4時間半ぶりの山田線の列車です。16時14分発の643Dで茂市駅を出発。「キハ110-128」の単行で結構混んでおり、山田線の旅を楽しんでいるとおぼしき夫婦の横に座らせてもらいました。
17時11分に松草駅に到着。一見する限り片面ホーム1面のみの構内ですが、よく見ると交換設備が撤去されて棒線化されているのです!
駅舎撮影の前に駅裏を。国道106号ですが、応急工事が行われていました。
それでは駅舎撮影。平成11年2月築の三角屋根の駅舎です。トイレはありません。
一旦駅舎の中へ。壁面までも木造です。木製のベンチが1つ設えられるだけで券売機などの類はありません。
時刻表を。上り3本、下り2本です。今度乗る642Dが下りの始発なのです!
長い階段を下りて駅前に出ました。松草駅はうっしーさんのサイトで第89位となっていますが、駅前には「水晶米の店」と書かれた民家が。
「権現滝」に向けて周辺散策。間もなくして閉伊川を渡ります。そこには恐ろしく速い流れ。
下流側に視点を移して。深い森の中で、何だか吸い込まれそうです。
駅に戻って駅ノートに書き込みしてホームへ。盛岡方に進むと国鉄仕様の駅名板が。山田線ではこのようなアイテムを多く見かけます。
22分の滞在を終えて出発の時間となりました。17時33分発の642D(キハ110-138)で宮古方面へ。閉伊川の濁流を何度も渡ります。
つづく
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山田線駅巡りの前にニュースをお伝えします。JR東日本高崎支社は9日、211系電車をリニューアルし、来たる8月22日より上越線、信越線(高崎~横川)、吾妻線に順次投入していくことを発表しました。ドアを押しボタン式に変更し、ドア下にはノンスリップを設置するということです。これに伴い、現在運用中の115系、107系は順次淘汰されます。「一村一山 上越線」もいよいよロングシート時代の到来です。
さて、本題に。15時25分発の「106急行」(岩手200か19-89)で腹帯を出発。先ほどの道路工事のせいか、12分ほど遅れていました。
15時43分に茂市バス停に到着。鞭牛和尚生誕の地ということで、同氏の銅像が設置されてました。
陸橋から茂市駅の構内を。嘗て岩泉線が分岐していたということで、2面3線+保線用側線1本の構内です。
交差点を左折して坂を下りると新里郵便局が。合併される前は新里村でした。
数分ほど進むと茂市駅に到着。昭和9年築の木造駅舎です。平成26年3月にちょっと形式美を損なうような庇が設けられていますが、それにはちゃんとした理由があるのです。
それは、岩泉線の後継である東日本交通のバス停です。ほぼ岩泉線時代のダイヤを踏襲しています。
で、跨線橋の袂には仮設タイプのトイレが。平成26年3月に設置されました。
では駅舎の中へ。委託ながらも窓口があり、営業時間は5:10~21:20です。ホーローの駅名板が残され、駅内文庫も設けられています。
天井には在りし日の岩泉線の写真集が。岩泉線は、平成22年7月31日の土砂崩落で事実上廃線となってしまいました。
時刻表を。所定では下り8本、上り6本です。当駅折り返しは2往復です。
駅ノートに書き込みしてホームへ。跨線橋は開業当時からと思われる木造です。
2、3番線の島に行くと、1番線には「キハ110-137」が止まっていました641Dで到着し、640Dで折り返すに違いありません。
つづく
参考サイト さいきの駅舎訪問
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山田線駅巡りの前にニュースをお伝えします。JR西日本は昨日、来年9月の「幕末維新やまぐちディスティネーションキャンペーン」に向けて山陰線(下関エリア~長門エリア~萩エリア)に新たに観光列車を導入することを発表しました。現行の「みすゞ潮騒」用キハ47系を改造するとのことで。平成29年夏ごろに運転開始となるそうです。日本海や響灘が眺められるように座席が配置され、車内では山口の美味や美酒が振る舞われるそうです。これに伴い、「みすゞ潮騒」は廃止となります。昨今のジョイフルトレインは、旅行商品を申し込ませた上で車内で食事などを振る舞うという趨勢になりつつあります。
