彦根藩二代当主である井伊直孝公をお寺の門前で手招き雷雨から救ったと伝
えられる"招き猫"と、井伊軍団のシンボルとも言える赤備え。(戦国時代の
軍団編成の一種で、あらゆる武具を朱塗りにした部隊編のこと)の兜(かぶ
と)を合体させて生まれたキャラクタ。
来年は薫り尽くせよ金木犀
宇
例年より花付きが悪く毎年、この季節、庵の中まで甘い香りに包まれる
が、なり悪くこんなところにも気候変動の影響が顕わとなり詠う。
NHKのあさイチで放送。さっそく、トライすることに(今週中)柿、かぶ、
長芋など秋の食材で、夏の猛暑で疲れた体にやさしいとか。理。鶏もも肉を
厚みが均等になるように切り開き、食べやすい大きさにして、ローズマリー
を加えて香りをつけながらこんがりと焼きます。残った鶏肉の油で、くし形
に切った柿、かぶ、へたをとったオクラを焼いて、鶏肉と重ねて盛り付ける。
角切りにした長芋と粒マスタード、はちみつ、酢などを混ぜた酸味の効いた
「長芋ソース」を添えて出来上がり。体の熱を取り、呼吸器の調子を整える
と伝わる中国膳料理。西吉野柿は美味いぞ!
【今夜最新作:村上春樹】
Part 1 Chapter 11
電車に乗ってきみの住む街に、きみに会いに行く。五月の日曜日の朝、
空はまっさらに晴れ上がり、ひとつだけ浮かんだ白い雲は、滑らかな魚
の形をしている。
図書館に行くと言って家を出た。でもぼくはきみに会いに行く。ナイ
ロンのナップザックの中には昼食用のサンドイッチ(母が作ってくれた。
しっかりラップに包まれている)と勉強の道具が入っているが、勉強を
するつもりはない。大学の入学試験まであとフ年も残されていない。し
かしそのことはできるだけ考えないようにしている。
日曜日の朝の電車は乗客がまばらだ。座席にゆったり腰掛け、「永続
的な」という言葉について考えを巡らせる。しかし高校三年生になった
ばかりの十七歳の少年にとって、永続的なものごとについて考えを巡ら
せるのは簡単なことではない。披に想像できる永続性の幅はかなり狭い
ものだから。「永続的」という言葉から思い浮かべられるのは、海に雨
が降っている光景くらいだ。
ぼくは海に雨が降っている光景を目にするたびに、ある種の感動に打
たれる。それはたぶん海というものが永劫に-あるいはほとんど永劫に
近い期間にわたって-変化することのない存在であるからだろう。海の
水は蒸発して雲になり、雲が雨を降らせる。永遠のサイクルだ。海の水
はそうやって次々に入れ替わっていく。しかし海という総体が変化する
ことはない。海は常に同じ海だ。手を触れることのできる実体であると
同時に、ひとつの純粋な絶対的な観念でもある。
ぼくが海に降りしきる雨を眺めながら感じるのは(たぶん)そういう
種類の厳かさだ。
だからぼくがきみとの間の心の絆をもっと強いものにしたい、もっと
永劫的なものにしたいと考えるとき、頭に思い浮かべるのは、雨が静か
に降りしきる海の光景になる。ぼくときみとは浜辺に座って、そんな海
と雨を見つめている。ぼくらはひとつの傘の中にくっつくように収まっ
ている。きみの頭はぼくの肩にそっともたせかけられている。
海はとても穏やかだ。風らしい風も吹いておらず、小さな波が音もな
く規則正しく浜辺に打ち寄せている。まるで干されたシーツが風にそよ
いでいるみたいに。ぼくらはいつまでもそこに座り込んでいることがで
きる。しかし、そこからぼくらがどこに向かおうとしているのか、どこ
に向かえばいいのか、そのイメージが浮かんでこない。なぜならぼくら
はその浜辺で、傘を差して二人で並んで座っていることで、もう既に完
結してしまっているからだ。既に完結してしまったものが、そこから腰
を上げてどこに向かえるだろう?
