彦根藩二代当主である井伊直孝公をお寺の門前で手招き雷雨から救っ
たと伝えられる "招き猫と、井伊軍団のシンボルとも言える赤備え。
(戦国時代の軍団編成の一種で、あらゆる武具を朱塗りにした部隊編
のこと)の兜(かぶと)を合体させて生まれたキャラクタ。愛称「ひ
こにゃん」
【世界の工芸:デイル・チーフリ-】
【作家概歴】
デイル・チフーリ(Dale Chihuly、1941年9月20日 - )はアメリカ合
衆国ワシントン州タコマ出身のガラス彫刻家。ウィスコンシン大学マ
ディソン校、ワシントン大学とロードアイランド・スクール・オブ・
デザインで学ぶ。ロードアイランド・スクール・オブ・デザイン在学
中に奨学金を得てムラーノに渡り、ガラス製造を学ぶ。12にも及ぶ
名誉博士号を授与され、全米芸術基金の奨学金を2回受けている。
Via Wikipedia
【今年も環境リスクを負って 壱:トンガ近郊で海底火山が噴火】
▶2022.1.16 10:50am By 9News Staff
トンガ近くのフンガトンガ-フンガハアパイ火山は土曜日の午後3時10
分AEDTに噴火。津波観測された。日本は3メートルもの高さの波を警
告。1.2メートルの波が太平洋沿岸部を襲っている。米国は、強い海
流と波、沿岸洪水にを警告。首都が噴火の南わずか65km(40マイル)
にあるトンガの多くの地域は灰に覆われており、電力、電話回線、イ
ンターネットサービスが完面停電状態にあり、怪我や損傷の程度は不
明。
■ 気象庁 津波注意報すべて解除「これ以上潮位変化が高くなる
可能性は、小さくなっている」
▶2022.1.16 14:01 TBS NEWS
今回の潮位変化が津波かどうかというのが、まだ不明ということにな
ります。津波の特徴というのは、海水全体でその波が伝播するという
ことになりますけれども、風の波とかですね、そういうものは非常に
表層だけの変化になるんですけれども、今回の観測された潮位変化と
いうのは、津波の特徴というのが、どうもみられなかった。(気象庁
地震火山部 束田進也地震津波監視課長)
※フンガ・トンガ=フンガ・ハアパイ(Hunga Tonga-Hunga Haʻapai)
via Wikipedia
大豆と人間の歴史
【男子厨房に立ち「環境リスク」を考える 57】
今月に入り、3つほど課題が生まれる。その1つが、小鍋料理に使用
するの野菜の品種改良のこと、2つめが、袋詰め即席麺の保存のこと、
最後に、大豆などの植物性タンパクの植物工場栽培のことである。
❶アブラナ科の野菜といえば、キャベツ、白菜、ブロッコリー、大根、
ワサビ、マスタード、・カリフラワー、ロマネスコ、水菜、小松菜、
チンゲン菜、ナバナ(菜の花)、大根、カブ、クレソンなどあるが、
可食部は、根、茎、葉、種、と様々で、サラダや漬物、油、香辛料の
用途がある。ワサビの有効成分は辛み、その主成分であるアリルイソ
チオシアネートには、抗菌効果や殺菌効果、食欲増進効果などがり、
文化・文政年間(1804~1830年)に「松の酢(すし)」でサバの臭い
を消すのにワサビを用い、現在の東京都中央区である江戸霊岸島の寿
司屋与兵衛が握り寿司を考案し普及がはじまる。このように、野菜類
に "わさびエキス"が多く含ませる、あるいは新たに"加える”品種改
良(育種法、遺伝子編集法)ことでができないかと考えた➲既存の
"わさびエキス"が多く含まれる「時期」「旬」に調理・摂取するのが
自然でよいが、サラダや浅漬け、鍋具材にはやはりパンチがあり名産
品として地域に根付くだろう。
❷袋即席麺については、油脂分の空気酸化による過酸化物の生成だと
思っているが、経時変化による影響の影響データはメーカの手にある
とは思うが ?どうなんだろう。添加物及び塩分類の影響評価データは
(このような影響評価試験コストは結局税金?)、どうなんだろう。
【関連文献】
・特開平09-308454 イソチオシアン酸エステルの安定な乳化組成物
・特開2018-080169 天然植物性殺菌剤及びその製造方法
・特表2017-517274 高栄養価食肉構造化タンパク質製品
・食品添加物一覧 52.イソチオシアネート、53.イソチオシアン酸
アリル