では、本題に。12時41分に平津戸駅に到着。ホームに上がると、一見する限り片面ホーム1面のみの構内ですが…。
宮古方に歩くと、保線詰所(社員休憩所)があり、もう1つホームが。もしかしたら、嘗ては交換設備があったかもしれません。
13時44分発の「106急行」(岩手200か202)で宮古方面へ。松草駅裏での道路工事があったせいなのか、10分遅れてました。それでも、やまびこ産直館で律儀にトイレ休憩。
14時35分に腹帯バス停に到着。日本の原風景そのものですが、付近に腹帯遺跡があったりします。
腹帯駅を目指して歩きます。閉伊川に向かって5分ほど進むと腹帯生活改善センターを通過。
間もなくすると、閉伊川を渡ります。濁流で恐ろしく流れが速いではないですか
橋を渡りきると、腹帯の集落に入りました。
閑静な集落の中を進むこと数分、腹帯駅に到着。平成11年2月築の三角屋根の駅舎です。
通路の左手にはちょこんとトイレが。汲み取り式ですが、トイレがあるのは山田線駅巡りで初めてです。
では、駅舎の中へ。木造のベンチが1つだけ設えられています。窓が大きく明るい印象です。勿論無人で何もありません。
時刻表を。上りは朝に2本で16時、18時、19時台に其々1本ずつ、下りは朝に2本、18時、21時台の其々1本ずつです。
折角なのでホームへ。島式ホームですが、線路は左側しかありません。そう、交換設備が撤去されて棒線化されているのです!
バス停に戻らなければならないので、もと来た道を戻ります。閉伊川の橋のたもとに「腹帯小学校」が。そこには子供達の姿はなく、廃校になって久しいと思われます。
腹帯バス停に戻りました。ふと線路の方に目をやると、3638Dの単行の気動車が通り過ぎていきました。山田線が止まっていないのが確認出来、ほっと一安心。
つづく
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山岸駅から3636Dに乗車。宮古まで行くという眼鏡女性と相席に。
11時51分に区界駅に到着。交換可能駅で、対面式ホーム2面2線の構内です。
では、駅舎の中へ。委託ながらも窓口が生きており、営業時間は6:20~19:30。荷物扱所の跡に花壇が置かれました。「山田線止まるかもよ」と脅されました。
激しい雨の中駅舎撮影。昭和3年築の木造駅舎が健在です。駅舎内にトイレはありません。標高は744m。駅スタンプの表題は「兜明神岳と高原の駅」です。
駅ノートに書き込みしつつ時刻表を。所定では下り3本、上り4本です。この3636Dは下りの始発だったのです!
駅前の様子。国道106号を挟んで向かいには「プチショップむかいだ」とありますが、閉店したみたいです。
少し東に進むと「道の駅 区界高原」。分水嶺とおぼしきトンネルからは盛岡市ですが、ここは何と宮古市です平成の大合併、恐るべし。
道の駅で用を足したりしていると、国道106号を国道46号に統合して国直轄道路にしようという機運を上げてました。
12時22分発の「106急行」(岩手200か18-79)で平津戸駅へ。料金は580円也。
12時41分に平津戸駅に到着。では「106急行」の時刻表を。何と、1時間ヘッドではないですか代替交通手段が山田線よりずっと高頻度だというのは何という皮肉。
それでは駅舎撮影。平成17年1月築の白系の駅舎です。トイレはありません。標高は466.26mまで下がりました。開業は昭和6年10月31日です。
宮古方には平津戸集会所が隣接してました。
駅舎に入って昼食を取りつつ休憩。3人分のベンチがあるだけで何もありません。駅ノートに書き込みしてぼーっとしているうちに緊急災害情報「エリアメール」が入り、眠っていた私のスマホがウェイクアップしました。
つづく
参考サイト さいきの駅舎訪問
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盛岡駅を出て41分で上盛岡駅に到着。
それでは駅舎撮影。平成10年12月3日築の、三角屋根の駅舎です。トイレはありません。
待合スペースは左側の2/3の区画。4辺のうち2辺にベンチがありますが、勿論無人駅で何もありません。
