極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

寒椿とエラの谷の本地垂迹

2009年01月17日 | 日々草々

 
赤心に吾を選べし心問う 椿の赤にまさる赤さかな



告発のときClick here

今日は珍しくDVDでポール・ハギス監督映画『告発とき』(‘In The Valley
of Elah’)
を観た。前々から期待していたが地方都市では映画配給され
なかった。映画の感想といえば、後半から込み上げる感情から涙が溢
れてしまった。この映画は2004年5月号プレイボーイ誌のマーク・ボアー
ルの『死と不名誉』(‘Death and Dishonor’)の実話に基づくといわれて
いる。
Mati Milstein in Tel Aviv for National Geographic News November 21,2008
でイスラエルで発掘調査を行っている考古学チームが、古代の門を発
見し、旧約聖書に登場する街シャアライムの正確な位置が特定された
と発表されたが、そのシャアライムに近いエラの谷で、後に王となる少
年ダビデと、ペリシテ人の巨人ゴリアテが戦ったが(要塞の遺跡から2
つ目の門が発見されたことは、ヘブライ語で「2つの門」という意味を持
つシャアライムが実在したことの有力な証拠になるという)、三千年前

ダビデとゴリアテの戦いの地を発見かClick here
hotographs by David Willner for Foundation Stone


戦闘がいままたガザで再開しているとは思わず頭を抱え込んでしまう。
そのエラの谷のペリシテの勇士巨人ゴリアテが故フセインイラク大統領
でサウルが現ブッシュ大統領でダビデが米軍の若者を暗示するのかゴ
リアテはフセインやブッシュでダビデがオバマということなのか。圧倒的
な火力、武力を持つ米軍の兵士と米国そのものがゴリアテとするとダビ
デは・・・。戦場は狂気、生還も地獄である。そのことをジョナサン・タッカ
ー扮するマイク・ディアフィールド(ハンクの次男)の死の原因究明を追
体験する中、トミー・リー・ジョーンズ扮するハンク・ディアフィールド(元
軍人)が観客に告発を問うという構図だ。圧巻はメカッド・ブルックスの
エニス・ロング(マイクの同じ部隊の特技兵)、ジェイク・マクラフリンの
ゴードン・ボナー(同)、スティーブ・ペニング伍長のヴィクトール・ウルフ
ロバート・オーティス兵卒(同)を問い詰めていく件だ。ハンク・ディアフィ
ールドと兵士との重い口と心を開かせる時間と間合いの名演技と、ウイ
スキーとタバコというキラーツールが用意されポール・ハギスの監督の
演出とが絶妙に溶け合う静かな進行は、高揚した感情を沈める時間と
ティツシュの枚数が物語った最高作品のひとつだ。


Tommy Lee Jones and Jake McLaughlin
as Spc. Gordon Bonner


Tommy Lee Jones as Hank Deerfield
and Victor Wolf as Pvt. Ortiez


わがカヌーさみしからずや幾たびも他人の夢を川として  寺山修司



話は戻るが、「何故、チャップがジョンを殺害する必要があったのか
とチャップマンの動機の背景をその後も考えていた。ジョンレノンの残
した発言にイエスキリストへの侮辱として当時問題となったが、『ライ
麦畑でつかまえて』の主人公ホールデンのキリスト教に対する吐暴す
る件だ。

  特に十二使徒についてがそうなんだな。彼は、もし僕が使徒が
  きらいだったら、イエスやなんかもきらいなはずだって、そう言
  いはるんだ。だって、使徒はイエスがえらんだんだから、その
  使徒も好きになるのが当然だって、そう言うんだよ。僕はこう
  言ってやった―イエスが使徒をえらんだことは知っている。しか
  し、あれは手当たり次第にえらんだんだ。イエスには一人一人
  を吟味して回るひまがなかったんだ。だからといって、僕はイエ
  スを責めたりなんかしてんじゃない。ひまがなかったのは何もイ
  エスのせいじゃないんだから。いまでも覚えてるけど、僕はチャ
  イルズに、ユダは自殺をした後で、地獄へ行ったと思うかって
  訊いたんだ。イエスを裏切ったりなんかしたあのユダさ。チャイ
  ルズは、もちろん、と言ったね。そこなんだな、僕が彼と意見の
  合わないのは僕は、千ドル賭けてもいいけど、イエスは絶対に
  ユダを地獄になんか送らない、と言った。今でも僕は、千ドル
  賭けるれ、もしも千ドルあったらば。あの使徒たちだったら、ど
  の人だって、ユダを地獄に送ったろうと思う―しかも、さっさとさ
  ―しかし、何でも賭けるけど、イエスは絶対にそんなことはしな
  い。