・イソチオシアネート(Isothiocyanates):癌の化学予防で注目の
物質, コスモ・バイオ株式会社
❸大豆などの植物性タンパクの植物工場栽培は、このブログ掲載して
きたので後は実行するだけだが、例えば、品種改良した大豆栽培は、
1平方メータの栽培面積の収穫量×垂直段数=全収穫量となりスケー
ルメリットとなる。波長促進照明(紫外~赤外➲有機EL/量子ドッ
トEL平面カラー光源で対応)は、エリアごとに栽培対象植物別に"カ
レンダーチューニング"し生産する。高さ方向のインチングも可能と
いものを想定している。
書籍:大豆と人間の歴史
著者:クリスティン・デュボワ
【内容概説】
人類が初めて手にした戦略作物・大豆。その始まりは、日本が支配し
た満州大豆帝国だった。サラダ油から工業用インク、肥料・飼料、食
品・産業素材として広く使われ、南北アメリカからアフリカまで、世
界中で膨大な量が栽培・取引される大豆。大豆が人間社会に投げかけ
る光と影、グローバル・ビジネスと社会・環境被害の実態をあますと
ころなく描く。
【ポストエネルギー革命序論 395: アフターコロナ時代 205】
現代社会のリスク、エネルギー以外も「分散時代」
【ウイルス解体新書 104】
序 章 ウイルスとは何か
第1章 ウイルス現象学
第1節 免疫とはなにか
1-5-1 特許事例:免疫応答を高める方法
第2節
第3節 水際検査体制(未然感染防止)
第4節 自国のワクチン及び治療薬開発体制
4-1 国産ワクチン開発:新型コロナウイルス
4-1-1 予算も研究開発活動も限定的
コロナワクチンの開発で日本が出遅れた背景
4-1-2 国産ワクチン実用化の壁
4-1-2-2 規制の弾力的運用を
第5節 感染パンデミック監視体制
5-1 WEB特集 ワクチン接種 なぜ日本は遅い
▶2021.5.14 新型コロナ ワクチン(日本国内) NHKニュース
5-2 新型コロナウイルス国産ワクチン開発生産体制構築の遅れ
▶2021.6.3 新型コロナウイルス 国産ワクチン開発・生産体制の構築
を急げ」(時論公論)時論公論 NHK 解説委員室
5-3 新型コロナ感染者もワクチンを接種した方がいい
▶2018.8.7 ナショナルジオグラフィック日本版サイト
目標は感染防止ではなく重症化の阻止
目標は重症化や死亡の防止
第6節 エマージェンシーウイルスの系譜
第7節 新型コロナウイルス
7-1 新型コロナウイルスのライフサイクル
7-2 変異ウイルス
7-2-1 感染・伝播性の増加や抗原性の変化が懸念される新型コ
ロナウイルス(SARS-CoV-2)の新規変異株について(第9報)
第8節 感染リスク
1.感染力
2.致死率・重症化率
8-1 予後
8-1-1 死亡リスク
8-1-1-1 新型コロナ生存者の死亡リスク
8-1-1-2.生存者の死亡リスク
8-2-1 脳損傷
8-2-1-1 新型肺炎と脳の関係
8-2-2 後遺症
8-2-2-1.嗅覚障害
8-2-2-2 後遺症の未来
8-2-2-3 新型コロナウイルス感染症の後遺症による認知能力
8-2-2-4 コロナ後遺症のメカニズム一部解明 倦怠感
8-2-2-4 回復後も疲労や認知機能の低下が続く「ロングCOVID」
第9節 感染予防・検査・治療
9-1 検査方法・装置設備
9-1-1 新型コロナウイルス感染症に関する検査
1.新型コロナウイルス抗体の種類と量を30分で測定
9-3 新型コロナ治療薬
1.国内で使用されている主な薬剤
9-3-1 細胞に侵入するのを防ぐ
1.ソトロビマブル(Sotrovimab) 抗体カクテル療法
SARS-CoV-2と呼ばれる重症急性呼吸器症候群コロナウイルス2に対す
る活性を有する、二重作用中和ヒトモノクローナル抗体医薬品である[。
ソトロビマブは、SARS-CoV-2のスパイクタンパク質に結合するように
設計。日本では2021年9月に特例承認された。via Wikipedia
9-3-2 増殖を防ぐ
1 レムデシビル:Remdesivir
2.モルヌビラピル:Molnupiravir
3.ニルマトレルビル:Nirmatrelvir
4.リトナビルリトナビル: Ritonavir
5.ニルマトレルビル:Nirmatrelvir
