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鉄道の旅を楽しみながらJR線全駅踏破を目指しています。

武蔵野線全駅下車への道 第1回(その7)

2012-11-08 23:11:48 | 首都圏地区

先日は失礼しました。武蔵野線駅巡りに戻りましょう。


前回はこちら


新秋津駅から15時40分発の1426E(205系M2編成)に乗車。



15時43分に新小平駅に到着。対面式ホーム2面2線の構内です。トンネルに挟まれた掘割式の駅で、明かり部分は後ろ3両分しかありません。


新秋津駅も掘割式の駅でした。しかし、新小平駅はひときわ深く、階段やエスカレーターは1階から一気に3階まで上がるような長さで、途中に踊り場が設けられています。エレベーターもある分、土合駅の下りホームからすればどうということないです。



長い回廊を上って改札を出ました。3台の自動改札の左手には「みどりの窓口」があり、営業時間は7:00~20:00です。右手にはNEWDAYS。尚、トイレは、改札をくぐってすぐ左手にあります。



それでは駅舎撮影。典型的な国鉄後期型の平屋の駅舎です。手前には藤棚があり、5月ともなれば甘い香りを楽しませてくれるでしょう。



駅前には青梅街道(都道5号)が通じています。慶長8年(1603年)に徳川家康が江戸に幕府を開くにあたり、1606年に江戸城の大改築の際の重要な資材である白土を、産地である青梅市成木・小曽木から江戸城に運ぶために利用した街道で、成木街道ともよばれています。



駅から3分ほど西に歩き、由緒ある小道を発見。小川村が開発される前の「小平」は、ススキの生い茂る大平原でした。その大平原に天平時代(730年頃)から、府中の武蔵国府と前橋の上野国府を結ぶ1本の官道(東山道武蔵路)がありました。源頼朝が鎌倉幕府を開く際、この小道は鎌倉街道とよばれるようになりました。車が通るととても怖い道路ですが、周辺には史跡がいくつか残されています。


鎌倉街道から更に西に進むと、主要道と交差します。これは府中街道といい、小平が街道の交わる土地であることを実感しました。



駅に戻る途中、とある路地で震災用井戸を発見。近いうちに首都圏に大地震が起きるだろうといわれており、益々注目を集めています。



調査を終えて列車に乗ろうと駅に戻ります。すると、EF64の牽いたカモレが通過していきました


つづく


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