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極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

今宵もハイテク四方山話

2017年09月12日 | 時事書評

 

                                        
         

           襄公21年(‐553)~定公4年( -506)   /  中原休戦の時代  
                                                              

                               

        ※  鄭の子産の政治:鄭は晋楚二大国に南北から挟まれて、軍事的にも経済的にも
        終始圧迫を受け、民生は疲弊し、内乱は瀕発した。小国の悲哀である。この国
        に哲人の風貌をもった大政治宗子産(公孫僑)が現われて内政に外交に敏腕を
        ふるい、鄭を滅亡から救った。かれは若くして執政子皮(空虎)に認められ、
        国の大権を委ねられるや、郷制を整理して農村を開発し、「丘賦」を設けて軍
        備を充実させる等、種々の改革を断行した。とくに、罰則を定めてそれを鼎に
        鋳(い)込んだことは、中国における成文法公布の始まりとされている。
        かれはまたきわめて合理的な考えのもち主で、宗教にも批判的であり、巫術な
        どの迷信をあくまで排撃した。偉大なる啓蒙思想家として、一世代後に現われ
        た孔子に大きな影響をあたえた。
 

  子產議政插圖

 


 

           鐘の音の絶ゆるるひびきに音をそへて わが世尽きぬと君に伝へよ 

「今宵、夢見騒がしく見えさせ給ひつれば、今日ばかり慎ませ給へとてなむ、物忌みにて侍る。
返す返す、くちをしく、ものの妨げのやうに見奉り侍る――〔訳〕
昨晩、夢見が悪くいらっしゃ
ったので、今日だけは謹慎なさいませということで、物忌みでございます。まったくまったく残
念で、なにかの邪魔立てのように拝見します」(源氏物語/浮舟)――何の脈絡もないまま、今
夜のこ
とを考えているとふとこのフレーズ、薫の庇護を受けていた女が匂宮に連れ出されて宇治
川対岸の隠れ家へ向かう途中に詠んだ「橘の小島の色はかはらじをこのうき舟ぞゆくへ知られぬ」
――〔訳〕橘の茂る小島の色のようにあなたの心は変わらないかも知れないけれど、水に浮く小
舟のような私の身は不安定でどこへ漂ってゆくかも知れませ――光源氏の弟である宇治八の宮の
三女「浮舟」が、昨夜もあっという間に時間が過ぎ、作業途中のもろもろを残したことが尾を引
くこととなったことが一因なのだろう。

さて、朝を迎えて作業を再開。折からの大雨対策の心の準備でテレビを見ているとNHKの「ま
ちかど情報室」で自動で削り排出できる「手動式ペンシル・シャープナー」(上写真)の商品紹
介が目にとまり、いつもの過剰適応癖が眼を覚ます。

  Sep. 12, 2017

 ❏ 特許6074531 鉛筆削り 株式会社大阪クリップ

【概要】

ところで、鉛筆削りは、削り過ぎを防ぐための機構が設けられ、芯先が所望の太さに切削された
際には、切削を停止したり、切削が完了を使用者に知らせたりする機構――例えば、ハンドルの
回転に連動して回転し、鉛筆をカッターフレームに送り込むための送りローラーを持つ鉛筆削り
は、カッターフレームの所定位置にストッパーが設け、芯先がストッパーに当たると、その反力
で、送りローラーが芯先から離れる方向に移動し、ハンドルの回転を送りローラーの回転に連動
させるギアとの結合が外れることで、送りローラーの回転が停止するようになっているが、芯が
柔らかい色鉛筆や2Bや3Bの鉛筆は、芯先がストッパーに当たると芯先が摩耗し、送りローラ
ーの回転に連動させるギアとの結合が外れず、切削が進むため、切削が停止しないという問題が
あり、送りローラーが鉛筆をカッターフレームに送り込む力を最小限にする必要があり、送り込
む力を小さくしすぎると、鉛筆を送り込めなかったり、送り込めた場合であっても、送り込む力
が弱いため効率良く切削できず送りローラーの調整が困難である。

この知財は、、❶筐体と、❷ハンドルの手動/電動モータ回転トルクを発生するトルク発生手段
と、鉛筆を挿入可能な挿入部と、❸挿入された鉛筆を切削するカッターを有しトルク発生手段の
発生トルクで回転するカッターフレームと、❹カッターフレームの回転を、鉛筆を挿入方向に付
勢する運動に変換し、鉛筆を挿入方向に付勢手段と、❺鉛筆の削り上がり状態を検知する削り上
がり検知手段とを備えた鉛筆削りで、この鉛筆付勢手段は、鉛筆挿入および鉛筆排出方向に並進
可能
であり、鉛筆を挿入した際に、鉛筆付勢手段を鉛筆挿入方向に移動したことで生じたエネ
ルギーを蓄積し、削り上がり検知手段と連動しエネルギーを解放し、鉛筆を鉛筆排出方向に移動
させることを特徴とする(下図)。
 Feb. 1. 2017

【符号の説明】

1  トルク発生手段 2  挿入部  3  カッターフレーム    3a  カッター  4  回転軸変換
手段(鉛筆付勢手段)    4a、4b  同軸ギア    4aa、4bb  側部トゥース    4c 
伝達ギア    4d  ローラー用ギア  5  送りローラー(鉛筆付勢手段)  6  芯先検知部(削
り上がり検知手段)    6a  検知部弾性手段(検知部付勢手段)    6b  検知部位    6c 
伝達部位  7  スライドユニット    7a  レールガイド  8  スライドユニットロック手段
8a  凸部ロック    8b  凸部  9  スライドユニット弾性手段(スライドユニット排出手段)
10  スライドユニットロック解除手段    10a  カム    10b  被伝達部位  11  レー
ル  100  切削屑収納空間  200  鉛筆

【図面の簡単な説明】

【図1】鉛筆削りの内部の全体図
【図2】鉛筆削りの鉛筆を挿入しない状態での(a)内部上面図と(b)内部側面図


 

【図3】鉛筆削りのカッターフレームと芯先検知部の部品図、(a)は上面図、(b)はC-C断面図
【図4】鉛筆削りの送りローラーの回転機構を説明するための模式図
【図5】鉛筆削りの(a)切削時の、および(b)は排出時の送りローラーの動作を説明するための模式図
【図6】鉛筆削りの鉛筆を挿入しない状態での(a)A-A側面図、および(b)B-B断面図


【図9】鉛筆削りの鉛筆を挿入した状態での要部模式図、(a)は要部上面図、(b)はカッターフレーム側か
    ら挿入部方向を向いて見た要部側面図
【図10】鉛筆削りの切削完了状態での(a)A-A側面図、および(b)B-B断面図

 

 No.65 

● IT関連発電システムは2025年度予測1兆2,061億円

 Sep. 12, 2017

● 中国がガソリン車禁止へ 英仏に追随、時期検討

 Sep. 12, 2017

 

   

【ZW倶楽部とRE100倶楽部の提携 Ⅹ】  

  ❏ 特開2017-158430  電力制御システム、方法、及び、情報伝達能力制御
   システム、方法  国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構

【概要】

資源(電力、情報伝達能力)総量の制約を満たし、各要素の優先度に応じた資源の割当て――特
に❶通信量を抑えつつ、❷実装上で現れる非直流域での安定化と非直流域での制御目標導入する
ことで、❸動的に効率的なシステム、及び方法が求められている中にあって、
各家庭、オフィス
等では、瞬間的消費電力を賄う電力事業者と最大電力の契約を結び、また電力事業者も、各契約
単位で発生する消費電力総計を賄う発電、送電設備を整備しようとしてきた。例えば夏場では、
常に電力供給能力は危機的な状況を迎え、電力事業者は過剰設備を避けるため、その供給能力は
需要を僅かに上回る状況で管理されるため、需要ピーク時にはマージンが極度に少なくなる。

この状態で、スマートメーターを通し、供給制限を僅かでも行えば、電力危機は回避でき、将来
の電力事業者と契約者との新たな契約として成立すると考えられが、このような電力の「やりく
」を自律分散的を行うことは電力事業者の担当外のため、瞬間的なピーク電力の発生を避け、
ピークの平坦化を行えば、需要ピークにかかる状況を劇的に改善できるが、現状の電化製品等の
利用は、平坦化が実現されていない現況がある。このように、対象となる電力消費個体やシステ
ム上に置かれる非直流的なメカニズムの影響を解析し、それを解決する手段の提供はなく、いわ
ばこれまでは、「日単位」の直流的要素として考察されてきたが、この瞬時電力の制御― 一斉
指令で行う場合でも、システムに内在し点在する各種のモデル遅れの影響を受け、ときに深刻な
不安定性をもたらすという課題は、電力に限らず、情報やエネルギーなど普遍的な対象についての
制御系としての安定化が目的となる。

従って、ドメイン内のグループに含まれる各電力消費要素に割り当てられるべき消費電力値をf1
2,…,fnとし、これらを縦に並べたベクトルをfとする。電力消費要素を含むグループに対
する総電力規制値をPtとすると、グループ内の消費電力合計値がPtに一致するという制約条件
は以下の式(1)で表わされる。【数1】

 
グループ内の各電力消費要素が消費している現時点の消費電力をf*1,f*2,…f*nとし、これら
を縦に並べたベクトルをf*とする。以下の評価関数【数2】


が、上記式(1)の束縛条件の下で極値を取るときのfi(i=1,2,…n)として、消費電力
の割り当て値を求める。なお、上記式(2)中のQは、対角要素Qiiがi番目の電力消費要素の
優先度に等しい正定対称行列である(一般には、対角でなくても正定対称行列であればよいが、
以下で優先度を個々に扱う場合は対角として議論できる。説明を簡単にする目的で、以下ではQ
をn×n対角行列として扱う。)。

拡大評価関数を【数3】


とすれば(λはラグランジュの未定乗数)、fi及びλによる上記拡大評価関数の偏微分値がゼロ
になるという条件からfi及びλの最適解が求められる。最適解は、グループ内の重み(優先度)
を集計し、上述のとおり偏微分の演算をすることで以下のとおり求められる。

再割当てされる消費電力は、現状のグループ内各電力消費要素における消費状況にもっとも近い
電力として求められるべきであり、したがって、解は、上記式(5)のとおり現時点での消費電
力の割当て状況に依存する。以下、ここで、初期にドメイン内で全く電力を消費していない状態
から開始する場合の拡大評価関数は、ドメイン内のグループに含まれる各電力消費要素に割り当
てられるべき消費電力値をf1,opt,f2,opt,…,fn,optとし、これらを縦に並べたベクトルを
optとすれば、式(6)へとつづくが、下図をダブクリ参照して以下割愛。

このように、1対1の双方向通信を必要とせず、電力消費要素数が増加しても通信量が急激に増
加することがなく、拡張性に優れた電力制御システム、及び方法、さらには、同様の原理により
実施できる情報伝達能力制御システム、及び方法を提供するにあたり、下の制御流れ図のように、
同報送信要素から、グループ内の総消費電力の現在値と基準値との差の関数である総消費電力調
指示値を表わす情報を同報送信する。グループに含まれる各々の電力消費要素は当該情報を受
信し、
自己の優先度と総費電力調整指示値を用いた演算により、自己の消費電力更新値を独立に、
並列に
決定し、これに基づき自己の消費電力を制御、また同様の原理により情報伝達能力の制御
を実現する。

Sep. 7, 2017

 May 25, 2017 

 

  ❏ 特開2017-158412  太陽電池用コンバータシステム
   国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構

【概要】

 

太陽電池は、光起電力効果を利用して光エネルギーを電力に変換する電池であり、典型的には、

 

p型半導体とn型半導体とを接合して電極等を取り付けてなる構造を有している。複数枚の太陽
電池パネルを直列に接続して太陽電池ストリングを構成して使用する場合においては、太陽電池
パネルごとの出力にばらつきの問題が発生する。一般的に、太陽電池パネルの電気特性は日射量
に大きく依存し、影が発生した状態では発生可能な電流は大きく低下する(図1)。ストリング
において一部のパネルに影がかかる「部分影」により各パネルの供給可能な電流に大きなばらつ
きが生じ、結果的にストリング全体としての発生可能な電力が大幅に低下することが知られている
(図2)。このような問題を解消するために、各種の部分影補償器が提案されている。



コンバータと多段倍電圧整流回路との間にトランスを用いる必要がない、コンバータと均等化回
路との統合方式、また均等化回路内に過大電流防止できる方式の提供にあって、インダクタを含
むスイッチングコンバータと多段倍電圧整流回路とを、中間インダクタを介し接続する、太陽電
池用コンバータシステムと、スイッチングコンバータの動作中にコンバータ内インダクタに印加
される電圧のうち一部が中間インダクタに印加され、この電圧で多段倍電圧整流回路を動作させ
トランスを用いず、この動作電圧を低く抑え、また制御できる機構を提供する。

回路構成の簡素な部分影補償器として多段倍電圧整流回路を用いた部分影補償器が提案されてい
。従来の多くの方式ではパネル数に比例した複数個のスイッチ(DOI: 10.1109/TIA.2014.2336980
が必要であったのに対して、倍電圧整流回路を用いた部分影補償器では必要となるスイッチの数
は2つのみであるため、回路構成を飛躍的に簡素化することが可能である。更に、多段倍電圧整
流回路を用いた部分影補償器とストリング制御用コンバータを一体化した統合化方式も報告され
ている(特許文献2,非特許文献2)。コンバータ内のスイッチングノードにおいて副次的に発
生する矩形波電圧を利用して倍電圧整流回路を駆動させることで、部分影補償器としてはスイッ
チレスの回路構成とすることができるため、回路構成の更なる簡素化が可能になる。更に、部分
影補償器とコンバータの一体化によりシステム構成の簡素化も見込める。


上記のコンバータと部分影補償器を一体化させた統合化方式は回路構成とシステム構成の簡素化
という観点から非常に有用なものであるが、欠点としてトランスが不可欠であるという点が挙げ
られる。コンバータのスイッチングノードで発生している矩形波電圧の電圧振幅をトランスによ
りいったん小さな矩形波電圧に変換しておき、その変換された矩形波電圧によりコンデンサとダ
イオードにより構成される多段倍電圧整流回路を駆動している。トランスを用いなくとも多段倍
電圧整流回路の駆動は可能であるが、多段倍電圧整流回路に印加される矩形波電圧の振幅が大き
いが故に多段倍電圧整流回路内に過大な電流が発生し大きな損失に繋がり実用的でない。

これに関し、トランスを用いて矩形波電圧の振幅を調節することで過大電流の発生を防止するこ
とができるが、トランスの巻線比は太陽電池パネルの直列接続数やコンバータの入出力電圧に応
じて適切に決定する必要がある。言い換えると、何らかの理由により太陽電池パネルの直列接続
数に変更が生じた際にはトランスの再設計が必要となる。一般的に、任意の仕様を満たすトラン
スは存在しない、即ちカタログ品が存在しないため、仕様に応じて適宜設計を行う必要があるが、
一般的にトランスは設計が困難な素子である。よって、用途等によって太陽電池パネルの直列接
続数に変更が生じた際に迅速な設計変更が困難であるため、このコンバータと均等化回路および
部分影補償器を一体化した統合化方式は設計性や拡張性の観点で課題が残る。

この知財は、コンバータと多段倍電圧整流回路との間にトランスを用いる必要がない、コンバー
タと均等化回路との統合方式を提供し、また均等化回路内に過大な電流が流れることを防止でき
る方式を提供にあたり、インダクタを含むスイッチングコンバータと多段倍電圧整流回路とを、
中間インダクタを介して接続することにより、太陽電池用コンバータシステムを提供する。スイ
ッチングコンバータの動作中にコンバータ内インダクタに印加される電圧のうち一部が中間イン
ダクタに印加され、この電圧で多段倍電圧整流回路を動作させることにより、トランスを用いず
にこの動作電圧を低く抑え、また制御を実現する(下図参照)。

  ❏ 特開2017-158411  充電器及び充放電器
   国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構

【概要】

二次電池や電気二重層キャパシタ等の蓄電セルは、所望の電圧を得るために複数個のセルを直列
に接続することにより蓄電セルストリングを構成して使用される。蓄電セルストリングでは
繰り
返し充放電を行ううちに、各セルの容量、内部抵抗、環境温度、自己放電等のばらつきに起因し
たセル電圧のばらつきが発生する。一般的に電圧ばらつきが発生した蓄電セルストリングでは、
劣化の加速的進行および利用可能エネルギーの低下等といった問題が発生する。このような問題
を解消するために、各種の電圧均等化回路が提案されている。 回路構成の簡素な均等化回路とし
て図1に示す多段倍電圧整流回路を用いた均等化回路が提案されている。



従来の多くの方式ではセルの数に比例した複数個のスイッチが必要であったのに対して、多段倍
電圧整流回路を用いた均等化回路では必要となるスイッチの数が2つのみであるため、回路構成
を飛躍的に簡素化することが可能である。更に、図2に示すように、この多段倍電圧整流回路
を用いた均等化回路とコンバータ(充放電器)を一体化した統合化方式も報告されている。コン
バータ内のスイッチングノードにおいて副次的に発生する矩形波電圧を利用して多段倍電圧整流
回路を駆動させることで、均等化回路としてはスイッチレスの回路構成することができるため、
回路構成の更なる簡素化が可能になる。さらに、均等化回路とコンバータの一体化によりシステ
ム構成の簡素化も見込める。

このコンバータと均等化回路を一体化させた統合化方式は回路構成とシステム構成の簡素化とい
う観点から非常に有用なものであるが、欠点としてトランス(変圧器)が不可欠であるという点
が挙げられる。この統合化方式は、コンバータのスイッチングノードで発生している矩形波電圧
の電圧振幅をトランスによりいったん小さな矩形波電圧に変換しておき、その変換された矩形波
電圧でコンデンサとダイオードにより構成される多段倍電圧整流回路を駆動する。トランスを用
いなくとも多段倍電圧整流回路の駆動は可能であるが、多段倍電圧整流回路に印加される矩形波
電圧の振幅が大きいが故に多段倍電圧整流回路内に過大な電流が発生し大きな損失に繋がり実用
的でなくなってしまう。

これに関し、トランスを用いて矩形波電圧の振幅を調節することで過大電流の発生を防止できる
が、トランスの巻線比は蓄電セルの直列接続数やコンバータの入出力電圧に応じて適切に決定す
る必要がある。言い換えると、何らかの理由により蓄電セルの直列接続数に変更が生じた際にはト
ランスの再設計が必要となる。一般に、任意の仕様を満たすトランスは存在しない、即ちカタロ
グ品が存在しないため、仕様に応じて適宜設計を行う必要があるが、一般にトランスは設計が困
難な素子である。よって、用途等によって蓄電セルの直列接続数に変更が生じた際に迅速な設計
変更が困難であるため、このコンバータと均等化回路を一体化した統合化方式は設計性や拡張性
の観点で課題が残る。

下図のように、コンバータと多段倍電圧整流回路との間にトランスを用いる必要がない、コンバ
ータと均等化回路との統合方式を提供し、また均等化回路内に過大な電流が流れることを防止で
きる方式を提供にあっては、イ
ンダクタを含むスイッチングコンバータと多段倍電圧整流回路と
を、中間インダクタを介して接続することで、充電器、充放電器を提供する。スイッチングコン
バータの動作中にコンバータ内インダクタに印加される電圧のうち一部が中間インダクタに印加
され、この電圧で多段倍電圧整流回路を動作させることにより、トランスを用いずに当該動作電
圧を低く抑え、また制御できる。

 
  ❏ 特開2017-158297  太陽電池の評価装置及び太陽電池の製造方法
           株式会社カネカ

【概要】
 

従来から、太陽電池の評価は、1又は複数の光源を組み合わせたソーラーシミュレータを用いて、
太陽光の一状態である「エアマス1.5、1000W/m2 25℃」という基準状態(Standard  Test 
Condition;STC
)に相当する条件を満たす疑似太陽光を作成して行われることが多い。そして、こ
の太陽電池の評価は、例えば、STCに相当する条件を満たす擬似太陽光を太陽電池に照射し、
その太陽電池の短絡電流や開放電位、曲線因子、変換効率といった太陽電池特性の評価を行って
いる。ところで、近年、相対分光感度が異なる3つ以上の要素セルが接合された多接合太陽電池
が開発されている。この多接合太陽電池は、各要素セルで光電変換を行うことによって、広い波
長域で光電変換を行うことが可能となり、高変換効率を確保できる。ボトムセル(結晶質シリコ
ンゲルマニウム光電変換ユニット)、ミドルセル(結晶質シリコン光電変換ユニット)、及びト
ップセル(非晶質シリコン光電変換ユニット)が直列接続された3接合太陽電池であり、ボトム
セル、ミドルセル、及びトップセルがそれぞれ短波長域、中波長域、及び長波長域において分光
感度を有し、各波長域での光を吸収して発電することが可能となっている。

この3接合太陽電池の出力は、各要素セルが直列接続されているので、その出力は律速となる要
素セルの出力特性に依存する。そのため、この3接合太陽電池の設計には、各要素セルの電流バ
ランスが重要となる。ここで、例えば東京における太陽光は、STCに相当する条件に比べて短
波長域の放射照度が他の波長域に比べて強い場合が多い。そのため、システム出力係数を考慮す
ると、短波長域に吸収波長を取るトップセル側に律速が起こる電流バランスが好ましい。しかし
ながら、一般的にソーラーシミュレータで調整した疑似太陽光は、太陽光を完全に再現すること
が極めて難しいとされている。例えば、あるソーラーシミュレータで生成される疑似太陽光は、
図9のようなスペクトルをとり、ミドルセルの吸収波長域である約550nm~750nmの中
波長域において、実際の太陽光よりも放射照度が3%~7%程度高くなる。このような場合、S
TCに相当する条件を設定した疑似太陽光を使用した評価では、ミドルセルが太陽光を照射した
場合に比べて過大評価されてしまい、各要素セルの電流バランスを正確に判断できないという問
題があった。

 そこで、本件は、感度波長領域が異なる3つの要素セルをもつ多接合太陽電池において、中波
長域に感度を有する要素セルの律速度合を定量的に評価できる評価装置を提供することを目的と
する。また、当該評価装置を用いて、一定の品質を確保した太陽電池を量産できる太陽電池の製
造方法を提供することを目的とする。このように、感度波長領域が異なる3つの要素セルをもつ
多接合太陽電池で、中波長域に感度を有する要素セルの律速度合を定量的に評価できる評価装置
の提供にあっては、光照射装置は、太陽光の一状態に相当する条件の疑似太陽光を照射可能であ
って、かつ、疑似太陽光に対して第2要素セルの最大吸収波長における放射照度を優先的に制限
した第1制限光を照射可能であり、太陽電池を評価する際には、疑似太陽光を太陽電池に照射し
たときの電流値と、第1制限光を太陽電池に照射したときの電流値を直接又は間接的に比較する
構成とする(【選択図】図4)

Sep. 9, 2017
 

以上のように最新のオールソーラーシステム技術(国内特許)を昨夜からリサーチしているのだが、残件
については後日掲載することとする。

【磁気でイオンを輸送する新原理のトランジスタ開発】

9月7日、物質・材料研究機構(NIMS)は、電圧でなく磁気でイオンを輸送するという従来と全
く異なる原理で動作するトランジスタの開発の成功を公表。電気エネルギーと化学エネルギーを
変換する電気化学デバイスは,電池やキャパシタ,センサーなどとして実用化されている。これ
らのデバイスは,電解質中のイオンを移動させることで動作するが,イオンの駆動には電圧を印
加する必要があるため,電力源が確保できない環境では利用しづらい。そこで、同研究グループ
は、磁性イオン液体 (1-ブチル-3-メチルイミダゾリウムテトラクロロフェラート) に注目。磁性
イオン液体は,これまで“液体の磁石”として研究されていたが、電荷を持ったイオンとしての
性質は注目されていなかったが、磁性イオン液体を、磁石をつかってイオン輸送が可能な液体と
して
とらえ、これを電解質として用いた電気二重層トランジスタを作製した。磁場をかけると、
電解質中の磁性イオンが移動して、電極間の抵抗が変化することが分かり、磁場のみでトランジ
スタとして動作させることに成功。今回、電磁石を用いて磁場をかけているが、これを永久磁石
に置きかえることができれば、省エネルギー情報通信デバイスなどへの展開が期待できる。

  Sep. 7, 2017

 

 【シリセンをグラフェン様態のフラット化に成功】

9月8日、東北大学の研究グループは、これまでとは全く異なる着想によって、ジグザグ構造を
とるケイ素2次元シート 『シリセン』 を、グラフェンと同じようにフラットにできる構成単位
の構築に成功したことを公表。今回の研究では、ベンゼンとヘキサシラベンゼンの相違を徹底的
に調べ、それまで行われていたアプローチとは全く異なる着想で、フラットシリセンの構成単位
の構築に成功する。これにより、グラフェンと同じように安定なシリセンの実現へ向けて大きく
変化すると期待されている。

    Sep. 6. 2017

「常在戦場の年」とはかなり切実にのしかかってきている。よくよく考え浮かれた気持ちを押さえ、打つべ
き対応策の、ビジョンの提案がミッションである。言い換えれば、「個人的な限界などないサバイバル時代」
だと腑に落とす秋。 

                                                             

  

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それは犠牲と試練を要求する

2017年09月11日 | 時事書評

 

                                        
         

           襄公21年(‐553)~定公4年( -506)   /  中原休戦の時代  
                                                              

                               

        ※  血で書かれた記録:この事件を斉の太史は、崔杼が主君を殺した」と記録し
        た。崔杼は怒って太史を殺した。太史の弟があとをついで、同じ事を書き、犠
        牲者は二名となった。しかし弟の弟があとかろぎ、同じ事を書くと、さすがに
        崔杼もあきらめざるを得なかった。太史がすべて命をおとしたと聞いて、地方
        在住の史官が、竹筒(竹の札、これに字を刻んで記録する)を手に駆けつけて
        来たが、記録がすんだと知って、引き返した。

      ★ 権力に屈せず生命を賭して真実を直書した無名の歴史家たち。かれらは史官と
        して当然の責務を果たしたまでなのであろうが、歴史家の理想の姿がここに示
        されている。こうして、崔杼と慶封は斉の国政を龍断(ろうだん)するに至っ
        た。だが、それから二年もたたぬうちに両氏の間に争いが生じ、慶封は氏一
        家をことごとく殺した。しかしその翌年(-545)、慶封も部下の廬蒲癸、王何
        に襲われて魯に逃げ、さらに呉に奔って後、殺された。晏嬰(あんえい)が
        政治家としての本領を発揮し、諸国にその名を知られるようになるのは、その
        後のことである。(役人によって作られた『晏千春秋』はかれの言行を集録し
        たものである)

 

          
読書録:村上春樹著『騎士団長殺し 第Ⅱ部 遷ろうメタファー編』   

    第49章 それと同じ数だけの死が満ちている 

  雨田典彦が目覚めたのは三時少し前だった。彼は身体をもぞもぞと動かした。ひとつ大きく呼
 吸をし、布団が胸のところで上下するのがわかった。雨田が立ち上がってベッドの脇に行き、上
 から父親の顔をのぞき込んだ。父親はゆっくりと瞼を開いた。白い長い眉毛が細かく宙に震えて
 いた。
  雨田は枕元のテーブルにあった細口のガラスの吸い飲みを手に取り、それで乾いた唇を湿らせ
 た。そしてガーゼのようなもので、口元にこぼれた水を拭いてやった。父親がもっと水をほしが
 ると、少しずつ水を口の中に補給した。いつもやっていることらしく、慣れた手つきだった。水
 を飲み込むごとに、老人ののど仏が大きく上下した。その動きを目にして、彼がまだ生きている
 という事実が私にもようやく納得できた。

