極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

認知症とデジタル革命

2016年01月05日 | 時事書評

 

 

 

 

      求めない すると 比べなくなる      /        加島 祥造   『求めない』

 

                                                                                                             荒地派
                                                1923.01.12 - 2015.12.25 
                                                ※ 左から 鮎川信夫、加島祥造、吉本孝明

 

  2016.01.06

【治療と再生の革命 Ⅱ】 

● 認知症対策

16年2月27日、国立循環器病研究センタが、脳梗塞再発予防薬として広く用いられて
いる抗血小板薬「シロスタゾール」が認知症の進行予防にも有効であることを公表し
ている。もし、自分が認知症ではないか?と考えると不安に陥る経験は誰にでも起き
る(と推測)。迷惑をかけたくない!と思うことで連鎖するのだ(と推測)。いま大
丈夫だと思っていてもいつ発症するかもわからない不安がときまとう。他人事ではな
いと、認知症対策の最前線をにわか学習する。

○ アルツハイマー型認知症:シロスタゾールに効果

認知症は現在日本で既に4百万人を超え、8百万人に――世界中で2千万人以上の人
々が認知症に苦しみ、40年までに8千
万人を超える――までに膨れあがるというの
だ。(上写真クリック)この共同研究の成果は、
アルツハイマー型認知症の認知症症
状の進行抑制に用いられるドネペジル塩酸塩という薬剤を内服している洲本伊月病院
の患者を対象に、シロスタゾール内服者と非内服者年間の認知機能低下率をミニメン
タルステート検査(MMSE
)により比較したところ、シロスタゾールを内服していた
患者では年間の認知機能低下が有意に抑制されていることが分かっている。シロスタ
ゾールを内服していた患者では、特に記憶の再生や自分の置かれている状況を正確に
把握する能力の低下が阻止され、これらの機能は特にアルツハイマー病の早期で障害
されやすい認知領域であることから、研究グループは、シロスタゾールがアルツハイ
マー病のような神経変性症にも有効だとする。



シロスタゾールは、脳梗塞の予防に広く用いられる抗血小板薬(「血液サラサラ薬」。
シロスタゾールは、血栓形成を抑制すると共に、血管を拡張させ脳血流を上昇させる
作用がアミロイドβの沈着堆積を妨げていると考えられている。

※ アルツハイマー病の初期症状のためにドネペジル塩酸塩を内服している患者のう
  ち、12か月以上の間隔で2回以上ミニメンタルステート検査(MMSE)と呼ばれる
  質問形式による認知機能評価を受けた患者を、シロスタゾールを6カ月以上追加
  投与された患者34例と追加投与されなかった患者36例に分類し、認知機能の変化
  を解析。すると、シロスタゾール投与群では認知機能の年間低下率は非投与群と
  比較して約80%抑制されており、また認知機能検査の評価項目の中でもアルツハ
  イマー型認知症の初期に機能低下が起こりやすい「時間の見当識」「場所の見当
  識」「遅延再生」の3項目での認知機能低下が有意に抑制された。 

   プレタール[シロスタゾール]作用機序

○ 歩行速度で認知症のリスクがわかる!

認知症の予防のカギとして注目されているのは、“MCI”(軽度認知障害)。認知
症の一歩手前の段階で、MCIの人は、必ず認知症になるわけではないことも判明し
たとし、認知症の段階ではなく、MCIの段階で見つけられれば“予防の道”へ進む
ことができると放送されている(「NHKスペシャル シリーズ認知症革命」2015.11.
14)。MCI、認知症にすすんでいくと意外なことに歩く速度が遅くなる。ある速度
よりも遅くなると、MCIや認知症のリスクが高くなり、
その歩行速度は 秒速80
センチメートル(時速 2.9キロメートル)かどうか 見定める方法は (1)横断
歩道は秒速百センチメートルで渡れるようになっているものが多い。信号を以前は渡
りきれていたのが、渡りきれなくなると要注意の歩行速度。 (2)駅まで歩く時間が
以前よりも遅くなったなど。