あるいはそれが永劫というもののひとつの問題点かもしれない。これ
からどこに向かえばいいのかわからないこと。しかし永劫を求めない愛
にどれはどの値打ちがあるだろう?
それからぼくは永劫について考えることを諦め、きみの身体について
考える。きみの一対の胸の膨らみのことを考え、きみのスカートの中に
ついて考える。そこにあるもののことを想像する。
ぼくの指はきみの白いブラウスのボタンをひとつずつ不器用に外し、
きみのつけている(であろう)白い下着の背中のフックをやはり不器用
に外す。ぼくの手はそろそろときみのスカートの中に伸びていく。きみ
の柔らかな大ももの内側に手を触れ、それから……いや、ぼくとしては
そんなことを考えたくはない。本当に考えたくないのだ。でも考えない
わけにはいかない。それは永劫性なんかに比べて遥かに想像力を働かせ
やすい種類のものごとだから。
でもそんなことをあれこれ想像しているうちに、ぼくの身体の一部は
いつしかすっかり硬くなってしまう。大理石でできたみっともない形の
煮物みたいに。ぴったりとしたブルージーンズの中で、勃起したぼくの
性器はひどく居心地が悪い。早く通常の状態に戻さないことには、座席
から立ち上がることもおぼつかないだろう。
もう一度、雨降りと海のことを頭に思い浮かべようとする。そのしん
とした風景はぼくの健康すぎる性欲を少しは鎖めてくれるかもしれない。
目を閉じて気持ちを集中する。でも海辺のイメージはうまく脳裏に蘇っ
てこない。ぼくの意志とぼくの性欲は、それぞれ異なった地図を手にべ
つべつの方向に進んでいくみたいだ。
この項つづく
【再エネ革命渦論 184 アフターコロナ時代 185】
● 技術的特異点でエンドレス・サーフィング
特異点真っ直中 ㊿+⑮
● ペロブスカイト太陽電池量産時代
課題は耐久性。シリコン太陽電池は20~30年もつとされるが、ペロブスカイ
ト太陽電池のフィルムは傷などに弱く劣化しやすい。それでも現在の寿命は
10~15年に延びている。中国や欧州では量産が始まっており、世界の市場は
22年の320億円から、35年には1兆円に達するとの試算もある。
10月23日、日揮は苫小牧埠頭およびエネコートテクノロジーズと共同で、こ
北海道苫小牧市の物流施設においてペロブスカイト太陽電池を設置する共同
実証実験を開始するこの取り組みでは苫小牧埠頭が所有する物流施設に、京
都大学発スタートアップであるエネコートテクノロジーズが開発したペロブ
スカイト太陽電池を設置する。ペロブスカイト太陽電池は、軽量かつ柔軟に
製造可能という特徴を持ち、ビルの壁面や耐荷重の小さい屋根、あるいは車
体などの曲面といった、さまざまな場所に設置できる次世代太陽電池として
期待されている。
また、塗布などによる連続生産が可能であること、レアメタルを必要としな
いなどのメリットを持つ。さらに20%以上の高い変換効率が実現できるとい
う特徴もある。実証実験では年初春から約1年間を予定しており、苫小牧埠
頭の倉庫などで主に使用されている凹凸状の屋根や外壁にフィルム型のペロ
ブスカイト太陽電池を設置。発電効率の測定や予測値と実測値の比較、塩害
・降雪地域での耐久性、既存の倉庫屋根や建物曲面への太陽電池モジュール
の設置方法などを検証するとしている。なお、北海道におけるペロブスカイ
ト太陽電池の実用化に向けた実証実験は国内初の事例になる。
【ウイルス解体新書 174】
序 章 ウイルスとは何か
第1章 ウイルス現象学
第2章 COVID-19パンデミックとは何だったのか
後遺症 LONG COVID
けん怠感 息苦しさ…コロナ後遺症 血液成分の分析でわかったことは
▶2023.10.16 NHK
岩崎明子教授らの研究チームは、新型コロナに感染しあと、けん怠感や息苦
しさなど何らかの症状が長引く「後遺症」が1年以上ある人と感染後、後遺
症がない人、感染しなかった人などあわせて268人の血液成分を分析した。
その結果、後遺症がある人たちでは、血液中にあるB細胞やT細胞と呼ばれる
特定の免疫細胞が増加していたほか、体内で潜伏していたヘルペスウイルス
が活性化するなどの変化が、確認されたということです。さらに、後遺症が
ある人では、体の状態を一定に保ちストレス反応に関わる「コルチゾール」
というホルモンの量が、後遺症がない人や感染しなかった人と比べ半減して
いた。研究チームは、こうした変化を指標にすることで新型コロナの後遺症
の正確な診断や、治療法の開発につながるとしている。
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「後遺症の中でもけん怠感は、コルチゾールの低下が要因だと考えられ、ほ
かの症状も免疫とホルモンの量が不安定になることで起きている可能性があ
る。後遺症があることを周りに理解されず悩み続ける人も多いので、原因の
解明を目指しさらに研究を進めたい」(米イエール大学 岩崎明子教授)