 「父さん」と雨田は私を指さして言った。「こいつが小田原の家のあとに往んでくれているやつ
 だよ。やはり絵描きで、父さんのスタジオを使って給を描いている。大学時代の友だちで、あま
 り気は利かないけど、そして素敵な奥さんにも逃げられちまったけど、給描きとしてはなかなか
 悪くない」
  雨田が口にしたことを父親がどこまで理解したのか、それはわからない。しかしとにかく雨田
 典彦は息子の指さした先を辿るように、私の方にゆっくり顔の向きを変えた。その両目はどうや
 ら私を見ているようだった。しかし顔には表情らしきものはまったく浮かばなかった。何かは見
 えているのだろうが、その何かは彼にとってとりあえず意味をなさないものであるようだった。
 しかし同時に、その談い膜のかかったような眼球の奥には、驚くほど明晰な光が潜んでいるよう
 にも感じられた。その光は意味を持つ何かのために大事にしまい込まれているのかもしれない。
 そういう印象があった。

  雨田は私に言った。「おれが何を言っても、たぶん理解できてないと思う。でもとにかく、言
 っていることは全部相手に通じているものとして自由に自然に話してくれという、担当医からの
 指示なんだ。何かわかっていて何かわかっていないのか、誰にもわからないわけだからな。だか
 らこうしてごく普通に話している。まあその方が、おれとしても楽たしな。おまえも何か話しか
 けてくれ。いつも話すようにでいいからさ」
 「こんにちは。初めまして」と私は言った。そして名前も名乗った。「今、小田原の山の上のお
 宅に住まわせてもらっています」

  雨田典彦は私の顔を見ているようだったが、やはり表情に変化は見えなかった。雨田は私に向
 かって、〈なんでもいいから、もっとどんどん話せよ〉という動作をした。

  私は言った。「ぼくは油絵を描いています。長いおいた肖像画を専門に描いていましたが、今
 はその仕事は辞めて、好きな絵を描いています。でもときどきは注文が入って、肖像画を描くこ
 ともあります。たぶん人の顔を描くことに興味かおるのだと思います。政彦くんとは美大時代か
 らのつきあいです」

  雨田典彦の目はまだ私の方に向けられていた。その目にはやはり談い膜のようなものがかかっ
 て いた。それは生と死のあいだをゆっくり隔てていく薄いレースのカーテンのようにも見えた。
 そのカーテンが幾重にもかさなり、奥の方がだんだん見えなくなり、最後には重い緞帳が降りる
 のだろう。



 「とても素敵なお宅です」と私は言った。「仕事がよく捗ります。お気を悪くなさらないといい
 のですが、レコードも勝手に聴かせていただいています。政彦くんが聴いてもいいと言ってくれ
 たので。素敵なコレクションです。オペラをよく聴いています。それから、このあいだ初めて屋
 根裏部屋に上がりました
  私がそう言ったとき、彼の目が初めてきらりと光ったように見えた。ほんの微かな煌めきだっ
 たし、よほど注意していなければ誰もそれに気づかなかったはずだ。でも私は怠りなく彼の目を
 直視していた。だからその煌めきを見逃すことはなかった。おそらく「屋根裏部屋」という言葉
 の響きが、彼の記憶のどこかを刺激したのだ。

 「屋根裏部屋にはどうやらみみずくが一羽注み着いているようです」と私は続けた。「夜中にと
 きどき何かが出入りするような、がさごそという音がしたので、鼠かもしれないと思って、昼間
 に様子を見にそこにあがってみました。すると葉に一羽のみみずくが休んでいました。美しい鳥
 でした。通風口の金網が破れていて、そこからみみずくが自由に出入りできるようになっていた
 んです。屋根裏はみみずくにとって、格好の昼間の隠れ家だったんですね」

  その目はまだしっかりと私を見ていた。まるでそれ以上の何かの情報を待ち受けているみたい
 に。

 「みみずくがいても、家に害はないよ」と雨田が口を添えた。「みみずくが家に往み着くのは縁
 起の良いことでもあるんだ」
  「みみずくも素敵だったけど、それだけではなく、屋根裏部屋はなかなか興味深いところでし
 た」と私は付け加えた。

  雨田典彦はベッドに仰向けになったまま、身じろぎもせず私を見つめていた。呼吸は再び浅く
 なっているようだった。眼球には相変わらず談い膜がかかっていたが、その奥深くに潜んだ秘密
 の光は、さっきよりいっそう鮮明になったように私には感じられた。
  私はもっと屋坦畏の話をしたかったが、息子の政彦が同席しているところで、そこであるもの
 をみつけたという話を持ち出すわけにはいかなかった。政彦は当然、それがどんなものだったか
 知りたがるだろう。私と雨田典彦は話題を宙づりの状態にしたまま、互いの顔を探るようにじっ
 と見ていた。

  私は注意深く言葉を追んだ。「あの屋根裏はみみずくだけじゃなく、絵にとっても絶好の場所
 かもしれません。つまり絵を保管しておくのに追した場所ということです。とくに画材のせいで
 変質しやすい日本画の保存には追しているでしょう。地下室なんかとは追って湿気もないし、風
 通しも良いし、また窓がないから日当たりを気にしなくてもいいし。もちろん雨風が吹き込むお
 それもありますから、長期的に保存するには、しっかりと包装しておく必要はあるでしょうが」

 「そういえばおれはこれまで、屋根裏なんてのぞいたこともなかったな」と雨田は言った。「ど
 うもほこりっぽいところが苦手なものだから」

  私は雨田典彦の顔から日を逸らさなかった。雨田典彦も私の顔から視線を逸らさなかった。彼
 がその頭の中で思考の道筋を辿るうとしていることを私は感じた。みみずく・屋根裏・絵の保管
 ……そういった覚えのあるいくつかの単語の意味を、ひとつに結びつけようとしているのだ。そ
 れは現今の彼にとって簡単なことではない。まったく簡単なことではない。おそらく目隠しをし
 て入り組んだ迷路を抜けるような作業なのだろう。しかし彼はそれを結びつけることが、自分に
 とって重要であると感じている。とても強く感じている。私はそんな彼の孤独な切実な作業を静
 かに見守っていた。

  私は雑木林の中の祠と、その裏手にある奇妙な穴のことも話そうかと思った。その穴がどのよ
 うな経緯で開かれたか。それがどのような形状の穴であったか。しかし思い直してやめた。あま
 り二度にいろんなことを持ち出さない方がいい。残された彼の意識はひとつのものごとを処理す
 るだけでも、かなりの負荷を負わされているはずだ。そして残された僅かな能力を支えているの
 は、あやうい一本の糸だけなのだ。
 「もう少し水はいらない?」と政彦はガラスの吸い飲みを手にして、父親に尋ねた。しかし父親
 はその問いかけには何の反応も見せなかった。彼の耳には息子の言葉がまったく入っていないよ
 うだった。政彦はもっと近くに寄って同じ質問をしたが、やはり反応がないことを知って、それ
 以上質問するのをあきらめた。父親の目にはもう息子の姿は入っていないのだ。

 「親父はどうやらおまえにずいぷん興味を待ったみたいだな」と政彦は感心したように私に言っ
 た。「さっきからずっと熱心におまえのことを見ている。誰かに、というか、何かにそんなに強
 い関心を持ったのはしばらくなかったことだ」

  私は黙って雨田典彦の目を見つめていた。

 「不思議だよ。おれが何を言ってもほとんど見向きもしなかったのに、さっきからおまえの顔を
 見たっきり、じっと目を逸らせもしない」

  政彦の口調に経い羨望の響きが混じっていることに気づかないわけにはいかなかった。彼は父
 親に見られることを求めているのだ。それはおそらく子供の頃から一貫して求め続けてきたこと
 なのだろう。

 「ぼくの身体から絵の其の匂いがするのかもしれない」と私は言った。「その匂を呼び起こして
 いるのかもしれない」
 「たしかにそうだな、それはあるかもしれない。そういえば、おれは本物の絵の典なんてもう長
 いおいた手にもしていない」

  彼の声にはもう暗い響きはなかった。いつもの気楽な雨田政彦に戻っていた。そのとき、テー
 ブルの上に置かれた政彦の小さな携帯電話が振動音を断続的に上げ始めた。
  政彦ははっと顔を上げた。「いけない、携帯を切るのをすっかり忘れていた。部屋の中では携
 帯を使うことは禁止されているんだ。外に出て話をしてくる。少しのあいだ席を外してかまわな
 いか?」
 「もちろん」
  政彦は携帯電話を取り上げ、相手の名前を確かめ、ドアに向かった。そして私の方を向いて言
 った。「少し長引くかもしれない。おれのいないあいだ適当に親父と何かを話していてくれ
  政彦は携帯電話に向かって、小声で何かをしゃべりながら部屋の外に出て、静かにドアを閉め
 た。

  その上うにして私と雨田典彦は部屋の中に二人きりになった。雨田典彦はまだ私をじっと見つ
 めていた。おそらく私を理解し上うと努めていた。私は少しばかり息苦しくなり、席から立ち上
 がって彼のベッドの足下をまわり、南東に向いた窓際に行った。そして大きなガラス窓に顔をつ
 けるようにして、外に広がる太平洋を眺めた。水平線がせり上がるように空に追っていた。私は
 そのまっすぐな線を端から端まで目で辿った。それほど長く美しい直線は、どんな定規を使って
 も人間には引けない。そしてその線の下の空間には、無数の生命が躍動しているはずだ。この世
 界には無数の生命と、それと同じ数だけの死が満ちているのだ。
  それから私はふと気配を感じて、背後を振り返った。そしてその部屋の中にいるのが、雨田典
 彦と私の二人だけではないことを知った。
 「そう。諸君らはここにふたりきりではあらない」と騎士団長が言った。




  第50章 それは犠牲と試練を要求する 

  そう。諸君らはここにふたりきりではあらない」と騎士団長が言った。
  騎士団長は雨田政彦がさっきまで座っていた布張りの椅子に腰掛けていた。いつもの服装、い
 つもの髪型、いつもの剣、いつもの身長だった。私は何も言わず、彼の姿をじっと見ていた。
 「諸君のお友だちはまだしばらく戻ってくるないよ」と騎士団長は右手の人差し指を宙に突き出
 すようにあげて言った。「電話の諸はどうやら長くなりそうだ。だから諸君は安心して、心ゆく
 まで雨田典彦さんと話をすればよろしい。様々に尋ねたいことがあるのだろう? どれはどの答
 えが返ってくるかは疑問ではあるが」
 「あなたが政彦をよそに遠ざけたのですか?」
 「まさかまさか」と騎士団長は言った。「諸君はあたしを買いかぶりすぎている。あたしにはそ
 こまでの力はあらない。諸君やあたしとは違って、会社に勤めている人は何かと忙しいものだ。
 気の毒に、週末も何もあらない」
 「あなたはずっとここまで一緒にいたのですか? つまりあの車に同乗して末たのですか?」

  騎士団長は首を振った。「いや、同乗してはおらない。小田原からここまでは長い道のりだ。
 あたしはすぐに車酔いするたちでね」
 「でもあなたはとにかくここまでやってきた。招かれてもいないのに?」
 「確かに正確に言うなれば、あたしはここに招かれてはおらない。しかし求められてここにいる。
 招かれることと求められることの違いはなかなかに微妙なものだが、それはさておき、とにかく
 あたしを求めたのは雨田典彦氏だ。そしてあたしは、諸君の彼に立ちたいと恩えばこそ、ここに
 いる」
 「役に立つ?」
 「そうとも。あたしは諸君いささかの恩義がある。諸君らがあたしを地下の場所から出してく
 れた。そうしてあたしは再びイデアとして、この世にはばかり出ることができた。このあいだ諸
 君が言っていたようにな。いつかそのお返しをしなくてはならないと思っていた。イデアとて義
 理人情を解さないではない

  義理人情?

 「まあよろしい。そのようなものだ」と騎士団長は私の心を読んだように言った。「いずれにせ
 よ、諸君は秋川まりえの行方をつきとめ、彼女をこちら側に取り戻したいと心から望んでおる
 それに間違いはあらないね?」

  私は肯いた。間違いはあらない。

 「あなたは彼女の行方を知っているのですか?」
 「知ってはいるよ。少し前に会ってきたところだ」
 「会ってきた?」
 「短く話もしてきた」
 「じやあ彼女がどこにいるか敢えてください」
 「知ってはいるか、あたしの口からは敢えられな
 「敢えられない?」
 「教える資格を持たないということだ」
 「でもあなたは今、ぼくの役に立ちたいからこそこの場所にいると言いました」
 「確かにそう言った」
 「それなのに秋川まりえの居場所は教えられない、ということですか?」
  騎士団長は首を振った。「それを教えるのはあたしの役目ではあらない。気の毒なことではあ
 るが」
 「じやあ、誰の役目なのですか?」
  騎士団長は右手の人差し指で私をまっすぐ指さした。「諸君自身だよ。諸君自身が諸君に教え
 るのだ。それ以外に諸君が秋川まりえの居場所を知る道はあらない」
 「ぼくがぼく自身に教える?」と私は言った。「でもぼくは彼女がどこにいるのか、まったく知
 らないのですよ」
  騎士団長はため息をついた。「諸君は知っておるのだよ。ただ自分かそれを知っておるという
 ことを知らないだけだ」
 「堂々巡りの論議みたいに思えますが」
 「堂々巡りではあらない。やがて諸君にもそれがわかる。ここではない場所で」

  今度は私がため息をつく番たった。

 「ひとつだけ教えてください。秋川まりえは誰かに誘拐されたのですか? それとも自分からど
 こかに迷い込んだのですか?」
 「それは彼女を見つけて、この世界に連れ戻したときに諸君が知ることだ」
 「彼女は危険な状態にあるのですか?」
  騎士団長は首を横に振った。「何か危機であるか、何か危機でないかを判断するのは人の役目
 であって、イデアの役目ではあらない。しかしもしあの少女を取り戻したいのであれば、けっこ
 う連を急いだ方がいいかもしれない」

  道を急ぐ? それはどのような道なのだろう? 私はしばらく騎士団長の顔を見ていた。すべ
 てが謎解きのように響く。もしそこに正解というものがあればだが。

 「それであなたは今ここで、いったい何を手伝ってくれようというのですか?」

  騎士団長は言った。「諸君が諸君白身に出会うことができる場所に、諸君を今から送り出すこ
 とがあたしにはできる。しかしそれは簡単なことではあらない。そこには少なからざる犠牲と、
 厳しい試練とが伴うことになる。具体的に申せば、犠牲を払うのはイデアであり、試練を受ける
 のは諸君だ。それでもよろしいか?」
  彼が何を言おうとしているのか、私には見当もつかなかった。

 「それで、ぼくは具体的にいったい何をすればいいのですか?」
 「簡単なことだ。あたしを殺せばよろしい」と騎士団長は言った。


第47章 今日は金曜日だったかな?」にあったやりとりが騎士団長との間でここでもかわされ、
核心(ヒントの答え)が顕れるのか?ともあれ、今夜はここまで。

                                      この項つづく
 

         

     
            何の試練も受けていない者は、試練を受けている人に、何も教えることはできません。         
                                            
                                                      レフ・トルストイ

                                               

   
高橋洋一 著 『戦後経済史は嘘ばかり』  

    第1章 「奇跡の成長」の出発点見るウソの数々       

        第2節 教科書にも出てくる「傾斜生産方式」はまるで効果がなかった 

    天来氏のデータ分析でも明らかになっていますが、鉄鋼や石炭の生産拡大と最も連
   動が強かったのは、「鉄鉱石の輸入数量」でした。要
するに、アメリカが鉄鉱石を回
   してくれると生産が回復し、鉄鉱石を
回してくれないと生産が伸びない状態でした。
   原材料がなければ、日
本政府も産業界も何もできなかったのです。
    1947年の連い時期から生産が回復したのは、1947年6月にアメリカからの
   重油の緊急輸入が実現したからです。それまでは生産
が伸び悩んでいましたが、重油
   が入ってきてからは急速に生産が拡大
していきました。
    終戦当初は、アメリカからの資金はガリオア資金(占領地域救済政府資金)だけで
   あり、主に輸入していたのは食糧です。その後、エロ
ア資金(占領地域経済復興資金)
   によって産業のための原材料輸入が
できるようになりました,1948年8月からの
   エロア資金による原
材料輸入の援助が日本経済を復興させました。

    つまり、1948年の重油の緊急輸入」と「1948年からの原材料輸入」によっ
   て生産が拡大したわけです。
ちょうど、この時期が傾斜生産方式の計画実施の時期と
   一致してい
て、1948年に計画がほぼ達成されたため、いかにも傾斜生産方式の成
   果のように見られていますが、実際にはアメリカによる援助が最
大の要因でした,
    要は、傾斜生産方式はアメリカからの援助を引き出したという点で、ポリティカル
   な意味では成功でしたが、エコノミックな意味では
ほとんど効果のないものだったの
   です。

    実は、戦災に遭っても日本の工場はかなり生き残っていた戦争中に日本の国土は米
   軍の爆撃で焼け野原にされました。しか
し、不幸中の幸いというべきか、基礎的な生
   産手段は爆撃によってあ
まり破壊されませんでした。この点については前出の天来氏
   の論文で
も触れられています。徹底的に爆撃されたように見えたわりには、意外なこ
   とに工場の生産設備はかなり残っていたのです。

    本章の冒頭で、戦争による国富の被害率で、工業用機械器具は34%強が失われた
   ことを紹介しましたが、主に破壊されたのは大規模な軍需工場でした,
    戦時中に軍事物資をつくっていた工場を2つに分けて考えるとわかりやすくなりま
   す。1つは、軍直轄の軍需工場や重工業の大企業など、もともと軍用品をつくってい
   た工場。もう1つは、戦前は生活用品をつくっていた民間工場です。
    戦時体制に入ってから、軍部の指示で生産ラインを変更して、民生品から軍用品の
   生産に切り替えた民間工場がたくさんありました。
    たとえば、電化製品をつくっていた松下電器産業(現パナソニック)も、軍部の要
   請で木造船や飛行機などをつくっています。まず松下電器産業は、1953年3年4
   月に松下造船という会社を設立し、流れ作業の工程で250トン型の木造船を建造し
   ます(最終的に56隻を建造)。この流れ作業方式に注目した軍は、今度は木製の飛
   行機をつくるように要請。やむなくこれに応えて松下飛行機を設立しましたが、終戦   
   までにつくれた飛行機は4機だったといいます。

    これはほんの一例で、戦争のために多くの民生用の工場が軍用品の生産を余儀なく
   されていたのです。米軍は、軍需工場の所在地を調べ上げて徹底的に破壊しました。
   ですが、転用された民生用工場の中には、爆撃を免れたケースもたくさんありました。
   それらの生き残った工場を元の民生用の工場に戻せば、生活用品の供給は増えていき
   ます。軍用品の需要はもうありませんので、工場の経営者たちは生きていくために急
   いで民生用の工場に戻そうとします。放っておいても市場原理で民生品の生産へと転
   換されていきます。少し時間はかかりますが、いずれ工場が完全に転換されれば、生
   活用品の供給量が増えていきます。

    問題は原材料です。工場を民間転換しても、原材料がなければ製品をつくることが
   できません。政府のすべきことは原材料の確保です。
    米軍と交渉して、原材料を人手して市場に流してやれば、あとは民間の力で勝手に
   経済は回っていきます。    そういう意味では、「傾斜生産方式」を打ち出して
   アメリカを説得し、アメリカから物資の輸入を実現させたのは、政府の功績といえま
   す。つまり、「政府の傾斜配分の成果で産業が発展した」という認識は間違いで、
   「政府の対米交渉で物資の輸入に成功したので、日本の産業全体が発展した」のです。
   
       第3節 "復金債”のお金のばらまきは「悪性インフレ」の主因ではない

    戦後の復興に必要だったのは、原材料の輸入と、もう1つは資金の供給です。世の
   中にお金が出回れば、企業は民間転換や設備投資を進
めやすくなります。
    先述のように、政府は復興金融金庫をつくり復興金融債(復金債)を発行しました。
   日銀引き受けで大量の資金を市場に投入していま
す。資金は傾斜生産方式の計画に沿
   って、石炭・鉄鋼業界などに集中
的に役人されたとされています。
    しかし、今、見てきたように、「傾斜生産方式」そのものが生産拡大に大きな効果
   を発揮したわけではありません。特定業界への融資自
体にはあまり意味はありません
   でした。
意味があったのは、「お金をばらまいた」ことでした。政府が個別の産業を
   ターゲットにしてお金をばらまいてもほとんど効果はありま
せんが、市場全体にお金
   を供給することは経済を活性化させます。

    お金が出回れば多くの人が商売をしたくなります。

    物不足で、つく
ればすぐに売れる時代ですから、企業はどんどん設備投資をしよう
   と
します。そういう意味では、日銀が復金偵を買い取ってお金を市場に供給したのは
   悪い政策ではなかったと思います。
    ところが、日本には「金融政策で広くお金をばらまく」ことは悪いことだと考えた
   い人たちが、たくさんいます,傾斜生産方式がとられたあとの時期にインフレが進ん
   だことを、この「復金値」だけのせいにする人も、決して少なくおりません。
    実際のところ、戦後に「悪性インフレ」と呼ばれるインフレーションが起こった最
   大の要因は、金余りではなく供給不足でした。どの国でも戦争に負けたあとの経済は、
   必ずインフレ状態になります。工場を破壊されて生産ができませんので、需要に対し
   て供給が追いつかず、物価が上昇するからです。日本は、設備は「壊滅していなかっ
   た」とはいえ、物資が途絶えていたこともあって生産がうまく回らず、供給不足に陥
   ってしまっていたのです。
    戦後のインフレを脱するための方法はシンプルです。工場を復活させればいいので
   す。生産手段が復活して供給量が増えれば、物価は落ち着いていきます。
    金をばらまくことによってインフレを促進するリスクはたしかにありますが、その
   金で設備が増えていきますので、供給が需要に追いついていない状況である場合、少
   し我慢していれば生産設備が整って供給が増え、インフレは自然に収まっていきます。


       第4節 政府金融が呼び水となる「カウベル効果」が起こった実例はない

    復興金融金庫のような「政策金融」が、特定の産業の振興や経済発展のためには不
   可欠だった、と主張する人もいます。しかし、今、述べたように、「お金をばらまい
   た」ことは効果があったものの、特定の産業を仲ばし、成功させるという政策金融の
   本来の目的に間しては、戦後の復興金融金庫は実際には、それほど役に立ちませんで
   した。
    政策金融の必要性の根拠として用いられる理論は「カウベル効果」です。「カウベ
   ル」は牛がつけているベルのことで、ベルをチャランチャランと鳴らすことが呼び水
   になる、という考え方です。民間金融がどこに貸し付けていいかわからないときに、
   政策金融がターゲット分野を決めて貸し付けをすると、民間金融の融資を誘発すると
   いうロジックです。
    しかし、政府よりも民間金融機関のほうが「目利き能力がある」というのが定説
   す。政府が「この分野が伸びる」とわかっているのであれば、民間はとっくにわかっ
   ているはずです。貸せば儲かるわけですから、民間金融が政府に後れをとることはま
   ずありません。

    復興金融金庫は1953年に日本開発銀行に吸収され、その後、日本政策投資銀行
   へと変わっていきますが、いずれの銀行も大した効果を上げていないのが実状です。
    日本開発銀行は、大企業が設備投資をするときに、民間より少し低い金利で融資す
   ることがありました。企業側としては、金利が安いので融資を受けてもいいという気
   になります,これは税金を使って、民間金融の商売を奪っているのと同じですから、
   民間金融にとっては迷惑なことでした,
    政策金融のうち日本輸出入銀行だけは、一定の役割を果たしていました。日本の民
   間金融機関は、東京銀行を除いて海外支店が少なかったため、海外での融資は不十分
   でした。政府系の日本輸出入銀行は相手国の政府とも近い間係にありますので、相手
   国の情報が入ります。

 Feb. 29, 2016

    そのため、海外輸出しようとする企業にとって日本輸出大銀行が、ある程度は投に
   立つ存在だったのです。しかし、その後、民間金融機関が海外支店をたくさん設立し
   ましたので、政府系金融機関の役割はほとんどなくなっています。
    結局、政府が先に融資をして民間の融資を誘発するというカウベル効果は、現実に
   は起こりませんでした。効果かおるのなら実例が挙げるられるはずですが、カうベル
   の実例は示されていません。
    ときどき、造船業界がカツベルの例として単げられますが、造船業界が伸びていく
   時期には、民間が貸し出しをしていましたから、政府が貸し出す必要はありませんで
   した。その造船業界も最終的には衰退していきました
    「政策金融が産業を育てた」というのは、大きな誤解の1つです。私は小泉政権(
   2001年4月~2006年9月)のときに政策金融を廃止する仕事を手伝いました
   が、そのときに、復興金融金庫以来の政策金融が日本の産業育成にほとんど効果を上
   げてこなかった、という事実を再確認しました。

 May. 13, 2015

                                   この項つづく

       
                                                                                                                                              
  

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新シベリア鉄道の鍵

2017年09月09日 | 時事書評

 

     

           襄公21年(‐553)~定公4年( -506)   /  中原休戦の時代  
                                                              

                               

        ※  反乱の成功:荘公が殺されると、臣下の中には、国外亡命の道をえらぶ者があ
        らわれた。濾蒲癸(ろほうき)は晋へ、王何(おうか)は莒へ亡命した。さて、
        話はさかのげるが、魯の叔孫宣伯が斉に亡命して来たとき(成公二八年)、斉
        の公子叔孫還(しゅくそんせん)が、かれの娘を時の斉君霊公の夫人とした。
        夫人は霊公の寵愛を受け男の子を生んだ。これが景公である。

        丁丑の日、崔杼は景公を即位させ、自分は大臣の位につき、慶封(けいほう)
        を左太良とし始祖太公望(たいこうぼう)をまつった廟で、国の重立った人々
        と盟いを立てた。「崔杼・慶封にそ抒く特あらは天も照覧あれ」。晏子は自分
        が盟いを立てる番になったとき、天を仰いで嘆息し、「君に忠をつくし、国家
        のためにつくす人にしたがわぬ者あらは、天も照覧あれ……」。こう言って血
        をすすり盟いを立てた。辛巳の日、景公は犬夫たち、及び斉に滞在中の莒(き
        ょ)君と盟いをかわした。

  Sep. 25, 2012

【ロンドン-東京をシベリア鉄道が橋渡し】

9月7日、ロシアのイゴール・シュワヴロフ副大統領は、北朝鮮の核実験に対する緊張感に包まている
さなか、北海道からサハリン南部への道路と鉄道の併走路線建設にあたり日本のパートナーに真剣考え
提案していると語った(シベリアタイムス、2017.09.07)。それによると、
新しい提案は、ロシア本土か
ら太平洋
のサハリン島、そしてそこから日本の鉄道網とつながる北海道まで東方に行くことを望むもの
である。ところで、政治的背景は別にして、極寒で過酷な建設工事は難航が予想されるが、勇気ある挑
戦は未来への導のひとつとなるであろう。


 Sep. 7, 2017

 Sep. 7, 2017

 
Russia offers a bridge across history to connect Tokyo to the Trans-Siberian railway

 

 No.64 

【量子ドット工学講座 No.45

   

