もし犬がしゃべることができれば、おそらくわれわれ人間は、人
間同士つき合いにくいのと同じくらい、犬ともつき合いにくくな
るであろう。
チェコスアヴァキアの劇作家
カレル・チャペック
lf dogs could talk, pcrhaps wc'd find it just as hard to get
along with them l as we do with People.
Karel Čapek
※ 仮定法過去は現在の事実の反対の仮定である。just as hard
as ・・・ 「・・・とちょうどおなじぐらいむずかしい」。
get along with・・・「・・・とつき合う」
● 折々の読書 『法然の編集力』 7 松岡 正剛 著
【目次】
第一部 法然の選択思想をよむ
忘れられた仏教者
六字名号の伴/宗教は「編集」されてきた/法然に吹く風
専修念仏への道
父の遺言/浄土思想との出会い/末法を生きる/法然の読暦法ノ専修念仏の確
信/山から町へ/乱想の凡夫として
法然のパサージュ
兼実の「仰せ/「選択」とは何か/法然のブラウザー/トプリテラシーとオラ
リティ
「選択」の波紋
南都北嶺の逆襲/浄土でつながる……多重な相互選択/親鸞と空也
第二部 絵伝と写真が語る法然ドラマ
法然誕の地ノ突然の夜討ちノ時田の遺言/比叡山入山∠宝ヶ池越しに比叡山
を望む/18歳での遁世/浄土信仰の象徴/一向念仏則に帰す/吉水での説
法/念仏宛洋の地/善導との夢中対面/大原問答/大原問答の地/九条兼実
の帰依ノ朗婉の計画ご弟fの死罪/遊女教化/法然の臨終/法然の眠る場所
第三部 特別対談 松岡正則×町田宗鳳
大震災を経て/辺境から生まれる希望/仏教の土着化/日本仏教の系譜/仏
教とイメージ/法然の引き算/仏教を再読/「悪人」とは誰か/仏教におけ
る死
第一部 法然の選択思想をよむ
● 法然のブラウザー
法然が『選択本願念仏集』のなかでおこなっているのは、一方を選び、他方を捨
てるという「選択」ではありません。すでにのべたように、さまざまな価値を導き
出すための仏教的な方法を少しずつ多重に選び取りながら重ね合わせてこれを絞り、
その絞った視点をもって他の価値観を読み替え、そこに思い切った断章取義を加え
ながらぐいぐいと前に進んでいくという「選択」なのです。
それにしても多重に取捨選択するとはどういうことなのか。すこし話が逸れるよ
うですが、パソコンの話を例に出してみます。
今日のウェブ社会の隆盛は、一九七〇年代にパロアルトの研究所に所属したアラ
ン・ケイが、マルチウィンドウの概念を具現化したパソコンを提唱したことに端を
発しています。九〇年代にはWWWの技術が登場し、私たちはインターネット上の
ウェブサイトを自在に閲覧できるようになりました。その際、私たちが用いるのは
ウェブブラウザーです。古くはモザイクやネットスケープといったブラウザーを使
って、眼前に次々と現れるウィンドウをどんどん消化していくのです。
法然には、このマルチウィンドウ型の情報処理能力やウェブブラウザーに似た情
報選択能力が、生きた状態ではたらいていたのではないかと思います。法然は一冊
ずつの経典や解釈書を読んだのではなく、マルチウィンドウ的に読んだのです。ま
た、みずからがブラウザーのようになって、数多の経典や注釈書を通過しながら情
報スクリーニングして、そのブラウザー動向のヒストリーをレジストレーションで
きたのです。
パソコンでは、気になる情報にタグをつけて、これらを複合的にリンキング(リ
ンクを張ること)することが可能です。場合によってはそのリンキングの順番を明
示することもできるようになっている。法然にもそのようなタグ・リンキングの手
法があったように思います。けれども、やたらにタグをつけたり、リンクを張った
りはしなかった。もっとも重要なタグやリンクの線は、必ず束ねられて弥陀の第十
八 願と共鳴しあえるようにしたはずです。
一方、法然はこれらの動作をすべて信仰に結びつけるために、法然独自のカーソ
ルをことごとくぷ心仏カーソル〃にしていったのです。いわば法然はこういうパソ
コン的な多重選択術を開発できたのではないかと思うのです。私はそれを、あえて
法然のブラウザーと呼びたいときがあります。
ともかくも法然の選択は、「多重微妙選択」という言葉であらわすことができる