それでは、対策は?というと、(1)早歩きなどの有酸素運動と筋肉トレーニングを
行う→ 「ちょい足しウオーキング」。歩幅を5センチ広げると体にかかる負荷が増え
心拍数の目安は120程度をめどとする。 (2)塩分の摂取量を控える。(3)フィ
ンランドで
は神経衰弱のようなゲームなどを行い(囲碁や将棋など))認知トレーニ
ングを行うことで改善予防に実績を上げている。(4)血圧
などの管理や生活習慣病
予防。

尚、「NHKスペシャル シリーズ認知症革命」の第二回では、「認知症になっても、
その人らし
く穏やかな人生を生きていく」ためのヒントを探っている。“ユマニチュ
ード”と呼ばれるフラン
ス生まれのケアを導入する動きが広がっている。「見つめる
」「話しかける」「触れる」「立つ」を
基本に、“病人”ではなく、あくまで“人間”
として接することで認知症の人との間に信頼関係が
生まれ、周辺症状が劇的に改善す
ると事例が紹介されていた。

   NHK認知症キャンペーン「ユマニチュードって何?」

この他、13年5月7日に報告された「アルツハイマー病脳における糖尿病関連遺伝
子の発現異常」(九州大学・生体防御医学研究所教授中別府雄作ら)、つまり、糖尿
病がアルツハイマー病の危険因子となるメカニズム――記憶を司ると言われる海馬で、
エネルギー源である「糖」をうまく使えなくなる、糖を使うときに欠かせないホルモ
ン・インスリンに関わる遺伝子が変化し、脳内インスリンの働きが低下――が
明らか
にされているが、米国で鼻からインスリンを噴霧し、脳へインスリンを送り込み、イ
ンスリンの働きを改善させること臨床試験が進められている。

   doi:10.1038/nrendo.2015.173

【治療と再生の革命 Ⅰ】 の慢性腰痛対策(『ナショナルトレッキング』2016.01.04
で書き足らなかったことで、DLPFC――背外側前頭前皮質(前頭前野背外側部;複雑
な認知行動、人格の発現、適切な社会的行動の調節に関わっているとされていて脳の
中で最も進化した部位、一つの仕事に集中する能力の源泉である)――が萎縮(衰え
る)すると、うつ患者の場合、機能が正常に働いていないことが判ってきている。予
防は痛みへの強い恐怖心脳の中で生まれるとDLPFCにストレスがかかり、次第に活動
が衰えていく。その対策として、腰を反らせる姿勢を3秒/回繰り返えすだけで克服
できるという方法がある(※ http://www.nhk.or.jp/kenko/nspyotsu/a02.html)。

 

 

 

 

 ● 折々の読書 『法然の編集力』 6  松岡 正剛 著  

 【目次】 

   第一部 法然の選択思想をよむ

    忘れられた仏教者
   六字名号の伴/宗教は「編集」されてきた/法然に吹く風

    専修念仏への道
   父の遺言/浄土思想との出会い/末法を生きる/法然の読暦法ノ専修念仏の確
   信/山か
ら町へ乱想の凡夫として

    法然のパサージュ
    兼実の「仰せ/「選択」とは何か/法然のブラウザトプリテラシーとオラリティ

    「選択」の波紋
    南都北嶺の逆襲/浄土でつながる……多重な相互選択/親鸞と空也


   第二部 絵伝と写真が語る法然ドラマ

    法然誕の地ノ突然の夜討ちノ時田の遺言/比叡山入山∠宝ヶ池越しに比叡山
    を望む/
18歳での遁世/浄土信仰の象徴/一向念仏則に帰す/吉水での説
    法/念仏宛洋の地/善導
との夢中対面/大原問答/大原問答の地/九条兼実
    の帰依ノ朗婉の計画ご弟fの死罪/
遊女教化/法然の臨終/法然の眠る場所