【ZW倶楽部とRE100倶楽部の提携 Ⅸ】  

今回は、最新グラフェン量子ドット電子デバイス及製造法を取り上げる。ところで、グラフェンおよび
グラフェン量子ドット自身は、光学、エレクトロニクス、および生物医学的用を含む、有用な材料とし
て多数の用途がある。典型的なsp 2炭素系材料のグラフェンは、2004年に初めて分離された後、大
きな関心を集めている。グラフェン酸化物およびグラフェン量子ドットは、優れた物理的/化学的特性、
グラフェンおよびその誘導体、例えば、グラフェン酸化物)およびグラフェン量子ドット(GQD)は、
光学、電気化学、および生物医学的応用において大きな可能性を示す。その中でGQDの生物医学的応用
は、比較的新しいが、例えばバイオイメージング、バイオセンサー材料、および薬物送達の分野で急速
に成長している。これらのグラフェン量子ドットは、グラフェンと量子ドット(QD)の利点を組み合わ
せ、様々な疾患の有望な治療および診断ツールとなることが期待されている。

さらに、光電子デバイスは、光エネルギーを電気エネルギーまたは電気エネルギーを光エネルギーに変
換。このようなエネルギー変換効率を高めるために、光電子デバイスに量子ドットを用いる技術が開発
され、数ナノメートル(nm)の直径を有する半導体ナノ粒子である量子ドットは、量子閉じ込めなどの
量子力学的特性を示す。このような量子ドットは光励起源からの光によって励起状態に入る際に、その
エネルギーバンドギャップに対応するエネルギーを自律的に放出する。エネルギーバンドギャップは量
子ドットのサイズを調節することによって制御できるので、その電気的/光学的特性もまた制御できる。
さて、発光素子、光電変換素子等に量子ドットが適応する。

一方、量子ドット間のエネルギー移動が容易になるよう量子ドットを密集できる。光電子デバイスの電
気的/光学的特性は、量子ドット間のエネルギー移動効率の向上に伴い改善され、エネルギー移動効率
向上に関する研究が進められている。しかし、量子ドットが密に配置されていても、エネルギー移動
のための接触面積が小さく、
エネルギー移動効率が向上することはない。したがって、量子ドット間の
エネルギー移動効率を高める方法が必要とされている。


❏ US 9755093 B2:光電子デバイス - グラフェン量子ドット及びその製造方法

【概要】


まずは、グラフェン量子ドットをシリカナノ粒子に結合させてエネルギー移動効率を増加させるための
シリカナノ粒子とグラフェン量子ドットのハイブリッド構造を利用した光電子素子及びその製造方法の
特許公開技術を参考掲載する。

韓国の共栄大学の研究グループは、米国で「シリカナノ粒子 - ハイブリッド構造を利用した「光電子デ
バイス - グラフェン量子ドット及びその製造方法」(US9755093B2)を米国で特許公開。それによると、
下図のようなシリカナノ粒子とグラフェン量子ドットとのハイブリッド構造――光電子素子が、グラフ
ェン量子ドット(GQDs)をシリカナノ粒子(SNPs)の表面に結合させることでエネルギー移動効率を向
上させた光電子素子及びその製造方法である。


 Sep. 5, 2017
【特許請求範囲】

  1. シリカナノ粒子(SNP)の表面に結合されたグラフェン量子ドット(GQD)を含むハイブリッド
    構造を有するエネルギー変換層と、エネルギー変換層の上部及び下部に形成された電極とを含む。
  2. 前記シリカナノ粒子は球形であり、前記グラフェン量子ドットは2次元平面形状を有し、前記球
    形の表面に結合していることを特徴とする請求項1に記載の光電子デバイス。
  3. 前記シリカナノ粒子は、前記グラフェン量子ドットとの結合のために表面処理されていることを
    特徴とする請求項1に記載の光電子素子。
  4. 基板上に第1電極を形成する段階と、前記第1電極上に第2電極を形成する段階と、前記第1電極上
    のシリカナノ粒子(SNP)の表面に結合されたシリカナノ粒子(SNP)とグラフェン量子ドット
    GQD)とのハイブリッド構造を有するエネルギー変換層を形成する段階と、前記エネルギー変
    換層上に第2電極を形成する段階とを含む。
  5. 前記エネルギー変換層を形成する段階は、前記シリカナノ粒子を製造する段階と、グラフェン量
    子ドットを製造する。シリカナノ粒子を表面処理する工程;グラフェン量子ドットを表面処理さ
    たシリカナノ粒子に結合させることを含む。
  6. 前記表面処理ステップは、前記シリカナノ粒子にNH 2リガンドを吸着させて前記シリカナノ粒子
    の表面を正に帯電させるステップと、NH 2リガンドが吸着されたシリカナノ粒子をHCl溶液と混
    合するステップと、 HCl溶液を濾過してシリカナノ粒子を乾燥させる段階とを含む。
  7. 前記バインディングは、脱イオン水に浸漬されたグラフェン量子ドットと前記表面処理されたシ
    リカナノ粒子とを混合し、前記アンモニウムイオン溶液と前記脱イオン水を混合した後、グラフ
    ェン量子ドットを前記表面に結合させることを特徴とする請求項5に記載の方法。超音波処理器
    を用いてシリカナノ粒子を除去する。

❏ US 9751766 B1:グラフェン量子ドットの一段階合成

【概要】 

ここでは、南フロリダ大学の研究グループの最新グラフェン量子ドットの合成技術特許公開を掲載する。
さて、
グラフェン量子ドットの合成のためにいくつかの方法が開発されているが、高エネルギーまたは
放射時間の必要性など、これらの方法にはまだ多くの欠点がある。これらの方法の出発材料は、まずグ
ラファイトから合成する必要がある酸化グラフェンであり、これらの方法は、収率の低いグラフェン量
子ドットを得るために長時間と複数の工程を要する。量子ドットを調製する方法は、MOCVD(金属有
機化学気相成長)またはMBE(分子線エピタキシー)のような気相成長プロセスを用いて試みられてい
る。中国特許出願第2013-10200476号では、フレーク状グラファイトを最初に粉砕してグラファイトナノ
粒子を製造し、低温で20時間硝酸でグラファイトナノ粒子を酸化し、乾燥させ、次いで450℃に加熱し

グラフェン量子ドットを製造する方法を記載しているが、単分散および狭いサイズ分布を有する高収率
のグラフェン量子ドットを生成できない。したがって、グラフェン量子ドット、特に単分散サイズ分布
を有する
小さなグラフェン量子ドットを製造する改良が必要である。

この方法は、単分散サイズ分布を有するグラフェン量子ドットが生成き、グラフェン量子ドットは、ワ
ンポット合成で、高温でグラフェン源と強酸化性混合物より生成。強酸化性混合物は、1種以上の過マ
ンガン酸塩および1種以上の酸化性酸を含む。典型的な過マンガン酸塩としては、過マンガン酸ナトリ
ウム、過マンガン酸カリウム、および過マンガン酸カルシウムが挙げられる。例示的な酸として、硝酸
および硫酸が挙げられる。グラフェン量子ドットは、約1nm〜20nmの平均粒子サイズおよび単分散サ
イズ分布を有す。例えば、サイズ分布は、約1以下のスパンでありまたは約0.5以下の分散係数を有し、
グラフェン量子ドットの約40%以上は、グラフェン量子ドットの平均粒径の±5nm以内の直径を有す。

 Sep. 5, 2017

【特許請求範囲】

  1. グラフェン量子ドット(GQD)の製造方法であって、グラフェン源と強酸化性混合物とを組み合
    わせて組み合わせを形成する工程と、 GQDの平均直径が2.0nm〜10.0nmであり、グラフェン
    源がグラファイト、カーボンブラック、およびこれらの混合物からなる群から選択される、請求
    項1に記載の方法で、それらの組み合わせからなる。
  2. 前記酸化混合物が、過マンガン酸カリウム、過マンガン酸アンモニウム、過マンガン酸カルシウ
    ム、過マンガン酸ナトリウムおよび過マンガン酸銀からなる群から選択される過マンガン酸塩を
    含む、請求項1に記載の方法。
  3. 前記強酸化性混合物が、ペルオキソ二硫酸ナトリウム、過硫酸ナトリウム、ペルオキシ二硫酸カ
    リウム、および過硫酸アンモニウムからなる群から選択される過硫酸塩を含む、請求項1に記載
    方法。
  4. 前記強酸化性混合物が、硝酸、過塩素酸、塩素酸、クロム酸、および硫酸からなる群から選択さ
    れる酸化性酸を含む、請求項1に記載の方法。
  5. 前記酸化混合物が、少なくとも1種の過マンガン酸塩および少なくとも1種の酸化性酸を含む、請
    求項1に記載の方法。
  6. 前記酸化混合物が、過マンガン酸カリウム、硝酸、および硫酸を含む、請求項1に記載の方法。
  7. 前記高温が100℃~200℃である請求項1に記載の方法。
  8. 前記GQDが単分散粒子分布を有する、請求項1に記載の方法。加熱が2時間以下の時間である請
    求項1に記載の方法
  9. 前記加熱が2時間以下の時間である、請求項1に記載の方法
  10. 前記強酸化性混合物が、1.0V~2.5Vの間の標準電極電位を有する1つ以上の酸化剤を含む、請求
    項1に記載の方法。
  11. グラフェン量子ドット(GQD)の製造方法であって、グラフェン源と強酸化性混合物とを組み合
    わせて組み合わせを形成するステップと、 GQDが単分散粒子分布を有し、グラフェン源が、グラ
    ファイト、カーボンブラック、およびそれらの組み合わせからなる群から選択される、請求項1
    に記載の方法。
  12. 前記酸化混合物が、過マンガン酸カリウム、過マンガン酸アンモニウム、過マンガン酸カルシウ
    ム、過マンガン酸ナトリウムおよび過マンガン酸銀からなる群から選択される過マンガン酸塩を
    含む、請求項11に記載の方法。
  13. 前記強酸化性混合物が、ペルオキソ硫酸ナトリウム、過硫酸ナトリウム、ペルオキシモノ硫酸カ
    リウムおよび過硫酸アンモニウムからなる群から選択される過硫酸塩を含む、請求項11に記載
    の方法。
  14. 前記強酸化性混合物が、硝酸、過塩素酸、塩素酸、クロム酸、および硫酸からなる群から選択さ
    れる酸化性酸を含む、請求項11
    に記載の方法。
  15. 前記酸化混合物が、少なくとも1種の過マンガン酸塩および少なくとも1種の酸化性酸を含む、
    請求項11に記載の方法。
  16. 前記酸化混合物が、過マンガン酸カリウム、硝酸、および硫酸を含む、請求項11に記載の方法。
  17. 前記上昇した温度は100℃~200℃である、請求項11に記載の方法。
  18. 加熱が2時間以下の時間である、請求項11に記載の方法。
  19. 前記強酸化性混合物が、1.0V~2.5Vとの間の標準電極電位を有する1つ以上の酸化剤を含む、請
    求項11に記載の方法。

  ● 今夜の一曲

 

   こんなに恋しくても
   届かない心がある
   こんなに苦しくても
   言えない言葉かおる
   ときめいてあこがれて
   聞こえない声で叫んでいる
   あなたに届けいつかいつの日か
   あなたに届けせめてそのかけらでも

   こんなに寒い朝も
   温かい恋かおる
   こんなに悲しくても
   □ずさ仁歌がある
   ひた仁きにひたすらに

   あなたを思う夢かおる
   あなたに届けいつか蒼空に
   あなたに届け歌よ伝えてよ
   あなたに届けいつかいつの日か
   あなたに届けせめてそのかけらでも

 

 

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水に始まり水に帰る

2017年09月08日 | 環境工学システム論

 

     

           襄公21年(‐553)~定公4年( -506)   /  中原休戦の時代  
                                                              

                               

        ※  賢人晏嬰(あいえい):晏嬰すなわち晏子は、斉の大夫弱の子。孔子をして
        「晏平仲はよく人と交わる。久しくしてしかもこれを敬せり」(『論語』公
        冶長)と嘆ぜしめた賢者の、これは青年時代のエピソード。晏子(晏嬰、宇
        は平仲)は、荘公が殺されたと聞くと、崔杼(さいちょ)の屋敷に駆けつけ、
        門の開かれるのを待っていた。

        「斬死なさるおつもりですか」と、従者がたずねた。
        「死ぬ? わたしが特別に引き立てられていたわけではない。死になどする
        ものか」
        「では、ほかの国に亡命なさるのですか」
        「いや、罪を犯したわけではない。逃げたりするものか」
        「では、お屋敷にお帰りになったらいかがです」
        「主君が亡くなられたのだ。このまま帰るわけにはいかぬ。思うに、君主た
        る者は、人民を苦しめたりせず、国家を治めることにつとめるべきだ。臣下
        たる者は、禄のためではなく、国家の繁栄のためにつくすべきだ。だから、
        君主が国家のために一命をおとし、あるいは他国に亡命したのならば、われ
        われも行をともにしなければならない。しかし、君主が自分のために一命を
        おとし、あるいは亡命したのならば、特別な側近でもなければいちいち義
        理を立てることはないはずだ。まして、主君を殺しだのは、このわたしでは
        なく、別の人間だ。死ぬの逃げるのとさわぐにはおよばない。そうかといっ
        てここに来ないわけにもいかないのだ」

        やがて門が聞かれた。晏子は中に入ると、荘公の遺体をひざに抱きよせ、号
        泣した。しばらくして立ち上り、三度、手足の動作で哀悼の意を哀して、屋
        敷をあとにした。
        「あの男は、いまのうちに殺しておくべきです」と、崔杼に進言する者があ
        った。しかし、崔杼は、「いや、あの男には人望がある。生かしておいて、
        利用した方がよい」と言って、晏子を殺そうとはしなかった。

   賢人晏嬰

 

 

  

 

高橋洋一 著 『戦後経済史は嘘ばかり』  

     序章 経済の歩みを正しく知らねば、未来は見通せない

            第1節 「ウソの経済常識」を信じ込んでいませんか?
  
       (1)高度成長は通産省の指導のおかげ
       
(2)1ドル=360円時代は為替に介入していない
       (3)狂乱物価の原因は石油ショックだった
       (4)「フラザ合意」以降、アメリカの圧力で政府が円高誘導するようになった
       (5)バブル期はものすごいインフレ状態だった

           ☑ 高度成長は通産省の指導のおかげ ?                ➲  ✕
           ☑  1ドル=360円時代は為替に介入していない ?    ➲  ✕
           ☑ 「フラザ合意」以降、アメリカの圧力で政府が
               円高誘導するようになった              ➲  ✕
          

        ☑  バブル期はものすごいインフレ状態だった   ➲  ✕

           第2節 「間違った経済常識」が生んだ「失われた二十年」

     しかも、もっとひどいことには、一般の人々だけでなく、政策担当者レベルの人まで
    間違った常識に縛られていることが、日本ではけっこうあるのです。政策担当者が「間
    違った経済常識」を持っている場合には、国民全体がデメリットを受けてしまいます。
    それが実際に起こってしまったのが、「バブルについての認識の誤り」と、その後の
    「失われた二十年」です。
      前述したように、バブル期の物価を見ると、実は、インフレ率は健全な範囲内に収
        っていました。バブル期はものすごいインフレ状態だったと思っている人が多いので

    が、それは誤った認識です。バブル期に異様に高騰していたのは、株価と土地価格だ

    です。バブル期は、「資産バブル」の状態にあったのであり、一般物価は健全な状態

    ったのです,

     ところが、日銀はバブルの状況分析、原因分析を正しくできず、政策金利(当時は公
    定歩合)を引き上げて金融引き締めをしてしまいました。第5章で説明するように、資
    産バブルを生んでいた原因は、金融面ではなく、法の不備をついた「営業持金」や「
    地転がし」などによる株や土地などの資産の回転率の高さだったのですが、日銀は原因
    分析を間違えて、利上げという策をとりました。
     回転率の高さによって起こった「資産バブル」に対しては、利上げは効果を持ちませ
    ん。日銀の利上げは資産バブルの対策としては役に立ちませんでした。

     一方で、このトンチンカンな利上げによって叩き潰されたのが、健全な一般物価でし
    た。以降、日本は深刻なデフレが進み、「失われた二十年」を経験することになったの
    です。
     私はアメリカ留学中に、のちにFRB(連邦準備制度理事会)議長を務めたベン・
    バーナンキ氏(当時プリンストン大学教授)の教えを受けました。彼によれば、「資産
    価格と一般物価を分けて考えるべき」で、「資産価格が一般物価に影響しそうな場合を
    除いて、一般物価が上昇していなければ、資産価格が上昇していても金融引き締めをす
    るのはセオリーに反している」とのことでした。しかし、日銀はセオリーに反してバブ
    ル退治のために金融引き締めをしてしまいました, 

 
 

     この件に関しては、日銀だけを責めるわけにはいきません。マスコミは公定歩合を引
    き上げた当時の三重野康日銀総裁のことを、バブルを退治した「平成の鬼平」と呼んで、
    さかんに持ち上げました。マスコミも含めて多くの人がフ、ハブルだから物価が上がっ
    ている。だから日銀が金融を引き締めたのは正しいことだ」という思い込みを持ってい
    たのです,
     しかも、この間違った認識はその後もずっと修正されることはなく、日銀は現状維持
    の金融引き締めを続けて長期のデフレを生んでしまいました。
     なぜ日本は「失われた二十年」を経験することになったのか。それを理解するには、
    バブル期についての誤解を解く必要があります。長期不況のつまずきの始まりは、バブ
    ルについての認識の間違いです。間違った経済常識は、悲劇的な結果をもたらすので
    す。このことは、決して忘れてはいけません。


  

                   第3節 なぜ「予測」が当たるのか?

     私はいろいろな人から「今の状況についてどう見ているか話を聞きたい」と声をかけ
    ていただきます。そのときに必ずいわれることはフ賄橋さんは予測が当たるから」とい
    うことです。もちろん、私の予測がすべて当たるわけではありません。外れることもあ
    ります。しかし、打率は良いほうだと自分でも思っています。
     なぜ当たるのかというと、恣意的な見方をせずに、原則に基づいて数値で分析してい
    るからです,過去のデータから数学的なモデルをつくって、それに当てはめているので、
    当たりやすいのです。外れた場合には、自分のモデルや係数が間違っていたと考えて、
    モデル式を修正します。そうして少しずつ修正していくので、打率が高くなっているの
    でしょう。 私は経済の専門家のように思われていますが、本当は経済の専門家という
    よりも、「データ分析」の専門家です。私はもともと数学科出身の理系人間です。大蔵
    省の官僚をしていたことから経済の専門家と思われていますが、経済以外の様々な事象
    を「データ分析」の対象としています。

     安全保障法制整備のときには、戦争のリスクについてデータ分析をして発表したとこ
    ろ、「こんなデータは初めて見た」とよくいわれました。
     古代から幾多の戦争が行われてきているため、戦争のデータそのものは多数存在して
    いて、インターネット上でも公表されています。そうした既存のデータをもとに戦争の
    確率を分析したのです。1つか2つのデータしかないと分析できませんが、戦争は繰り
    返し起こっていてデータが豊富なので定量分析が可能です。
    「安保法制整備で戦争リスクが減る」という定量分析を語った人間は私しかいなかった
    ようで、かなり驚かれました。

     実は私は、韓国でMERS(中東呼吸器症候群)が流行したときに、かなり初期の段
    階でMERSの累積感染者数と累積死亡音数の予測値を出しています。私の予測では累
    積感染者数は185人でしたが、結果は186人でした。累積死亡者数は私の予測では
    32人
で、実際には36人でした。
     この予測に驚いた韓国の関係会社から依頼がたくさん来ました。私は医者ではありま
    せんが、「ぜひアドバイスをしてほしい」との要請を受けて、終息予測を伝えました。
    ビジネスをしている人にとっては、先の予測はとても重要です。韓国国民は「どんどん
    拡大するのではないか」と八二ック状態のようになっていましたが、私の予測をもとに
    対応した人たちは、終息を見越した準備をしていました,
                              
     しかし、私は何も特別なことをしたわけではありません。疫学の伝播モデルというも
    のがあり、それにデータを当てはめて予測しただけです。
     経済でも医療でも軍事でも、モデル化してデータ処理をすれば予測が可能です。統計
    手法はどれも同じで、分析の対象を変えるだけです。客観的に分析しているために当た
    りやすいのです。
     経済学者の中には、自分の理論にこだわって、現実が理論と追っていたときに、理論
    を修正せずに、「現実のほうが間違っている」と考える人が少なくおりません。「これ
    は、例外的なことだ」とか「特殊要因があったからだ」といった理屈で、自分の理論を
    守り抜こうとします。それでは現実との乖離がどんどん大きくなって、当たる確率は
    っていきます。(後略)
 

       第4節 状況分析は「べきだ」ではなく「はずだ」の視点で行う

     文系の人の中には、状況を分析するときに「べきだ」という発想を持ち込む人がたく
    さんいます。「べきだ」というのは、その人の価値判断が入っていますので、状況を正
    しく認識できなくなります。
     理系の人は、状況を分析するときには「はずだ」という論理を用います。まず、「理
    論に基づくとこうなるはずだ」と見て、検証、分析し、理論が当てはまらない場合に
    は、さらに分析して理論を修正したりします。
    「べきだ」と見ている人は、自分の理論と現実が違っているときに、現実のほうを否定
    して自分の理論を守ろうとする傾向があります。先ほど挙げた経済学者の例は、まさに
    これでしょう。そうするとファクトを正しく見られなくなっていきます。歴史を振り返
    るときも、「ベきだ」で歴史を見ていくと、歴史のファクトを見誤ります。(後略)


    第1章 「奇跡の成長」の出発点見るウソの数々
       

           第1節 どうして日本は敗戦直後の廃墟から立ち上がれたのか

     よく、「日本は敗戦直後の廃墟から雄々しく立ち上がって、奇跡の高度成長を果たし
    た」といわれます。それは事実としてまったく問追っていません。
     敗戦直後の日本が、どのような状況にあったかを知れば、それはよくわかります。1
    946
年の鉱工業生産は、戦前水準(1930~1936年平均)の約30%、農業生
    産
は同じく約60%に落ち込んでいました。国富の被害率で見ると、工業用機械器具は
    34%
強、船舶は80%強が失われるという状況です。敗戦直後のGHQ(連合国軍最高
    司令官
総司令部)による物資輸入統制もあって、材ストックはどんどん減り、需要に
    対して
生産は追いつかず、「悪性インフレ」と呼ばれるような状況に陥っていきます
     問題は、この窮状から日本が立ち上がった要因の大きなものは何だったのか、です。
     一般的には、GHOぶ農地改革、財閥解体と集中排除、労働民主化などの「経済の民
    主化」を行ったことが成長の基盤になったと考えられています。

     さらに、悪性インフレの最大の要因である「生産の絶対的不足」に手を打つために
    「傾斜生産方式」がとられたことも効果的だった、という人も多くいます。
     傾斜生産方式とは、「GHQによって輸入が解禁された石油を鉄鋼生産に傾斜配分
    し、その結果、増産された鋼材を炭坑へ傾斜配分し、もって増産された石炭を鉄鋼へ傾
    斜配分し、鉄鋼をさらに増産させていこう」という考え方です。このために、復興金融
    憐(復金偵)を発行し、その資金を重点的に石炭鉱業に融資する手立てがとられまし
    た。この復金偵の大半は日本銀行(日銀)が買い取っています(日銀引き受け)。そし
    て、このような傾斜生産方式を推し進めたのが、1946年8月に設立された「経済安
    定本部(安本)」でした,

     社会の教科書などでは、これが功を奏して1947年度、1948年度は鉱工業生産
    も急速に回復したけれども、復金偵の発行などがインフレ体質を強め、政府の補助金や
    海外からの援助に頼り切った脆弱な経済体質になってしまった、とされています。
     そこで、トルーマン大統領の求めに応じて、デトロイト銀行頭取のジョセフ・ドッジ
    が来日します。「日本の経済は両足を地につけておらず、竹馬に乗っているようなもの
    だ。竹馬の片足は米国の援助、他方は国内的な補助金の機構である。竹馬の足をあまり
    高くしすぎると転んで首を折る危険かおる」と述べたドッジの提言に基づき、「超緊縮
    予算、復金偵の停止、自由競争の促進」などの「ドッジ・ライン」と呼ばれる経済安定
    策が推進されることになります。
     これによって物価は安定に向かったものの、国民の消費は抑制され、産業界への資金
    供給も細ってきたために「安定恐慌」と呼ばれる様相を呈し始めますが、そこで朝鮮戦
    争が勃発して、日本経済は息を吹き返す――というのが、一般的な「常識」となってい
    
る終戦直後の経済史の流れでしょう。
    

         第2節 教科書にも出てくる「傾斜生産方式」はまるで効果がなかった

      この戦後経済の常識は、どれほど正しいのでしょうか。
     まず、正しておくべき最も大きな誤解は、「政府が戦後の産業発展を主導してきた」
    という見方です。その代表例が、終戦直後の「傾斜生産方式」です。
     先ほど、「傾斜生産方式」を主導したのは経済安定本部(安本)だと書きました。第
    一次吉田政権(1946年5月~1947年5月)時に設立された「安本」は、「泣く
    
子も黙る安本」といわれたスーパー経済官庁でした。のちに経済企画庁(経企庁)に
    っていきますが、このころの安本は、物価、賃金、物流、貿易などあらゆる経済活動

    統制していました。そして、1947年から傾斜生産方式を採用しています。

     「傾斜生産方式」のねらいは、先ほど説明したように、資材と資金を石炭・鉄鋼など
    の
重要産業部門に集中的に投入して、石炭と鉄鋼の生産を相互循環的に上昇させようと
    い
うものでした。しかし実は、現在、まともなエコノミストの中で、傾斜生産方式で戦
    後
の経済が良くなったと考えている人は、まず、いません。傾斜生産方式が一定の役割
    を
果たしたことは確かですが、それは「アメリカからうまく援助を引き出すことができ
    た」という点だと評価されているのです,

     経済安定本部の流れを受けている経済企画庁出身のエコノミストたちが、過去のデー
    タを分析していくつも論文を書いています。事実を知るには、それらの分析が参考にな
    ると思います,
     経企庁出身で政策研究大学院大学教授などを務めた天来洋一氏らは「傾斜生産方式は
    成功だったのか」(2006年11月)という論文を書いています。
     この論文の中でデータ分析が行われていますが、結論としては、「1947年の連い
    時期からの生産の回復は傾斜生産方式の成功を示すものではなく、占領軍、アメリカの
    援助が効果的であったことを示すものである」としています。そのうえで「日本政府が
    傾斜生産方式を打ち出しだのはそれが生産回復の決め手となると考えたからよりも、こ
    れによって占領軍からの原材料の援助を引き出すことができると考えたからであり、そ
    の意味では見事に成功していた」としているのです。
     この視点は天来氏のみのものでなく、大半のエコノミストが同意しています。
     天来氏の論文の中では、同じく経企庁出身で日本経済研究センター会長を務めた香西
    泰氏の論文が引用されています。香西氏は「占領軍が日本経済の危機を認め、重油、原
    料炭、鉄鉱石等の基礎材料の輸入・放出に踏みきったことによるところが大きい」「こ
    の意味では傾斜生産の貢献をそれほど高く評価すべきではないかもしれない」としてい
    ます。

     当時の政府の担当者たちも「物資を引き出すためのものだった」と認めています。ア
    メリカから物資を引き出すための説得材料として「傾斜生産方式」というものを待ち出     
    したのです。