ように思います。『選択本願念仏集』は、その構成の全体がいわば多重選択的な分
岐構造になっていて、法然のブラウザーは、相互にたいへん酷似し、近接しあうも
ののなかからスラロームするがごとく選択をすすめていくのです。あるいは、次々
にあらわれる夥しい隣接情報や界面情報のあいだを高速で擦り抜けていくようにも
なっているのです。ですからたいへん多くの情報を通過していきながらも、何かを
デリートすることはないみです。それでいて革新的な部分の縮約が確実にすすんで
いくのです。
それでは、そういったコンピュータっぽいメタファーを借りながら、あらためて
『選択本願念仏集』に使われている言葉を眺めてみたいと思います。今度は文中の
用語に注意してみます。
冒頭では、聖道門と浄土門とを比較して後者を「選択」していますが、法然は聖
道門をまるきり否定するようなことはしていません。往生を重視するならば浄土門
を選ぶといいと言っているのであって、県道門については「閣いて」という言葉を
つかっています。法然のブラウザーは、あきらかに県道門を通過しているのですが、
それは「閣」という情報処理の扱いを受けるのです。
それは、正行と雑行の対比でも同じです。ここではブラウザーは正行を「選択」
していますが、やはり雑行を排除することはせずに、投げ捨てるようにするのです。
はなから手にもたないのではなく、いったんは手に取ったうえで選ぶことを避ける。
ですから、ここでつかわれているのは「巣」という漢字です。
さらに「正行」には、読誦・観察・礼拝・供養といったさまざまな方法があるの
ですが、それらはあくまで「助業」として「傍ら」におき、とりわけ称名念仏を「
正定業」としなさいと続けます。この「傍らにおくにというのがすこぶる法然らし
いところです。正視はしないが脇目では見るというところです。法然のパサージュ
とでもいうべきで、まことにユニークです。
このように、法然のブラウザーを動かして文章を読んでいくと、ここに綴られる
浄土に往生するプロセスそのものが、多重微妙選択状態になっていることが如実に
なってくるのです。数ある教義を次々に擦り抜けて、つまりは大半のインタラクテ
ィブなインターフェースを通過して、そのうえでそれらすべてを共鳴させうる称名
念仏を選択するという方法です。これはやはりパサージュです。
ですから『選択本願念仏集』には批判や否定の言葉がほとんど出てきません。と
いうよりも、法然にとって捨てるものなどないのです。デリートがないのです。そ
れなのに法然のブラウザーは界面を次々に擦り抜けていき、そのたびに「選択」が
進んでいくという構造になっている。弁証法もなければ、否定の神学もない。とこ
ろが気がつくと、専修念仏と阿弥陀仏だけがすべてを擬き、共振させ、共含有させ
ていたということになっていくのです。
法然はざっと八万四千の法門からこのような選択をしたといわれていますが、こ
の数はウェブサイトの質量としてもちょっとしたものです。法然はコンビニやスー
パーの商品を無視したのではないのです。そこに「生と死のあいだの出来事」のた
めの選択を惜しみなく作動させていったのでした。
かつて『選択本願念仏集』を読んでいたとき、私はとても懐かしいものが思い出
されるような気がしたものでした。それは少年のころにとりくんだ鉱石ラジオや無
線でした。チューニングがとても難しく、周辺の周波数に乗っていた情報をちょっ
とずつとりこんでいくのが不思議だったのです。私が法然のブラウザーに感じるの
は、この感覚にも近いのです。
こういった感覚は、同じ鎌倉新仏教でも栄西・日蓮・道元・親鸞ではめったに味
わえません。文章としての味や思想書としての深みは道元に及ぶものはなく、過激
なラディカリズムでは日蓮が圧倒し、その含意の奥行きからすれば親鸞こそが上と
いうべきなのですが、けれども、法然にはそれらすべての端緒を決定するための、
全プロセスを踏査した相互参照性のようなものが高速度に動いているのです。ただ
一人、法然だけが見せてくれる驚くべき編集力であり、驚くべきテキストです。
● リテラシーとオラリティ
もうひとつ、私が注目しておきたいのは、『選択本願念仏集』が口述によって
成立しているということです。
すでに紹介しておいたように、法然が『選択本順念仏集』を自筆で書かなかった