                   『ライ麦畑でつかまえて』、142頁
                サリンジャー著、野崎孝訳、白水社


崇拝者への憧憬と無神論者或いは異端者への怒りと侮蔑、米国社会の
病理(開拓精神の暗影と人種差別)、或いは一神教と排中主義と‘反復
強迫’がないまだった精神が引き金を引かせた、とまで整理できたのだ
がやはりスッキリしない。まあこれはこれとしてまとめて考察したいと思う
が、翻訳者の野崎孝は、あとがきで英国と米国との翻訳出版が異なった
こと、サリンジャー自身は英国版を否定した経緯を短く説明していたが、
わたしの直感を裏付けられたようで少し気が晴れたが・・・ 



雨の庭 うつむいて咲く 寒椿 一輪挿しで 映えるその赤


例年の町内の総会は近くの自治会館で行うのがならわしだったが送迎
バス付きで新海浜のパナソニック電工レークアイランドで行われた。
配られたパンフレットをみながらボランティア情報サビース会社「ナルク」
を知ることとなったが、「輸出依存」、「デジタル家電」を時代背景とした
大企業のリストラクチャリングとしてこれは悪くない知恵だ。

b 004sss.jpgClick here

  Click here

ところで、今回の議題で日本名水百選に選ばれた「十王の水」の維持
管理の問題が浮上した。地元の『保存会』として、地元以外の利用者が
もたらす道路占拠や維持費の広域化が問題の本質。‘お城にお金をか
けるならこちらにも’という議論もでてきそうだ。水に関わる運動は7O年
代後半から経験済みで、80年代は「水」の使用価値が交換価値へと大
転換する時代でもあり、運動の中心メンバーがスナックバーをはじめる
時は、何もサントリーだけでじゃないが、「おいしい水」を看板にと進言し
たほどで、現在の環境省の前身の環境庁設立の微力ながらお手伝いし
たこともあったが、全国に魁けて『水のメッカ』とするには、莫大な労力を
必要とするというのが結論である。