   第三部 特別対談 松岡正則×町田宗鳳

    大震災を経て/辺境から生まれる希望/仏教の土着化/日本仏教の系譜/仏
    教とイメー
ジ/法然の引き算/仏教を再読/「悪人」とは誰か/仏教におけ
    る死
 

 

 ● 専修念仏への道

                           山から町へ

   専修念仏を選びきろうと決意した法然は、いよいよ比叡山を後にします。山に
 とどまること
に限界を感じたとともに、なんとしてでも民衆に「救い」の道を示す
 
ためにはじっとしていられなかったからでしょうし、さらには、膨大な経典にい
 までも縛られているより、自身が結果的に発見した『観経疏』散華義の極光をもと
 とに
新たな言動を試みてみたくて町へと下りたのでしょう。
  かといって、「山にを離れた法然が突如として反体制的になって、延暦寺を揶揄
 
したり批判したというわけではありません。しがらみから自由になった憎が好き勝
 手やりたいことをして、たとえば破戒憎などとよばれるなんてことはよくあること
 で、また法然がそういうことだったのならばある意味でわかりやすいのですが、そ
 うではなかったのです。法然は一貫して既存の仏教勢力や念仏以外のけを毀損する
 意図をもちまったせんでした。あくまで、「救い」の方法を深化させるために山を
 下りた
のであって、必ずしもドロッブアウトしかわけではないのです。

  こうして法然は東山の吉水に庵をかまえて説法をはじめます。説法の噂はすこし
 ずつ広まります。「念仏さえ称えれば誰でも往生できる」という、かつての仏教史
 ではありえなかった教えを民衆たちが耳にしはじめたのです。その舞台が吉水であ
 ったこと、すなわち「山」ではなくて「町」のなかであったことはとてもシンボリ
 ックでした。法然の厚修念仏がすでに「学問」の領城を脱出していたことを示して
 いるからです。

  そもそも仏教における「声」の世界は、一般の民衆たちとはかなり隔絶されたも
 のでした。このあたりのことについては、清水眞澄さんの『読教の世界』(吉川弘
 文館)
などを読まれるとよくわかると思いますが、説経、唱導、講式、披講、問答、
 声明などは、一から十まで仏教の「プロ」がおこなうことだったのです。
  
しかし法然は、そういう幾多の仏教の「声」をも編集して、最終的には「南無阿
 弥陀仏」という六欠字の名号に集約していった。とても簡単なようなことですが、
 私はこれはたいへんな「声の編集」であったと思います。みんなが、南無阿弥陀仏
 を口にして称えられるようになったということは、誰もが口ずさめる仏教ボーカル
 サウンドができたということで、それなら民粟たちはまるでヒット曲のさわりが歌
 えるような気分になったということなのです。こういうことも手伝って、専修念仏
 の輪はしだいに民殷たちの間に広まっていきました。

  都では法然の専修念仏の噂が飛び交うようになりました。のちに親鸞と名を改め
 る綽空が法然に帰依するのも、この時期です、しかし地方では、法然が説く念仏の
 教えにいまひとつ納得できない人物や疑問ををもった者たちも少なくはない。顕真
 もその一人でした。顕真はもともと比叡山で顕密両教を修めた僧都でしたが、仏法
 に自信がもてなくなったのか、京都洛北の大原の勝林院に引っ込んでしまいます。
 こういう引っ込み方を当時は「遁世」(とんぜ)といったのですが、遁世するとい
 うことは、すなわち「希って往生する」ことでもあるはずなのに、近ごろはいかに
 して往生できるのかもはっきりしません。道長の時代のように、常行三昧や観音堂
 や阿弥陀仏像を麗々しく安置してこれを観仏するだけでは、もはや心が穏やかにな
 らなかったようなのです。