のは、文章が苦手だったからだとか、文字があまり上手くなかったからだといわれ
ます。なるほど法然がのこした消息(手紙)などを見ると、たしかに達箪ではあり
ません。しかし、とても昧わいのある字をしたためている。『選択本願念仏集』だ
って書こうと思えば書けたはずです。にもかかわらず、あえて口述という方法を選
択したのは、法然が’オラリティの可能性に賭けていたからです。
私たちの言語文化は、もともと話し言葉のオラリティと書き言葉のリテラシーに
よって成り立っています。前者は口語、後者は文語ともいわれます。しかし、その
中間の領域もあるのです。オラル・リテラシーあるいはリテラル・オラリティとい
うものです。
法然は、自分か筆をもって文章を書くというリテラシーを省くことで『選択本願
念仏集』を成立させました。しかし、読めばすぐわかるように、それは目語で書か
れているのではありません。ちゃんとした文語的文体をもっている。とすると、法
然は口述時にはオラル・リテラシーやリテラル・オラリティのあいだをすばやく往
復していたということです。
なぜ、このような方法をとったのか。おそらくはオラリティを先行させるという
ことが、念仏を称えるということと方法的に一致することに気がついたためだと思
います。というわけで、この本は法然によって書かれたものではなく、話されたも
のですから、後世に『選択本願念仏集』を手にした人たちは、眼前のテキストから
法然の声が聞こえてくるかのように感じることになりました。これもまた、専修念
仏を発見した人物がよくよく考えて行き着いた方法なのだと思います。
とはいえ、『選択本願念仏集』には、法然みずからが箪をとった箇所もありまし
た。劈頭に掲げられている、次の部分です。
選択本願念仏集
南無阿弥陀仏 往生の業には念仏を先とする
引用は書き下し文ですから、原文にしてたったの一二字です。ここだけが親筆で
記されているのはなぜなのかということは、研究者たちによっていろいろ取り沙汰
されてきたことです。
しかし私の見方ははっきりしています。それは、法然の専修念仏にとってほんと
うに必要だったのがこのフレーズだけだったからなのです。いうなれば、法然の編
集力が善導以下をここまで縮約させたのです。それぞれ題号・六字名号・宗義をあ
らわしています。ですから、これらがもっとも重要なタイトルやサブタイトルであ
るということになります。しかし私としては、ちょっと変わった読み方をしたくな
ります。
先頭の「選択本願念仏集」は、もちろん書名です。タイトル(表題)です。しか
しこれは、この本の統合的な文意構造そのものであって、同時に法然の信仰方程式
でもあるのです。念仏は阿弥陀が選択なさった本願であるということが、そのまま
あらわれているのです。
その次の「南無阿弥陀仏」も、たんなる六字名号ではありません。これは著者名
です。「自分も阿弥陀仏によって選択されたにすぎない」という思いがあった法然
にとって、この本を口述させたのは六字名号である阿弥陀仏そのものだったという
思いがあったはずです。
そして「往生の業には念仏を先とす」とは、書籍のオビについたキャッチコピー
のようですが、これはそれ以上のテーゼであり、発仏教思想史のコンデンスなので
す。ブッダから法然がこれを撰述した1198年までの全思想を八文字に集結させ
たものなのです。「篇目を見て大意をとるなり」という読書法をした法然は、この
八字にすべてを集約させる意図があったはずでした。
言い忘れましたが、『選択本願念仏集』はとても薄い撰述書です。岩波文原版の
本文はたったの190ページほど、しかも下段に脚註があるので三分の二ほどの文
字組にすぎません。大部の仏教書が多いなかで、ほんとうに小さな一冊です。『枕
草子』『花伝書』に近い薄さです。
そんな薄い一冊であるのに、法然は不要なものを切り捨てるような「選択」をお
こないませんでした。もちろん、たんなるセグメンテーションをしたわけでもあり
ません。法然の立体的なブラウザーは、「多重微妙選択」という方法をもって、八
万四千もの法門を駆け抜け、最後には称名念仏ひとつに集約させ、それをもって
すべてを震わせたのでした。『選択本願念仏集』は、「法然の編集力」が遺憾なく
発揮されたテキストだったのです。