6.リトナビル:Ritonavir
7.パクスロビド(ニルマトレルビル+リトナビル):Paxlovid
8.核酸代替拮抗薬発見 北海道大学
▶2021.9.14 薬学研究院教授 前仲勝実
北海道大学らの研究グループは,5-ヒドロキシメチルツベルシジン
(HMTU)が新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)に対して強力な抗ウイ
ルス活性を有する----本化合物はウイルスのRNA依存性RNAポリメラー
ゼ(RdRp)によりRNA鎖に取り込まれ,RdRpにより媒介されるウイル
スRNAの合成伸長を阻害。また、本化合物が新型コロナウイルスをは
じめとするヒトコロナウイルスや,ヒトに重篤な疾患を引き起こす
DENV,ジカウイルス(ZIKV),黄熱ウイルス(YFV),日本脳炎ウイ
ルス(JEV),ウエストナイルウイルス(WNV)等,幅広いウイルス種
に対して強力な抗ウイルス活性を有する----ことを発見。
【関連特許】
5.特開昭61-103830 抗寄生原虫剤 ヤマサ醤油株式会社
9-3-3 炎症を防ぐ
1.デキサメタゾン(Dexamethasone)
ステロイド系抗炎症薬 (SAID) の一つである。炎症の原因に関係なく
炎症反応・免疫反応を強力に抑制。急性炎症、慢性炎症、自己免疫疾
患、アレルギー性疾患などの際に使用。内服薬の商品名デカドロン。
ステロイド外用薬として使われ、日本での格付けで5段階中2-3のスト
ロングとミディアムの医薬品がある。デキサメタゾンは1957年に発見。
WHO必須医薬品モデル・リストに収載。先発品はデキサメタゾン(錠
剤、エリキシル)またはそのリン酸エステルナトリウム塩(注射液。
ネブライザーでも用いる)であるが、後発品にはメタスルホ安息香酸
エステルナトリウム塩、シペシル酸エステル、吉草酸エステル、プロ
ピオン酸エステル、パルミチン酸エステルといったバリエーションが
あり、剤形も軟膏、クリーム、ローション、カプセル、口腔用軟膏、
眼軟膏、点眼液、点鼻液、点耳液と多様である。ステロイド外用薬で
は、日本での格付けで5段階中3のストロングでは、プロピオン酸デキ
サメタゾン(商品名メサデルム)や吉草酸デキサメタゾン(ボアラ、
ザルックス)2のミディアムでは、デキサメタゾン(グリメサゾン、
オイラゾン)。
2.バリシチブル(Baricitinib)
経口のヤヌスキナーゼ (JAK1/JAK2)阻害薬。製品名はオルミエント
(日本イーライリリー製造販売)。開発コードはINCB28050、LY3009104。
バリシチニブは関節リウマチ治療薬としてイーライリリー・アンド・
カンパニー社と米国インサイト(英語版)社により第三相試験の段階
にあった。日本では2017年9月より販売されている。メトトレキサー
ト不応性の関節リウマチにバリシチニブは有効であった[2]。また、
TNFα阻害薬または他の生物学的製剤が奏効しなかった関節リウマチ
患者において、バリシニチブは有意な症状軽減がみられた。メトトレ
キサートの効果が不十分である関節リウマチ患者において、バリシチ
ニブは、プラセボ、アダリムマブと比較して有意に奏効す。 アトピ
ー性皮膚炎に対しては、ミディアム?ストロングクラス以上に相当す
るステロイド外用薬に対して効果不十分であった中等症から重症の患
者を対象とした試験で統計学的に有意な改善が認められた。SARS-CoV
-2肺炎については、レムデシビル使用患者を対象とした試験でバリシ
チニブ併用の有効性が示された。via Wikipedia
第10節 ウイルスとともに生きる
10-1 バイオハザード対策の発展史
10-2 高度隔離施設の現場へ
10-3 病原体の管理基準
10-4 根絶の時代から共生時代
第2章 COVID-19パンデミックとは何だったのか
第1節 各国の動向と対策の特徴1.米国
1-1 COVID-19委員会の創設を提案
第2節 謎のCOVID-19起源
2-1 消えぬ武漢研究所人為的発生説
第3節 新型コロナウイルスで分かったこと
3-1 人体の免疫システムからの逃避機構
3-2-1
3-3 ファクターX”は日本人の免疫細胞か
第4節 いつまで続く「コロナ禍」は?!
