。廓山は元亀三年(一五七二)—寛永二年(一六二五)八月二六日。54歳。定蓮社正誉。増上寺十三世。伝通院中興開山。以下浄土宗大辞典等に依ります。甲斐国八代郡市部村(山梨県笛吹市石和町市部)に武田信玄家臣高坂昌信の次男として生まれる。戦場で無常を感じ、国府尊躰寺(甲府市城東)で出家。のちに増上寺円也、ついで存応に師事。慶長十三年(一六〇八)同門了的とともに江 . . . 本文を読む
今日は円覚寺派管長管長朝比奈宗源老師の遷化された日です。以下ウキぺデア等に依ります。朝比奈 宗源老師は1891年(明治24年)1月9日生まれ 1979年(昭和54年)8月25日没。京都妙心寺、鎌倉円覚寺で修行。大正6 年 円覚寺古川堯道老師に嗣法。円覚寺貫主。円覚寺派管長。その著「仏心」には朝比奈老師が若いころ、いとこから、「あなたは禅の修行を積むことができたからいいが、一般人はどうすればよいのか . . . 本文を読む
地蔵菩薩三国霊験記 6/14巻の13/22
十三、 水銀掘を助給ふ霊験(今昔物語巻十七伊勢国人依地蔵助存命語 第十三にあり)
伊勢國飯高郡(松阪市)に為真と申者有り。民間にありといへども其氏姓賤しからず。されば地蔵菩薩を供養し造立し奉り度く思ふ志し年久し。然れども公私の世事に星霜を経けり。當國の目代水銀を堀る人夫に召されければ是非なく丹生山(三重県多気郡多気町に女人高野山丹生山神宮 . . . 本文を読む
今日建仁2年1203、8月25日は守覚法親王御遷化(53歳)の日です。仁和寺諸師年譜には「喜多院御室法親王守覚。後白河院第二皇子なり。永暦元年1160,二月十七日年十一、紫金臺寺御室覚性に随って出家。同十月五日東大寺戒壇院に於いて受戒。於仁安三年二十七日観音院受灌頂紫金臺寺御室。経年、廣澤の淵源を究め尽くす。後に醍醐寺覚洞院勝賢僧正に謁しまた小野の玄奥を盡す。秘抄並びに 野択,野月等の制作あり。小 . . . 本文を読む