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【掲載論文】
Distinguishing features of Long COVID identified through immune profiling
免疫プロファイリングを通じて特定されたLong COVIDの際立った特徴
2022 Aug 10:2022.08.09.22278592.
doi: 10.1101/2022.08.09.22278592. Preprint
Nature. 2023 Sep 25. doi: 10.1038/s41586-023-06651-y.
Online ahead of print.Nature. 2023. PMID: 37748514
【要約】
抽象的な SARS-CoV-2 感染は、新型コロナウイルス感染症後急性続発症 (P
ASC) またはロング COVID 1-3 と呼ばれる、急性疾患に続く一連の持続的
後遺症の発症を引き起こす可能性がある。 Long COVID と診断された人は
頻繁に絶え間ない疲労、運動後の倦怠感、さまざまな認知機能障害や自律神
経機能障害を報告。しかし、これらの衰弱性症状の原因となる基本的な生物
学的メカニズムは不明。ここでは、215 人が探索的横断研究に参加し機械学
習手法と組み合わせて多次元免疫表現型解析を実行し、Long COVIDを区別
する重要な免疫学的特徴を特定した。対応する対照群と比較して、特定の循
環骨髄球およびリンパ球集団に顕著な差異が認められ、また、Long COVID
の参加者における SARS-CoV-2 に対する体液性反応の上昇の証拠も認められ
た。さらに、非SARS-CoV-2ウイルス病原体、特にエプスタイン・バーウイ
ルスに対する抗体反応の予想外の増加が観察された。循環免疫メディエータ
ーやさまざまなホルモンの分析でも、顕著な違いが明らかになり、対応する
対照群と比較して、長期コロナウイルスの参加者ではコルチゾールのレベル
が一様に低かった。 免疫表現型データを偏りのない機械学習モデルに統合
することにより、コルチゾールレベルの低下が最も重要な個別予測因子であ
るロングコロナウイルスの正確な分類に重要な重要な特徴が特定された。こ
れらの発見は、Long COVIDの病理生物学に関するさらなる研究の指針とな
り、将来の Long COVID の客観的なバイオマーカーの開発に役立つ可能性
があります。
第3章 パンデミック戦略「後手の先」
第4章 終 章 備えあれば憂いなし
風蕭々と碧い時
John Lennon Imagine
● 今夜の寸評: 優勝は?!タイガース vs バッッファローズ
世界は非戦を! 世界に平和を!