オランダはチューリップに始まる「南海バブル」のごとく、泡沫は弾け消えるが、問題はそのときのリ
スクの最小化であるとわたし(たち)は考えバブルを踊っていた。当時、社会生態学者のピーター・ド
ラッカーは、敵対的貿易関係――いわく、敵対的貿易が双方にとって利益になることは考えられない。
たし
かに韓国の光学機器メーカーの攻撃をうけたアメリカのメーカーが、攻撃に耐えて生き残ることが
できれば、競
争力は強化されたことになる。その場合、競争は双方にとって利益があったことになる。
しかし、敵対的貿易は
競争相手を生き残らせず、市場から完全に駆逐しようとする。しかも、攻撃側の
国の市場が輸入品に対して閉
鎖され、あるいは少なくとも厳しく制限されていたならば、攻撃を受け
た国の方は攻撃を仕返すことも出来ない
。したがって、敵対的貿易の攻撃を受けた側には勝つ可能性が
ない。すべてを失わないことで精一杯となる。
このように敵対的貿易は伝統的な仮定をくつがえす。も
ちろん、自国経済を外界から切り離す保護貿易主義が
答えとはならない。産業の競争力をさらに低下さ
せるだけである。しかし、自由貿易主義も答えとはならない――
と日本を名指し批判するほど米国窮地
に立たされていた。日本では「土地本位制時代を謳歌する」出版物がミスリードし踊っていた時代でも
あった。


                                        この項つづく

 No.63
 

  

【ZW倶楽部とRE100倶楽部の提携 Ⅷ】 

長い間、最新エネルギー工学のリサーチを続けていると環境工学全般から「水」に関わる工学リサーチ
が抜けていたことに気付く。勿論、エネルギー関連で言えば水力発電や海水淡水化や排液・排水の無毒
化/有価物質改修/浄化など次世代技術の研究開発や事業化も大きなテーマであり、「水に始まり水に
帰る」と、頃合いを見てテーマ・アップしようと決める。さてそれはさておき、今回は韓国は、明知大
学らの研究グループの「リチウム吸着複合ナノファイバー膜、その製造方法およびこれを用いたリチウ
ム回収装置」の特許公開技術を取り上げ、リチウム電池原料のリチウム回収技術を掲載する。

❏ US 97545644B2 
Composite nanofiber membrane for adsorbing lithium, method of manufacturing the same
     apparatus and method for recovering lithium using the same 
リチウム吸着複合ナノファイバー膜、その製造方法およびこれを用いたリチウム回収装置

【概要】

リチウムの吸着のための複合ナノ繊維膜及びその製造方法、並びにこれを用いたリチウム回収装置及び
方法を
開示。リチウムの吸着のための複合ナノファイバー膜は、リチウムを選択的に吸着する酸化マン
ガンで固定。リ
チウム吸着用複合ナノファイバー膜は、リチウムイオンに対して高い選択性を示し、吸
着剤の間隙を介しリチウ
ムイオンを迅速かつ容易に拡散できる。特に、リチウム吸着複合ナノ繊維膜を
用いたリチウム回収装置は、短時
間で選択的に海水中に溶存しているリチウムイオンを吸着でき、吸着
工程に要する時間を短縮できる(詳細は下図ダブクリ参照)。

 Aug. 29, 2017 

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エネルギー革命ど真ん中

2017年09月06日 | デジタル革命渦論

 

     

           襄公21年(‐553)~定公4年( -506)   /  中原休戦の時代  
                                                              

                               

        ※  荘公暗殺:この年の五月、莒(きょ)の君主が斉に挨拶に来た。且于の役※に
        ついて、斉の了解を求めるためである。斉では、甲戌の日、都の北部で歓迎の
        宴を張ったが、崔杼は病気と称して列縦しなかった。その翌日、乙亥の日、荘
        公は病気見舞いにかこつけて視家を訪問したが、崔家に着くとまっすぐ崔姜の
        部屋へ向った。崔姜は奥に逃げこみ、夫といっしょに横の戸口から外に抜け出
        した。それとも知らぬ荘公は、柱を叩いて歌をうたい、崔姜に合図をしている。
        荘公のお供をして来た賈挙(かいきょ)、ほかの従特たち外に残して、自分だ
        け屋敷の中に入ると、出入口を残らず閉めた。突如、武装した兵士の一群が現
        われ、荘公の周囲をとりかこんだ。肝をつぶした荘公は、台の上に駆けあがっ
        て、「見のがしてくれ」と頼んだが、兵士たちはききいれない。「何でも約束
        するから」と言ったが、やはりききいれようとしない。最後に荘公は、せめて
        先祖の廟で自刃させてくれるようにと頼んだが、兵士たちはかぷりをふり、口
        々に言った。

        「殿の崔杼は、ただいま病気中、じきじきに御用を承ることはできません。わ
        たくしどもは、あるじ崔杼屋敷の警戒に当たるもの、不義者を見つけ次第成敗
        せよとの命令を受けております。あるじの命令以外、誰の命令も受けません」
        荘公は、塀にとびついて逃げようと必死になった。その背後から矢が飛ぶ。矢
        は股につきささり、荘公はのけぞって地面に落ちた。兵士たちは、すかさずと
        どめをさした。荘公の直属の臣下たちは、荘公のためにたたかい次々と死を遂
        げた。貿挙(前出の人物とは同名異人)、州綽(しゅしゃく)邴師(へいし)、
        公孫敖(こうそんごう)、封具、鐸父(たくほ)、襄伊、僂堙(ろういん)、
        この八人は崔杼の邸内で討死した。

        祝侘父は、高唐にある別廟の祭典に出張していたが、帰って復命をすませると、
        弁の服(祭典用の服)を着たまま、崔杼のに駆けつけ討死を遂げた。申蒯(し
        んかい)は漁業税担当の役人であったが、知らせを聞いて家に馳せ帰ると、執
        事を呼んだ。「家内と子供を連れてすぐ逃げてくれ。わたしは主君のために死
        ぬ覚悟だ」だが、執事は、「ここで逃げたのでは、臣下として面目が立ちませ
        ん」と同行を申し出、主従ともども討死を遂げた。そのほか、平陰の代官鬷蔑
        (そうべつ)もその領地で崔杼に殺された。

      ※ 〈且于の役〉 二年前、莒は斉をむかえ討ち、斉の大夫杞梁を殺した。

 

 

 No.62

 【エネルギータイリング事業篇】 

● 最新サーマルタイル技術事例:特開2017-135968  熱電発電装置

【概要】

ゼーベック効果により熱エネルギを電力エネルギに変換する熱電発電装置に関する。特開2015−57547号公報の排熱
活用システムは、排気ガスがバイパスされるバイパス通路と、排気管の外部に付着される熱電変換素子と、内部に
排気ガスが通過して冷却水を加熱させる第1排気ガス通路と、第1排気ガス通路を開閉する第1バルブと、を備え
る。さらにこのシステムは、排気管の内周面とバイパス通路の外周面との間に設けられる第2排気ガス通路と、バ
イパス通路の後端に配されてバイパス通路を開閉する第2バルブと、を備える。


このシステムでは、車両の過負荷走行時に、第1バルブは第1排気ガス通路を閉鎖し、第2バルブはバイパス通路
を開放する。排気ガスは、第2排気ガス通路に少量流動し、バイパス通路に大半が流動する。このように排気ガス
は、大半がバイパス通路に流動して、熱電変換素子をバイパスするようになる。
に開示の装置は、熱電変換素子の
劣化を抑制するために、高温流体からの熱利用を制限するバルブ等の構成を備えている。一方で、高温流体からの
熱利用を制限すると、高負荷時の排熱利用が不十分になり、熱回収性能や発電性能が低下するという問題がある。

このような課題に鑑み、この明細書における開示の目的は、熱回収性能と発電性能とを両立でき、さらに熱による
熱電変換素子の劣化を抑制できる熱電発電装置を提供にある。

すなわち、熱回収性能と発電性能とを両立でき、熱による熱電変換素子の劣化を抑制できる熱電発電装置を提供に
当たって、熱電発電装置100は、内部に第1流体が流れる管7と、内部に熱電変換素子2を有する発電モジュー
ル1と、を備える。熱電発電装置100は、第1流体よりも高温の第2流体の熱が発電モジュール1の一方側部に
熱移動するように発電モジュール1の一方側部に接触する第1保持部材3、第2保持部材4を備える。第1保持部
材3、第2保持部材4は、管7が発電モジュール1の他方側部に接触するように発電モジュール1と管とを熱移動
可能な状態に保持する。熱電発電装置100は、保持部材と管7とに挟まれて第2流体から第1流体へ熱が移動す
る熱移動経路を構成し、第2流体の流れ方向について熱電変換素子2よりも上流に設けられる熱伝導部材6を備え
てなる(下図1参照)。

【符号の説明】

1 発電モジュール  2 発電変換素子 3,103 第1保持部材(保持部材)  4,104 第2保持部材
(保持部材)  6 熱伝導部材  7 管
   

【図面の簡単な説明】

【図1】第1実施形態の熱電発電装置の一部を示す斜視図
【図2】熱電発電装置を示す斜視図
【図3】図2の矢印III方向にみた熱電発電装置を示す平面図
【図4】図3の矢印IV方向にみた熱電発電装置を示す側面図
【図5】発電モジュールよりも高温流体流れの上流側に位置する熱伝導部材を示す部分拡大図
【図6】熱電発電装置において、高温流体流れ方向位置と温度との関係を説明するためのグラフ
【図7】第2実施形態に係る熱伝導部材を示す断面図 

【特許請求の範囲】

  1. 内部に第1流体が流れる管(7)と、 内部に熱電変換素子(2)を有する発電モジュール(1)と前記
    第1流体よりも
    高温である第2流体の熱が前記発電モジュールの一方側部に熱移動するように前記発電モ
    ジュールの一方側部
    に直接または間接的に接触する保持部材であって、前記管が前記発電モジュールの他
    方側部に直接または間接
    的に接触するように前記発電モジュールと前記管とを熱移動可能な状態に保持す
    る保持部材(3,4;103,104)と
    熱伝導性を有し前記保持部材と前記管とに挟まれて前記第2流
    体から前記第1流体へ熱が移動する熱移動経路
    を構成する熱伝導部材(6)と、を備え、前記熱伝導部材
    は前記第2流体の流れ方向について前記熱電変換素子
    よりも上流で前記保持部材と前記管とに挟まれる熱
    電発電装
    置。
  2. 前記保持部材は第1保持部材(3;103)と第2保持部材(4;104)とを含んで構成され、前記第1保持部材と前記
    第2保持部材は、前記管の一方側において前記第2流体の流れ方向に順に並ぶ前記熱伝導部材および前記発電
    モジュールと、前記管と、前記管の他方側において前記第2流体の流れ方向に順に並ぶ前記熱伝導部材および前
    記発電モジュールと、を積層して形成される積層体を挟む保持力を提供する請求項1に記載の熱電発電装置。
  3. 前記保持部材(103,104)は、前記発電モジュールの前記一方側部に直接または間接的に接触する部位の表面
    と前記熱伝導部材に直接または間接的に接触する部位の表面とにおいて、母材(103a,104a)よりも熱伝導率が
    高い材質が被覆されている請求項1または請求項2に記載の熱電発電装置。
  4. 前記保持部材は、前記母材と、前記発電モジュールの前記一方側部および前記熱伝導部材に直接または間接的
    に接触する部位の表面に接合された、前記母材よりも熱伝導率が高い高熱伝導性材(9)とを備えるクラッド材で形
    成されている請求項3に記載の熱電発電装置。
  5. 伝熱伝導部材はグラファイトシートを介して前記保持部材に接触している請求項1から4のいずれか一項に記載の
    熱電発電装置。
  6. 前記熱伝導部材は熱伝導性を有するグリスを介して前記保持部材に接触している請求項1から4のいずれか一項
    に記載の熱電発電装置。
  7. 前記熱伝導部材はグラファイトシートを介して前記保持部材および前記管に接触している請求項1から4のいずれ
    か一項に記載の熱電発電装置。
  8. 前記熱伝導部材と前記管は、一体に形成された一つの部材である請求項1から6のいずれか一項に記載の熱電発
    電装置。

 ● 最新サーマルタイル技術事例:特開2017-153194  発電素子

【概要】

従来の熱電発電素子は、2種類の異なる金属又は半導体の両端に生じる温度勾配に比例して出力電圧が大きく変動
するという欠点がある。そのため、例えば、熱源が100℃以下といったような場合は、温度勾配も小さくなるの
で、大きな電流を発生させることが難しかった。また、光起電力効果を利用し、光エネルギーを直接電力に変換す
るものであり、光電池とも呼ばれる。この太陽光発電素子は、一般的な一次電池や二次電池のように電力を蓄える
蓄電池ではなく、光起電力効果によって光を電力に変換して出力する発電機であり、シリコン太陽電池、化合物半
導体型太陽電池、有機薄膜型太陽電池等が知られている。しかし、太陽光発電素子は、太陽光の光エネルギーを電
力に変換するという性質上、曇りの日や夜間など、日射量が減少する際は、発電効率が落ちてしまうという問題が
ある。すなわち、本発明は、温度勾配や、太陽光を利用するものではない、従来の発電素子とは異なる新しい発電
素子であって、温度変化による電圧の変化が少なく、例えば、100℃以下といったような温度においても、高い
出力電圧及び出力電流を発生させることが可能な発電素子を提供することを目的とする。

本発明は、正極と負極との間に、振動エネルギーを赤外線に変換し放射する発電補助材料(A)と、半導体材料
(B)と、荷電子帯の上端のエネルギー準位が半導体材料(B)の荷電子帯の上端のエネルギー準位より高く、か
つ、伝導帯の下端のエネルギー準位が半導体材料(B)の伝導帯の下端のエネルギー準位よりも高い半導体材料(
C)とを含む発電層を有する発電素子に関する。

本発明の発電素子によれば、発電補助材料(A)が存在することにより、分子の振動エネルギー(熱エネルギー)
を、半導体材料(B)及び半導体材料(C)のエネルギー準位の差を利用して電気エネルギーに変換することがで
きる。本発明の発電素子は、例えば、100℃以下の比較的低い温度帯においても、高い出力電圧及び出力電流を
発生でき、従来の発電素子とは異なる新しい発電素子を提供する。


【符号の説明】

1 発電素子  2 正極(正極板)3 ホール輸送層 4 発電層 5  負極(負極板)6 ヒーター 7 断熱材 
8  温度調節器 9 温度センサ 10  抵抗負荷 11  スイッチ 12  電圧計 13  電流計

【図1】本発明に係る発電素子の一例を示す模式的な構成図
【図2】本発明に係る発電素子の出力電圧及び出力電流を測定する試験装置の概略構成図


【特許請求の範囲】

  1. 正極と負極との間に、発電補助材料(A)と、半導体材料(B)と、荷電子帯の上端のエネルギー準位が半
    導体材料(B)の荷電子帯の上端のエネルギー準位より高く、かつ、伝導帯の下端のエネルギー準位が半導
    体材料(B)の伝導帯の下端のエネルギー準位よりも高い半導体材料(C)とを含む発電層を有する発電素
    子。
  2. 半導体材料(B)の荷電子帯の上端と、半導体材料(C)の荷電子帯の上端とのエネルギー差が2.0eV
    以下である、又は、半導体材料(B)の伝導帯の下端と、半導体材料(C)の伝導帯の下端とのエネルギー
    差が2.0eV以下である、請求項1に記載の発電素子。
  3. 発電補助材料(A)が、二酸化ケイ素、シリコーン、カーボン、及びフェライトからなる群より選ばれる少
    なくとも1種以上の材料を含む、請求項1又は2に記載の発電素子。
  4. 半導体材料(B)が二酸化スズである、請求項1~3のいずれかに記載の発電素子。
  5. 半導体材料(C)が、酸化チタン、酸化ジルコニウム、酸化ニオブ、酸化タンタル、酸化モリブデン、酸化
    タングステン、及び酸化亜鉛からなる群より選ばれる少なくとも1種以上の材料を含む、請求項1~4のい
    ずれかに記載の発電素子。
  6. さらに、正極と発電層との間に、ホール輸送層を有する、請求項1~5のいずれかに記載の発電素子。
  7. ホール輸送層が、p型導電性高分子または酸化モリブデンを含む、請求項6に記載の発電素子。
  8. さらに、負極と発電層との間に、電子輸送層を有する、請求項1~7のいずれかに記載の発電素子。
  9. 電子輸送層が、酸化アルミニウム薄層、フッ化リチウム層、又は酸化スズ層である、請求項8に記載の発電
    素子。

【実施例1】

五塩化ニオブ(純正化学株式会社製)25質量部をエタノール200質量部に溶解させた。次に、該五塩化ニオブ
・エタノール溶液2.5質量部と、二酸化ケイ素の20%水分散体(日産化学工業株式会社製、「ST-O-40」、
平均粒径40nm)10質量部と、二酸化スズの20%水分散体(ユニチカ株式会社製、酸化スズゾル「AS20
I」、平均粒径7nm)1.5質量部とを、混合し撹拌した。該混合水分散体中で、五塩化ニオブは加水分解され、
酸化ニオブとなった。次に、得られた二酸化ケイ素粒子、酸化ニオブ粒子、及び二酸化スズ粒子を含む混合水分散
体から、固形分を分離した。得られた固形分を十分に洗浄した後、100℃で乾燥させることで、二酸化ケイ素粒
子、酸化ニオブ粒子、及び二酸化スズ粒子からなる実施例1の混合粉末を得た。混合水分散体における二酸化ケイ
素の20%水分散体、五塩化ニオブ・エタノール溶液、及び二酸化スズの20%水分散体の混合割合、及び混合粉
末における各成分の含有率を、表1に示す。

【実施例2~5】

混合水分散体における混合割合を表1に示すように変更したこと以外は、実施例1と同様の方法を用いて、実施例
2~5の混合粉末を得た。混合粉末における各成分の含有率を、表1に示す。

 

発電素子を以下のように作製した。先ず、平板状の銅部材を正極2として準備した。次いで、平板状のアルミニウ
ム部材を負極5として準備し、アルミニウム部材上に1.8cm×1.5cmの窓を開けた厚さ0.8mmの両面
テープを貼り付けた。両面テープの窓に、実施例1で得られた二酸化ケイ素粒子(平均粒径:40nm)、酸化ニ
オブ粒子、及び二酸化スズ粒子(平均粒径:7nm)からなる混合粉末を充填し、発電層4を形成した。発電層4
の厚さは、両面テープの厚さと同じく、0.8mmである。最後に、上記の正極2を両面テープ上に積層させ、発
電素子を得た。実施例2~5で得られた混合粉末についても、同様の方法を用いて、発電素子を作製した。

[評価]

図2に示す試験装置を用いて、上記のようにして得られた発電素子の出力電流及び出力電圧を測定した。図2に示
す試験装置では、負極5、抵抗負荷10、スイッチ11、電流計13、正極2を、この順でリード線によって接続
し、回路を形成している。また、この回路に抵抗負荷10の両端の電圧を測定できるように電圧計12が接続され
ている。また、温度調節器8によって温度調節が可能なヒーター6上に、負極5が下側に、正極2が上側になるよ
うにして、発電素子1が設置されている。また、ヒーター6上の発電素子1が設置されていない部分には、温度セ
ンサ9が設置されており、ヒーター6の温度が測定できる。断熱材7は、正極2とヒーター6とを上下から挟み込
むように、対向して設置されている。なお、抵抗負荷10の抵抗は、1kΩ、10kΩ、100kΩ、又は∞に変
化させて測定した。電流計13及び電圧計12は、FLUKE社製のデジタルマルチメーター  8808Aを用い
た。また、Z、Cp、L、tanδは、日置電機株式会社製のLCRハイテスタ3532-50を用いて測定した。
測定は、ヒーター6の温度を29℃(室温)、また
は100℃に変化させて行った。測定結果を表2に示す。



※ 正極、負極:正極2及び負極5は、導電性材料であり、正極2の仕事関数が負極5の仕事関数と同じか高い
材料を用
いる。正極2の仕事関数が負極5の仕事関数より高いことが好ましい。正極2としては、特に限定され
ないが、例えば、イ
ンジウム錫酸化物(ITO)等の導電性酸化物材料、炭素材料、銅、銅合金、SUS430
等のステンレス鋼、錫めっき銅、白
金、金、又はタングステンもしくはその酸化物などを用いることができる。
正極2の材料は、仕事関数を考慮して決定する
ことができ、負極5の材料の仕事関数よりも高いことが好ましい。
例えば、負極5にアルミニウムを用いた場合、正極2の材料としては、負極5の材料より仕事関数が高く、安価
に入手できるという観点から、インジウム錫酸化物、銅、又は炭素材料が好ましい。負極5にインジウム錫酸化
物を用いた場合は、正極2の材料としては、負極5の材料より仕事関数が高いという観点から、白金、金、また
はタングステンもしくはその酸化物が好ましい。また、正極2の材料は他の金属にコーティングした形で用いて
もよい。


負極5としては、特に限定されないが、例えば、アルミニウム、アルミニウム合金、Mg-Alなどのマグネシ
ウム合金、銀、または亜鉛などを用いることができる。負極5の材料は、仕事関数を考慮して決定することがで
き、正極2の材料の仕事関数よりも低いことが好ましい。例えば、正極2に銅又は炭素材料を用いた場合、負極
5の材料としては、正極2の材料より仕事関数が低く、安価に入手できるという観点から、アルミニウム、また
は亜鉛が好ましい。正極2に白金または金を用いた場合は、負極5の材料としては、インジウム錫酸化物が好ま
しい。また、負極5の材料は他の金属にコーティングした形で用いてもよい。


 正極2及び負極5の形状は特に限定されず、発電素子1の形状に応じた形状に加工することができる。例えば、
発電素子1が、平面配置型用の発電素子1である場合には、正極2と負極5が対向して配置され、正極2と負極
5の間にホール輸送層3及び発電層4が設けられる。
なお、この平面配置型の発電素子1は、複数の発電素子1
の正極2と負極5とを順次、直列に接続することで直列配置型の発電素子複合体にする、或いは、複数の発電素
子1の正極2と負極5とを順次、並列に接続することで並列配置型の発電素子複合体にすることができる。

※ ホール輸送層:本発明の発電素子は、正極2と発電層4との間に、ホール輸送層3を有することが好ましい。
正極2と発電層4との間に、ホール輸送層3を有することによって、発電層4から正極2へのホールの取出しを
安定化させ、発電効率を向上させることができ、また、逆電流が生じることを防止することができる。ホール輸
送層3としては、ホール伝導が観測されるものであれば、特に限定されないが、例えば、ポリ(3,4-エチレ
ンジオキシチオフェン)-ポリ(スチレンスルホン酸)(PEDOT-PSS)、ポリ(3,4-エチレンジオ
キシチオフェン)-ポリ(ビニルスルホン酸)、ポリアニリン、ポリピロール、ポリチオフェン、ポリ(p-フ
ェニレン)、ポリフルオレン、ポリ(p-フェニレンビニレン)、ポリチエニレンビニレン、グラフェン、など
のp型導電性高分子;MoO、CuAlO、CuGaO、LiNiOなどのp型金属酸化物を用いること
が好ましい。これらの中でも、ホールの移動度が高く、安価に入手できるという観点から、ポリ(3,4-エチ
レンジオキシチオフェン)-ポリ(スチレンスルホン酸)又はMoOが好ましい。

※ 電子輸送層:図1には図示されていないが、本発明の発電素子は、負極5と発電層4との間に、さらに電子
輸送層を有することが好ましい。負極5と発電層4との間に電子輸送層の薄膜を設けることで、発電層4から負
極5への電子の取出し効率を安定化させ、発電効率を向上させることができ、また、正孔が負極5側に流れるこ
とを防止できる傾向にある。電子輸送層に用いる材料としては、特に制限はないが、例えば、n型半導体材料な
どを用いることができる。電子輸送層に用いる材料の具体例としては、例えば、フッ化リチウム、フッ化ナトリ
ウム、フッ化セシウム、酸化アルミニウム、酸化スズ、酸化リチウム、酸化マグネシウム、又は酸化カルシウム
などが挙げられる。これらの中でも、化学的に安定であるという観点から、フッ化リチウム、酸化アルミニウム
または酸化スズを用いることが好ましい。

※ 発電層:発電層4は、発電補助材料(A)と、半導体材料(B)と、半導体材料(C)とを含んだ層である。
発電層4では、例えば、発電補助材料(A)が分子の振動エネルギー(熱エネルギー)を吸収することよって赤
外線を放射し、その放射された赤外線を、半導体材料(B)及び半導体材料(C)のエネルギー準位の差を利用
して電気エネルギーに変換することができる。発電補助材料(A)は、振動エネルギーを赤外線に変換し放射す
ることが可能な赤外線放射材料であることが好ましい。赤外線放射材料としては、特に限定されないが、赤外線
の吸収強度の大きい物質、例えば、二酸化ケイ素、シリコーン、カーボン、又はフェライトなどを用いることが
好ましい。赤外線の吸収強度が大きい物質は、赤外線の放射強度も大きいため、強い赤外線を放射することがで
き、発電効率が高くなる。上記の物質の中でも、特に、赤外線の吸収強度が大きく、また安価であるという理由
から、二酸化ケイ素を用いることがより好ましい。なお、上記の赤外線放射材料は、1種単独もしくは2種以上
を組み合わせて使用してもよい。

赤外線の吸収強度は、赤外分光法、近赤外分光法、またはラマン分光法など公知の方法によって測定することが
できる。発電補助材料(A)としては、例えば、近赤外分光法を用いて測定した場合、赤外領域(例えば、波数
12500~4000cm-1)において、吸光度が1以上となるピークを有することが好ましく、吸光度が1
以上となるピークを有することがより好ましい。発電補助材料(A)が、赤外領域において、吸光度が1以上と
なるピークを有する場合は、赤外線の吸収強度及び放射強度が大きくなるため、発電効率を向上させることがで
きる。発電補助材料(A)の平均粒径は、入手の容易さや組成物作製上の問題がない範囲で各種の大きさのもの
を選択することができるが、発電補助材料(A)の平均粒径は、4~100nmであることが好ましく、4~4
0nmであることがより好ましい。発電補助材料(A)の平均粒径が4nm未満の場合は、赤外線放射材料とし
ての特徴を示さなくなる傾向にあり、平均粒径が100nmを超えると、発電補助材料(A)の体積が大きくな
るため、体積あたりの赤外線の吸収強度(放射強度)が低下し、発電効率が下がる傾向にある。なお、本明細書
において、平均粒径とは一次粒子の平均粒径をいい、原料の段階では走査型電子顕微鏡(SEM)によって測定
することができ、組成物を構成した後も走査型電子顕微鏡(SEM)によって測定することができる。

発電層4には、発電補助材料(A)から放射された赤外線を電気エネルギーに変換するために、半導体材料(B)
及び半導体材料(C)が含まれる。半導体材料(C)は、荷電子帯の上端のエネルギー準位が半導体材料(B)
の荷電子帯の上端のエネルギー準位より高く、かつ、伝導帯の下端のエネルギー準位が半導体材料(B)の伝導
帯の下端のエネルギー準位よりも高い半導体材料が用いられる。半導体材料(B)の荷電子帯の上端と、半導体
材料(C)の荷電子帯の上端とのエネルギー差は、2.0eV以下であることが好ましく、0.9eV以上であ
ることがより好ましく、1.7eV以下であることがより好ましい。また、半導体材料(B)の伝導帯の下端と
、半導体材料(C)の伝導帯の下端とのエネルギー差は、2.0eV以下であることが好ましく、0.9eV以
上であることがより好ましく、1.7eV以下であることがより好ましい。発明の発電素子における発電のメカ
ニズムは明らかではないが、半導体材料(B)が相対的に電子受容体のような役割を果たし、半導体材料(C)
が相対的に電子供与体のような役割を果たすことで、赤外線の光エネルギーを電気エネルギーに変換するものと
考えられる。具体的には、次のような現象が起こっていると推測される。