  大原といえば、現住でも市井の塵をよばない静寂に包まれている地域ですが、平
 安後期では格別な隠棲の地と目されるようになっています。十二世紀にば、すでに
 寂念・寂超・寂然の三兄弟が遁世して、巷間で「大原三寂」などとよばれていたも
 のです。ちなみに、三寂のご人の寂超はもとの名を藤原為経といって、三〇歳をす
 ぎると穢土の現世にさっさと見切りをつけて遁世しています。その寂超の子は、ア
 ンドレ・マルローをして仰天させた、「似絵」で有名な藤原隆信です。知恵院にあ
 る法然の肖像画「披講の御影」を描いたのも、この隆信でした。ついでにいえば、
 寂超の妻の美福門院加賀は夫が家出まがいのことをしてしまりたものだから、しか
 たなく――いや、しかたなくかどうかはわかりませんが、藤原竣成と大恋愛をする。
 そこで生まれたのが、かの藤原定家です。

  それはともかく、顕真はこうした大原三寂らの生き方に憧れて遁世をしてみたの
 だっただろうと思います。ところが「山」を下りてみると、「都」からは法然が専
 修念仏を祢えているという噂が聞こえてきます。まだ遁世というものにどっぶりつ
 かっていない顕真は、法然という男に興味をもちました。そこで顕真は、大原辞林
 院の丈六堂に何人もの知識人を集めて、噂の法黙にその真意を尋ねることにしたの
 です。いわば今後の仏教のありかたをめぐるカンファレンスを主宰したのです。文
 治二年(1186)の秋のこと、後白河法皇が寂光院を訪れる、『平家物語』に有
 名な「大原御幸」から半年後です。



  このカンファレンスは法然の名を世に知らしめる決定的なターニングボイント
 なりました。カンファレンスに招かれた人物には、延暦寺の永弁や智海や証真、三
 論宗の僧で光明山寺にいた明遍、笠置上人といわれた法相宗の貞慶、東大寺の勧進
 職をつとめた重源、嵯峨往生院の念仏房、大原来迎院の蓮契ら、当代きってのトッ
 プ・データベーターたちが揃っています。いずれもがここはひとつ、巷間をにぎわ
 す法然の話を聞こうじやないかという面々です。三○○人近いオーディエンスも集
 まったようです。

  浄土宗では、このカンファレンスのことを『大原談義』ともいいます。歴史学で
 はあまりとりあげられることかありませんが、日本宗教史上きわめて注目すべきタ
 ーニングポイントでした。法然は五四歳になっていました。

                                      乱想の凡夫として

  いったい、「大原問答」では、とのような議論か交わされたのでしょうか。私の
 想
像ではありますが、法然の主張は、およそ次のようなことにまとめられるのでは
 な
いかと思います。

  仏教の法門は、自力の修行による悟りを重視する「聖道門」と、阿弥陀の本願を

 信じる他力の「浄土門」とに人別できると思います、また、教法にはじっくり悟る
 「漸教」と速やかに悟る「頓教]とがあることも、よく知られています。あなたが
 たの主張するように、仏教修行の立揚からすれば、聖道門や漸教がすばらしいこと
 は言うまでもないでしょう。しかしながら、私のような愚かな「乱想の凡夫」や民
 衆たちが、その理論、その修行、その勤行に耐えて悟りをひらくのには、とうてい
 無理があるのです。私が聖道門を選んだら、さっさと成仏することも適わぬことだ
 ろ
うと思います。

  私はあえて「浄土門」を選びます。そして阿弥陀仏を選び、ひたすら念仏を称え

 ることを大事にしたい。そこでこの場におられる聡明なあなたたちには、このよう
 な「乱想の凡夫]が報土に生まれうることに思いを致してほしいのです。その報土
 とは、阿弥陀がかつて法蔵比丘だったころに誓った本願にもとづいているのだから、
 そこはそのまま極楽浄土であるはずです。
  そして、この浄土に行くためには、「いま、たただいま」というこの身のすべて
 を弥陀に託し、凡夫たちは念仏に専心するしかないのです。阿弥陀仏はそれこそを
 本願として、この世にわれわれを導かれたのではありますまいか。弥陀の本願にこ
 の身を託すことの、どこが間違いだと思われますか。私は凡夫の立場にたって、あ
 えて他力にこの身を託すことを選択するのです、みなさん、ぜひともそのように考
 えていただきたい。