自在行動概論 ④
パレスチナ問題とその歴史
「環境リスク本位制時代」を公言している私(たち)には、「パレスチナ問
題」は、「人類消滅」を加速させる「世界大戦」の説明要因の1つであるこ
とを踏まえ、その歴史をお温習いしておこう。
via jp.Wikipedia
2005 - 2008:アッバース時代のはじまり
その後もイスラエルとパレスチナの断続的な衝突が続いた。11月1日、イス
ラエルは再びガザ地区に侵攻。7日までにパレスチナは軍民合わせて50人以
上、イスラエルは兵士1人が死亡した。イスラエルは撤退を表明したが、翌8
日すぐに攻撃を再開、ガザ地区北部のベイト・ハヌーンでパレスチナ市民が
少なくとも19人死亡し、アッバース議長は「イスラエルは平和への機会を破
壊している」と非難。ハマースは報復を宣言した。イスラエルは誤爆と主張。
事件の解明まで攻撃を中止すると発表したが、パレスチナ活動家の暗殺は続
けている。ベイト・ハヌーンの事件について、再びカタールは国連安保理
に非難決議案を提出した。フランスなどの要求で、パレスチナ側のロケット
攻撃も非難する修正案に改められたが、11月11日、やはりアメリカの拒否権
で否決された(日本は棄権した)。 パトリック・オコナーによると、2000年
から2006年11月3日までの、パレスチナ側とイスラエル側の犠牲者数の比率は
39:10である。そして、イスラエル諜報機関の元長官アヴィ・ディクターは、
分離壁の建設によって自爆テロを90%阻止することが出来たと証言している。
実際、自爆テロは未遂の時点で逮捕されているケースが多く、ハマース側が
自粛しているのではなく、物理的に自爆テロが出来ない状況になっていると
いう主張である。なお、このような状況下でハマースはロケット砲による無
差別攻撃に攻撃を転換したとの指摘もある。 パレスチナ内部でも、米欧・
イスラエルの支持を受けるファタハと、ハマースの内部抗争が続いている。
2006年にハマースは選挙での多数を根拠に単独内閣を組んだものの、国際社
会は認知しようとしなかった。ファタハとハマースの間で連立政権の交渉が
進められたが、両者の抗争で2006年中だけで28人の死者を出している]。
2007年には、両者の抗争で50人に及ぶ死者を出した。5月16日には、ハニー
ヤ首相の自宅に何者かの発砲事件があり、5月17日には、ハマースによるア
ッバース議長の暗殺計画が発覚。5度に及ぶ停戦合意がなされているが、合
意の直後に抗争が再開される状況が続いている。6月11日からの抗争は、ハ
マースがガザ地区を武力占拠したことで、本格的な内戦に突入。アッバース
大統領は非常事態宣言を出し、内閣の解散を宣言。イスラエルやアメリカは
、ハマースを排除したサラーム・ファイヤード政権を正式な交渉相手と認め
た。6月20日、アッバース大統領は「人殺しのテロリストたちとは対話はしな
い」と、ハマースを相手にしないことを表明した。 平行して、イスラエルに
よる攻撃も続いている。4月24日、ハマースはイスラエルによるパレスチナ自
治区ヨルダン川西岸とガザ地区攻撃への報復として、ガザ地区からイスラエ
ルにロケット弾の攻撃を行った。ハマース側はイスラエルの攻撃に対する応
戦であり、停戦そのものを破棄するつもりはないと主張したが、イスラエル
はガザ地区への空襲を繰り返し行い、さらに地上部隊の再侵攻を主張する声
も強くなった。極右政党「わが家イスラエル」党首のリーバーマン副首相は
「イスラエル軍がハマース壊滅のための地上作戦に踏み切らなければ、連立
政権から離れる」と主張した。 5月20日には、ハマースのハリール・アル=
ハヤ立法評議員(国会議員)宅が空襲を受け、アルハヤはハマースとファタ
ハの停戦協議のため不在で難を逃れたが、8人が死亡した。イスラエル側はア
ルハヤを標的にしたものではなく、付近にいた武装集団を狙ったものと主張
した。5月21日、パレスチナ側の攻撃でイスラエル人1人が死亡すると、イス