半導体材料(B)および半導体材料(C)それぞれの伝導帯および荷電子帯のエネルギー差が、例えば、2.0
eV以下であることにより、赤外線が半導体材料(B)または半導体材料(C)に照射された場合、半導体材料
(B)と半導体材料(C)との接合面において、半導体材料(C)の伝導帯に存在していた電子が半導体材料(
B)の伝導帯へと移動し、半導体材料(B)の価電子帯に存在していたホールが半導体材料(C)の価電子帯へ
と移動し、電荷分離状態を形成する。そして、電子は半導体材料(C)よりもエネルギー準位が低い半導体材料
(B)の伝導帯を移動して正極2へ流れ、ホールは半導体材料(C)の荷電子帯を移動して負極5へと流れるこ
とで、外部回路に電流が流れるものと思われる。

発電補助材料(A)が熱エネルギーを吸収した場合、その熱エネルギーは、最終的に、半導体材料(B)及び半
導体材料(C)によって、電気エネルギーに変換される。このことを別の側面から見れば、発電補助材料(A)、
半導体材料(B)、及び半導体材料(C)を有する素子は、吸熱反応を行っていると捉えることもできる。従っ
て、発電補助材料(A)、半導体材料(B)、及び半導体材料(C)を有する素子は、例えば、電子機器などの
冷却手段として用いることも可能である。

半導体材料(B)は、化学的安定性や電子移動度が高いことから、二酸化スズが好ましい。半導体材料(B)に
二酸化スズを用いた場合、半導体材料(C)としては、半導体材料(B)に比べてエネルギー準位が高く、また、
正極2の材料より仕事関数が低いといった観点から、酸化チタン、酸化ニオブ、酸化タンタル、または酸化亜鉛
などが好ましい。上記した好ましい半導体材料(B)と、好ましい半導体材料(C)との組合せは、荷電子帯の
上端同士及び伝導帯の下端同士のエネルギー差が2.0eV以下であるという条件、さらには、0.9eV以上
で、1.7eV以下であるという条件を満たしている。なお、半導体材料(B)及び半導体材料(C)は、1種
単独もしくは2種以上を組み合わせて使用してもよい。

半導体材料(B)及び半導体材料(C)の平均粒径は、入手の容易さや組成物作製上の問題がない範囲で各種の
大きさのものを選択することができるが、半導体材料(B)の平均粒径は、4~100nmであることが好まし
く、4~10nmであることがより好ましい。半導体材料(B)の平均粒径が4nm未満の場合は、半導体とし
ての特徴を示さなくなる傾向にあり、平均粒径が100nmを超えると、半導体材料(B)の体積が大きくなる
ため、体積あたりの発電効率が下がる傾向にある。発電層4の構造としては、特に限定されず、例えば、積層構
造としてもよく、バルクヘテロジャンクション構造としてもよいが、発電効率を向上させるという観点からは、
バルクヘテロジャンクション構造とすることが好ましい。赤外線の照射強度は、光源からの距離の二乗に反比例
する。赤外線の照射強度の減衰を防止し、発電効率を向上させる観点からは、発電補助材料(A)、半導体材料
(B)、及び半導体材料(C)は、それぞれ粒子状のものを用いて、発電層4中に均一に分散させることが好ま
しく、発電層4中に最密充填構造又は最密充填構造に近い構造をとるように配列させることがより好ましい。

発電補助材料(A)、半導体材料(B)、及び半導体材料(C)を発電層4中に均一に分散させるためには、各
粒子を溶媒中に分散させ、その分散液を遠心分離などの公知の方法を用いて固形分と液分を分離させ、その固形
分を十分に洗浄して得られる粉末を用いて、発電層4を形成することが好ましい。分散させる溶媒としては、発
電補助材料(A)、半導体材料(B)、及び半導体材料(C)を溶解させないものであれば、特に制限はないが、
安全に使用でき、また安価であることから、水を用いることが好ましい。また、発電層4を形成する際において
、半導体材料(C)としては、上記したような金属酸化物の粒子そのものを直接、分散媒に添加するのではなく、
加水分解などによって該金属酸化物を生成することが可能な金属酸化物の前駆体を添加しても良い。金属酸化物
の前駆体としては、特に限定されないが、例えば、塩化チタン、塩化ニオブ、塩化タンタル、塩化亜鉛などの金
属塩化物や、チタンアルコキシド、ニオブアルコキシド、タンタルアルコキシド、亜鉛アルコキシドなどの金属
アルコキシドを用いることが好ましい。

発電層4の全質量は、発電補助材料(A)と半導体材料(B)と半導体材料(C)との和からなる。半導体材料
(B)の含有量は、発電層4の全質量に対して、1~30質量%であることが好ましく、10~25質量%であ
ることがより好ましい。半導体材料(B)の含有量が発電層4の全質量に対して1質量%未満の場合は、赤外線
を十分に電力に変換することができず、発電効率が低下する傾向にあり、30質量%を超えても、それ以上の発
電効率の向上は見られない傾向にある。同様に、半導体材料(C)の含有量は、発電層4の全質量に対して、1
~30質量%であることが好ましく、5~30質量%であることがより好ましい。半導体材料(C)の含有量が
発電層4の全質量に対して1質量%未満の場合は、赤外線を十分に電力に変換することができず、発電効率が低
下する傾向にあり、30質量%を超えても、それ以上の発電効率の向上は見られない傾向にある。

また、半導体材料(B)及び半導体材料(C)の混合比(半導体材料(B)/半導体材料(C))は、特に限定
されないが、質量比で、1/5~2/1の範囲にあることが好ましい。半導体材料(B)及び半導体材料(C)
の混合比が上記の範囲にあることで、赤外線を電気エネルギーへと変換する効率が向上し、発電効率を向上させ
ることができる傾向にある。発電層4の厚さは、発電素子1の作製方法によって異なり、特に限定されないが、
例えば0.05μm~1000μmの範囲内であることが好ましい。発電層4の厚さが0.05μm未満だと、
短絡を起こすやすくなる傾向にあり、発電層4の厚さが1000μmを超えると、発電層4の内部抵抗が高くな
る傾向にあり、また、電荷分離した電子とホールが再結合しやすくなることにより変換効率が下がる傾向にある。
発電層4は、発電補助材料(A)、半導体材料(B)及び半導体材料(C)の混合物によって形成された層であ
るが、本発明の効果を阻害しない範囲で、他の無機物や有機物を含んでいてもよい。

[発電素子の作製方法]

発電素子1の作製方法は、特に限定されず、各種公知の方法で作製することができる。例えば、正極2上に、p
型導電性高分子を滴下又は塗布することで、ホール輸送層3を形成することができる。次いで、ホール輸送層3
上に、発電補助材料(A)、半導体材料(B)、及び半導体材料(C)を溶媒に均一に分散させた分散液を滴下
又は塗布することで、発電層4を形成することができる。最後に、発電層4上に、真空蒸着やスパッタリング等
の方法を用いて、負極5を形成することができる。

こうして作製された発電素子1は、平面的な直列構造又は並列構造になるように接続することができる。複数の
発電素子1を直列に接続して発電素子複合体を構成する場合、隣り合う発電素子の正極2と負極5とを、カシメ
、圧接、ロウ付け等で接続して直列構造にすることができる。また、発電素子1を並列接続して発電素子複合体
を構成する場合、長く延びる電極に、発電素子1の正極2と負極5とをそれぞれ、カシメ、圧接、ロウ付け等で
接続して並列構造にすることができる。このような発電素子複合体は、複数の発電素子1を接続して1次元的(
直列配置)または二次元的(並列配置)に作製することができるが、厚さ方向に積層して三次元的な立体構造に
することもできる。

発電素子1や発電素子複合体において、発電素子1に水分が侵入するのを避けることが好ましい。水分の侵入防
止手段としては、周囲を封止材で充填したり、全体を封止材で覆ったりすることが好ましい。こうした水分の侵
入防止手段により、発電素子1の発電電流値の低下を抑制することができる。
 

このように、エネルギータイリング事業にまた新たなるニューカマーが登場する。正にエネルギー革命ど真ん中である。こ
れは面白い!

 ● 今夜の映画



さて、15:45上映時間がきた。いざ出発の時!(帰宅:18:45)感想は後日。

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僕たちの愛の詩

2017年09月05日 | 時事書評

 

 

     

           襄公21年(‐553)~定公4年( -506)   /  中原休戦の時代  
                                                              

                               

        ※  崔杼(さいちょ)、棠姜(とうきょう)を娶る:斉の棠公(棠の代官の意、斉君
        ではない)の妻は東郭偃(とうかくえん)の姉、そして、弟の東郭偃は大夫崔杼
        の家臣であった。棠公が亡くなったとき、崔杼は東郭偃を御者として弔問に出か
        けた。弔問の席上で故人の妻棠姜を一目見るや、崔杼はその美貌に心を奪われ、
        ぜひこの女を妻にしたいと思った。そこで、東郭偃に、仲をとりもってほしいと
        頼んだが、東郭偃は、
「同姓は娶らぬ、これは昔からのしきたりでございます。
        殿の祖先は丁公、わたしの家は桓公の出もとをただせば同じ姜姓です。おやめに
        なるのがよろしいと思います」と言って断わった。しかし崔杼はあきらめきれず、
        筮竹(ぜいちく)で占って見ると困(こん)☱☲の卦変じて大過☱☴の卦となる
        と出た,凶である。ところが、おかかえの史官たちは、目をそろえて言った。「
        吉でございます」。大夫の陳文子(名は無須)にその卦を見せると、陳文子は、
        「これは夫が風となり、妻を吹き落とすという卦で、夫妻がたがいに傷つけあう
        凶兆です。娶るべきではありません。しかも卦のことばに。”石に困しみ、蒺棃
        (しつり)に拠る。その宮に入りて、その妻を見ず。凶なり”(困の六三の辞)
        とあります。”石に囚しむ”とは、石ころ道に難渋する、すなわち、行っても無
        駄骨折りということです。”蒺棃に拠る”とは、棘にすがれば手を傷つける。す
        なわち頼みとするもののためにかえって傷つくということです。また”その宮に
        入りて、その妻を見ず、凶なり”とは、進退窮して家に帰って見れば、妻も逃げ
        てしまっていて、行きどころがまったくなくなるということです」。しかし、崔
        杼は、「なあに、相手は後家だ。凶だ凶だといったところで、みんな死んだ亭主
        が引き受けてくれたはず、
とっくに帳消しになってるよ」と言って、棠姜を妻に
        した。
 
        〈夫が風……〉 困と大過に共通の上卦☱が、女を表わし、困の下卦☵は男を、
        を表わす。男が風と変じて、上卦の女を吹き落とすと解したのである。この卦は
        二年後に、陳文
子の解釈どおり事実となって現れる。 

高橋洋一 著 『戦後経済史は嘘ばかり』 

     序章 経済の歩みを正しく知らねば、未来は見通せない

                「ウソの経済常識」を信じ込んでいませんか?
  
       (1)高度成長は通産省の指導のおかげ
       
(2)1ドル=360円時代は為替に介入していない
       (3)狂乱物価の原因は石油ショックだった
       (4)「フラザ合意」以降、アメリカの圧力で政府が円高誘導するようになった
       (5)バブル期はものすごいインフレ状態だった

           ☑ 高度成長は通産省の指導のおかげ ?             ➲  ✕
           ☑  1ドル=360円時代は為替に介入していない ? ➲  ✕


           ☑  狂乱物価の原因は石油ショックだった           ➲  ✕ 

    「狂乱物価」とは、1973年から2、3年にわたって、物価が2ケタの上昇率で高騰   
    したことをいいます。1974年には消費者物価指数が前年比23・2%も上昇しまし
    た。20%の物価上昇といえば、前年には1000円だったものが、たった1年で12
    0
0円になることを意味します。これは大変なことで、同年の実質国内総生産(GDP)
    成長率は、戦後初めてマイナスとなりました。それまで猛烈な勢いで続いてきた高度経
    済成長は、ここに終わりを迎えることとなったのです。
    なぜ、このような「狂乱物価」が起きたのか。1973年10月に起きた石油ショック
    と結びつけて考える人が、かなりいらっしやるようですが、これは理由の1つにすぎま
    せん。
     実は、その前からすでに物価は急上昇していたのです。ちょうど固定相場制から変動
    相場制に移り変わる時期で、為替維持のためにマネーが大量に市中に供給されていたた
    め、物価が上がったことが主因でした。石油ショックはそれを強めてしまっただけにす   
    ぎません。狂乱物価は、主として貨幣現象によって起こったものです

    ------------------------------------------------------------------------------

   「石油ショックで急激なインフレが起こった」はウソ

     戦後経済を見るときに、日本人が一番誤解している点は、「石油ショックで急激なイ
    ンフレが起こった」というものです,これは事実とはまったく違っています。
    第一次石油ショックは、1973年10月に、中東アラブ諸国とイスラエルの問で第
    四次中東戦争が勃発したことから始まっています。アラブ石油輸出国機構(OAPEC)
    は、イスラエル寄りの欧米や日本向けの輸出を制限して、さらにペルシア湾岸産油国が
    段階的に原油価格を4倍に引き上げました。この原油価格の高騰は世界経済に影響を与
    え、日本経済にも大きな打撃を与えました。

    -------------------------------------------------------------------------------



当時は、 既に、1973年からの列島改造ブームによる地価急騰で、急速なインフレーションが発生
してい
たが、第一次オイルショック(原油価格上昇、ただし、輸入量はにより相次いで発生した便乗値
上げ等により、さらにインフレーションが加速されることとなった。総合卸売物価は1973年で11.
56%、1974年で31.4%上昇し、消費者物価指数は1973年で11.7%、1974年で23.
2%上昇、1974年の実質GDPは-0.2%となる。春闘での賃上げ率は1973年で30% 19
74年で33%上昇。狂乱物価は、スミソニアン協定で設定された限度ぎりぎりの円安水準に為替レー
トを維持するため金融緩和を持続したことがインフレをもたらしたとされている。このなかで、石油輸
入量に変化はみられず、「狂乱物価」の❶原油価格上昇、❷地価急騰。❸円安誘導為替政策、❹大衆/
市場の心理的混乱(パニック:買い占め、売り惜しみ)の寄与度を算出で検証できのだろうとわたし(
たち)は考えるが、その印象は、石油が手にはいらず、木材・石炭の時代に後退した社会を一瞬といえ
ど抱いたこの国の「大衆の動転」を忘れることはないだろう(希望する就職先が「ガソリンスタンド店
」だったりして)。

 

       ☑  バブル期はものすごいインフレ状態だった  ➲  ✕  

     1985年の「プラザ合意」で、日本は「円高を呑まされた」と信じている人も、よ
    く見かけます。この時期、アメリカはレーガン大統領の下、「レーガノミクス」と呼ば
    れる経済政策を打っていましたが、対日貿易赤字があまりにも大きかったため、国際的
    に圧力をかけて円高・ドル安に「誘導した」というのです。
     「円高になった」というのは、事実としてその通りです。しかし、「誘導した」とい
    う
のは、実は間道いです。1973年2月から制度上は変動相場制になりましたが、そ
    の
裏で大蔵省(現財務省)は「ダーティ・フロート」と呼ばれる為替介入を続けていま
    し
た。プラザ合意までは裏の介入で円安誘導されていた状態だったのです。
     プラザ合意以降、そうした介入をやめて、為替レートを市場に任せるようになりまし
    た。「本当の変動相場制」にしたのです。プラザ合意以降に円高誘導したのではなく、
    それまでこっそりやっていた「円安誘導するための裏の介入をやめた」だけです。市場
    に委ねる形となり、均衡レートまで円高が進んでいきました。

  
    「バブル期はどんどん物価が上がった。すごいインフレ状態だった」というイメージを
    持っている人も多いことでしょう,たしかに、バブル世代の人々が、なぜか自慢げに語
    る当時の武勇伝(「こんなに金を使えた」「接待に次ぐ接待で天変だった」「予算は青
    天井」などなど)を聞くと、その話は、あたかも真実であるかのように響きます。
     しかし、そんなイメージとはかなり違うかもしれませんが、バブル期とされる198
    年~1990年の一般物価の物価上昇率は、実は、O・1~3・1%です。ごく健全な
    物価上昇率であって、「ものすごいインフレ状態」とは、とてもいえない数字です。バ
    ブル期に異様に高騰していたのは、株式と土地などの資産価格だけだったのです。
    「一般物価」と「資産価格」を切り龍して考える必要があります。バブル期の実態は
    「資産バブル」でした。

        ------------------------------------------------------------------------------

            バブル期は、株と土地以外は「超フツーの経済」だった

    1980年代後半ので、ハブル期」ほど誤解されているものはないと思います。バブル
    期には何でも価格が上がり、著しいインフレが起こっていたかのように思っている人が
    たくさんいます,
    しかし、現実は追います。価格が上がっていたのは土地や株式など一部の資産価格だ
    けです。一般物価はそれほど上がっていませんでした,
    「バブル期はものすごく経済の調子がよく、経済成長率も非常に高かった」という認識
    も誤りです。当時の経済成長率は、先進国水準ではごく平均的なものでした。
    実際の数字を見てみましょう。
     1987年から1990までの経済状況は次のようになっていました(表2)

 

     実質GDP成長率は4・2~6・2%であり、それほど高いわけではありません。毎
    年のように10%を超えていた1960年代の高度成長期とは比べものになりません。
     物価上昇率もO・1~3・1%ですから、健全な物価上昇の範囲内に収まっています。
    1974年の狂乱物価のときには、年平均23・2%の物価上昇率でしたから、こち

    も比べものになりません,
 今から振り返って見ると、とても健全な経済であり、いわ
    ば「フツーの経済」です。

     バブル期はネガティブに見られることが多いのですが、マクロ経済指標では異常な要
    素
は見当たりません。

     一般物価を見る限り、狂乱物価でもなくバブルでもありませんでした。
    では、何かフ、ハブル」だったのか。異常に高騰していたのは、株価と不動産価格です。
    日経平均株価は一九八六年には1万5000円程度でした。1987年10月19日に
    ブラックマンデーかおり一時株価を下げましたが、その後、株価は急騰していきました。
     1989年12月19日の大納会の日には3万8957円の史上最高値をつけて
いま
    す。
年が明けると一転して株価は下がり始めます。1990年末にかけて2万3000
    円
程度まで一気に下がり、1992年初めには2万円を割り込みました。2年ほどで最
    高
値から半分になってしまいました。この間に高値で株をつかんだ人は大きな含み損を
    抱えることになりました,

     土地の価格も異常に上がりました。上地の価格は、株価より1~2年遅れて1991
    年ごろにピークを迎えています,
     都心では地土げや土地転がしなどが横行し、都会の小さな土地が高値で取引されまし
    た。狭小な上地は一定規模の大きさにまとめて転売され、転売に次ぐ転売で異常なほど
    に値を土げていきました。その土地を担保に金融機関は融資をしました。その資金が不
    動産市場に流れ込むというスパイラル状態でした。
     バブルがはじけて以降は、土地の価格が下落して土地は担保価値を失いました。金融
    機関は融資の回収を急いだものの、回収しきれずに多額の不良債権を抱えることになり
    ました。

     このように株と不動産に関しては、異常な状態でした。その一方で、GDP成長率、
    物価上昇率、失業率などマクロ経済のほうは至って健全でした。
     片方は極めて異常で、もう一方は健全な状態です。この状況を当時の日銀は正しく分
    析することができませんでした。両者を分けずにまとめて1つの経済状態と考えてしま
    ったのです。そのため、インフレではないにもかかわらず不要な引き締めをすることに
    なり、以後、それを正当化するための施策が続くことになるのです。

       ------------------------------------------------------------------------------

     冒頭で述べたように、過去の事象について間違った認識を持っていると、それに影響
    
されて、現在の状況を正しく見ることができなくなります。ビジネスをされている方は
    経済情勢について正しく状況判断できないと、方向性や意思決定を間違えることか
あり
    ます,正しい認識を持っておくことはとても大切です。

     とりわけ日本では、そのことは十分すぎるほど十分に気をつけて、自分自身で知的武
    
装をしておかねばなりません。なぜなら、この国では不思議なことに、間違ったことを
    
主張したり、当たらない予測を繰り返しているエコノミストや経済学者が、いつまでも
    
淘汰されずに主張を繰り返していく傾向があるからです。  

                                -中 略-

     とはいっても、経済学を今からマスターするのは大変だ、という方も多いかもしれま
    
せん,であるならば、せめて、正しい「経済の歴史」は知っておくべきなのです。「ど
    うし
て経済が、こういうふうに動いてきたのか」ということを正しく押さえていれば、
    今の
経済の動きを見ていても、少なくとも「どこか変だ」とか「このエコノミストの発
    言は
、どうもウソではないか」と気づくことができるようになるからです。
     しかしながら、日本ではこの点でも、決して恵まれた環境ではありません。というの
    も、冒頭から見てきたように、あまりにもズレだ常識――言葉を選ばずにいえば「間違
    
いだらけの常識」――が広く流布しているからです。  

                                     この項つづく

 

          

 

読書録:村上春樹著『騎士団長殺し 第Ⅱ部 遷ろうメタファー編』   

    第49章 それと同じ数だけの死が満ちている 

  雨田は正面玄関から入り、受付デスクに座っていた若い女性と何かを話していた。きれいな長
 い黒髪の、愛想の良さそうな丸顔の女性だった。紺色の制服のブレザーコートを着て、胸に名札
 をつけていた。二人は顔見知りらしく、しばらく親しげに話をしていた。私は少し離れたところ
 に立って、二人の話が終わるのを待っていた。玄関には大きな花瓶が置かれ、専門家がアレンジ
 したらしい鮮やかな色合いの生花が豪華に溢れていた。話が一段落すると、雨田はデスクに置か
 れた訪問客のリストに、ボールペンで自分の名前を書き込み、腕時計に目をやってから、現在の
 時刻を記入した。それからデスクを離れて私のところにやってきた。

 「父親の容態はなんとか落ち着いているみたいだ」と雨田はズボンのポケットに両手を突っ込ん
 だまま言った。「朝からずっと咳が止まらなくて、呼吸がうまくできなくなり、そのまま肺炎に
 連むんじやないかと心配されていたんだが、少し前に治まって、今はぐっすり眠っているらしい。
 とにかく部屋に行ってみよう」
 「ぼくも一緒に行ってかまわないのかな?」
 「もちろん」と雨田は言った。「会っていってくれ。そのためにわざわざここまで米たんじやな
 いか」

  私は彼と一緒にエレベーターに乗って、三階まで上がった。廊下もやはりシンプルで保守的な
 廊下だった。装飾はとこまでも厳しく抑えられていた。ただ廊下の白い長い壁には申し訳のよう
 に、油絵が何点かかかっていた。どれも海岸の景色を描いた風景画だった。一人の画家が、ひと
 つの海岸のいろんな部分をいろんな角度から描いた連作らしかった。あまり上等な緒とは言い難
 かったが、少なくとも緒の典は惜しみなく豊富に使用されていたし、その画風がミニマリズム
 辺倒の建築様式に対抗する景重な一石を投じていることについては、それなりに評価してもいい
 という気がした。床はつるつるのリノリウムでできていて、私の靴のゴム底がきゆっきゆっとい
 う派手な音を立てた。車いすに座った、白髪の小柄な老女が男性介護士に押されて、廊下をこち
 らに向かってやってきた。彼女は大きく目を見開いてまっすぐ前を見たまま、我々とすれ連って
 も、ちらりともこちらに目を向けなかった。まるで前方の空間の一点に浮かんだ大事なしるしを
 見失うまいと心を決めているみたいに。



  雨田典彦の部屋は、廊下のいちばん奥にある広い個室だった。ドアには名札がかかっていたが、
 名前は書かれていなかった。たぶんプライバシーを守るためだろう。雨田具彦はなんといっても
 有名人なのだ。部屋はホテルのセ々へ I スイートほどの広さがあり、ベッドのほかに、こぢ
 んまりとした応接セットがあった。ベッドの足下には車いすが畳んで置いてあった。南東に向い
 た大きなガラス窓からは、太平洋が一望できた。遮るものが何ひとつない、見事な眺望だった。
 もしホテルであれば、この眺めだけでかなり高い料金がとれる部屋だ。部屋の壁には絵はかかっ
 ていなかった。鏡がひとつ、丸形の時計がひとつかかっているだけだ。テーブルには紫色の切り
 花のいけられた中くらいの大きさの花瓶が置いてあった。部屋の空気には匂いがなかった。老い
 た病人の匂いも、薬品の匂いも、花の匂いも、日焼けしたカーテンの匂いも、何の匂いもなかっ
 た。まったく匂いのないこと――それがその部屋に関して、私かもっとも驚かされたことだった。
 自分の嗅覚に何か問題が生じたのかと思ってしまったほどだった。どうすればここまで匂いをな
 くすことができるのだろう?