  おおよそこんなメッセージたったらうと思います。称名念仏による往生が凡夫に
 とっても可能である理由は、法蔵菩薩が悟りをひらくにあたって誓願した四八願の
 うちの第十八願にもとづいているからだ、という主張です。といってもこれだけで
 はわかりにくいでしょうから、少々説明をしておきます。



  数ある経典のなかで阿弥陀仏の誕生とその特色を綴っているのは「無量寿教」と
 いうテキストです、そのなかで、阿弥陀仏はもともとは法蔵という名前の国土であ
 ったと期されています。

  法蔵は国王の時代にブッダに出会って出家すると、一切の生きとし生けるものを
 仏にしたいという根本的な願いをたてまます。その願いはじつに四八種にのぼった
 ので、これを「四八願」というのですが、その願い(本願)の大きさもあって、法
 蔵はたいへんな修行や苦行をすることにより、それでもついにすべての願いを実現 
 します。おかけで法蔵はその後は「阿弥陀仏」という仏になって、いまも「西方極
 楽浄土」で説法と救済の日々をおくっていらっしやる……、、
  これが法蔵が阿弥陀仏になったというストーリーですか、この法蔵がたてた四十
 八の願いのなかに、じつは「阿弥陀仏はわが名を称える者ならどんな者でも浄土に
 迎えて必ずや仏とする」という趣旨の第十八願があったのです。法然が注目したの
 はここでした。

  仏教では、過去あるいは以前にたてられた願いのことを「誓願」といいます。な
 かでも仏が菩薩として修行中の身にあったときにたてた誓願は、「仏の誓願」とい
 う。法蔵はまだ阿弥陀仏になる前に誓願をたてたのだから、それは法蔵菩薩がやが
 て技自分が仏になったら誓いますというアジェンダです。その未来形のアジェンダ
 が四十八願あったわけです。
  では、「弥陀の本願」つまり「阿弥陀仏の本願」とは何かというと、法蔵菩薩が
 阿弥陀仏になれたときにはたすべき実行プランのことなのです。それが四十八にも
 及ぶのですが、そこには恐怖を取りのぞくこと、生まれてきた者の平等性、衣食の
 自由な入
手、美醜にとらわれない価値観など、じつにいろいろなことが約束されて
 い
ます。そして、そのなかの第十八願が「阿弥陀仏というわが名を祢える者」なら、
 その者たちは浄土に導かれるだろうという約束なのです。阿弥陀仏というわが名を
 はその約束をは
たすことを本願としてもっているということなのです。
 
  実際の『無量寿経』にどう書いているのか、引用しておきます。ちなみに無量寿

 も阿弥陀仏も同じ意味で、アミターユースあるいはアミターバというサンスクリッ
 ト
を片写した漢訳名です。


   たとい、われ仏となるを得んとき、十方の衆生、至心に真楽して、わが国に
  生まれんと欲して、乃至十念せん。もし生まれずんば、政党を取らじ。ただ五
  逆と正法を誹謗するものを除かん。


  衆
生は、わたし(=阿弥陀仏)の住む国(極楽浄土)と願って念仏を称えれば、
 必ず往生することができるだろう。もしそうでなければ私は悟りをひらかなかった、
 
と言っているのです。専修念仏の根拠はここに求められます。
  これでだいたいのことが見えてくるくるだろうと思いますが、法然はどんな凡夫
 でも
「弥陀の本願」にもとづけば、自力の聖道門に入らずとも、他力の浄土門に入
 れるはずだということを 「大原問答」で説いたのです。聞いていた者たちはそん
 なことは初めて聞くような大胆な内容ではあったろうものの、誠実きわまりない説
 得力に驚いたにちがいありません。
  このカンソァレンスをとりしきった顕真は、じつはのちに天台座主にまでなる人
 物なのですが、その顕真ですら法然の話に深く聞き入ってしまったといいます、