ラエルのリブニ外相は共同記者会見で「停戦は幻想で、ロケット弾はハマー
スが平穏に乗じて武器の密輸を行った結果だ。われわれはハマースと戦い続
ける」と述べた。また、同国のアビ・デヒテル警察相は、ハマースの事実上
の最高指導者であるハーリド・マシャアルについて、「彼の存在は正当な標
的である以上だ。困難な使命ではあるが機会さえあればいつでも、彼を我々
の前から消すことだろう」と暗殺を公言し、さらにハニーヤ首相の暗殺につ
いても「(イスラエルに対する)攻撃命令を出している者の中にハニーヤが
連なっているならば、彼も正当な標的となる」と実行に含みを持たせた(「
警察相、ハマース最高指導者の殺害を予告 - イスラエル * 2007年05月21日
20:10 発信地:イスラエル」)。
さらに、5月31日、ユダヤ教スファルディーの前首席ラビであるモルデハイ
エリヤフは、オルメルト首相に「ユダヤ人の戦争倫理によると、個人の不道
徳な行為について、市全体が集団的な責任を負う。ガザではカッサムロケッ
トの発射を止めないから、すべての人口に責任がある」と主張する手紙を出
し、シナゴーグに内容を配布した。パレスチナ『エレクトロニック・インテ
ィファーダ』紙のアリ・アブニマーは、「イスラエルでこの類のパレスチナ人
に対する大量虐殺をそそのかす憎悪が語られるのは珍しいことではない。
では、ムスリムやパレスチナの指導者がこのようなことを言ったらどうなる
か。イランのマフムード・アフマディーネジャード大統領が伝えられたとこ
ろでは、イスラエルを取り除くことを述べたときに、国際社会がどう激しく
抗議をしたかを私たちは知っている。イランのアフマディネジャドを非難し
て、ご機嫌取りをしていたすべてのEU官僚は、このイスラエルの前首席ラビ
に対して、同じような強く、公的な立場を取るのだろうか?」と批判した。
6月28日、イスラエルはガザに地上部隊を侵攻させ、軍民合わせて少なくと
も12人を殺害。さらに、15歳から50歳の男性に家から出るように命じ、町の
広場に集めさせた。 11月27日、アメリカの仲介で開かれた中東和平国際会
議において、アメリカのブッシュ大統領、イスラエルのオルメルト首相、パ
レスチナのアッバース議長は和平交渉再開を確認した。だが、イスラエルは
交渉再開を表明する一方、連日ガザ地区の攻撃や空襲を行い、11月30日には、
ガザ再侵攻の準備が整ったことを発表した。 2008年1月、ブッシュ大統領は
イスラエル、パレスチナを歴訪。1月9日にはイスラエルでオルメルト首相と
会談し、1月10日には初めてパレスチナを訪問し、アッバース議長と会談し
た。ブッシュ大統領は、イスラエルの入植地について「1967年に始まった占
領を終結させる必要がある」と述べ、またパレスチナ自治区を入植地が分断
している現状について「スイスチーズ(穴あきチーズ)ではうまくいかない
」と批判した[37]。一方、パレスチナに対しては「テロとの戦い」の継続と、
ハマースからのガザ地区奪還を要求した。
しかし、イスラエルのガザ地区攻撃については「パレスチナ領域がテロ組織
の天国になってはならない」と理解を示し、イスラエル領への帰還を望むパ
レスチナ難民についてはこれを認めず、保証金で解決する考えを示した。
入植地についても、具体的にまとまったのはイスラエル政府が違法とする入
植施設の撤去を約束したことだけで、既存の入植地・検問所については追認
する考えを示すなど、イスラエルに有利な現状を追認するに留まった。
『東京新聞』『中日新聞』は、これを「イスラエルの『独り勝ち』」と評し
た]。パレスチナではブッシュに抗議するデモが行われ[40]、イスラエルで
の世論調査では、和平の進展に懐疑的な意見が多数を占めた[41]。 並行し
て、ハマース側はイスラエルをロケット弾で攻撃し、イスラエルは報復にガ
ザ地区を攻撃。1月15日にはガザ市街に侵攻し、民間人5人を含む17人を殺害
した。ハマース側は、イスラエルの集団農場(キブツ)で作業していたエク