  雨田典彦は窓のすぐそばに置かれたベツドの上で、見事な眺望とは無関係に熟睡していた。仰
 向けになり、天井に顔を向け、しっかりと両目を閉じていた。長く伸びた白い眉毛が、まるで自
 然の天蓋のように、その老いた瞼を覆い隠していた。額には深い皺が刻み込まれていた。布団が
 首までかけられていたが、呼吸をしているのかいないのか、目で見ているだけでは判断がつかな
 かった。もし呼吸をしているとしても、それはおそるしくささやかな浅い呼吸であるはずだ。

  その老人が少し前の真夜中に、スタジオを訪れていた謎の人物と同じ人であることは一目でわ
 かった。その夜、私は移りゆく月光の中で、彼の姿をほんの短く目にしただけだったが、頭の格
 好や白髪の伸び方からして、それは間違いなく雨田典彦その人だった。私はそのことを知っても
 とくに驚きはしなかった。最初から明らかなことだったのだ。
 「ずいぶんぐっすり眠っている」と雨田は私の方を向いて言った。「自然に目覚めるのを待つし
 かない。もし目覚めればだけど」
 「でも、とりあえず容態が落ち着いたみたいでよかったじやないか」と私は言った。そして壁に
 かかった時計に目をやった。時計の針は二時五分前を指していた。私はふと免色のことを思った。
 彼は秋川笙子に電話をかけただろうか? 事態は何か展開を見せたのだろうか? しかし今のと
 ころ、私は雨田典彦の存在に意識を集中させなくてはならない

  私と雨田は応接セットの椅子に向かい合って座り、廊下の自動販売機で買った缶コーヒーを飲
 みながら、雨田典彦が目覚めるのを待った。そのあいだに雨田はユズの話をした。彼女の妊娠の
 状態は今のところ一段落して、落ち着いていること。出産予定はたぶん一月の前半。彼女のハン
 サムなボーイフレンドも子供が誕生するのをとても心待ちにしていること。

 「ただ問題は――つまり彼にとっての問題はということだが――彼女が彼と結婚するつもりがな  
 いらしいってことなんだ」と雨田は言った。
 「結婚しない?」、彼の言っていることが私にはうまく呑み込めなかった。
 私は言った。「つまり、ユズはシングル・マザーになるということなのか?」
 「ユズは子供を産もうとしている。でも正式に彼とは結婚はしたくない、同居もしたくない、子
 供の親権をゆくゆく共有するつもりもまったくない……どうやらそういうことらしい。それで彼
 はずいぶん混乱している。彼女とおまえとの離婚が成立したら、すぐにでも彼女と正式に結婚す
 るつもりでいたんだが、それを断られたことで」

  私はしばらく考えてみた。でも考えれば考えるほど、頭が更に混乱した。
 「どうも解せないな。ユズは子供がほしくないって、ずっと言っていたんだ。ぼくがそろそろ子
 供をつくらないかと言っても、まだ早すぎるとしか言わなかった。なのに今になって、どうして
 それほど積極的に子供をほしがるんだろう?」
 「妊娠するつもりはなかったが、いったん妊娠してみたら、今度はすごく子供が産みたくなって
 きたのかもしれない。女性にはそういうことってあるぜ」
 「でもユズー人で子供を育てていくのは、現実的に不便なことが多すぎる。今の仕事を続けるの
 もむずかしくなるかもしれない。なぜその相手と結婚したくないのだろう? だってそもそもが
 その男の子供なんだろう?」
 「どうしてだか、その男にもそれがわからない。自分たちの関係はとてもうまくいっていると、 
 彼は信じていた。子供の父親になれることも喜んでいたし。だから混乱している。しかし相談さ
 れても、おれにもわからん」

 「君からユズに直接訊いてみないのか?」と私は尋ねた。

  雨田はむずかしい顔をした。「正直なところ、おれは今回の件には、なるたけ深入りしないよ
 うに心がけているんだ。おれはユズのことも好きだし、相手の男は仕事場の同僚だ。そしてもち
 ろんおまえとは長いつきあいだ。立場がむずかしいんだよ。関われば関わるほど、何をどうして
 いいかわからなくなる」

  私は黙っていた。



 「おまえたちは仲の良い夫婦だと思って、ずっと安心して見ていたんだけどな」と雨田は困った
 
ように言った。
 「それは前にも聞いたよ」
 「言ったかもしれない」と雨田は言った。「でもとにかくそれは本当のことだ」

  それからしばらく我々は黙って壁の時計を眺めたり、窓の外に広がる海を眺めたりしていた。
 雨田典彦はベッドに仰向けになったまま、身動きひとつせず昏々と眠り続けていた。あまりにぴ
 たりと静止しているので、まだ生きているのかどうか、心配になるほどだった。しかし私以外の
 誰も心配していないところをみると、それが普通なのだろう。

  雨田典彦の眠っている姿を見ながら、私はウィーンに留学していた若い日の彼の姿を頭に思い
 浮かべようとしてみた。しかしもちろんうまく想像できなかった。私か今ここで目の前にしてい
 るのは、緩慢にしかし着実に肉体的消滅へと向かっている、深い皺だらけの白髪の老人だった。
 人として生まれたもの誰しもが、例外なくいつか死にみまわれることになるし、彼は今まさにそ
 のポイントを迎えようとしていた。

 「おまえからユズに連絡してみるつもりはないのか?」と雨田が私に尋ねた。

  私は首を振った。「今のところはない」
 「一度、いろんなことを二人で話し合ってみるといいと思うんだが。なんというか、膝を交え
 て」
 「ぼくらは弁護士を通して既に正式に離婚手続きをとったんだ。ユズがそれを求めてきた。そし
 て彼女はもうすぐほかの男の子供を出産しようとしている。彼女がその相手と結婚するかしない
 かはあくまで彼女の問題だ。ぼくが口を出す筋合いのことじゃない。いろんなことって、膝を交
 えていったい何を話せばいいんだ?」
 「何か起こっているのか、知りたくはないのか?」

  私は首を振った。「知らなくてもいいことは、とくに知りたいとは思わない。ぼくだって傷つ
 いてないわけじゃないんだ」
 「もちろん」と雨田は言った。

  でも自分が傷ついているのかいないのか、正直なところ私にはときどきそれさえよくわからな
 くなった。自分に本当に傷つく資格かおるのかどうか、それがうまく見極められなかったからだ。
 もちろん資格があろうがなかろうが、人は傷つくべきときには自然に傷つくものなのだが。

 「その男はおれの仕事仲間なんだが」と雨田は少しあとで言った。「真面目なやつだし、仕事も
 そこそこできるし、性格もいい」
 「おまけにハンサムだ」
 「うん、顔立ちも晴らしくいい。だから女性には人気かおる。まあ当然だよな。うらやましいく
 らいもてる。ところがそいつには昔から、みんなが首を傾げざるを得ないような傾向があった」
 
  私は黙って雨田の話を聞いていた。

  彼は続けた。「ちょっと理解を超えた女を交際相手として選ぶんだ。誰だってよりどりみどり
 のはずなのに、なぜかいつもよくわけのわからない女にはまっちまう。いや、もちろんユズのこ
 とじゃないよ。彼女はあいつか選んだたぷん最初のまっとうな女性だ。その前はどれもこれも最
 悪だった。どうしてだかわからないんだが」

  彼は記憶を辿り、首を軽く振った。

 「何年か前に結婚直前までいったことがあった。式場も予釣し、招待状も印刷し、新婚旅行もフ
 ィジーだかどこかに行くことになっていた。休暇も取り、飛行機の切符も買っていた。でもな、
 相手の女というのがそれはもうとびっきり不器量だったんだ。紹介されたんだが、一目見てあっ
 と驚くほど不細工な女だった。もちろん外見だけで人は判断できないけど、おれの見たところ性
 格だってそれほど褒められたものじゃなかった。でも彼の方はなぜかぞっこんたった。とにかく
 あまりにも釣り合いがとれない。まわりの人間も、目にこそ出さないけれどみんなそう思ってい
 た。ところが結婚式の直前になって、女が出し抜けに結婚を断ってきた。つまり女の方が逃げち
 まったんだ。幸か不幸か、というところだが、しかしあれには仰天したね」
 「何か理由はあったのか?」
 「理由は間いていない。あまりにも気の毒だったから、そんなこと訊けなかった。でも彼にもた
 ぶんその理由はわからないんじゃないかな。その女はただ逃げたんだよ。彼と結婚したくなくて。
 たぶん何かしら思うところがあったんだろう」
 「それで、その話のポイントは何なんだ?」と私は尋ねた。
 「この話のポイントは」と雨田は言った。「おまえとユズとのあいだには、まだやり直せる可能
 性があるかもしれないってことだよ。もちろんおまえが望めばだけどさ」
 「でもユズはその男の子供を産もうとしている」
 「それはたしかにひとつの問題になるかもしれない」

 それからまた我々は黙り込んだ。



                                     この項つづく

 


 ● 今夜の一曲

 

Where do I begin?
To tell the story of how greater love can be
The sweet love story that is older than the sea
The simple truth about the love she brings to me
Where do I start?

With her first hello
She gave a meaning to this empty world of mine
They'll never be another love, another time
She came into my life and made the living fine
She fills my heart

She fills my heart
With very special things
With angel songs
With wild imaginings
She fills my soul
With so much love

 



これまでに僕たちが紡いできた愛の詩が何であったのか振り返ることがある。そう君と。


 

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量子ドット工学講座 No.44

2017年09月04日 | デジタル革命渦論

 

 

     

           襄公21年(‐553)~定公4年( -506)   /  中原休戦の時代  
                                                              

                               

        ※  斉の崔抒(さいちょ)、その君を弑す(襄公25年(‐548):斉では覇者桓公
        が死ぬと、群公子の間に激しい相続争いが起り、それは大きな傷跡となって
        そのあと長く尾をひき、君位をめぐっての内紛が絶えなかった。その結果、国の
        実権はしだいに
これを擁立する卿大夫の手に移って行った。もっともこれは斉の
        みの現象でなく、晋しかり、魯
しかり、鄭しかり、一般的な時代の趨勢でもあっ
        た。崔抒(詣して武子という)は自分の手で棒
立した斉の荘公(前出、荘公の十
        代あと)を、いままた自分の手で弑するに至った。

 

 

 No.61

 【エネルギータイリング事業篇】 

● 最新ソーラータイル技術事例:特開2017-152574 光電変換膜および光電変換装置

【量子ドット工学講座 No.44

【概要】

京セラの研究グループは、今期は量子ドットではなく、量子細線型の太陽電池の製造方法に関する特許公開してい
るので掲載する。さて、量子細線を用いた太陽電池の光電変換効率は、量子細線を集積した光電変換膜内に生成す
るキャリアの総量に関係する。ところが、量子細線を半導体膜上に単純に立設させて膜状に集積した光電変換膜は、
量子効果に基づくものであることから、吸収することのできる光としては、バンドギャップに対応するエネルギー
の波長を有する光となるため、光吸収量を高めることができない場合がある。これは量子化に必要な直径と光吸収
に必要な直径とが異なることによる。複数の量子細線が束状に集積された複数の細線束がアレイ状に配列している
とともに、この複数の細線束の直径は、可視光領域から近赤外領域までの波長の範囲内に在るものである。

このように、光吸収量を高めることのできる光電変換膜/太陽電池の提供にあっては、光電変換膜7は、複数の量
子細線7aが束状に集積された複数の細線束7Aがアレイ状に配列しているとともに、前記複数の細線束7Aの直
径Dは、可視光領域から近赤外領域までの波長の範囲内に在る。細線束7Aの直径は700~1000nmであり、
その直径以下の間隔で配置されている。また、量子細線7a間に金属酸化物膜7bを有している。光電変換装置は、
2つの導体層間に光電変換膜7の構成/構造をそなえている。

 Aug. 31, 2017
【符号の説明】

3 第1導体層 5 リンドープシリコン基板 7 光電変換膜 7A 細線束 7a 量子細線 7b 金属酸
化物膜 
7ba 金属元素膜 7bb 酸素膜 9 ホウ素ドープアモルファスシリコン膜 11 第2導体層

上図1の2つの導体層間に光電変換層を備えた光電変換装置であって、この光電変換層がの光電変換膜である  次
に、図1に示した光電変換装置となるように、以下の工程を実施する。光電変換膜7の表面にホウ素ドープアモル
ファスシリコン膜9を形成する。このホウ素ドープアモルファスシリコン膜9の形成にはプラズマCVD法を用い
る。最後に、ホウ素ドープアモルファスシリコン膜9の表面に、第2導体層11となるインジウム錫酸化物(IT
O)膜を形成する。一方、リンドープシリコン基板5の裏面に第1導体層3となる銀の膜を蒸着法によって形成す
る。こうして本実施形態の光電変換装置が得られる。

【図面の簡単な説明】

【図1】本発明の光電変換装置の一実施形態を部分的に示す断面模式図。
【図2】本実施形態の他の態様を示すもので、量子細線の間に金属酸化膜を有していることを示す拡大模式図
【図3】本実施形態の光電変換装置の製造方法を示す工程図

特にここでは光電変換装置の製造方法について記載しておこう。図3は、この光電変換装置の製造方法を示す工程
図で、❶まず、リン(燐)ドープシリコン基板を準備する。❷  次に、このリンドープシリコン膜5 の表面上に
上記の光電変換膜7を形成。この場合、慣用のメタルアシストエッチング法を用いる。❸まず、図3(a)に示す
ように、第1導体層3とは反対側のリンドープシリコン基板5上に量子細線7aを形成するための半導体膜8を形
成する。❹ 次に、図3(b)に示すように、半導体膜8の表面にAgなどの金属粒子10を置いて、溶解液によっ
て金属が置かれた部分を厚み方向に溶解させていく。このような処理の後に残った部分が量子細線7aとなる。こ
の場合、エッチング溶液としては、過酸化水素とフッ化水素水との混合溶液を用いる。このとき、半導体膜8の下
層側を残すようにする。❺次に、図3(c)に示すように、量子細線7aを除く領域に、上記したALD法を用い
て、例えば、亜鉛のガスと酸素ガスとを交互に導入して、亜鉛膜と酸素膜とを交互に成膜していく。この光電変換
膜7が形成できる。❻ 次に、図1に示した光電変換装置となるように、以下の工程を実施する。光電変換膜7の
表面にホウ素ドープアモルファスシリコン膜9を形成する。このホウ素ドープアモルファスシリコン膜9の形成に
はプラズマCVD法を用いる。最後に、ホウ素ドープアモルファスシリコン膜9の表面に、第2導体層11となる
インジウム錫酸化物(ITO)膜を形成する。一方、リンドープシリコン基板5の裏面に第1導体層3となる銀の
膜を蒸着法によって形成する。 こうして本実施形態の光電変換装置が得られる。

【実施例】

上記した方法によって光電変換装置を作製して光吸収量の評価を行っている。この場合、光吸収量の評価として短
絡電流密度を測定する。❶まず、リンドープシリコン基板は厚みが0.5mm、第1導体層には銀(Ag)を用い
第2導体層にはインジウム錫酸化物(ITO)を用いた。量子細線および細線束を形成するための半導体膜として
真性シリコンをプラズマCVD法を用いて作製した。絶縁材料としては酸化亜鉛をALD法により形成している。
❷次に、作製した光電変換膜の横断面を電子顕微鏡によって観察し、量子細線および細線束のサイズを測定。作製
した光電変換装置は、量子細線の平均の直径が5nm、量子細線間の間隔が10nm、細線束の平均の直径が90
0nm、半導体膜の厚みに起因する量子細線および細線束の平均長さが1μm、細線束間の間隔は平均で100n
mである。第1導体層の平均厚みが0.1μm、第2導体層の平均厚みが0.3μmであった。量子細線は横断面
の形状が四角状であり、リンドープシリコン基板側の直径が上端側よりも大きくなる。 また、得られた光電変換膜
の第1導体層と第2導体層間にリード線を接続し、1SUNの太陽光を照射してI-V特性を測定し、短絡電流密
度を求める。比較例として、量子細線が孤立して配置された 試料を作製し、同様の評価を行っている。結果、光吸
収量を高めることができたとする。

● 最新ソーラータイル技術事例特開2017-143177 光電変換素子及び太陽電池

【量子ドット工学講座 No.44

【概要】

太陽電池やエネルギー素子の技術では、量子ドットを用いた中間バンドについての研究開発が進められているが、
中間バンド太陽電池は、母体となる禁制帯幅の大きな半導体中に、禁制帯幅の小さな半導体を用いて多積層量子ド
ットを配列したものである。該太陽電池では、量子ドット列が作る中間バンドを利用して、3つのバンド幅に相当
する太陽光エネルギーを吸収して超高効率化を目指すものである。中間バンド太陽電池は、価電子帯と伝導帯との
間に中間バンドを有する構造である。ここで重要な物理現象は、中間バンドを介した2段階光吸収である。伝導帯
の量子準位と価電子帯とのエネルギー差が1.9eV、価電子帯と中間バンドのエネルギー差が1.2eV、中間バ
ンドと伝導帯のエネルギー差が0.7eVの時、集光時におけるエネルギー変換効率が、60%を超えることが示
唆されている。

量子ドット太陽電池の技術においてよく研究されている材料系として、母体の半導体にGaAsを用い、その中に
In(Ga)As量子ドット(In組成は0.3~1.0)を埋め込んだ例が挙げられる。しかし、母体の半導体として
GaAsを用い、その中にIn(Ga)As量子ドット(In組成は0.3~1.0)を埋め込んだ中間バンド太陽電池
の場合は、In(Ga)As量子ドットが作る中間バンドがGaAsの伝導帯に近いため、量子準位エネルギーに相
当する光が太陽光スペクトルに存在せず、2段階光吸収が利用できない。また、母体のGaAsのバンドギャップ(
禁制帯幅)も1.4eVと小さいため、理想的な中間バンド太陽電池の作製が困難である。従って、その効率も、予
想されている効率よりもかなり低い。

また、母体半導体をInGaPとするIn(Ga)As量子ドット構造体が示されている。図6に、母体半導体In
0.48Ga0.52Pに挿入されたIn(Ga)Asの量子ドットのバンド図の模式図を、従来例として示す。母体の半導体
としてInGaPを用いると、伝導帯63と価電子帯61のエネルギー差を1.9eVと広げることができるが、
In(Ga)As量子ドットを埋めこんだ場合には、量子ドット列が作るエネルギー準位が、価電子帯61と0.3
eV、伝導帯63とも0.45eVのエネルギー差を持つ。そのために2段階の光吸収による光電流生成を効率よ
く行うことができない。

❶この様に、従来の量子ドット太陽電池の技術において、母体の半導体として用いられるGaAsは、バンドギャ
ップが1.4eVと小さいという問題があった。❷また、In(Ga)As量子ドットが作る中間バンドが母体のGa
Asの伝導帯に近く2段階光吸収が利用できないという問題がある。❸また、従来の母体の半導体としてInGa
Pを用い、In(Ga)As量子ドットを埋めこんだ場合は、2段階の光吸収による光電流生成を効率よく行うこと
ができないという問題がある。❹  また、従来の、結晶シリコン中にGe量子ドットを導入した量子ドット太陽電
池では、母体結晶シリコンはGaAsの場合と同様にバンドギャップエネルギーが小さいという問題がある。❺中
間バンドを介した2段階光吸収という物理現象を利用して、集光時におけるエネルギー効率が高くなる予想はなさ
れているものの、実際は、実現が困難であった。

本件は、これらの問題を解決し、母体の半導体としてGaAsよりバンドギャップの大きいワイドギャップ半導体
InGaPを利用し、2段階光吸収によって効率よく光電流を生成する光電変換素子を提供することを目的とする。
また、本発明は、エネルギー変換効率の優れる太陽電池を提供することを目的とする。

つまり、ワイドギャップ半導体を母体とし、理想に近い中間バンドを形成するための量子ドットを実現することで、
高出力で超高効率である光電変換素子及び太陽電池の提供にあたっては、❶量子ドット構造体を有する光電変換素
子の太陽電池で、❷量子ドット構造体を、InGaP層に複数のInP量子ドットを含む構造とし、❸量子ドット
構造体が、電荷分離型量子ドット構造体であり、❹InP量子ドットのバンドギャップエネルギーが1.3eV以
上1.9eV以下が適すといことではあれば、母体の半導体としてGaAsよりバンドギャップ(禁制帯幅)の大きい
ワイドギャップ半導体を利用し、中間バンドの形成される位置を禁制帯の中間付近へと低下させることにより、中
間バンドと伝導帯までのエネルギー差が大きな量子ドット構造体を構成することができる。また、量子ドットIn
Pにより、電荷分離型タイプ2型の量子ドット構造体を実現できる。バンドギャップの大きな半導体中に、量子ド
ットInPを用いることで、太陽光等の2段階光吸収を効率よく実現。陽光エネルギーの利用効率が、従来の材料
系と比較して向上する。この光電変換素子によれば、量子ドット構造体を用い、理想的な3つのエネルギー帯を吸
収可能なバンド構造を実現
でき、その結果、太陽光の入射に対して、高出力で超高効率な理想的な太陽電池素子が
実現するというものである。

 Aug. 17, 2017

【符号の説明】

1、61 価電子帯   2 中間バンド 3、63 伝導帯 4  量子ドットのポテンシャル 10 光電変換素子
11  n型GaAs基板 12  n+-GaAs層 13  n層 14 多積層量子ドット構造体 141 InP量
子ドット 142  n0.48Ga0.52P層 15  p層 16 p+-In0.48Al0.52P窓層 17  p+-GaAsコ
ンタクト層  18 電極 19  電極

● 最新ソーラータイル技術事例 特開2017-143106  薄膜太陽電池の製造方法

【概要】

I-Ⅲ-Ⅵ型カルコパイライト系化合物半導体(「カルコパイライト系化合物半導体」)を光吸収層として用いた
薄膜太陽電池は、シリコン系太陽電池に比べて製造コストがはるかに低く、黒一色の外観を有するといった特色を
もちり、かつ、近年、実験室レベルにおいては、太陽エネルギ変換効率が20%を超えることが確認され、大きな
注目を浴びている。下図1は、このような薄膜太陽電池の基本構成を示した概略図である。薄膜太陽電池1は樹脂
製あるいは金属製のフィルム基板2上に、裏面電極層3、p型半導体である光吸収層としてのカルコパイライト系
化合物半導体膜4、n型半導体である高抵抗のバッファ層5、n型半導体である窓層としての透明導電膜6、上部
電極層7が、それぞれ積層して構成される。なお、このうちのバッファ層は、低抵抗のカルコパイライト系化合物
半導体膜からなる光吸収層4から電流がリークすることを防止し、かつ、光吸収層4の表面特性を改善する機能を
もつ。

カルコパイライト系化合物半導体の中でも、二セレン化銅インジウム(CIS)、二セレン化銅インジウムガリウ
ム(CIGSと記す場合がある)、あるいは、二セレン硫黄化銅インジウムガリウム(CIGSS)などは、光エ
ネルギによる価電子帯から伝導帯への電子励起挙動が直接遷移型であるため、間接遷移型であるシリコンよりも、
光吸収係数がおよそ2桁大きいという特色を有する。したがって、膜厚が数μmの薄膜であっても薄膜太陽電池の
光吸収層として好適に使用することができ、さらに、材料使用量がシリコン系半導体よりもはるかに少なくて済む
ため、省資源性に優れている。また、CIS膜を用いた薄膜太陽電池は、人工衛星に搭載して宇宙空間で使用した
場合にも劣化しないことが知られているように、耐光性、耐放射線性などにも優れている。

通常、薄膜太陽電池の光吸収層として用いるカルコパイライト系化合物半導体の薄膜は、原料成分を蒸着源として
用いた多源蒸着法、あるいは、プリカーサとして銅/インジウム積層膜や銅ガリウム/インジウム積層膜を真空成
膜プロセスで形成した後、セレン化水素(HSeと記す場合がある)ガス中などで熱処理する、セレン化法によ
り形成される。しかしながら、多源蒸着法や真空成膜プロセスは、正確な化学量論組成の薄膜を大面積の基板全体
にわたって成膜することは困難であり、また、一般的に装置コストが高く、生産性も低い。このため、大面積の基
板に対する成膜が可能で、低コストの量産可能な代替プロセスが求められている。そのような代替プロセスの中で
も、原料成分の微粒子や溶液を用いた湿式法である塗布法や印刷法、あるいは、原料成分の微粒子を基板上に高速
で衝突させて連続膜を形成する衝撃固化法が注目されている。特に、微粒子を出発原料とする衝撃固化法を利用し
て得られたカルコパイライト系化合物半導体は、薄膜太陽電池の光吸収層を構成する材料として有望ではあるが、
現時点では、これらの衝撃固化法を利用して得られたカルコパイライト系化合物半導体膜を光吸収層として用いた
薄膜太陽電池において、高い太陽エネルギ変換効率などの特性が十分に得られていないのが実情にある。

 Aug. 17, 2017

【図面の簡単な説明】

【図1】製造方法により構成される、薄膜太陽電池の基本構成を示す概略図
【図2】エアロゾルデポジション法を実施する成膜装置の概略図

【符号の説明】

1  薄膜太陽電池 2 フィルム基板 3 裏面電極層 4  カルコパイライト系化合物半導体膜 5  バッファ層   
6  透明導電膜  7 上部電極層  8  高圧ガスボンベ   9  ガス搬送ライン  10 原料  11 エアロゾル化室
12  加振機  13  エアロゾル搬送ライン  14 ノズル  15 マスク  16 フィルム基板  17 基板ホルダ
18  真空ポンプ  19  エアロゾル噴流  20  成膜室
 
この事例は、緻密な光吸収層および欠陥のないバッファ層を有し、優れた太陽エネルギ変換効率を示す、薄膜太陽
電池を低コストで、
フィルム基板2上に、光吸収層4であるカルコパイライト系化合物半導体膜を、粒径と組成を
適切な範囲に設定した原料粉末を用いて、衝撃固化法により形成し、さらにバッファ層5を形成した後、あらかじ
め、フィルム基板2とは異なる別の支持基材上に形成した透明導電膜6を、バッファ層5上に転写することにより、
充填密度が高く、緻密で良質なカルコパイライト系化合物半導体膜4と欠陥のないバッファ層5と透明導電膜6を
備えた薄膜太陽電池1を製造する方法――フィルム基板上に、裏面電極層、I-Ⅲ-Ⅵ型カルコパイライト系化合
物半導体膜、バッファ層、および透明導電膜の順に積層する、薄膜太陽電池の製造方法であって、  フィルム基板
上に前記裏面電極層を形成し、該裏面電極層の上に、Ⅰ-Ⅲ-Ⅵ型カルコパイライト系化合物半導体粒子を原料粉
末として用いて、衝撃固化法により、Ⅰ-Ⅲ-Ⅵ型型カルコパイライト系化合物半導体膜を形成し、Ⅰ-Ⅲ-Ⅵ型
カルコパイライト系化合物半導体膜の上に、前記バッファ層を形成し、支持基材上に前記透明導電膜を形成し、透
明導電膜を前記バッファ層に転写することにより積層膜を得て、積層膜を不活性ガス雰囲気または還元性ガス雰囲
気において加熱処理することを特徴とする――の提供する。

尚、  上表のごとく得られた薄膜太陽電池の太陽エネルギ変換効率を、計測したところ、比較例1の薄膜太陽電池
の太陽エ
ネルギ変換効率は、8.6%であった。太陽エネルギ変換効率が実施例に比較して低いものとなった原因
は、スパッタリ
ング法で作製したCIGS膜の結晶性が十分でなかったことや、スパッタリング時に一部の構成元
素が脱離してしまい、場所に
より組成ずれが発生などが考えられるとしている。

 Sep. 3, 2017

【アウディもソーラールーフ電気自動車を試作】

8月31日、Audiは、太陽電池パネルを手がける中国のHanergy Thin Film Power Group(漢能薄膜発電集団)および
同社子会社Alta Devicesの協力を得て、屋根に太陽電池パネルを取り付けた電気自動車(EV)の開発に取り組むとと
を公表、プロトタイプ車を2017年中に作る計画である。
自動車のルーフに装着した太陽電池パネルで得る電力は、
エアコンやシートヒーターに供給する。これにより、1回の充電で走行可能な距離を増やすことを狙う。最終的には、
太陽光発電による電力を走行用バッテリへの充電に使う考え(アサヒ新聞デジタル、2017.08.31)。
今回の開発プ
ロジェクトでは、まず、Devices製の薄膜太陽電池セルをサンルーフにだけ取り付ける。その後、ルーフ表面のほぼ
全体を太陽電池セルで覆う。
CNETの報道によると、プロトタイプ車の第一弾が2017年末までに完成することか
ら、2018年には量産モデルに近いバージョンが登場する可能性がある。
なお、屋根に発電パネルを装着した自動車
は、トヨタ自動車がハイブリッドカー「プリウス」で計画中である。
 

  汉能控股集团有限公司

ところで、Hanergy Thin Film Power Group(漢能薄膜発電集団)は、香港に本社を置く中国系フレキスブルフィルム
太陽電池(カルコパイライト系化合物半導体)を製造販売するベンチャー企業で2年目赤字決算を出しリストラを
行った企業である。変換効率や耐用年数(時間)などの詳細不詳(要調査)であるか保有知財を下記のようなもの
がある。

1.US 9419171 B2 Two-part screen printing for solar collection grid(集電グリッドの2つ部分のスクリーン印刷)
2.US 9385255 B2 Integrated thin film solar cell interconnectionュ(集積薄膜太陽電池相互接続)
3.US 9362433 B2 Photovoltaic interconnect systems, devices, and methods(光起電力相互接続システム、デバイス、お
    よび方法)
4.US 9352342 B2 Method of making a CIG target by cold spraying (コールドスプレーによるCIGターゲットの製造方法)
5.
US 9252318 B2 Solution containment during buffer layer deposition(ッファ層堆積中の溶液封じ込め)


 

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検証・戦後経済史録

2017年09月03日 | 時事書評

     

           襄公21年(‐553)~定公4年( -506)   /  中原休戦の時代  
                                                              

                               

