”江戸っ子”という言葉は寛政年間(1789~1801)あたりから言われだしたそうです。
それ以前は、「江戸者」などと呼ばれ、よそ者からはあまり良いようには言われていなかったようです。
威勢のいい方の江戸っ子とは、大分ニュアンスが違います。
威勢の良い江戸っ子が流行りだしたのが少し後の文化年間(1804~1818)あたりからで、「江戸っ子だい」というのは「金はないが威勢はいいぞ」という意味になったようです。
神田明神は、平の将門を祀っています。
江戸っ子とは、どういう連中かと言うと、幾つかの枠があり、厳密に言うとそのいずれにも該当するのが「真の江戸っ子」ということになります。
1、山王権現、神田明神両社の氏子であること。
2、古町(筋違御門から芝口までの城下町)の生まれであること。
3、親子三代続いて下町に生まれ住んだ者。
4、職人であること。商人は江戸っ子とは言わない。
5、日雇いであること。 宵越の銭は持ちたくても持てない者。
要するに、江戸っ子というのは自慢する程の存在ではなく、反対に江戸っ子と呼ばれるのを大変嫌がったことです。
粗忽で乱暴で物事のわきまえが足りなく、教養もなく、そのくせやたらと粋がって通人ぶり、人を馬鹿にして大きなことを言うのが、江戸っ子でした。
江戸時代では、これが通用し、江戸の庶民の生活に密着しておりました。
しかし、これが明治から今日に至るまで「真の江戸っ子」はいなくなりましたが、心意気をも残っていなくなったのは、残念なことです。
大阪では、浪速っ子とは呼ばれませんが、世間では、「がめつい」とか「せっかち」とか呼ばれています。 とかく関西と関東とは比較されますが、これが今あるのは、江戸時代から人々の生活に根を下ろしたものが、延々と続いているのです。
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