4-1 適切な専門家に聞く「新型コロナ」の読み解き方
4-1-2 人工ウイルス説はなぜ登場し、そして否定できるのか
4-1-3 SARS-CoV-2とはどんなウイルスなのか
終 章 ウイルス感染症と戦略『後手の先』
第8章 国民国家は税によって誕生した
アメリカ----代表なき課税は暴政である
チャールズー世に対するジョン・ハムデンの反抗の根拠が、のちに
アメリカ独立戦争のスローガンになっている。独立派がくりかえし唱
えたその言葉は、今日にも伝わっている。「代表なくして諜税なし」
宗主国イギリスによる課税に反対した一三植民地はともに立ち上がっ
た。彼らの勝利は、地上最強の国家、アメリカ合衆国の誕生につなが
った。
皮肉なことに、アメリカ人はそれほど損をしていたわけではなかった。
イギリスが集めた税金のほとんどはアメリカのために使われていた。
その税金が役人されていた軍隊の勝利のおかけで、フランス軍の脅威
が消滅し、西部辺境が解放された。各植民地はイギリス軍によって防
衛されていた。土地は豊かだった。事業はさかんだった。アメリカ人
は、多くのヨーロッパ人を抑圧していた社会階級構造の縛りから解放
されていた。移民の息子ならば、自分たちの生活にほとんどかかわり
のない遠い場所での戦争のために招集されることもなかった。反乱の
ひきがねを引いたのは、税金の金額ではなく、その徴収方法だった。
アメリカ独立戦争における税がもたらした教訓は、法律制定の際に判
断を誤れば、危険を招くということだった。
よくあることにも思えるが、すべての始まりは国外での紛争だった。
一七五六年から一七七続いた七年戦争はヨーロッパの国同士の戦いだ
ったが、五つの大陸がその戦場になったため、イギリスは負債を抱え
ることになった。そこで、それも道理だといえるが、北米からフラン
ス軍を追い払ったときの費用の一部を、イギリスの同胞であるアメリ
カに肩代わりしてもらおうと考えた。一七六四年、イギリスは砂糖税
を導入した。(関税及び物品税はイギリスの税収の大半を占めていた。
その多くはイギリス国内の商人の保護を目的としていた。
のちにアメリカ大統領に就任するジョン・アダムスは、砂糖税法に
よって「途方もない税金、厄介な税金、重苦しい、馬鹿高い、耐えが
たい税金」を課されていると述べたが、もっと大きな怒りを示したの
は、商人たちが大打撃をこうむったニューイングランド地方の六つの
植民地だった。それ以外の植民地は概して無関心だった。13の植民
地を奮起させ、かつて何者もなしえなかったほど一致団結させたのは、
その翌年に導入された新鋭だった。
イギリスは国内にいろいろな問題を抱えていた。一七六五年に発生
した暴動で、暴徒は物品税の徴税人に襲いかかった。イギリスは植民
地での収益増加をはかる必要に迫られており、ジョージ・グレンヴィ
ル首相が、君主の植民地に課税する権利について議会に問うと、議会
はこれに承認を与えた。そして、植民地に駐屯する部隊の費用をつく
るため、新たに印紙税が導入されることになった。
この新税により、新聞、遊技用カード、法的文書、土地権利証、営
業許可証、資格証明書などの文書を法的に有効にするため、公的機関
で印紙を購入し、添付しなければならなくなった。印紙税は、ヨーロ
ッパでは」般的たったが、植民地ではそうではなく、人びとの怒りを
買った。入権者側は、このような直接税は違憲であり、マグナ・カル
タに明記されている権利に背くことであると判断した。実際に印紙法
が施行されるとなれば、最低でも入植者側から議会に代表者を出すこ
とが必要だった。ベンジャミン・フランクリン率いる代表団がイギリ
スに渡り、印紙法の廃止を求める請願を行なった。アメリカ人のイギ
リスに対する意識は、「世界でもっとも友好的」たった二年前にくら
べ、いまや「大きく変化している」とフランクリンは警告した。だが、
代表団は目的を果たせなかった。
アメリカの各地でタウンミーティングが聞かれたり、演説が行なわ
れたり、暴動が起こることすらあった。「自由の息子たち」という政
治活動団体が組織され、たびたび脅迫や暴力を用い、印紙の販売を妨
げた。徴税人は嫌がらせを受けた。彼らの人形がつくられ、燃やされ
た。全米でイギリス製品のボイコット運動が発生し、輸入量は大きく
減少した。イギリスの商人が印紙税に反対するようになると、その影
響は絶大で、印紙税は一七六六年の宣言法によって廃山された。人び
とは歓喜に沸いたが、それは短いあいだのことだった。
