日々の恐怖 2月26日 川の呼ぶ声(1)
2年前の話だ。
俺は渓流釣りが趣味で、ウチの近くの川の源流部へよく釣りに行っていた。
車で30分程度の距離、適度な水量、あまり険しくない流れなど、1人で行ってもさほど危険を感じないような場所である。
3月には珍しいくらいの大雨が降った翌々日、俺はその渓流へ入った。
車を降りてから最初のポイントまで行く間に、砂防ダムを一つ越える必要がある。
歩きながらふと砂防ダムの上を見ると、大きな鹿がいた。
いつもなら人影を見ると逃げるのだが、この日は全く動こうとしなかった。
砂防ダムの下まで来ると、そこには足でも滑らせたのだろうか、すでに冷たくなっている子鹿の姿があった。
すると、砂防ダムの上の鹿はこの子の親か。
しばらくして親鹿は、森の中へ消えていった。
俺は子鹿のために小さく合掌をしてから、その場を後にした。
いきなり自然の現実を目の当たりにしたためか、それとも曇天のせいか、この日は足取りが妙に重かった気がする。
さて、竿を出して釣行を開始する。
大雨の後に釣り人が入った形跡は全くない。
この川では珍しいライズ(魚の飛びはね)も確認できる。
いつもなら小躍りするような好条件なのだが、この日はどうもおかしかった。
何でもないような所で根掛かりをしたり、木の枝に引っ掛けたり、木の根に躓いたり、石の上で滑ったり。
その時は大雨の影響だろうと考えていたのだが、今考えると、まるで奥へ進むなと言う警告だったような気がする。
右膝と臀部に打撲を負った。
しかし、魚だけは良く釣れていた。
こうなると釣り人の性か、前へ進まずにはいられない。
もう少し、もう少しだけ。
二段淵まで行こう。
二段淵とは、巨大な岩盤に囲まれた絶好のポイントである。
ここに着くまでに右肘と右手の甲に擦り傷が増えていたが、なんとか二段淵に到着し、ほっと一息ついた。
水量が少し多い他はいつもと変わらない景色のはずが、何かおかしい。
淵全体の雰囲気がいつもと違った。
いつもなら下流に向かって気持ちよく風が吹いているのだが、この日は無風。
ライズも影を潜め、川から生命感が無くなっていた。
さらに、不気味なほどの静寂。
そう、鳥の鳴き声一つ聞こえないのだ。
奇妙に思いながらも、ここまで来たからにはと竿を出した。
案の定、当たりは全くない。
“ もう終おうか・・・。”
と思った矢先、二段淵の上の淵で魚が跳ねるのが見えた。
上の淵へは、川の上流に向かって左側の大きな岩をぐるっと回り込んで行かなければならない。
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