        ※  城濮の戦いに始まる晋楚の争和戦は九十年の長きにわたったが、双方とも決定
        的勝利を得るに至らなかった。宋の華元の提唱による休戦条約(第一次宋の盟)
        も僅か三年で破れた。しかし同じく宋の大夫向戌(しょうじゅつ)の休戦運動
        はみごと実った。
それは多分にかれの功名心から発したきらいがあるし、また
        晋は内紛、楚は呉
の攻勢に苦しんでいなという外的条件がそろっていたせいも
        あるが、ともかく
晋・楚・斉・秦以下十三国の代表が宋の国都西門外に会して
        和議成立し(第二
次宋の盟)、以後四十年にわる休戦をもたらした。この時期
        には、国際的に
知られた政治家が輩出した。宋の向戌、晋の叔向(しゅくきょ
        う)、鄭の子産、斉の晏嬰(あんえい)などがそ
れである。 

 No.60

【エネルギータイリング事業篇】 


● 最新サーマルタイル技術事例:特開2017-143209 光起電力装置

 

 【概要】 

従来、光起電力装置ては、電荷移動型有機分子等を用いて、それをドーパントとして用いる、ゼーッベク係数のN
Pの領域を作り、熱電変換型光起電力発生を実現した装置が提案されているが、
熱電変換型光起電力発生ではP
およびN型のゼーベックを示す空間分布やその大きさ制御が極めて重要であるところ、電極構造(電極S、電極
D)を形成した場合、光励起により生じる温度上昇ΔTを、物質のゼーベック係数S、Sを用いて、光起電力Δ
Vへと下記の式にしたがって変換する手法を採用している。

   ΔV=(S-S)ΔT 

ここで、ゼーベック係数がP型(S>0)およびN型の薄膜部位(S<0)を形成することが重要となり、ΔT
が同じならば、負号が異なり各々の絶対値が大きい程、大きな電圧を取りだせる。従来法では、電荷移動型ドーパ
ントを用いて、それを物質表面に吸着させることで、P型/N型領域を形成。また、この方法は、
半導体層として
カーボンナノチューブを含む半導体層を備え、広いバンドキャップ範囲で光電変換でき、太陽電池の半導体層は、
表面電極に近い側から順にp型半導体層、i型半導体層とn型半導体層を備える。p型半導体層、i型半導体層、
n型半導体層は、カーボンナノチューブを含有し、(p型半導体層を構成するカーボンナノチューブ)の直径は、
(i型半導体層を構成するカーボンナノチューブの直径よりも小さく、i型半導体層を構成するカーボンナノチュ
ーブ)の直径が、(n型半導体層を備えるカーボンナノチューブ)の直径よりも小さい光起電力装置が提案されて
いる。しかし、既存のドーパントを用いる方法は、ドープ量の調整が困難であり、そのゼーベック係数の最大値
得られず、十分に高い光起電力を得れない。

2014年10月28日、首都大学東京の研究グループは、単層カーボンナノチューブがネットワークを形成した
バルクな薄膜において、イオン液体を用いた電気二重層キャリア注入制御法(※1)という手法を用いることによ
り外部から電場をかけ、その電圧を調整するだけで、バルク薄膜のゼーベック係数の符号と大きさを自由に制御で
きることをに見出し、下図1の高効率な光起電力発生を実現できる光起電力装置にあっては、カーボンナノチュー
ブ薄膜(CNT)を具備してなる光起電力装置であって、カーボンナノチューブ薄膜が、第1のゼーベック係数S
を有する第1のカーボンナノチューブ材料と、第1のカーボンナノチューブ材料に接合された、第1のカーボンナ
ノチューブ材料とは異なる第2のゼーベック係数S2を有する第2のカーボンナノチューブ材料とを具備し、第1
のカーボンナノチューブ材料と第2のカーボンナノチューブ材料とを直接または間接的に接合した部分が光起電力
発生部である光起電力装置の提案を行っている


【図面の簡単な説明】

【図1】本発明の光起電力装置の1実施形態を示す模式図
【図2】図1に示す装置のII矢視図
【図3】実施例で組み立てた光起電力発生装置の平面図(図面代用写真)
【図4】図3に示す装置にレーザー光を照射した際の電圧発生を示すチャート
【図5】参考形態のトランジスタデバイスの製造装置を示す模式図
【図6】参考形態のトランジスタデバイスのWS2ナノチューブのネットワークの走査型顕微鏡写真(図面代用写真)
【図7】参考形態のトランジスタデバイスのラマン分光測定結果を示す模式図
【図8】参考形態のトランジスタデバイスの電流(ISD)のゲート電圧(Vr)依存性を示すチャートで
【図9】実施例2におけるキャリア密度とゲート電圧(実際にチャネルに掛かっているチャネル電圧(参照電極電
    圧))との関係を示すチャート


※1 
 イオン液体を用いた電気二重層によるキャリア注入制御

導体をイオンを含んだ溶液に浸し、電位勾配を形成すると、その電位勾配を打ち消すように、導体内の電荷と液体
中のイオンが固液界面で再配列をする。その結果、電荷とイオンとが厚さ1ナノメートル程度の層を形成する。こ
れを電気二重層と呼ぶ。電気二重層の形成により、導体内には電荷が蓄積される。電位勾配の正負により、電荷の
符号を制御することが可能であり、その結果、外部電場を制御することにより導体内のキャリア注入制御が可能で
ある。この方法を用いて、二次元電子系の超伝導や磁性などの制御に成功した報告例がある。本成果は、イオン液
体――陽イオン、陰イオン化合物のみからなる常温で液体状態の塩――を用いた電気二重層キャリア注入制御手法
により、一次元ナノ物質薄膜の熱電物性の制御に成功した研究例と位置づけられる(下図参照)


※2 バックゲート法

絶縁体表面に存在するナノ物質に、裏面から電圧を印加することにより、そのナノ物質に電荷を注入する方法。高
効率に電荷が注入されるのは、絶縁体表面に存在するナノ物質に限られるため、バルク薄膜を形成するナノ物質全
てに電荷を注入することは不可能である。また電圧を外すと元の状態に戻ってしまう。

 DOI: 10.1021/nl502982f

 

 

高橋洋一 著 『戦後経済史は嘘ばかり』

      序章 経済の歩みを正しく知らねば、未来は見通せない

                「ウソの経済常識」を信じ込んでいませんか?

       日本は第二次世界大戦で敗戦したあとの厳しい状況から雄々しく立ち上がり、世界か      
      ら「奇跡」と称された高度経済成長を成し遂げて、現在の経済大国の地位を築き上げま
      した,一方、平成に入るとバブルの崩壊から「失われた二十年」といわれるほどのデフ
      レ不況に落ち込んでしまいました。
      なぜ日本は高度成長に成功したのでしょうか。そして、どうして「失われた二十年」
      という失敗をしてしまったのでしょうか。
       当たり前のことですが、実は、その要因をきちんと理解していなければ、これから先
      の経済を見通すことも、正しい道を選ぶこともできません。
       しかし、現在の日本では、そのような戦後から平成に至る経済の歩みについての「間
      違った経済常識」や「単なる思い込み」が、驚くほど広範に流布しています。
       みなさんは、次のようなことを信じていないでしょうか,
 
       (1)高度成長は通産省の指導のおかげ
       
(2)1ドル=360円時代は為替に介入していない
       (3)狂乱物価の原因は石油ショックだった
       (4)「フラザ合意」以降、アメリカの圧力で政府が円高誘導するようになった
       (5)バブル期はものすごいインフレ状態だった

          これらはいずれも間違いです。詳細については、本文で述べたいと思いますが、
          ここでは簡単に触れておきます。

'Floating Exchange Rate'

       ☑ 高度成長は通産省の指導のおかげ ? ➲  ✕ 

       日本の戦後の高度経済成長は、通商産業省(通産省↓現在の経済産業省《経度省》)
      が通切な産業政策を行ったからだ、と信じている人が多くいます。「通産省が日本株式
      会社の司令塔だ」という声もありますし、城山三郎の小説「官僚たちの夏」は、そんな
      英雄的な官僚像を高らかにうたいあげました。
       しかし、これはあくまで「伝説」にすぎません。実際には、産業政策が効果を上げた
      ことなどほとんどなく、通産省の業界指導は役に立だなかったのです。むしろ、通産省
      に逆らって四輔車に参入した本田技研工業のような企業が戦後日本の発展を支えてきま
      した。ホンダも含めて、戦後の日本産業を引っ張ったとされるトヨタ、パナソニック
      (松下電器産業)、ソニーなどが通産省の指導で仲びたと思っている人は、いないので
      はないでしょうか。
       高度成長を支えたのは主に為替要因です。1ドル=360円の圧倒的に有利な為替
      レートが輸出産業と高度成長を支えました。

          ------------------------------------------------------------------------------

                「Iドル=360円」の楽勝レートが高度成長の最大の要因
  
       私は、日本の高度成長を支えた最大の要因は「1ドル=360円」の有利な為替レー
      トだったと見ています。
      産業界には、ものづくりの技術を高めたことが日本の産業を発展させたと考えている
      方が多くいらっしやいますから、「為替レートが有利だったから、日本の産業が伸びた」
      というと、必ずお叱りを受けます。
       もちろん、ものづくりの努力が産業を支えてきたことは私も十分に承知していますし、
      そうした要因があったことも問違いないことなのですが、しかし、為替データを見る限
      り、為替要因が圧倒的に大きかったことがわかるのです。
       身近な例でいえば、2009年からの民主党政権時代(2009年9月~2011年
      12月)には、過度な円高が放置されたために、日本の産業界は非常に苦しめられまし
      た。技術力は世界最高レベルであるにもかかわらず、大手メーカーが赤字となり、リス
      トラを余儀なくされました。不利な為替レートだと、どんなに技術力が高くても利益を
      上げられません。為替要因はしばしば技術要因を上回ります。

       経済理論の中には、適正な為替レートを計算する理論がいくつかあります。経常収支
      によって決まってくるときもありますが、変動相場制のような自由な為替相場の世界で
      は、マネタリーアプローチによって計算できます。2国のマネタリーベースの比をとる
      と、均衡レートが出てきます。
       途中を省いて単純化していうと、円の総量/ドルの総量で、円ドルの均衡レートが計
      算できます。「完全に自由な為替相場だったとしたら」と仮定した場合の計算上の為替
      レートです。どんな物でも量が増えると相対的な価値が減少します。それと同じで、円
      の量を増やすと円安になると考えていただくとわかりやすいかもしれません。
       図1を見て下さい。1986年以降の円ドルレートは、計算上の均衡レートとほとん
      ど同じ水準です。のちほど「プラザ合意」のところで詳しく説明しますが、1985年
      のプラザ合意以降は為替介入をしなくなりましたので、計算上の均衡レートと実際の為
      替レートがだいたい一致するようになりました。



          ------------------------------------------------------------------------------




              ☑  1ドル=360円時代は為替に介入していない ? ➲  ✕ 
 
             現在、為替は変勤相場制になっていますが、昔はIドル=360円の固定相場制でし     
       た。
        誤解している人が多いのですが、固定相場制とは、放っておいても為替レートが維持
            される制度ではありません。どんなに世界中が「1ドル=360円」だと認めていて、
            日本政府が「その相場で固定する」と宣言したところで、自動的に為替が「Iドル=3
            60円」になるわけではないのです。
             では、どうしていたか。
             実は、Iドルが360円から前後しそうになったときには、日本政府が猛烈に為替介
        入をしていたのです。決められた為替レートを維持するために介入し続けるのが固定相
       場制です。多くの場合、円高に振れないようにドル買い介入が行われました。
        そして、そのために円を刷る必要かおり、その結果として、日本国内はインフレ基調
       になっていたのです。
 

            均衡レートは、1971年までさかのぼって計算することができます。1970年代
           における均衡レートは、Iドル=140円程度です。それ以前の均衡レートは私の試算
           ですが、1970年代と大きくは追っていないはずです。
             グラフを見ていただくと、Iドル=360円時代が日本の輸出産業にとっていかに有
           利な為替レートだったかがわかります。1ドル=140円程度のところを1ドル=36
           0円で取引できるなら、「楽勝レート」です。1960年代の高度成長期には、非常に
           有利なレートで輸出をすることができました。
      
            1
ドル=360円のレートは、一九四丸年に設定されて以来ずっと続きました。なぜ
           アメリカが日本にとって有利な為替レートにしてくれたのかはよくわかりません。かつ
       て田中角栄が「円は360度だから、1ドル360円だ」と冗談めかしていったという
        話はありますが、1ドル=360円に決めてくれた人に感謝するしかありません。日本
       のことをアメリカがナメていたのかもしれません。
             この有利な為替レートが戦後の高度経済成長の最大の要因です。1960年代の高度
            成長期は、高いゲタを履かせてもらっていましたので、輸出企業の競争力が圧倒的に高
            まり、高収益を上げることができました。

                      為替レートが有利なうえに、技術力がついてきた

        日本の輸出企業は圧倒的に有利な為替レートの恩恵を受けていました。もちろん、日
       本企業に基礎的な技術力があったのも事実です。いくら為替レートが有利でも、粗悪品
       をつくっていたのでは海外では売れません。
        昔は日本製品は低品質と見られていましたが、徐々に技術力が高まり、アメリカ製品
       と似たようなレベルの物をつくることができるようになりました。その過程で、海外か
       ら多くの技術を学んでいます。海外企業と提携して技術力を高めた企業もたくさんあり
       ます。
 
        もちろん、実力を超えた円安の時代ですから、海外から技術を導入する経費は大変な
       ものでした。本田技研は、あまりに高額の工作機械を購入したことも響いて資金難に陥
       り、倒産しかかっています。松下電器がフィリップスと提携したときも、イニシャル・
       ペイメント(前払い実施料)55万ドル、株式参加30%、ロイヤルティー(技術指導料)
       7%を要求されました。松下幸之助が、この技術指導料に対して「経営指導料」を逆に
       要求したことは有名な話です。結果としてフィリップスの技術指導料4・5%に対して、
            松下電器の経営指導料3%で契約が成立しています。

        たしかに、当時の名経営者たちはこのような果断な判断を次々と下し、技術力を格段
       に向上させていったのです。1950年代は価格の安さが最大の売りだったのでしょう
       が、利益を上げながら品質を高め、1980年代には日本製品の品質は世界最高レベル
       になっています。
        それを端的に物語っているのが、アメリカの映画「バック・トウ・ザ・フューチャー」
       です。主人公が1985年から1955年にタイムスリップするストーリーで
すが、1
       985年のシーンでは、身の回りの家電製品は日本製ばかりです。主人公の少
年があこ
       がれる自動車もトヨタのピックアップトラックです。

        ところが、30前の1955年のシーンはまったく追います。シリーズ3作目で、
       955年当時の人物が、「メイド・イン・ジャパンじゃ、壊れても不思議はない」と

       うのに対し、1985年から来た主人公が、「何をいっているんだい。日本製は最高

       よ」というシーンがあります。1950年代の日本製品と1980年代の日本製品で

       まったくイメージが追っています。

        ともあれ、果断な経営判断と、不断の努力で製品の品質を上げていったことが、日本
       製品の最終的な勝利を招来することになったわけですが、日本企業の躍進を支えた大き
       な要因は、やはり「1ドル=360円」の為替レートだったことは間違いないでしょう。
        有利な為替レートのおかげで、「品質の良いものを、割安の値段で売る」ことがで

       たのです。おかげで、日本製品はどんどん海外で売れました。さらにいえば、当時の

       営者たちが果敢に決断できた背景に、「1ドル=360円」という為替レートがもた

       してくれる高収益に対する安心感があったことも、間違いありません。

 Sep. 22, 1985

        1985年のプラザ合意までは、実は、実質的な「固定相場制」だった 固定相場を
       続けている限り、独立した金融政策を打つことはできません。固定相場制
から変動相場
       制に移行することで、初めて日銀は独立した金融政策をとることができる
ようになりま
       す。

        では、いつから変動相場制に移行したのでしょうか。
       社会の教科書では1973年2月から変動相場制に移行したとされています。しかし、
       国民には知らされていない裏があります

        制度上は1973年に変動相場制になったのですが、実際には猛烈な為替介入が続い
       ていました。「ダーティ・フロート」という裏の介入が続いていたのです。もちろん国
       民にはわかりにくい形にされていました。
       「ダーティ・フロート」を完全にやめて、宣]の変動相場制に移行したのが1985年
       の
プラザ合意」です。1ドル=360円時代は、360円から上下への変動をまった
       く
許さない為替介入をし、1973年2月からプラザ合意までは、上下への変動をある
       程
度許す為替介入をしていました。プラザ合意以降は「クリーン・フロート」にして為
       替
介入をやめました。

        日本が固定相場制から、為替介入しない変動相場制に移行したのは、1973年2月」
       ではなく、1985年9月」のプラザ合意です。ここを見誤ると、1973年か
ら19
       85年までの日本経済を正しく理解できなくなります。

        為替介入をやめて変動相場制にすると、為替は計算上の均衡レートとほぼ一致した数
       値になります。同列のグラフをもう一度見て下さい。グラフの2つの折れ線が急激に近
       づいていくのは、1985年以降です。それまでは両者には開きがあります。これは介     
       入を続けていたことを意味しています。
       整理しますと、

         ・プラザ合意まで ➲  固定相場制(1973~1985年は実質的固定相場)
     
    ・プラザ合意以降 ➲  変動相場制
 
         となります。
       「国際金融のトリレンマ」に則していえば、1985年までは固定相規制だったため独
       立した金融政策をとることができず、1985年に変動相場制になってようやく独立し       
       た金融政策をとれるようになりました

 Paul Krugman


ここで、高橋洋一氏の著書を眼にするのは、リーマンショック後であったことはこのブログで掲載している。「失
われし十年」ではなく、「失われし二十年」「失われし三十年」との考えの切っ掛けは彼ではなくポール・クルー
グマンの『クルーグマン教授の経済入門』(山形浩生訳、メディアワークス、1998年)である。高橋がここで「高
度成長を支えたのは主に為替要因です。1ドル=360円の圧倒的に有利な為替レートが輸出産業と高度成長を支
えた」との指摘には異論がない。わたしが付け加えるとするなら、共同幻想の貨幣(為替)は決算手段に過ぎず、
財政と金融政策の独立した制御の形態であり、その経済的エネルギーの源泉は国民にある、と。このことの考察は
この著書を読み進めるなかで逐次進めていくことにする。
    
                                                                                                      この項つづく 

 Aug. 25, 2017

Steam rising from the coal-fired Jim Bridger power plant outside Rock Springs, Wyo. Credit Jim Urquhart/Reuters

 

 

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スカンジウムな男

2017年09月01日 | 環境工学システム論

     

         成公16年( -575) 鄢陵(えんりょう)の戦い   / 晋の復覇刻の時代 

                                  

       ※  君の師を亡えり、あえてその死を忘れんや:鄢陵を引きあげた楚軍が 領内の
              瑕(か)に着いたとき、共王は子反に使いをやって、こう伝えさせた。「かつ
       て子玉
が大敗を喫したときは、主君は同行していなかった(「城濮の戦い」)。
       だが、今度
はちがう。おまえの失敗と思うことはない。行動をともにしたわた
       しに責任がある」。
子反はこれを聞くと再拝稽梢首して言った。「殿がわたく
       しに死を賜われば、そのほうがうれしゅうございます。何と申しましても、わ
       たくしの
部下が逃げ腰になったことが今度の敗戦のもとです。責任はこのわた
       くしにございます」。
子重は子反に使いをやってこう言わせた。「むかし、大
       敗を契した将軍がどのように責任をとったか、ご承知のはず(城濮の戦いに敗
       れ、子玉は
自殺。しかるべくお考えになるよう」。子反は答えた。「むかしの
       将軍がどうであったにしろ、あなたのお考えになっているとおりだと思います。
       主君の軍
を失ったからには、わたくしは死んで責任をとるつもりです」。楚王
       は子反の死を止めようとしたが、時すでにおそく、子反は自ら命を絶っていた。 

  No.59

【エネルギータイリング事業篇】 

♞ 最新ピエゾタイル技術:世界最高性能の窒化ガリウム圧電薄膜

 【概要】

8月31日、 産業技術総合研究所などの研究グループは、低コストで成膜温度の低いRFスパッタ法を
用いた、単結晶と同等の圧電性能を示す窒化ガリウム(GaN)薄膜を作製できる方法を見いだした。さ
らに、スカンジウム(Sc)添加で圧電性能が飛躍的に向上することを実証し、GaNとしては現在、世界
最高性能の圧電薄膜を開発したことを公表。この開発成果の特徴は、❶金属配向層上に成長させること
で、良質な窒化ガリウム配向薄膜をRFスパッタ法で作製、❷スカンジウムの添加により圧電性能が飛
躍的に向上、❸センサーやエナジーハーベスターとしての応用の他、製造技術への波及効果にも期待さ
れている。

GaNLEDやパワーエレクトロニクスへの利用で知られているが、窒化アルミニウム(AlN)と同様
に機械的特性に優れた圧電体でもあり、通信用高周波フィルタ
、センサー、エナジーハーベスターなど
への利用も期待されている。さまざまな応用が期待される一方で、GaNAlNに比べて圧電薄膜の作製
が難しく、RFスパッタ法では圧電体として利用できる十分に良質な配向薄膜を作製できなかった。
今回、ハフニウム(Hf)またはモリブデン(Mo)の金属配向層の上にGaNの結晶を成長させることで、良
質なGaN配向薄膜を作製できた。この薄膜は単結晶並みの圧電定数d33(約3.5 pC/N)を示した。
さらに、Scを添加するとd33が約4倍の14.5 pC/Nまで増加した。今回の成果により、GaNの圧電体とし
ての応用が広がるだけではなく、GaN薄膜の製造技術への波及効果も期待できるとのこと。


【従来の製造方法】

従来の圧電薄膜の薄膜形成法は、スパッタリング法や、CVD法等があるが、スパッタリング法で製造する(下図
3)。また、3元スパッタリング装置また下図4に示す1元スパッタリング装置でスパッタリング処理する。 図3のス
パッタリング装置は、Alの第1のターゲット2と、Mgの第2のターゲット3と、Hfの第3のターゲット4とを用い、窒
素(N2)ガスとアルゴン(Ar)ガスの混合雰囲気下で3元スパッタリング法で、基板1に成膜していた。なお、第1
のターゲット2としてAlNのターゲットを用いる。3元スパッタリング法では、第1,第2及び第3のターゲットパワー
の比率を変えることでAl、Mg及びHfの含有量を調節する。

さらに、図4に示すスパッタリング装置は、Al、Mg及びHfの合金の合金ターゲット5で、N2ガスとArガスの混合
雰囲気下で1元スパッタリング法で成膜。1元スパッタリング法は、予めAl、Mg及びHfの含有量が異なる合金タ
ーゲット5を用意、Al、Mg及びHfの含有量の調節を行う。なお、合金ターゲット5は、真空溶解法や、焼結法など
を用いて作製する。または、Alのターゲットの上にMgやHfの金属片を置いたり、Alのターゲットに凹み穴をあけ
てMgやHfの金属片を埋め込んだもの可。また、Al、Mg及びHfの合金の合金ターゲット5を用いる1元スパッタ
リング法では、6インチや8インチといった大型のウエハ上へ、均一な膜厚分布と圧電性分布で成膜可能である。
Sc含有AlNでは、Sc及びAlの合金のターゲットが用いるが、高価なため、Al、Mg及びHfの合金の合金ターゲ
ット5を用いることで大幅に製品価格を下げている。なお、スパッタリングは、基板1の温度としては、室温~45
0℃で行っていた。

※ 特開2015-233042  圧電薄膜及びその製造方法、並びに圧電素子

【符号の説明】

1 基板 2 第1のターゲット 3 第2のターゲット 4 第3のターゲット 5 合金ターゲット 11 圧電マイクロ
フォン 12 筒状の支持体 13 圧電薄膜 14 第1の電極 15 第2の電極 16 シリコン酸化膜 17,18
第1,第2の接続電極 17a ビアホール電極部 21 幅広がり振動子 22a,22b 支持部 23 振動板 
24a,24b 連結部 31 厚み縦振動子 32 基板 33 音響反射層 33a,33c,33 相対的に低い音響イ
ンピーダンス層 33b,33d 相対的に高い音響インピーダンス層

【今回の製造方法】

今回の製造技術は、GaNと結晶学的に相性のよいハフニウム(Hf)やモリブデン(Mo)の配向層を、あらか
じめシリコン基板上で成長させて、その上に、比較的低温で成膜できるRFスパッタ法でGaNの配向薄膜
を成長させる。X線ロッキングカーブ法で配向薄膜の結晶学的な品質を評価した結果を図1に示す。ロ
ッキングカーブの半値幅(赤い矢印)が小さい方が配向薄膜の品質が良いことを示すが、シリコン基板
上に直接成長させた薄膜より、HfMoの配向層上に成長させた薄膜の方が配向性が良いことが分かった。
このGaN配向薄膜の圧電定数d33は、MOCVD法などで作製された単結晶GaNの発表されている値と同等
であり(図2、約3.5 pC/N)、良質な薄膜を作製できたことがわかる。今回開発した技術では、MOCVD
法に比べて低い温度でGaN薄膜を作製できるため、コスト削減のほか、これまでGaN成膜後の複雑な工程
が必要だった金属電極の作製も容易になる。また、比較的低温で作製できるので、他のデバイスや製品
GaN圧電体の製造にも使用できることを確認。


さらに、これが重要なポイントであるが、AlNの圧電性能を飛躍的に高めることで知られているスカン
ジウム(Sc) ※ の添加をGaNで試みている。AlNは結晶のある一方向に圧電性を示すが、Scを添加する
と結晶構造が変化、その方向にイオンが動きやすくなり、圧電性が向上する。と考えられているが今回
の配向層を利用し、同結晶構造をもつGaNScを添加した圧電薄膜を作製。その結果、圧電定数d33が著
しく向上、無添加のGaNの4倍である約14 pC/Nを示す。これまでの作製技術では、Scのような異種元素
添加で配向薄膜ができなかった。今後、この方法はGaN 圧電体の研究開発が促進されるとみている。


さらに、GaN圧電薄膜を用いてBAW型高周波フィルターを試作し、共振特性を調べると、Sc無添加の薄
膜もScを添加した薄膜も良好な共振特性を示し、添加した薄膜の電気機械結合係数k2は約6%と、無添
加の3倍の高くなった。今回作製したSc添加GaNの圧電定数d33や電気機械結合係数k2は、現在のところ
GaN系としては世界最高値である。

 
※ X線ロッキングカーブ法とは

※ スカンジウム((Sc)とは

鉱物の産地である「スカンジナビア」を意味するラテン語「Scandia」にちなんで「スカンジウム(Sca-
ndium
)」と命名。の地球における存在量は鉛(Pb)と同程度で、それほど多くはなく、Pbとは異なり、
これを濃縮する地質学的過程が存在しないため、Scは地殻全体に広く分散して、何百種類もの鉱物に少
量ずつ含まれ、珍重されてきた。ノルウェーのIvelandで採れる暗緑色のトルトベイト石(Sc2Si2O7)の
標本などは、1950年代、その価値が同じ重さの金(Au)に匹敵。Scを必要とする生物は見つかっていな
いが、茶の葉には異常濃縮し、その原因として茶の木が成長に必要なアルミニウム(Al)を吸収する際、
化学的に類似したScを区別せず一緒に取り込むとされる。ScAl–Sc合金としての用途が評価される。
Alに0.5%量のScを加えると、軽量という利点を維持しながら強度を著しく高め、合金化によって融点が
800°Cも上昇、Alでは困難な溶接が可能となる。ロシアでは、ジェット戦闘機ミグの複数の部品にこの
合金が使われている。




※ 圧電定数とは

圧電アクチュエータの原理 | 村田製作所

 

 

          