アドル人ボランティア1人を殺害した。1月18日には、イスラエルの空襲でガ
ザにある内務省ビルが破壊された。1月の間に、パレスチナ側からは少なく
とも96人の犠牲者が出た。イスラエルのバラク国防相はロケット弾攻撃の報
復にガザ地区の完全封鎖を指示し、国連の援助車両も閉め出した。燃料の供
給が止まったため、ガザ地区唯一の発電所は操業不能となり、ガザの電気の1
/3(イスラエル側の主張によれば、1/4)が供給できなくなった。また、食料
などの生活必需品も、イスラエルの兵糧攻めにより深刻な状況となっている
という[42]。17日には、国連の潘基文事務総長が「パレスチナ人による襲撃
の即時停止、ならびイスラエル軍の最大限の自制を求め」る声明を出したが
[43]、イスラエルとハマースはこれを無視した。 2008年2月28日、来日中の
オルメルト首相は、コンドリーザ・ライス米国国務長官と会談し、同日帰国
した。オルメルトは、攻撃の自重を求めるライスに対し、「脅威が去るまで
は(攻撃を)続ける」とこれを拒否した。また、2月29日、イスラエルのマ
タン・ヴィルナイ国防副大臣は、「カッサムロケット弾がさらに撃ち込まれ、
遠くまで着弾するようになれば、パレスチナ人はわが身のうえに大規模な
השואה(shoah、ショアー、ナチスによるユダヤ人大虐殺を意味する)を引きよ
せることになるだろう。というのは我々は防衛のために全力を使うからだ。」
と述べ、ハマースが攻撃を止めないならば、パレスチナ人を大虐殺すると脅
した。この発言にイタン・ギンツブルグ国防副大臣などは、「ショアーは災
害を表す普通名詞で、ジェノサイド(大量虐殺)を意味しない」 と火消しした。
ハマースは、この発言に「(やはりイスラエルは)新しいナチス」であった
と反発した。 けでパレスチナ側に61人の犠牲者が出た。イスラエル軍は、
これを「暖冬作戦」と称している。イスラエル軍が、ハマースのロケット弾
攻撃による死者が出たことを理由に攻撃を激化させた2月27日以降、ガザ地区
からひとまず撤退した3月3日までの6日間に、パレスチナ側は116人(約半数
は非戦闘員)、イスラエル側は3人(1人は非戦闘員)殺害されている。3月2
日、国連の潘基文事務総長は、イスラエルに作戦中止を要請し、またハマー
スのロケット弾攻撃を「テロ行為」と批判した。しかし、イスラエルのオル
メルト首相は「テロとの戦いをやめるつもりはない」と作戦継続を宣言し、
これを拒否した。同日、パレスチナ自治政府のアッバース大統領は、ガザ侵
攻を止めるまで和平交渉の中断を発表した。
3月3日、イスラエル軍はガザ地区から撤退し、ハマースは勝利宣言を出した。
しかし、オルメルト首相は「寛大な措置を施す時期ではない。(パレスチナ
への)応戦を続けるが、応戦は具体的な作戦や日時に限ったものではない」
と再侵攻の意志を示し、さらにあるイスラエル政府高官は、3月4日と5日に
アメリカのコントリーザ・ライス国務長官がイスラエルとパレスチナを訪問
する予定に触れ、「(ライス)長官の訪問に合わせ、二日間の中休みを取っ
ただけ」と言った。
3月4日夜、イスラエル軍は戦車で再侵攻を行い、武装勢力幹部宅を襲撃し、
幹部を殺害。ライス米国務長官は、アッバース大統領に対し、ガザ侵攻中止
は和平交渉再開の条件にはならないとの見解を示し、またイスラエルのガザ
侵攻については、「自衛の権利があることを理解する」とこれを容認した。
アッバースは、和平交渉の再開は認めたが、双方の見解の相違もあり、具体
的な日程の見通しは立っていない。イスラエルは、「暖冬作戦」の第2弾と
して、都市に隠された武器捜索を予定しているという。 3月6日、イスラエ
ルの神学校にパレスチナ人の男が乱入、生徒ら8人を射殺し、男はイスラエ
ル治安当局に射殺された。神学校は、ユダヤ人入植者の思想的拠点だった。
アッバース大統領、ブッシュ大統領、潘国連事務総長らは相次いでテロ非難
声明を出した。また、ブッシュ大統領は、オルメルト首相に電話で弔意を伝
