本日発信の河北新報ニュースによると、今年4~5月期の三陸鉄道北リアス線の定期外客(団体客を除く)は、前年同月比で約2割の減少となりました。利用客は約21,000人と約6,000人の減となっています。いわゆる鉄道ファンの利用が減ったということで、山田線の不通がもろに影響しています。シニア客はバス利用を敬遠するのでしょうね。山田線の不通区間(上米内~川内)の復旧が来年秋になることから、それまでの間、三鉄は「106急行」乗り継ぎでお得なきっぷなどに活路を見出すのでしょう。
さて、本題に。山田線642Dは18時2分に箱石駅に到着。一見する限り片面ホーム1面のみの構内ですが、配線をよく見ると交換設備が撤去されて棒線化されているのです!
それでは駅舎撮影。平成15年3月14日築の高床式の木造駅舎です。トイレはありません。駅前広場がただっ広いので、嘗ては大きな木造駅舎があったに違いありません。
では「控室」となる駅舎の中へ。木製のベンチとFRP製の4人分のベンチが設えられています。勿論、券売機などの類はありません。
時刻表を。上り5本、下り4本です。滞在時間は63分。
日が沈む前に周辺散策。駅前には小さな個人商店があり、集落となっています。女子中学生がやってきて商店の中に入っていきました。
3分ほ東に進むと箱石郵便局に出て閉伊川を渡ります。山の中の滔々たる速い流れを見ると、何だか鶯巣駅を思い出します。
上流側に視点を移して。赤い橋は国道106号です。
日が沈みかけてきたので、駅に戻って玄米ブランで夕食。駅ノートに書き込みするなどして時間をつぶし、19時5分発の645Dで帰路に就きます。「キハ110-134」の単行で結構乗ってたので、英語の本を読んでいた眼鏡女性と相席に。
20時33分に盛岡駅に到着。速攻で40分発の東北線1554M(クハ700-1015+クモハ701-1015+クハ700-1014+クモハ701-1014)に乗り継いで一ノ関へ。
22時18分に一ノ関駅に到着すると、「はやぶさ96号」が30分遅れとのアナウンス。秋田新幹線が大雨で乱れていたのです!果たして当のE5系U12編成がやってきたのは33分遅れの23時2分で、しかも併結相手の「こまち96号」は運休。車内でくつろいで試しに付属のACアダプタでスマホを充電してみれば、何とタップ出来たではないか!
23時34分に仙台駅に到着。大急ぎで仙台駅東口のバス乗り場に行き、23時40分発のWeライナー(新潟200か786)への乗車を果たして新潟へ。途中の新鶴PAでの大休止ではどうしても目が覚めてしまう。新潟からは信越線422M(115系L9編成)で新津に帰還しました。
「山田線全駅下車への道・前編」は以上です。この回では8駅巡りましたが、そのうち「過疎地帯」の駅が5駅含まれており、岩手県北自動車に1650円増収に協力した形となりました。区界高原までも宮古市に含まれており、平成の大合併で宮古市が巨大になったと実感させられました。
今回の行き帰りには115系N33編成、L9編成が登場しましたが、N33編成はキムワイプ色になり、L9編成は廃車されました。
「前編」があれば「後編」があるのではないかという声も聞かれますが、その「後編」は翌週の8月1日に実施しました。引き続き「後編」をご覧下さい。
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