この宣言法には、植民地側の無礼を罰したい議員たちに歩み寄るよ
うな内容の条文が追加されていた。いわく、議会は「いかなる場合で
あれ……アメリカの植民地およびその住民に対して拘束力を発揮する
に十分な効力、持続力を有する法律、法令を制定する、完全なる権能
および権限を有する」。すなわち、議会は、そうしようと思えば課税
に関する権限を行使できるのであり、植民地の人びとはあらゆる議会
法の適用除外を受けることができないのだった。議会は絶対的権力を
行使する権利を欲したのである。団結した各植民地の人びとが不満を
募らせたのも、同意なき課税を不本意に思ったのも当然たった。
財務人臣のチャールズ・タウンゼンドは、国内の土地租の引き下げ
を可能にするための輸出品----紙、ガラス、塗料、鉛、茶----に新た
に関税をかけた。まもなく植民地の人びとは、その目的が貿易制限で
はなく税収拡大であることに気づいた。実質、これは直接税の印紙税
と同じくらいの悪税であった。この関税で最悪だったのは徴収方法だ
った。役人は「すべての商人を詐欺師のように扱った」。法律に違反
すれば、船舶およびその積荷を----水夫の私物の収納箱まで----没収
されかねなかった。違反を密告した者には報酬----没収された物品の
三分の一 ---が与えられたので、疑心、不信、そして、ときには偽情
報が広がった。関税収入の大半を活動費としていた軍隊は、徴税業務
を担当する役人に協力し、彼らを保護したがたいした効果はなかった。
> この項つづく
【概説】
貨幣、帳簿、市場……資本主義の基幹エンジンたる仕組みの歴史を紐
解く。そしてケインズ、ハイエク、フリードマンの思想へ。ほころび
始めたグローバル資本主義の未来を見据えながら、その本質に迫る。
【目次】
第3章 君臨する経済学(間宮陽介『市場社会の思想史』一三三六夜
ジョン・メイナード・ケインズ『貨幣論』一三七二夜 ほか)
第4章 グローバル資本主義の蛇行(マンフレッド・スティーガー『
グローバリゼーション』一三五八夜;スーザン・ストレンジ『マッド
・マネー』一三五二夜 ほか)
資本主義と自由 ⑳
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□ 松岡正剛の千夜千冊㉟ 1502夜 交貨篇 2013年3月31日
守屋毅・笠井潔・中条省平・高橋秀元ほか「クラブとサロン-
なぜ人びとは集うのか」 NTT出版 1991
--------------------------------------------------------------
しばらく、『言語にとって美とは何か』に寄り道していた。今夜、本
筋に戻る。この本は絶版。(この時期は)グローバル資本主義の旋風
に挙(こぞ)って巻きこまれてはみたものの、そればかりが「経済社
会づくり」なのかという疑念がどうしようもなく蔓延していることに
ある。TPP問題になかなか決着がつかないのも、この疑念の延長線
にある。企業が社会とつながるには、やっぱり市場第一主義だけでは
ダメなのだ。地域のクラブ社会やサロン的なネットワークともつなが
っていなければならないはずなのだ。ところがそれが痩せ、あわてて
CSRや3・11後のボランティア活動にとりくんではいるが、それ
だけでは企業と顧客、資本と社会、市場と価値は、歪んだまま分断さ
れるままであると述べその当時を松岡氏は回想し次のように記す。
これでは、せっかく各地の集団や企業の中に秀れた技術やアイデ
ィアが生まれても、これをすぐに苛酷な市場競争に投入せざるを
えないわけで、たちまち体力や金融力を問われて苦戦する。銀行
はろくな援助をしてくれない。
なぜこんなふうになるのかといえば、そこにクラブ的な“ため”
や“苗代”をつくっておくことなく、すぐさま市場の前線に身を
投げ打ちすぎているからだ。
クラブとサロンの歴史と特色のなかには、"ソーシャルな時代社会"の
今日においても、かなり役立ちそうななことが幾つも隠されている。
17世紀後半に登場してまたたくまに数をふやしていった英国のコー
ヒーハウスからは「小説」「政党」「保険会社」「ジャーナル」「広
告」という、今日の経済文化社会を決定づけるようなプロトタイプが
次から次へと連続して生れた。コーヒーハウスは新たな業種と業界と
社会をつくったのだ。また、フランスの夫人サロンは「時の知財」が
啓蒙の対象となりうるという社会的なヴィジョンと教養を求める社会
の基本方針をつくりあげただけでなく、書籍(メディア・パッケージ)