えると共に、「アメリカはイスラエルを強く支持する」と述べた。一方、ハ
マースは「(パレスチナ人)虐殺に対する自然な反応だ」と、犯行を支持す
る声明を出した。アメリカは、国連安保理でテロ事件として非難声明の採択
を要求したが、リビアがイスラエルによるパレスチナ攻撃も非難すべきと主
張し、採択は見送られた。犯行そのものについては、ハマースが認めたとい
う報道[46] と、ヒズボラ関係者とする報道[47] があり、情報は錯綜してい
る。 3月10日、エジプトの仲介で、イスラエルとハマースは当面の攻撃自制
に同意した。しかし、オルメルト首相は「軍はガザで必要なだけ行動する」
と述べており、また停戦の条件として、ハマースはイスラエルのガザ封鎖解
除を、イスラエルはハマースの武器密輸停止を要求している。
3月12日、イスラエルはベツレヘムなどでイスラム原理主義組織イスラム聖
戦の幹部ら5人を暗殺し、イスラム聖戦はガザ地区からロケット弾で報復攻
撃した。イスラエルはガザ地区を空襲し、イスラム聖戦の戦闘員4人を殺害
した。一方、パレスチナ自治区内のイスラエル入植地については、3月9日に
は、イスラエルは「9年前に決定していた」ことを理由に、ギバットゼーブ
入植地の拡大を決定した。日本や国連などは、入植地拡大に懸念を表明した。
3月31日にも、「拡大凍結の対象外」と主張し、東エルサレム郊外の入植地
増設を発表した。ライス米国務長官は、「入植を止めるべきだ」と批判した。
一方、イスラエルが設けている400以上の検問所・道路封鎖について、約50
箇所で撤去を発表した。 4月に入ってもガザ地区での攻撃は続いており、
4月中だけでパレスチナ側は46人以上、イスラエル側は10人の犠牲者が出て
いる。この他、4月16日には、ロイター通信のファデル・シャナが、イスラ
エル軍の砲撃で殺されている。また、イスラエルは国連人権委員会によって
調査のためにイスラエル入りする予定であったリチャード・フォークの入国
を、「イスラエルの行いをナチスと比べるなど、調査官として不公平」とい
う理由で拒否した。
6月19日、エジプトの仲介でハマースとイスラエルは6ヶ月の停戦に踏み切っ
た。断続的に衝突は続くもののまだ平和であった。しかし、11月4日、イス
ラエルはエジプトとの地下通路が掘られているという理由で空襲した。その
結果、ハマースは停戦中として攻撃を手控えたが、イスラーム聖戦などが報
復としてロケット弾を発射し、緊張が高まった。イスラエル系の諜報テロ情
報センターは、ハマースは注意深く停戦を守り、一方で他の無法組織(イス
ラム聖戦などのこと)との衝突は避け、停戦を維持させるための政治面から
の説得を試みていると分析している。
2008 - 2009:ガザ紛争
12月に入り、再度エジプトの仲介のもとで停戦延長をイスラエルは試みたが
ハマースが「イスラエルがガザの封鎖解除に応じなかった」と主張し、延長
を拒否したため12月19日失効した。イスラエル側は、当初の合意事項であっ
た「ガザに対する封鎖の段階的解除」は実質行われており、武器兵器などは
勿論論外であるが人道物資などを初めとする様々な流通があったとしている。
しかし、赤十字社は11月4日以降、封鎖は再び厳しくなり ガザの状況を「破
滅的」と報告した。国連調査官のリチャード・フォークは12月9日、イスラエ
ルが流入を認める物資は「飢餓と病を避けるにはギリギリ」であり、イスラ
エルによる「パレスチナ人への集団的懲罰は人道に対する罪」であるとの見
解を示した。また、ガザ地区からの輸出は、2月以来完全に禁止されたまま
である。ヨルダン川西岸地区では、12月12日、イスラエルは主要入植地4箇
所を含む西岸の6.8%を自国領として併合し、難民の帰国を5000人にとどめる
提案を行った。イスラエルは当初の要求であった7.3%から譲歩したが、いず
れにせよパレスチナ国家樹立に欠かせない土地であるとして、自治政府は要
求を拒否した。 停戦の期限が切れる前から、ハマースはロケット弾や迫撃