時刻表を。所定では上下其々1日8本ずつ(土休日運休を含む)ですが、現在は「社会実験」として夕時間帯に2往復増発されています。
ホームに出てみます。今でこそ片面ホーム1面のみの構内ですが、昔日の鉄道写真集を見ると桜並木があり交換設備もありました。
山岸駅から3636Dに乗る計画なので、滞在時間を最小限にとどめて出発。もと来た道を5分ほど戻ると龍谷寺を通過。
国道455号を過ぎると寺町に。ほどなくして正伝寺を通過。
曹洞宗の寺院である恩流寺を過ぎると、右折して国道4号に。
愛后町のベニシダレを見ると国道4号を辞して左折。
間もなくして、盛岡市中央公民館を通過。また雨が激しくなってきました。
山岸バス停を過ぎて盛岡信用金庫を見ると、これはしめたと思いました。
山岸小前のバス停の次の交差点で右折してAコープを過ぎれば山岸駅に到着です。上盛岡駅を出て33分、盛岡駅を出て78分でした。
それでは駅舎撮影。開業時からと思われる待合所です。トイレはありません。
その待合所の中へ。4人分のベンチが設けられているだけです。さすがにずぶ濡れになったので着替えしてワンカップ大関で一杯やりつつ休憩。駅ノートに書き込みしながら。
そろそろ出発の時間となりホームに上がります。申し遅れましたが、山岸駅は片面ホーム1面のみの構内で、ホームは狭いです。11時16分発の3636D(キハ110-128+キハ110-129)に乗車して山田線駅巡り開始。
つづく
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8月に入り、東北では大きな祭りが次々と催されています。「18きっぷ」で遠方に行かれる方も多いのではないでしょうか。私はというと7月末に身内で不幸があり、「18きっぷ」の残りをどうしようかという状況です。
さて、これからお伝えするのは、2015年7月25日の「山田線全駅下車への道・前編」です。「106急行」を駆使するなどして8駅巡りましたが、折からの大雨にぶち当たってしまい、仙台への戻りでは秋田新幹線運休の影響をもろに受けました。
出発の前に山田線の概要を紹介します。山田線は、本来なら盛岡から宮古を経て釜石に至る全長157.5kmの路線ですが、宮古~釜石間の数か所がこのたびの東日本大震災で津波にさらわれました。BRTでの仮復旧を固辞して鉄道での復旧にこだわったため、同区間はJR東日本で復旧させておいて運行は三陸鉄道でという形態になります。よって、当ブログでは、盛岡~宮古間の102.1kmを「山田線」とします。その盛岡~宮古間は北上山地を横断するローカル線であり、「106急行」の隆盛により本数が大幅に削減されて交換設備等が多数撤去されています。それに追い討ちをかけるかのように昨年の12月11日に松草~平津戸間にて土砂流入による脱線事故が発生し、上米内~川内間が現在でも運転見合わせという状況です。上部ではクラックが多数発生しており、運転再開の目処すら立っていません。尚、車両については全てキハ110系です。
前置きはこれくらいにして、そろそろ出発しましょう。
弟に送ってもらい、新津駅22時58分発の信越線461Mで新潟へ。最後の長野色であった115系N33編成でした。
新潟からは23時45分発のWeライナー(宮城200か11-55)で一夜を過ごします。菅生PAの休憩まで記憶なし。5時25分に仙台駅に到着。
吉野家で朝食をとり、6時発の東北線521M(719系H32編成+H41編成)で仙台駅を出発。東北地方は。
一ノ関駅にて1529M(クモハ701-1035+クハ701-1035+クモハ701-1013+クハ700-1013)に乗り継いで。和賀川の水量はかなりヤバ目。
9時27分に盛岡駅に到着。打ち上げ用の浜っ娘を購入してどうしようかと思案します。
雨が小康状態になったということで、上盛岡駅まで駅間徒歩を敢行。「2016 希望郷いわて国体」ですって
間もなくして、開運橋を渡ります。
渡り切ると四差路に出ます。左から2番目を進むのが正解だったですが、3番目に入ってしまいます。
繁華街を進んでいくと、いつの間にか盛岡城跡にこりゃだめだ。
リルートして岩手医大を通過。
龍谷寺を通過して山田線の踏切を渡ると、フードディスカウントストア・ビッグハウスに。駅だと思って左折したら駅裏だった。