と百科全書(知のアーカイブ)と化粧品(美のコモディティ)と美容
食(生活の理念化)を流行させる発信基地となった。
□ サロンという発言編集装置
サロンについての歴史は、あらかた次のようになる。
①古代ギリシアにはヘテイラとよばれる遊女たちがいたのだが、その
一人アスパシアが催したサロンが歴史的な嚆矢になっている。サロンと
女性の結びつきは古代からなのである。
②中世では、トゥルバドゥール(吟遊詩人)時代に交わされた「クー
ル・ダムール」(恋愛問答集)が媒介になって騎士道サロンなどがつ
くられた。「クール・ダムール」は恋と愛を交わすサロンで、そのコ
ミニュケーションの記録をとっておいてのちに編集構成していくこと
が、すでにサロンの独特の役割になっていたわけだった。中世のサロ
ンとは「知と情報と恋愛の編集装置」のことなのだ。
③最終的に「サロン」の意味が決まったのは、ドゥニ・ディドロ(130
夜)が美術批評集のタイトルを『サロン』としたときだ。やっぱり発
言編集装置こそがサロンの意義だったのである。このことは、今日の
ブログやコーパスが集積するところに、もっと独自のサロンが芽生え
ていいだろうことを予告する。
1688年に船主エドワード・ロイド(1648年-1713年)がロンドンに開
業したコーヒーハウス。貿易商、船員、船主に人気の場となり、ロイ
ドは信頼を得るために彼らに食事を提供、顧客のために最新の海事ニ
ュースを発行するサービスも行い、店が非常に繁盛した。
□ サロンはマダム・クラブは男性
ヨーロッパにおけるサロンは主に女性が中心になってきた。マダムが
いてのサロンなのである。マダムなきサロンなんて、ありえなかった
のだ。これに対してクラブの歴史はおおむね男性が中心になってきた。
そういうクラブには、概略3つのルーツがあったという。
①騎士団や結社がクラブの先駆体をなしていた。テンプル騎士団やフ
リーメーソンがクラブの原型をつくったといわれる。ここには宗教的
軍事性がからんでいる。このことはのちに軍隊がクラブ的に編成され
ていったことと相俟って、いささか興味深い。水戸天狗党の反乱も、
アラビアのロレンス(1160夜)の反乱も、青年将校の2・26の反乱
も、実はクラブ的な反乱だった。
②職人組合や同業組合がクラブの原型になった。組合型だ。すでに古
代ローマに書記クラブ(書記組合)や写字クラブ(写本組合)があっ
た。ここからはのちのギルド、親方徒弟制度、産業組合、労働組合、
商工会議所が発展していった。ここには、サン・シモンやフーリエや
オーウェンが発想した〈ファランステール〉や〈ハーモニー・ヴィレ
ッジ〉などの、いわゆる空想社会主義的なアソエーションも含まれる。
いま、日本のJC(青年会議所)は期待されるべき地域クラブ性をも
っているが、なかなかその期待に応えてはいない。
③信仰の同士たちがつくったクラブが原型になっていった。ここでは、
次のことを留意する必要がある。すなわちラテン語「コミュニオン」
が「霊的な交わり」を示していたことからも推察されるように、近し
い信仰を共有する者たちが独特のコミュニティをつくっていった。
つまりは、初期の「コミュニケーション」とはこのような信仰コミュ
ニティの中やコミュニティ間の情報と知識と心情の交換のことをあら
わしていた。ちなみにコミュニケーションの原義には「聖体を拝受さ
せる」という意味もある。
これらのことからクラブとは、近しい職業や信仰をもつ者たちの共同
体がその前身になっていた。換言すれば、ここには共同するものの活
動と心情にまつわる「紐帯の原理」ともいうべきものがあった。今日、
ネットワーク・コミュニティや地域の共同体でふたたび「絆」が重視
されつつあるけれど、松岡氏が知るかぎりはネット社会ではまだ新た
な「紐帯」(ちゅうたい)が確立しているとは思えないと言う。
以上のことは、日本にもあてはまる。
ヨーロッパ的に定義されたクラブやサロンの歴史を、日本の歴史社会
のなかに厳密に追うことはできないが、その原型には代表的なものだ
けをあげても、奈良時代の長屋王の漢詩文サロン、平安時代の慶滋保
胤の『池亭記』にしるされたような念仏結社や三昧会、鎌倉時代初期
の後鳥羽院や藤原定家の和歌サロン、その後の連歌のサロンなどがあ
ったことが、はっきりしている。しかし、このような日本的なサロン
をさらに独特のものにしていったのは、中世の「座」と「寄合」だっ
た。日本のことを考えるときは、このことを念頭におくべきである。