寒 椿 言 葉 に す れ ば ま た 斬 首 斬 首 の 道 を 早 足 で 過 ぐ

ツバキ(椿)は、ツバキ科ツバキ属の植物の総称。狭義には、ヤブツバ
キ。学名:Camellia japonica)を指す、照葉樹林の代表的な樹木。花が美
しく利用価値も高いので万葉集の頃からよく知られたが、特に近世に茶
花として好まれている。18世紀にイエズス会助修士のゲオルク・ジョセフ
・カメルはフィリピンでこの花の種を入手してヨーロッパに紹介した。その
後有名なカール・フォン・リンネがこのカメルにちなんで、椿にカメルとい
う名前をつけた。19世紀には園芸植物として流行し、『椿姫』(アレクサン
ドル・デュマ・フィスの小説、またそれを原作とするジュゼッペ・ヴェルディ
のオペラ)にも主人公の好きな花として登場する。和名の「つばき」は、
厚葉樹(あつばき)、または艶葉樹(つやばき)が訛った物とされている。
萼の部分から丸ごと落ちる。それが首が落ちる様子を連想させるため
に入院のお見舞いに持っていくことはタブー。馬の世界においても落馬
を連想させるとして、競馬の競走馬や馬術競技馬の名前としては避けら
れる。日本酒の醸造の木灰にツバキの木灰が最高とされて、アルミニウ
ムを多く含むことから古くは染色用にも用いられた。木炭は素晴らしく手
焙りに使われた。椿油は、和製オリーブオイルとも言え、高級食用油整
髪料、古くは灯りなどの燃料油としてもよく使われた。ヤブツバキの種子
から取る油は高価なため、同じくツバキ属の油茶などから搾った油もカ
メリア油の名で輸入されている。搾油で出る油粕は川上から流して、川
魚、田螺、川えび等を殺すのに使われた。京都の龍安寺には室町時代
のツバキが残っている。他家受粉で結実するために変種が生じやすい
ことから、古くから品種改良が行われてきた。茶道でも大変珍重されて
おり、冬場の炉の季節は茶席が椿一色となることから「茶花の女王」の
異名を持つ。19世紀に西洋に渡った日本のツバキが、西洋の美意識に
基づいて品種改良されたものを西洋ツバキと呼び、優雅で華麗、豪華な
花容のものが多い。花言葉は、気どらない優美さ・女らしさ・気取らない
上品さから、控えめ、慎み深い、魅力(赤)、高潔な理性 (白)ひかえめ
な愛等があり、薬理効果は、同じツバキ科の緑茶(Camellia sinensis)と同
等と考えられる。

File:Koeh-025.jpg
Camellia sinensis

つばきの花の歌といえば『釜山港へ帰れ』の‘つばき咲く春なのにあな
たは帰らない’という‘熟愛’と‘哀切’のコントラが強烈な出だしだ。
これにはちょっとした思い出がある。韓国の釜山でプラント建設の技術
設計会議の後、訪れたバーで電気担当技師の嶋田庄一朗がこの曲を
韓国語で歌い出した。これが大受けでママからおひねりをもらったとい
うエピソード。日本語の歌でも上手だから当然の腕前、いや咽といえる
がそこは‘艶歌の国’でのお墨付きとあいなった。ところで、当時の韓国
バーは‘ヤンキースタイル’で水割りやオン・ザ・ロックなどなくバーボン
・ストレート。映画『告発のとき』の原風景を垣間見るようだった思い出
だった。

 

            つばき咲く春なのに あなたは帰らない
         たたずむ釜山港に 涙の雨が降る
         あついその胸に 顔うずめて
         もいちど幸せ 噛みしめたいのよ
         トラワヨ プサンハンへ 逢いたい あなた

                          三佳令二 訳詞
                       黄 善友 作詞/作曲
 
 
 

 
おほぞらに百房の黒葡萄垂れそしてわたしは秋に生まれた  小島ゆかり
 
 
 
『歌壇』(2009年2月号)を斜め読みして、写真で小島ゆかりを改めて知るこ
ととなった。すごい歌人を知るきっかけがこのブログの立ち上げだから大袈
裟な‘邂逅’ほどにはないにしろ、不可思議な一瞬を経験した。
 


映画鑑賞の「エラの谷」から「ジョンレノン」と「サリンジャー」、そして「新年会」
から「椿」に行き着いたわけだが、もう一度「エラの谷」に戻してみたい。
エラの谷が、三千年も続く怨嗟の谷間とすれば、そこに『本地垂迹』(ほんち
すいじゃく)という、つまり仏教が興隆した時代に表れた神仏習合思想の一つ
とされ、日本の八百万の神々は、実は様々な仏(菩薩や天部なども含む)が
化身として日本の地に現れた権現とする。本地とは、本来の境地やあり方の
ことで垂迹とは、迹(あと)を垂れるという意味で、神仏が現れることを意味す
る-つまりは‘Holy Spirit’、ギリシャ語の‘πνευμα’(プネウマ)という語で表現
され、神と人とを繋ぐとりなし手としての‘聖霊’-思想を取り戻せればと願わ
ずにはいられない。そして、明日米国ではバラク・オバマ新大統領が誕生す
る。彼に多様な存在を許容しあう‘共生立国宣言’に白椿(高潔な理性)と

現に向けてのパワーを贈りたい。
 
 
 
 

 


 


 

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