砲などで攻撃を再開。このハマースの度重なるロケット砲によってイスラエ
ル人、一人が死亡した。また、再三のイスラエル側からの警告があったにも
かかわらず無差別のロケット砲攻撃をハマースはやめなかった。12月21日、
イスラエル軍はガザ地区をヘリコプターで攻撃した。さらに12月27日(現地
時間午前11:30、UTC午前9:30[52])、本格的にガザ地区を空襲し、同日だけ
で200人以上が犠牲者となった。イスラエル軍は、「ハマースのテロ作戦従
事者」および訓練キャンプと武器庫を標的としたと声明を出した。なおイス
ラエルは武器輸入を止めないハマースを6ヶ月前、即ち停戦期間中からその
拠点を調べ、今後起こりうるであろう軍事作戦の計画をしていた。両者の
交渉を仲介したジミー・カーターによると、イスラエルは非公式に、48時間
ロケット弾を発射しないのならば、通常の15%の物資供給は可能だとの見解
を示したが、ハマースは拒否し、その結果イスラエルの報復攻撃が始まった
という。
2009年1月17日までの22日間で、地上戦も含めパレスチナ側で殺害された人
数は少なくとも1300人(AFP通信、パレスチナ自治政府保健省)を数え、第
三次中東戦争以来最悪の数である。イスラエル側の殺害された人数は13人(
イスラエル政府筋、ただし味方の誤射で死亡した4人を含む。3人は民間人。
ハマース側は、地上戦で10人を殺害したと主張)パレスチナ側死者のうち、
イスラエル側主張[55] によれば、ハマースの戦闘員500人を殺害、130人を
拘束[注 5] した。ハマースのアブジャアファル(仮名)小隊司令官は、殺
害されたのは48人と主張した。家屋全壊は4100棟、損壊は17000棟。地上戦
突入後は救急車が現場に向かえず、死者の実数は把握し切れていないという。
国際連合も、攻撃に巻き込まれた。国際連合パレスチナ難民救済事業機関(
UNRWA)によると、イスラエル軍のガザ侵攻で、約15,000人の住民が自宅を
失うなど難民化し、国連が設けた23箇所の避難所に収容中と発表した。避難
所のうち、国連が運営する学校はイスラエル軍の砲撃で、少なくとも48人が
殺害された[注 6]。イスラエル側は、死者に数人のハマース戦闘員が含まれ
ていると発表したが、UNRWAガザ事務所のジョン・ギング所長は「学校に戦
闘員などいなかったし、校内からの攻撃もなかった」と反論した。またイス
ラエルは誤爆したことを認めたとジョン・ギング所長は語っているが、イス
ラエル軍は、誤爆を認めておらず、学校に導火線が張り巡らされているのを
軍用犬が見つけ、ハマースの攻撃があったと兵士が証言している。
1月8日には、UNRWAの輸送トラックがイスラエル軍に砲撃され、1人が殺害さ
れたた。UNRWAは、イスラエル軍が職員の安全を保証するまで活動を停止す
ると発表[56] したが、1月9日にイスラエル政府から安全確保の保証が得ら
れたとして活動を再開した。1月14日、UNRWA本部が空襲を受け、支援物資の
食糧・医薬品などが焼き払われた[57]。また、3人が負傷した。 1月9日、国
際連合人道問題調整事務所(OCHA)は、パレスチナ自治区ガザ地区のガザ市
近郊のザイトゥン地区で5日、イスラエル軍が約110人のパレスチナ人市民を
1軒の住宅に集めた上でそこに戦車で複数回砲撃を行い、子供を含む約30人が
死亡したと発表した。 イスラエルのニシム・ベンシトリット駐日大使は、
2008年12月28日、「われわれは国民を守るために、ハマースの施設への攻撃
実施を決めた。(ハマースが)何らかの対応をとった場合は、われわれも考え
直すだろう。しかし、彼らが攻撃を続けるなら、われわれも攻撃を続ける」
と主張した。
コメント:これはもう宗教代理戦争様態の弱小国の惨殺戦争のように見える。
この項つづく
風蕭々と碧い時
John Lennon
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