  法然はこうして、当時の知的エリートのトップたちに認められました。第一関門
 の突破てした。おそらくは法然が自身がをまごうかたなき『乱想の凡夫』と泣置づ
 けたうえで、当時の碩学や知識人にストレートにぷつかっていったことが功を奏し
 たのだと思います。

  叡山時代から「智慧第一の法然坊」と呼ばれ、その生涯において「たった一日だ
 け聖教を見なかった」というほどに読書家だった法然が自分のことを「乱想の凡夫」
 と位置づけたのです,これは現代的な思想の見方からすると、痛哭の自己限定とい
 うところになるでしょうが、法然にあってはそこを「他力」に託して、自己限定
 一般他者に拡けてみせたのです,

    
  法然は謙ったのではないのです。嫌みを発したわけでもありません。もちろん時
 の仏教権力に追い込まれてぽったわけでもありません。幾重にも条件づけられた浄
 土への扉を他力に閉放するための、念仏こそが浄土のバスボートになりうることを
 説くための凡夫の設定だったのです。
  法然という人は、さんざん自分流のエディティングを重ねたうえで称名念仏の光
 を見たわけですが、それを自分の功績にしたいなどとは微塵も思っていません。念
 仏こそが弥陀の本願、弥陀の選択であるように、たまさか自分も選ばれたにすぎな
 いと考えていたのです。法然にはそういう気負いのなさがありましたし、いわんや
 栄達を望むような人ではありませんでした。

  法然が一心にさぐっていたのは、自力行によって悟りをひらくことができない

 々に、「凡夫」と「他力」と「浄土」をつなげる方法を提供することだったのです。

 それもそのそのことが、阿弥陀の慈悲による贈りものであるように感じてもらえる
 よう
にしたい。そんなように思っていたのだろうと想像します。

  元来、浄土に往生を遂げるとか悟りをひらくといったことは、一般の市井に生き
 る人々にはなかなか適わぬことでした。すでに説明したように、仏教経典は弟子
 ち
がブッダの討葉を編集して成なしたものです。サンスクリットやバーリ語で書

 れています。これをシルクロードを渡ってきた訳経僧たちは、中国僧とともに漢

 していったわけですが、そのうち雑然と訳出されてきた仏典を体糸づけて解釈する
 必要
が生じました。そのようにバラバラに漢訳してきた経典を一貫した解釈によっ
 て再編成する
ことを「教相判釈」といいます。いろいろの判釈があったのですが、
 とりわけ天台智が説い
た「五時八教」という判釈が主流になると、その見方が日
 本に入ってきて、最澄以下の叡山
の学僧たちによって受けとめられ、そこで修行か
 ら成仏までのプロセスが細かに組みに立
てられたのです。
 
  法然は一人の「乱想の凡犬}として、それほどまでに休糸づけられた修行を続け
 ることはできないと主張します。大台の教えは正しいかもしれないが、その体糸に
 もとづいて往生するためには自らを律する修行をずっと続けることになる。それな
 らば、父の時国のように一瞬にして死んでいくような悲劇を前にして、人々が仏性
 を感じることなんてできないではないか仏教には、もっと思想的な瞬間や想念と
 しての瞬間にまにあうような方法がなくてはならないのではないか。法然はそうい
 うことを訴えたのです。そこには、つねに父の死が大きく影響していたと思います。

  法然の強みとなったのは、仏教を代表するような論客を前にして、私には「乱

 の凡夫」としての境界性しか語ることができないという立場にたったことだと思

 ます。こうなると、誰も聞きながすことはできません。

  こうして、大原問答は法然の私声を大きく高めることになりました。このとき、
 日本仏教史はまったく新たな転換を見たのです。


                               この項つづく

 

  詩人・ 墨彩画家・翻訳家の加島祥造が他界した。享年九十二  

                                     合唱


  

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