【中国の思想: 墨子Ⅴ】
公輸――墨子と戦争技術者※
尚賢――人の能力を正当に評価せよ
兼愛――ひとを差別するな※
非攻――非戦論※
節葬――葬儀を簡略にせよ
非楽――音楽の害悪
非命――宿命論に反対する
非儒――儒家批判
親士――人材尊重
所染――何に染まるか
七患――君子の誤り七つ
耕柱――弟子たちとの対話
貴義――義を貴しとなす
公孟――儒者との対話
魯問――迷妄を解く
● 親士 ――人材尊重――
強弓はひきしぼることがむずかしい。しかし強弓であってこそ矢が高い所にとど
く。駿馬はのりこなすことがむずかしい。しかし、駿馬であってこそ、重荷に耐え
て遠くまで駆けるのだ。
「国に入りてその士を存せざるは、すなわち亡国なり。賢を見て急にせざるは、す
なわち緩君なり」
「偪臣は君を傷い、諮下は上を傷う。君必ず弗弗の臣あり、上必ず諸諸の下あり」
「国宝を帰くるは、賢を献じて士を進ひるにしかず」
「良弓は張り難し。然れどももって高きに及び、深きに入るべし。良馬は乗り難し。
然れどももって重きを任せ遠きに致すべし」
● 失敗を成功に変えるカギ
むかし晋の文公は、難を逃れて他国に亡命したが、のちに諸侯の盟主となった。
斉の桓公も一度は母国を棄てたが、のちに諸侯に覇を称えた。越王勾践も呉王には
ずかしめを受けたが、のちに中原諸国の賢君たちをおそれさせる存在となった。こ
の三人の君主はいずれも自分の国で屈辱をこうむったが、のちに天下に功名をとど
ろかした。
むろんいちばんすぐれているのは、失敗のない人であるが、それに次ぐのは、失
敗があってもその失敗を成功に変える人である。かれらが、失敗を成功に変えるこ
とができたのは、人材をうまく用いたからである。
〈晋の文公〉紀元前ハ世紀の人、春秋時代の覇者。名は重耳。晋の献公の子で、献
公の愛妾朧姫の讒言にあい、暗殺者の手を逃れて独に出奔した。十七歳のとき、す
でに趙衰・狐催・貿佗・先斡・魏武子ら五人の賢人を集めていたといわれる。
〈斉の桓公〉 紀元前七世紀の人。春秋五和の筆頭である。兄の襄公が魯の桓公を
殺し、その夫人(実の妹)と密通しだのをはじめ、むやみに人を殺し、女色に淫し
たので、禍いをこうむることを恐れ、菖に出奔した。のちに管仲とならんで名宰相
とうたわれた鯨飲牙が、亡命中桓公の補佐に当り、春秋五覇の筆頭にのしあがる下
地をつくった。
〈越王勾践〉 呉王夫差と会枯山で戦って敗れた越王勾践は、妻子を殺し、宝器を
焼き、敵中に突入して果てようとしたが、臣下の伯恙と文和に止められて思い返し
呉王に屈辱的な講和を申し入れて、ようやく許された。その後、国に帰った越王が、
「会枯の恥を忘れたか」といって「臥薪嘗胆」した話は有名である。
入国商不存其士則亡国矣。見賢面不急則緩君矣。非費無急、非士無与盧国。緩
賢忘士、而能以其国存者、未曽有也。昔者文公出而走商正天下、桓公去国而覇
諸侯、越王勾践遇呉王之醜、而上懾中国之賢君。三千之能達名成功於天下也、
皆於其国、抑而人醜也。太上無敗、其次肺而有以成、此之謂用民。
【ジャジーな風に吹かれて Ⅷ: ロードスターで恋に落ちたら】
午後3時になると、ひどいもので、横文字を縦に変換する作業の疲労がピークになり
オーバーヒート。休憩していると、明日は父親の年命日だと彼女が言うので平成10
年だったからえぇ~っつと、今年が28年だから18年か?時がたつものはやいもの
で、あれ間違いかな?とごたごた言っていると、蝋梅を観にでかけたいというので、
沙沙貴神社に行きたいと、昨年(2月4日;下写真)と同じ場所なので、石山寺にし
てみてはと逆提案。長い時間になるからいいよと部屋越しの返事に、エンヤの『ダー
ク・スカイ・アイランド』を聴ききながら、”あの素晴らしい愛をもう一度”を体験
しようと応じると、キモイという答えが返ってきた。それなら、初志貫徹で「恋に落
ちる」ことに。
12インチのタッチスクリーンタブレットディスプレイで目的地を選択し「離陸」ボ
タンを押すだけで、ドローンの自動飛行システム非行開始する。メガフロートと上陸
目的地を結ぶシャトルドローンの構想はすでブログ掲載済みだが(『縄すてまじ』)、
中国のEhang社が世界家電展 CES で公開。 ただし一人乗り。安全性設計には自信があると
のことだが、安全性はさておき、中国人の対応は早い。これは素直に感心する。