座は、中世の地縁的な村落共同体が「惣村」を形成したころに「宮座」
として成立したもので、村落の地主神や氏神を祀る集まりが、しだい
に飲食・芸能・祭祀の連動を生んでいく。その原型は"神人共食の宴"
にあったと思われ、「宴」とは何かのプロジェクトを"打ち上げる"(
うたげる)の意味をもっていた。プロジェクトに熱心にかかわらなか
った者は神人共食の打ち上げにかかわれなかった。このような地域的
な座が、やがて農村社会や都市部にも広がり、雑談(ぞうだん)をた
のしむ「寄合」となった。雑談はザツダンではなく、何かの話題や主
題に執着することをいう。執着(しゅうぢゃく)とは数寄を興じるこ
とをいう。かくて、宴は寄合の内部にとりこまれた。雑談と寄合の動
向が、他方では「一味神水」あるいは「一座建立」の機運の糾合とな
って、しばしば「一揆」になっていったことも、付け加えておいたほ
うがいいだろう。日本にはピューリタン革命やフランス革命のような
市民革命がなかったことは、よく指摘されてきたけれど、実は日本で
は「一揆」によるクラブ・サロン型の民衆蜂起は、けっこうおこって
いた。
さて、寄合は室町時代に入ると、義満らによって上からの吸収や統合
がおこり、ここに「会所」が登場する。今度は寄合が会所にとりこま
れた。義満の金閣、義政の銀閣はその象徴で、とくに東山の義政のサ
ロンには三阿弥(能阿弥・芸阿弥・相阿弥)をはじめとする同朋衆(
どうぼうしゅう)がセレクトされて、唐物や和物の価値判定を引き受
けた。こうして寄合は会所となり、会所は書院となり、書院から茶の
湯の茶席が生まれいった。「座」と「寄合」が日本のサロンを先導し
たとすれば、ここに独自のクラブ性を加えていったのが連歌と茶の湯
で、詳しいことは千夜千冊『連歌の世界』(739夜)、『武家文化と
同朋衆』(520夜)などを参照してもらうとして、ここでの重要なポイ
ントは、連歌と茶の湯には「社会ネットワーク性」と「経済文化性」
の両方が格別に機動していた。連歌に社会ネットワーク性があったこ
とは、宮廷や公家による堂上(どうじょう)連歌と、民衆による地下
(じげ)連歌とがみごとに対応するかっこうになる。しかもその座を
仕切る宗匠は、堂上と地下をこえてつながっていたことに顕著にあら
われる。これはユニークなしくみだが、もっと能動的なこともおこる。
いったん結ばれた連歌の座は、必ずや他の連歌の座とネットワークさ
れたのだ。座はノード(節点)だった。
茶の湯に経済文化性が富んでいたことは、茶掛け、軸装、茶入れ、茶
碗、茶杓、釜、花器、衣裳などのいわゆる"道具"が、つねにセレクト
され、つねに値付けされていたことに如実にあらわれている。それだ
けではない。茶室の空間意匠、菓子、料理、そのための器なども、す
べてセレクトされ、値付けされていた。つまり、すべてがクラブ財化
しうるものたちばかりで価値構成されていた。
このように連歌と茶の湯が経済文化としてのネットワーク性をもちえ
たのは、なんといってもその両方に使用文物に関する「評価」の価値
観が貫かれていたからだった。当時はこれを「好み」と言った。「数
寄」は「好み」にとりこまれた。「好み」の経済学はランキングやア
クセス数で決まるのではない。目利きによって推挙され、「場」の参
集者の評判を得て決まっていった。これはのちに江戸社会における「
連」(れん)の経済文化的ネットワークにもつながる(『日本数寄』
(ちく学芸文庫)。
尚、ヨーロッパのクラブとサロンが何度か王宮や貴族によって換骨奪
胎されてきたことに比して、日本の場合も出雲の阿国の踊りや十二段
浄瑠璃が幕府によって規制され、そのたびに「座」の組み立てが変化
していった。ただ、それでも日本に独得だったのは「家元」や「流祖
」が生まれて、そこにクラブ組織やサロン文化が引っ張られていく。
日本の茶の湯に近いものは、イギリスのコーヒーハウスである。1652
年に出現し、1666年のロンドン大火後におおいに広まった。1680年代
からアン女王期にかけては、ロンドンとオックスフォードだけで約200
軒のコーヒーハウスが誕生した。詳しくは千夜千冊『コーヒー・ハウ
ス』(491夜)や『ボランタリー経済の誕生』(実業之日本社)を見ら
れたい。しかし茶の湯とコーヒーハウスの違いは。とくにコーヒーハ
ウスが「社会のメディエーション」(社会の力と特徴のメディア化)
の発動力となった。コーヒーハウスが社会力とメディア力をもったの
は、その一角にクラブハウスを併設した効果を上げる。特定のコーヒ
