かっては、子供の給食費を払わない親がいると新聞紙上を賑わしていたのですが、先日、それよりもっと驚くべき記事をみました。
保護者から「各自が給食費を払っているおり、誰かにご馳走されているのではないのだから、いただきます、ごちそうさま、と唱和するのはおかしい」とクレームが付いたそうです。
なんとその学校は、そのクレームに対して、笛の合図で給食を食べたり、終わったりしていると書いてあるのを見て、2度びっくりしました。
今日の絵は、”昼間の路地裏” F8号
「いただきます」「ごちそうさま」の意味を、親にも教師や学校関係者や子供たちにも教えなくてはなりません。
これは、日本独特の挨拶ですが、「いただきます」にはいただきが自分の頭の上を表すことから、神様に供えた食事を高いところから下げて食べるという意味と食材から命を戴いているという感謝の意味があるのです。
「ごちそうさま」には、走り回ると言う意味の「馳走」から走り回って食材を調達し料理してくれた人への感謝の気持ちが込められているのです。
目の前に料理が運ばれてくるまでには多くの人の手を経ています。
食材を提供してくれる農家、漁業、畜産物、から加工業、流通業まで、さらに言えば、その食材を生み出す大地や大自然までを考えてみてください。
そして料理をつくる家族もいるからこそ食べることが出来るのです。
すべてのことに感謝をもつと「いただきます」「ごちそうさま」という言葉も自然と出てきます。
なぜ、教師は、親は、子供に教えないのでしょうか?
今時の教師は、「クレーム親」(モンスターペアレント)に戦々恐々としています。
最近、このモンスターペアレントが話題になっていますが、なぜ、このようの非常識極まりないものが横行しているのでしょうか?
「親のいちゃもん」 「保護者の消費者意識の暴走」があるそうですが、次回には、そのことについて考えてみたいと思います。
(6月19日付けの産経新聞を参考にしました)