踏切の手前に戻って左折すると盛岡タイムスに。今度こそ上盛岡駅に到着です。
つづく
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7月9日の運用改正で新潟の115系S編成は完全に運用から外れ、新潟車両センターのそこかしこに留置されています。運用改正からしばらくの間、信越線の列車から見える位置にN4編成、N11編成が留置されていましたが、いずれも姿が見えなくなり、N4編成は何回か運用に入っています。また、N26編成はあの日以来全く運用に入っている様子はありません。長岡花火、新潟花火、そしてお盆輸送の後にはS編成ともども何らかの動きがあるでしょう。
一方、E129系はB16編成まで運用に入っており、J-TREC新津事業所ではB18編成が通電試験を行っているといった状況です。B25編成まで落成するのはもはや時間の問題です。
あの日から1ヶ月近く経ってしまいましたが、S編成惜別記事ということで、最初に在りし日のS編成の運用シーンをお伝えします。
まずは、2015年5月6日の越後線140Mから。S12編成でした。
続いて、2015年5月17日の信越線432Mを。S8編成がN36編成を従えてました。
そして、2015年5月18日の越後線1523Mを。S4編成がN27編成を従えてました。
それでは、2015年5月分の新潟の115系電車を御覧下さい。特記以外は新潟駅での撮影です。
まずは、2015年5月6日の越後線143Mを。長野色のN35編成がN1編成を従えてました。
信越線440MはL6編成でした。
羽越線935MはL7編成でした。
2015年5月10日。信越線1323MはN18編成+S7編成でした。
白新線1630Mは、湘南色のN23編成がN8編成を従えてました。
羽越線931MはL5編成でした。
越後線137MはN14編成でした。
2015年5月15日。信越線441Mは、長野色のN35編成がS6編成を従えてました。
信越線442MはN39編成+N34編成でした。
越後線146MはN27編成+L6編成でした。
信越線3372Mは、湘南色のN23編成でした。
亀田駅にて信越線2546Mを。N6編成+N11編成でした。
2015年5月16日。亀田駅にて信越線2524Mを。N1編成でした。
新津方に行って信越線433Mを。N28編成+S11編成でした。
2015年5月17日。越後線129MはL10編成+N29編成でした。
古津駅にて信越線431Mを。L4編成+N9編成でした。
2015年5月18日。新津駅にて信越線1321Mを。L4編成でした。
新潟駅にて羽越線1928Mを。N2編成+N25編成でした。
ここから東新潟駅3連発。白新線1630MはN38編成+N33編成でした。
白新線1632MはN19編成+N15編成でした。4分ほど遅れてました。
そして、羽越線930MはL7編成でした。
新潟駅に戻り、越後線137Mを。当時は色褪せていたN28編成でした。5分遅れ。
信越線436MはN21編成でした。
そして、信越線437MはL10編成でした。
2015年5月22日。新津駅にて羽越線2131Mの入線を。N30編成+N10編成でした。
2015年5月23日。信越線429MはL4編成でした。
越後線129MはL9編成+N5編成でした。
新津駅にて信越線441Mを。N14編成+S4編成でした。
新発田駅にて羽越線940Mを。L11編成でした。
最後に、今回の運用改正を象徴する1枚を。2016年7月9日の信越線439Mは、E129系B8編成でした。
S編成運用離脱記念記事は以上です。2015年5月の115系電車をUPしましたが、長野色の編成、N1編成などをUPしていると、懐かしさすら覚えます。ここに登場したL編成は殆ど全廃し、N39編成に名残を残すのみです。今運用されえているN編成ともども、予断を許さないことは明らかです。次に新潟の115系電車をUPする時は、N4編成が廃車になった時です。
次は、山田線全駅下車への道をお伝えします。
