前回はこちら
新山口駅で「SLやまぐち号」を出迎えた後、17時37分発の山陽本線3384M(左の115系L22編成)に乗車して寄り道。
17時42分に四辻駅に到着。2面2線の構内ですが、副本線が撤去されています。
それでは駅舎撮影。大正9年5月築の駅舎で、駅舎と地面の間には素晴らしい植え込みが。旅の最後に出会った感動的な木造駅舎です。
それだけでなく、下関方にあるミニ庭園も見物です。
トイレは、跨線橋の袂にある小さな建物。昭和29年3月築で汲み取り式です。ホームから入る構造です。
では、駅舎の中へ。無人化されて窓口が閉鎖され、自動券売機に置き換えられています。
エントランス天井をご覧下さい。「ようこそ!!鋳銭司へ」ですって「NHKドラマ花神のふるさと」「銭貨のふるさと」も。旅の最後に訪問したのは歴女にはたまらないスポットです。
そして、地元有志の方々の書道作品の上には「平成30年は大村益次郎没後150年」が
短い時間ながら周辺散策。駅前には「スーパーまるしょう」。
大村益次郎(1825~1869)生家へは180mということで西の方へ。確かに標識があったみたいですが、生家らしきものは見つからず。
18時6分発の3375Mで新山口に戻ります。115系N19編成でしたが、古い転換クロスシートで、まるで117系に乗っているような錯覚を覚えました。
18時11分に新山口駅に戻りました。昨年10月に橋上化されたと聞いていたので北口へ。メタリックな外観の自由通路にテラスも付いている形状です。階下にはトイレ。
北口と南口を結ぶ自由通路には緑が。最近流行りの壁面緑化です。
南口に出ました。山陽新幹線開業時と何ら変わっていないようです。
18時44分の「のぞみ60号」(N700系G6編成)で新大阪へ。PCをいじっている男性と相席になりましたが、先ほど購入したSL弁当で夕食。しかも、スマホの充電も果たしました。
20時38分に新大阪駅に到着。3度目の歯磨きし、20時57分発の東海道線225B(207系S38編成+Z2編成)で大阪駅へ。
少し早めに梅田スカイビルに行き、22時発のウィーラートラベルS3522便(和泉200か15-92)で一路新潟へ。新潟到着後、信越線228D(キハ110-204+キハ110-206+キハ110-215)で新津に帰還しました。
「山口線全駅下車の旅」は以上です。今回は、本俣賀~新山口の各駅及び四辻駅を訪問しました。「SLやまぐち号」に出会えたのは大きな収穫でした。新山口駅以外に橋上駅舎はなく、「大正」の雰囲気を残す木造駅舎もいくつかありました。その一方で、交換可能駅である仁保及び青原で駅舎なしというのには驚きました。また、三谷駅前のあまりの寂れようにカルチャーショックを受けました。
「その2」にて「宮野を境にした大きな落差」と書きましたが、宮野駅を境にして本数のみならず列車編成や二次交通機関に至るまで顕著な格差が生じていました。同じ山口市でも「阿東地区」は最早クルマ無しでは生活は成り立ちません。
その後ですが、4月に入ってレノファ山口カラーのキハ40系が走り始めています。是非とも記録したいところですが、まずは新山口駅まで行って出会えるかどうかだからちょっと難しいですね。
ところで、新潟の鉄道界に目を転じますと、今週に入って新潟駅4番線で大きく変化が生じています。次は、新潟駅高架化工事の「いま」をお伝えする予定です。
最後までお読みいただきありがとうございます。
参考サイト さいきの駅舎訪問
<ブログランキングに参加しています。是非ワンクリックお願いします。>