ーハウスが次々に社会的な拠点となっていき、トーリー党派の〈ココ
アツリー〉、ホイッグ党派の〈セント・ジェームズ〉、文人派が集ま
った〈ウィル〉〈バトン〉〈ベッドフォード〉というふうに、それぞ
れのコーヒーハウスがまさに"サイト化"をおこしていった。コーヒー
ハウスから新聞、雑誌、政党、保険会社、広告などの近代装置の大半
を生み出す原動力になった。はたして今後のウェブ社会がこれらに匹
敵するものを生み出せるのだろうかと問い掛ける。
この項つづく
小林章夫他著『クラブとサロン なぜ人びとは集うのか』, NTT出版
(1991年)NDC分類 361.65 商品コード 9784871881043
【内容】クラブ・サロンの主役は「情報」である。特定の「情報」に
特定の人たちが共感したり、反発したりする。あるいは「情報」のな
かに、別世界をみようとする。クラブ・サロンは「情報」のキャラク
ターにこだわる。それは、ほかにはない、珍しい「情報」であること
が望まれた。こうしたクラブ・サロンの「情報」は、歴史を代表する
知性をつくり、また、もう一方では、歴史から排除され隠蔽されてき
た。が、いずれにしても、クラブ・サロンの「情報」は、「情報の歴
史」という舞台で、さまざまなターニング・ポイントを用意していっ
たのである。
【目次】
第1章 クラブへの招待―人びとが集う場所(情報が価値をもったと
き―ロンドンのクラブ文化から;反共同体のトポス―政治結社をめ
ぐって)
第2章 メディアから消費へ―クラブとサロンの発生(情報ステーシ
ョンの誕生―コーヒー・ハウスにはじまる;寝室に集まる人びと―
フランスのサロン文化;狂乱の昼、歓楽の夜―サロン都市ベルリン)
第3章 多様なメッセージ―細分化するクラブとサロン(カルナヴァ
ル空間の拡散と解体―19世紀フランスの文学サロン;自由をもと
める女たち―フランス革命と女性クラブ;クラブ・ザ・アンダーグ
ラウンド―ヴィクトリア朝時代の秘密のネットワーク)
第4章 「数寄」から「連」まで―日本のクラブとサロン(寄合と会
所―日本型クラブとサロンをめぐって;都市と密室―中世の茶室文
化;連の場18世紀、日本のサロン)
第5章 蘇えるクラブ世界―もう1つの情報時代(クラブ近代史異説
―領域を知らざる人びと;クラブ・サロンの編集史―テーブルを囲
んだ情報装置)
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【言の葉千夜千首】
夜ふかして書く楽しさに追ひつかぬ体力よ深い落し穴なり
青葉木菟も眠り雀の醒めるまで濃くも薄くも見るわれの闇
肉身は眠りしんしん頭ぱ冴えて青ぎる闇に百合が咲き初む
「体力よ」と詠嘆しながらみつめている「深い落し穴」こそ、作者が
一貫して「生」に真向かっていく「ちから」と共に歌ってきた「やみ」
である。生あるものに等しくある無限の闇だ。
『馬場明あき子 新百歌』
歌林の会編集
NHK出版
斎場に「赤いハンカチ」流れてきて君の御髪に菊を手向ける
小野瀬 壽
「NHK短歌8月号」(2017)
via ピアノは語る グラスは微笑む
風蕭々と碧い時代
曲名: 赤いハンカチ(1962年) 唄: 石原 裕次郎
作詞: 萩原四朗 作曲: 上原賢六
アカシアの 花の下で
あの娘が窃っと 瞼をふいた
赤いハンカチよ
怨みに濡れた目がしらに
それでも泪は こぼれて落ちた
北国の 春も逝く日
俺たちだけが しょんぼり見てた
遠い浮雲よ
死ぬ気になれば ふたりとも
霞の彼方に 行かれたものを
アカシアの 花も散って
あの娘はどこか 俤匂う
赤いハンカチよ
背広の胸に この俺の
心に遺るよ 切ない影が
「赤いハンカチ」は、1962年10月に発売された石原裕次郎のヒット曲
(テイチク創業30年記念レコード)。 1964年1月に上記を主題歌とす
る同名の日活制作の映画(石原裕次郎主演)が公開。1964年1月に公開
された日活映画。
● 今夜の寸評:沸騰する欲望と対峙する知恵
沖縄のオミクロンクラスター発生が医療崩壊危機寸前。地位協定の云
々、親米・反中云々を持ち出す政治家が存在する。英国首相の会食、
ジョコビッチの虚偽申請など笑っていられない為体。水際作戦の不履
行、純然たる社会問題を政治・軍事問題に混同させる見識欠如。
第2弾!赤・緑・黄の三色のお団子を持ち、喜んでいる様子のひこに
ゃん。「だいすきな三色のお団子を持っておおよろこびのひこにゃん
です。みんなに見せびらかしてウキウキ♪ ゆっくり食べてね。
もへろんさんのメッセージ