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昨日、舛添要一氏が公費流用事件で辞任したことに伴う東京都知事選がありました。元防衛大臣の小池百合子氏が、自民党の支援を受けた増田寛也氏及び野党4党の支援を受けた鳥越俊太郎氏らを大差で破って史上初の女性都知事となりました。リオ五輪の閉会式で次の開催都市の首長として立つのは小池百合子氏となりました。東京都知事になるのは、政党の支援云々よりやはり知名度でしょうね。尚、投票率は59.73%でした。
さて、本題に。13時7分に三鷹駅に到着。総武・中央緩行線、東京メトロ東西線の始発駅でもあり、島式ホーム3面6線の構内です。
エスカレーターを上がりました。コンコース自体が「アトレヴィ」になっています!その手前左手のトイレで2度目の歯磨き。
歯磨きを終えて改札を抜けました。通路を挟んで向かいには「みどりの窓口」と「びゅうプラザ」が。窓口営業時間は7:00~21:00です。
自動改札の右手(南側)にはKIOSK、COMKIOSKが。
南口に進みます。左手はKINOKUNIYAとアトレヴィの店舗、右手はFLO PRESTAGEとNEWDAYSとなっています。
さて、南口に出ました。平成26年10月に白亜にリニューアルされています。
ペデストリアンデッキから高尾方を見下ろして。「アトレヴィ」の左手にはタリーズコーヒーが。駅前ロータリーからは小田急バスが発着します。
駅前は市街地が続いています。「雪捨場」があるのには驚きました。あの大雪の教訓なのかな。
さて、北口に出ました。昭和44年4月に橋上化されましたが、平成26年9月にリニューアルされました。右手には関東バスが。。
脱腸の症状が益々酷くなってきました。バスの発車を待つ間にロータリー中央のモニュメントを。やや目立たなくなってますが、「平和」です。
やっと全貌を現しました。1FにはKINOKUNIYA、Vino Kitchenなどが入り、右手には駅そば屋が。
駅前の様子。高層マンションに囲まれてます。東側には松屋が。
13時38分発の1378T(E233系T28編成)で神田に出た後、山手線1306G(E231系504編成)に乗り継いで上野駅へ。舟和の芋ようかんを2つゲットし、高崎線841M(E231系S31編成+U510編成)で帰路に。敢えてグリーン車には乗らず。
高崎駅から上越線743M(115系T1036編成)に乗り継げばいつもの帰還パターン。しかし、上州の山々が怪しい雲に包まれてきたなと思ったら、津久田駅発車時点で
「大雨の影響により、水上から先は運転を見合わせております。」
信じられない。高崎駅時点でならまだしも、津久田駅時点ならどうしょうもない。どうやって帰ろうか悩んでいるうち、この743Mは定刻17時36分に水上駅に到着。我々乗り継ぎ組は待合室に招き入れられましたが、私と同じ境遇だった人はざっと数えて30~40人くらいいました。その傍らを、長岡行きの1743Mに充当される予定だった115系N15編成が引き揚げていく…。外を見ると凄まじい雨。
我々は結局、越後湯沢駅までバス代行と相成りました。越後湯沢駅前は物凄くムシムシしていたものの、雨が上がってました。
「18きっぱー」達は20時27分発の1751Mに乗るよう指示されました。しかしこれでは、家に着くのが23時を回るのは確実です。ということで、ATMで3000円を下ろし、「Maxとき339号」(E4系P13編成+P16編成)で長岡へ急ぎます。同じ境遇となった「同業者」達が何人も。席に着くや否や、夏のたっぷり野菜弁当で夕食。
長岡から信越線457M(115系N32編成+L12編成)に乗り継いで。新津に帰還したのは21時4分。
「青梅線全駅下車の道」は以上です。二俣尾駅から始まった青梅線駅巡り、河辺駅にて大団円を迎えました。青梅線は本数がそこそこあり、ハイキング客の利用も多いですが、奥多摩駅を見ていると斜陽化というものも感じました。
で、この回の乗り継ぎ旅は上越線がバス代行となりましたが、上越国境越えの区間は夏場には夕刻に大雨で運転見合わせになることが多く、改めて夏の上州は雷どころだなと実感させられました。
次は、新潟の115系電車の模様をお伝えします。
完
参考サイト さいきの駅舎訪問
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