読書録:村上春樹著『騎士団長殺し 第Ⅱ部 遷ろうメタファー編』  

    第49章 それと同じ数だけの死が満ちている 

  途中で雨田が用を足したいと言って、道路沿いにあるファミリー・レストランに車を停めた。
 我々は窓際のテーブルに案内され、コーヒーを注文した。ちょうど昼時だったので、私はロース
 トビーフのサンドイッチもあわせて頼んだ。雨田も同じものを頼んだ。それから雨田は席を立っ
 て洗面所に行った。彼が席を離れているあいだ、私はぼんやりとガラス窓の外を眺めていた。駐
 車場は車で混み合っていた。おおかたが家族連れだ。駐車場にはミニヴァンの数が目立った。ミ
 ニヴァンはどれもこれも同じように見える。あまりおいしくないビスケットの入った缶みたいだ。
  人々は駐車場の先にある展望台から、小さなディジタル・カメラや携帯電話で、正面に大きく見
  える富士山の写真を撮っていた。おそらく愚かしい偏見なのだろうが、人々が電話機を使って写
 真を撮るという行為に、私はどうしても馴れることができなかった。写真機を使って電話をかけ
 るという行為には、もっと馴染めなかった

  私がそんな光景を見るともなく見ていると、一台の白いスバル・フォレスターが道路から駐車
 場に入ってきた。私はそれほど車種に詳しいわけではないが(そしてスバル・フォレスターは決
 して特徴的な格好をした車とは言えないが)、それがあの「白いスバル・フォレスターの男」が
 乗っていたのと同じ車種であることは一目でわかった。その車は空いたスペースを深しながら、
 混み合った駐車場の通路をゆっくりと進み、ひとつを見つけるとそこに素早く頭から車を入れた。
  バックドアに装着されたタイヤ・ケースにはたしかに「SUBARUFORESTER」とい
 う大きなロゴがついていた。どうやら宮城県の海沿いの町で私が目にしたのと同じモデルのよう
 だ。ナンバー・プレートまでは読み取れなかったが、それは見れば見るほど、私が今年の春にあ
 の小さな港町で目にしたのと同じ車のように見えた。車種が同じというだけではない。まったく

 同一の車のように。

  私の視覚的記憶は人並み外れて正確だし、しかも長続きする。そしてその車の汚れ具合や、ち
 ょっとした個別的な特徴は、私の記憶の中あるあの車に酷似していた。息が詰まりそうな気が
 した。私は目をこらして、そこから誰が降りてくるのかを見届けようとした。しかしそのときに
 ちょうど大型観光バスが駐車場に入ってきて、私の視界をふさいでしまった。車が混み合ってい
 て、バスはなかなか前に進めないようだった。私は席を立ち、店の外に出た。そして立ち往生し
 ている観光バスを回り込むようにして、白いスバル・フォレスターが停められた方に歩いて行っ
 た。しかしその車にはもう誰も乗っていなかった。車を運転していた人間は、車を降りてどこか
 に行ってしまったのだ。レストランの中に入ったのかもしれないし、あるいは展望台に写真を握
 りに行ったのかもしれない。私はそこに立って、あたりを注意深く見回してみたが、「白いスバ
 ル・フォレスターの男」の姿はとこにも見当たらなかった。もちろんその男が車を運転していた
 とは限らないわけだが。

  それから私は車のナンバーを確かめてみた。やはり宮城ナンバーだった。そしてリアバンパー
 にはカジキマグロの絵を描いたステッカーが貼ってあった。あのときに見たのと同じ車だ。間違
 いない。あの男がここにやってきたのだ。背筋が凍りつくような感覚があった。私は彼を見つけ
 ようとした。私はもう一度その男の順を見たかった。そして私か彼の肖像画を完成させられない
 でいる理由を確かめたかった。私は彼の中の何かを見落としているのかもしれない。私はとにか
 くそのナンバーの数字を順に刻み込んだ。何かの彼に立つかもしれない。何の彼にも立たないか
 もしれない。



  私はしばらくのあいだ駐車場を歩き回り、それらしい男の姿を探し求めた。展望台にも足を違  
 んでみた。しかし「白いスバル・フオレスターの男」の姿は見当たらなかった。短い白髪混じり
 の髪、よく日焼けした中年の男。背は高い方だ。前回見たときにはくたびれた黒い革ジャンパー
 を着て、ヨネックスのロゴの入ったゴルフ・キャップをかぶっていた。私はそのとき男の順をメ
 モ帳に簡単にスケッチし、それを向かいの席に座った若い女に見せた。「ずいぶん絵が上手なの
 ね」、女はそれを見て感心したように言った。

  外にそれらしい男がいないことを確かめてから、私はファミリー・レストランの中に入り、店
 の内部を一周してみた。しかし男の姿はとこにも見当たらなかった。レストランはほとんど満員
 になっていた。雨田は既に席仁戻ってコーヒーを飲んでいた。サンドイッチはまだ違ばれてきて
 いなかった。

 「どこに行ってたんだよ?」と雨田は私に尋ねた。
 「窓の外を見ていたら、知っている人を見かけたような気がしたんだ。だから外に探しにいって
 
いた」
 「見つかった?」
 「いや、見つからなかった。思い運いかもしれない」と私は言った。

  私はそのあともずっと、駐車している白いスバル・フオレスターから目を離さなかった。運転
 していた男が戻ってくるかもしれないと思って。しかしその男が車に戻ってきたからといって、
 私はそこでいったい何をすればいいのだろう? 彼のところに行って話しかければいいのか。た
 しか今年の春、宮城県の海沿いの小さな町で、二度ばかりお目にかかりましたね、と。そうでし
 たか、でも私はあなたのことは覚えていません、と彼は言うかもしれない。たぶんそう言うだろ。 

  なぜあなたはぼくのあとを追ってくるのですか? と私は問う。いったい何のことでしょう、
 私はあなたのあとを追ってなんかいませんよ、と彼は答えるだろう。どうして私が知りもしない
 あなたのあとを追わなくてはならないのですか? そこで会話は終わってしまう。
  でもいずれにせよ、運転者はスバル・フオレスターに戻ってこなかった。その白いずんぐりと
 した車は、駐車場の中で無言のうちにオーナーの帰りを待っていた。私と雨田がサンドイッチを
 食べ終え、コーヒーを飲み終えても、まだ男は姿を見せなかった。
 「さあ、そろそろ行こうぜ。あまり時間がない」と雨田は腕時計に目をやり、私に言った。そし
 てテーブルの上のサングラスを取り上げた。
  我々は立ち上がり、勘定を払い外に出た。そしてボルボに乗り込み、混み合った駐車場をあと
 にした。私としてはそこに残って「白いスバル・フオレスターの男」が戻ってくるのを待ちたか
 ったが、今はそれよりも雨田の父親に面会することの方が優先事項だった。どのような事情があ
 
ろうとその誘いを断ってばならないと、騎士団長に釘を刺されていた

  その上うにして、「白いスバル・フォレスターの男」が私の前にもう一度姿を見せたという事
 実だけがあとに残った。彼は私がここにいることを知っており、自分ちまたここにいるという事
 実を、私に見せつけ上うとしているのだ。私にはその意図が理解できた。彼がここにやってきた
 のは、ただの偶然ではない。観光バスが前に立ちはだかって彼の姿を隠してしまったのも、もち
 
ろん偶然ではない。

  雨田典彦の入っている施設までは、伊豆スカイラインを降りてからしばらく、くねくねと曲が
 った長い山道を道んで行かなくてはならなかった。新たに聞かれた別荘地があり、洒落たコーヒ
 ーハウスかおり、ログハウスのペンションがあり、地元でとれた野菜の直売所があり、観光客向
 けの小さな博物館があった。そのあいだ私は道路のカーブにあわせて、ドアについたグリップを
 握りしめながら、「白いスバル・フォレスターの男」のことを考えていた。彼の肖像画を完成さ
 せることを、何かが阻んでいるのだ。たぶん私は、その絵を完成させるためにどうしても必要な
 要素をひとつ、見つけることができずにいるのだ。パズルの大事なピースをひとつなくしてしま
 ったみたいに。それはこれまでにはなかったことだった。私が誰かの肖像画を描こうとするとき、
 私はそのために必要な部品を、前もってすべて集めておく。しかしその「白いスバル・フォレス
 ターの男」に聞してはそれができなかった。おそらく「白いスバル・フォレスターの男」本人が
 それを阻止しているのだろう。彼は何らかの理由で、自分か絵に描かれることを望んでいないの
 
だ。あるいは強く拒否しているのだ。

  ボルボはある地点で道路を外れ、大きく聞かれた鉄の門扉の中に入った。門にはとても小さな
 看板しか出ていなかった。よほど気をつけていなければ、入り口を見落としてしまいそうだ。お
 そらくこの施設は、自らの存在を広く世間に宣伝する必要を感じていないのだろう。門の脇には
 制服を看た警備員のブースがあり、政彦はそこで自分の名前と、面会相手の名前を告げた。警備
 員がどこかに電話をかけ、身元を確認した。そのまま奥に進んでいくと、僻蒼とした林の中に入
 っていった。樹木のほとんどは背の高い常緑樹で、それが作り出す影はいかにもひやりとしてい
 た。きれいに舗装されたアスファルトの坂道をしばらく上ると、平らな車寄せに出た。車寄せは
 ロータリーになっていて、その中央には丸い花壇がつくられていた。なだらかな丘のように盛り
 上げられた花壇は、大きな花キャベツで囲まれ、真ん中には鮮やかな色合いの赤い花が咲いてい
 た。すべてがよく手入れされていた。

  雨田はロータリーの奥にある来客用の駐車場に入り、そこに車を止めた。駐車場には二台の車
 が先に停まっていた。ホンダの白いミニヴァンと、アウディの紺色のセダンだった。どちらもぴ
 かぴかの新車で、その二台のあいだに停めると、旧型ボルボは年老いた使役馬のように見えた。
 しかし雨田はそんなことはまったく気にしていないようだった(それよりはカセットテープでバ
 ナナラマを聴けることの方が大事なのだ)。駐車場からは眼下に太平洋が見下ろせた。海面は初
 冬の陽光を浴びて、鈍い色合いに光っていた。その中で中型の漁船が何隻か操業していた。沖の
 方に小さな小高い島が見え、その先に真鶴半島が見えた。時計の針は一時四十五分を指していた。



  我々は車を降りて、歩いて建物の入り口に向かった。建物は比較的最近建てられたものらしか
 った。全体的に清潔でスマートではあったが、とくに個性の感じられないコンクリートの建物だ。
 デザイン面から見る限り、この建物の設計を担当した建築家の想像力は、それほど活発なもので
 はなかったようだ。あるいは依頼主が建物の用途を考慮して、できるだけシンプルで保守的な設
 計を求めたのかもしれない。ほぼ真四角な三階建ての建物で、すべてが直線で成り立っていた。
 設計はたぶんまっすぐな定規丁寧で足りたはずだ。一階部分にはガラスが多く使用され、できる
 だけ明るい印象を与えようとしている。斜面に張り出した大きな木製のバルコニーもあって、そ
 こには1ダースばかりデッキチェアが並べられていたが、季節はもう冬に入っていたから、いく
 ら空か気持ちよく晴れ上がっているとはいえ、外に出て日光浴をしている人の姿は見当たらなか
 った。床から天井まで立ち上がったガラス壁で囲まれたカフェテリアの部分には、何人かの人々
 の姿が見えた。五人か六人、みんな年老いた人々のようだった。車いすに座っている人も二人ば
 かりいた。何をしているかまではわからない。たぶん壁についた大型のテレビ両面を見ているの

  だろう。みんなで揃ってとんぼ返りを打っているのでないことだけはたしかだった。

                                                                           この項つづく
 

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嘘ばかりとは情けない

2017年09月01日 | 時事書評

     

         成公16年( -575) 鄢陵(えんりょう)の戦い   / 晋の復覇刻の時代 

                                  

       ※  楚の子反、楚を敗る:その日の戦闘が終わると、楚の子反は軍吏にさっそく次
       の戦闘の準備を命じた。負傷者の手当て、
欠員の補充、武器の修理、車馬の手
       入れ、翌早朝の食事の準備、すべてはとどこおりなくすんだ。
この動きを察知
       した晋軍は、苗賁皇(びょうふんこう)が一計を案じた。かれは、
「車を整え、
       兵員を補い、馬には草をあたえよ。武器の点検、布陣、整列も完全にせよ。明
       朝はすみ
やかに朝食をすませ、戦いの祈りをささげよ。明日はまた戦うのだ」
       
と、陣中に触れを出したうえで、楚の捕虜を釈放した。楚の共王は晋軍が戦闘
       態勢をとったことを
知ると、対策を講ずるため、子反の陣に使いを出して、よ
       びつけた。ところが、召使いの穀陽が、酒
を飲ませたため、子反は酔いつぶれ
       て動けなくなってしまった。共王は、「あ
あ、これでわが楚が敗れるのか、こ
       れも天命なのであろう。敗けときまった以上、長居は無用だ」
 と言って、その
           夜のうちに 鄢陵(えんりょう)から撤退した。

       晋軍は楚の陣に進駐し、三日分の食禄を獲得した。范文子は、愿公の馬前に立
       って言
った。「ご経験も浅く、傑出した臣下ももたぬ殿が、このような勝利を
       収められたの
は何ゆえでしょうか。よくお考えの上、くれぐれも自制なされる
       ように。”天命はいつも
味方するとはかぎらない”という言葉が『伺書』にご
       ざいます。天運は徳ある者に移ると
いう意味でございます」 

       

  ● 読書録:高橋洋一 著「年金問題」は嘘ばかり     

    第7章 年全商品の選び方は、「税金」と「手数料」がポイント

            第5節 高利回り商品でも、「手数料」が高ければ元も子もない

    もう一つ、見逃されがちなのは、手数料です。税制上の恩典を受けられても、手数料
   をたくさん取られたら意味かおりません。多くの金融商品は、販売会社の格好の手数料
   稼ぎになっています。
    なかなか気づきにくいのは、一般の保険の手数料の高さです。
    死亡保険(生命保険)の場合、死亡などの事故が発生したときに多額の保険金を受け
   取れますが、何も起こらなければ、掛け捨てになります。多額の保険金を受け取れるの
   は、何事もなく満期を迎える人が多いからです。保険金の額が高いので、気がつかない
   人が多いのですが、このような保険商品は保険会社がかなりの手数料を取っています。
   具体的な数字は書きませんが、その手数料率を知ったら驚く人が多いと恩います。そう
   した保険商品は、保険のおばちゃんといわれる販売員を養うためになるのかと勘違いし
   てしまいそうです。
   
    ちなみに保険商品には、大きく分けると、掛け捨て保険と、貯蓄型保険の二つがあり
   ます。

    《手数料》

    投資信託 < 貯蓄型保険(投資信託十掛け捨て保険) < 掛け捨て保険

    最近になって、金融庁は、貯蓄型保険の手数料の開示を求めるようになりました。貯
   蓄型保険は、銀行窓口などで販売され、保険会社が銀行に手数料を支払っています。金
   融庁の
開示要求に対して、手数料を開示されたくない地銀協は強硬に反対しました。そ
   れでも金融庁
の意向によって、開示の方向に進んでいます。
    私は、金融庁の人と会ったときに、「貯蓄型保険の手数料の開示をさせるなら、掛け
   捨て保険の手数料も開示させるべきではないですか」といったところ、相手は黙ってし
   
まいました。「貯蓄型保険は、掛け捨て保険と投資信託のハイブリッド商品ではないのですか
   ?」と開いたら、その点は認めました。それならば、掛け捨て保険だけ手数料を開示し
   ないの
はおかしな話です。
    すべての商品の手数料を開示させたほうがいいのですが、掛け捨て保険だけは、手数
   料が高すぎて開示できないようです。
    今後、様々な金融商品の手数料が開示されていくはずです。手数料に敏感になること
   が、自分の資産を守ることにつながります,3%の手数料だ
とすると、3%以上の利回
   りの商品でなければメリットかおりません。

    ですから、私が金融商品を検討する際のポイントは、「税制上の恩典と「手数料
   なのです。この二つだけで判断してもいいとさえ、私は思っ
ています



           第6節 税制の恩典が大きい「確定拠出年金」は、「手数料」次第

    私は、大蔵省に入ったときに、振り出しが証券局でした。証券局の新人が担当する仕
   事の中に、一般顧客からの苦情処埋かありました。とはい
え、もちろん当局に「こんな
   に儲かりました」といってくる人はいません
ので、クレームばかりの偏った情報なので
   すが、それでも多くのことを知
りました。
    投資信託の手数料稼ぎの回転売買の実態もわかりましたし、保険商品が非常に高い手
   数料を取っていることも知りました。証券会社や保険会社の
手数料稼ぎの商品はたくさ
   んあります。

     多くの苦情を受けましたので、そのときのトラウマなのか、私は金融商品に対して
   は辛口です,辛口の私がお奨めできる数少ない商品が、先ほど述べた「個人型確定拠出年金
   です。
税制の恩典かおり、販売金融機関に支払う運営管理手数料んあります,
    多くの苦情を受けましたので、そのときのトラクマなのか、私は金融商品に対しては
   辛口です
    辛口の私がお奨めできる数少ない商品が、先ほど述べた「個人型確定拠出年金」です。
   税制の恩典かおり、販売金融機関に支払う運営管理手数料が安いというメリットが
あり
   ます。

    手数料をあまり取れないので、金融機関は確定拠出年金をそれほど積極的に販売して
   きませんでした。しかし、2017年1月から、加入できる人が、公務員や主婦に拡大
   されたため、金融機関が積極的に販売するようになりました。金融機関は、低金利時代
   の収益確保が難しくなっています。確定拠出年金の資産は原則として六〇歳まで引き出
   せないため、安定収入になると考えて、金融機関が積極的に販売しはじめたのです。

    確定拠出年金は税制の恩典かおる商品ですが、販売会社選びと商品選びは慎重にしな
   いといけません,
    加入する際には、まず「運営管理機関」を選びます。「運営管理機関」は、商品の提
   示や記録の管理などを行なう金融機関です。運用するのは別の金融機関で、「商品提供
   機関」と呼ばれます。
    加入者は、「運営管理機関」から提示された商品の中から選んで、毎月自分の掛け金
   を「商品提供機関」の商品で運用します。ハイリスク・ハイリターンの商品を選んでも
   いいですし、利回りは低くても元本割れしない安全な商品を選ぶこともできます。
    気をつけるべき点は、「商品提供機関」に支払う手数料(信託報酬)です。信託報酬
   が年率0.4%も取られるような投資信託ばかり提示するところを選ばないようにしま
   しょう。せっかくの税金の恩典が、高い手数料で元も子もなくなります。

    《確定拠出年金の手数料》

      「運営管理機関」への手数料十「商品提供機関」への手数料(信託報酬)

    もう一つ気をつけなければいけないことは、確定拠出年金を入りロに、別の商品も売
   りつけてくる可能性かおる点です。旅行、宿泊、買い物を優待価格でできるようにした
   り、残高が一定以上などの場合に口座管理手数料を無料にしたりするなど、いろいろな
   特典を付けてくるところがあります。そういうところは、エサで釣って別の商品を売ろ
   うとしていないか、よく見極める必要があります。相手は、変額保険のような手数料の
   高い商品や、税制の恩典のない投資信託を売りたいと恩っているのかもしれません。
   業者選びと商品選びは、慎重に行ないましょう。

 

 Oct. 19, 2014

                   第7節 「物価連動国債」でインフレヘッジを

    公的年金は、賦課方式でやっていますから、インフレヘッジされていますが、積立方
   式の場合は、インフレヘッジが重要になります。個人で確定拠出年金に入る場合も、イ
   ンフレ率よりも高い運用をしてもらわないと、受け取るときに目減りしていることかあ
   ります。
     インフレヘッジという面で一番良い商品は、「物価連動国債」です。物価と運動し
   ている国債ですから、完全にインフレヘッジされます。
    ところが、現在は、物価連動国債を個人が購入することはできません。もし物価連動
   国債を個人向けに売り出したら、年金に入る人がいなくなって困るのかもしれません。

    私は、物価連動国債を個人が買えるようにすべきだと考えています。そうすれば、運
   用利回りが心配な民間の年金保険に入る必要がなくなります。しかし、保険会社や信託
   銀行が反対するので、財務省は個人向けに売り出そうとしません。
    物価連動国債は、投資信託で買えるようになっていますが、投信を買う時点で手数料
   を取られますから、この仕組みではあまり国民のためになりません。

    私が、国債課の担当であれば、ネット上ですぐに売り出したいくらいです。ネットで
   直接国民に売り出せば、あいだに入る証券会社も銀行もいらなくなります。これだけ
   T技術が進んでいるのですから、直接国民に売るシステムを設計できるはずです。
    金融機関を通さず、国が直接国民に物価連動国債を販売できるようにすれば、多くの
   国民がインフレを心配せずに、老後に備えることができるようになるでしょう。
    ちなみに、私は物価連動国債の生みの親です。2000代のはじめ、経済財政諮問
   議を担当していたときに、竹中平蔵大臣に強く進言して提言書に入れてもらいました。

    そのとき、財務省から抵抗が強くて、個人販売まで織り込めませんでした。この意味
   で
今でも個人販売が認められていないのは残念です。

  Floating rate government bond

                 第8節 次善の策として「変動利付国債」もある

    物価連動国債を買えれば一番いいのですが、次善の策として、「変動利付国債」とい
   うものがあります。満期が10年ですが、最低金利が決まっていて、半年ごとに金利が
   変動します。この商品も、役人時代に制度設計で関わっています。
    変動利付国債の金利はだいたい短期金利と連動します。現在は短期金利がマイナスで
   すから、本当はマイナスに連動しなければいけないのですが、晨低金利が0.05%に
   固定されています。マイナス金利の現在は、この商品が一番お得です。
    おそらく商品設計したときに、まさかマイナス金利になるとは思ってもいなかったの
   でしょう。そのため、最低金利がプラスになっています。
    短期金利とほぼ連動しますから、金利が上昇すると、この国債の金利が上がります。
    インフレをあまり心配する必要のない商品です。マイナス金利になったときにも、金
   利
がつきますので、ありかたい商品です。これは、今のようにマイナス金利環境では他
   の
商品に比べてかなりのアドバンテージです。財務省の持ち出しになっているのだと思
   い
ますが、あまり販売額は大きくないですから、何とかなっているのでしょう。

    将来に対して備えるときに、一番難しいのはインフレヘッジです。株式を買ってイン
   フレヘッジする方法もありますが、どの銘柄の株を買うかを考えなければいけません。
   投資信託商品を選ぶのも大変です。
    何も考えずに一番簡単にインフレヘッジできるのが物価連動国債、その次が変動利付
   国債です。国債は一度買ったら金融機関の口座に置いておくだけです。口座手数料はた
   いした額ではありませんから、10年間そのまま置きっ放しにすれば、自動的にインフ
     レヘッジされるはずです。

    《インフレに強い商品》

     ・物価連動国債 (投資信託商品)
     ・変動利付国債

    金融商品は、商品の特徴をよく知ることが大切です。特徴を知って、自分が求める保
   障に向いた金融商品を選ばなくてはいけません。年金の場合は、インフレヘッジという
   点も重要になります。
    安全性の高い「公的年金」をベースにしながら、民間商品の特徴をうまく組み合わせ
   て、老後のために備えておきましょう。加えていうならば、どうやって老後にも働ける
   かということも考えておくべきでしょう。それが自分自身のゆとりある暮らしと健康の
   ためであるように思えてなりません。
    最後にもう一度繰り返しますが、年金は、長生きしたときのために掛けておく「保険
   です。きちんと保険を掛けておけば、安心して長生きすることができます。
    自分自身、そして家族のための人生です。変な「思惑」に乗った情報に踊らされて思
   わぬ「損」をこうむらないよう、ぜひ真実を知る努力を続けてください。

まとめて書評しようと考えていたが、「年金の制度/運用」の原理・原則については異論ないので加
筆することはないので、同著者の『戦後経済史は嘘ばかり』に移る


                                        この項了

 

         

読書録:村上春樹著『騎士団長殺し 第Ⅱ部 遷ろうメタファー編』    
   

 第48章 スペイン人たちはアイルランドの沖合を航海する方法を知らず

    雨田はそれについてしばらく考えていた。「その意味はへたとえ凡庸ではあっても、代わりは
  きかない〉 ってことか?」
 「そういう言い方もできるかもしれない」
  雨田はしばらく黙ってハンドルを握っていた。それから言った。
 「それはともかく、おまえちいっぺんそういうのを試してみてくれないか?」
 「ぼくは知っての通り、肖像画を長いあいだ描き続けてきた。だから人の顔の成り立ちにかけて
 は詳しい方だと思う。専門家といっていいだろう。しかし顔の右側と左側で人格に相違があるな
 んて、これまで考えたこともないよ]
 「でも、おまえが描いてきたのはほとんど男の肖像画だろう?」

  たしかに雨田の言うとおりだ。私はこれまで女性の肖像画制作の依頼を受けたことは一度もな
 い。なぜかはわからないが、払の描いた肖像画はすべて男性のものだった。唯一の例外は秋川ま
 りえだが、彼女は女性というよりはむしろ子供に近いかもしれない。それにその作品はまだ完成
 していない。

 「男と女とは違うんだよ、ぜんぜん」と雨田は言った。

 「ひとつ試きたいんだけど」と私は言った。「女性はほとんどが、顔の左側と右側とで表す人格
 が違っていると君は言う」
 「そうだ。それがおれの導き出した結論だ」
 「それで君は、どちらかの顔の側面をもう一方より、より好きになるということかおるのか?
 あるいはどちらかの頑の側面をより好きになれないということが?」

 それについて雨田はしばらく考え込んでいた。それから言った。「いや、そんな風にはならな
 い。どちらかをより好きになって、どちらかをより好きになれないとか、そういうレベルのこと
 じゃないんだ。どちらが明るい詣でどちらが暗い側だとか、どちらがよりきれいでどちらがより
 きれいじゃないとか、そんなことでもない。問題は、打と左で違っているということだけなんだ。
 違っているという事実そのものが、おれを混乱させ、ある場合にはおびえさせるんだよ」

 「そういうのって、ぼくの耳には強迫神経症の一種のように聞こえてしまうな」と私は言った。

 「おれの耳にもそのように聞こえる」と雨田は言った。「自分で話していて、そう聞こえる。で
 もな、ほんとうにそうなんだよ。一度自分で試してみてくれ」

  試してみる、と私は言った。でもそんなことを試してみるつもりはなかった。ただでさえ多く
 のトラブルを抱え込んでいるのだ。これ以上ややこしい目にあいたくない。
 それから我々は雨田具彦について話をした。ウィーン時代の雨田具彦について。

 「父はリヒアルト・シュトラウスがベートーヴェンの交響曲を指揮するのを聴いたことがあると
 言っていた」と雨田は言った。「オーケストラはウィーン・フィルだ、もちろん。とてつもなく
 素晴らしい演奏だったそうだ。それはおれが父親の口からじかに聞いた、数少ないウィーン時代
 のエピソードのひとつだ」
 「ほかにはウィーンでの生活についてどんな話を聞いた?」
 「どうでもいいような話ばかりだ。食べ物のこと、酒のこと、そして音楽のこと。父親はなにし
 ろ音楽が好きだったからな。それ以外のことは何もしやべらなかった。絵の話や政治の話はまっ
 
たく出なかったよ、女の出てくる話もな」

  雨田はそのまましばらく黙っていたが、やがて続けた。

 「誰かが父の伝記を書くといいのかもしれない。きっと面白い本になることだろう。でもな、現
 実にはうちの父親の伝記なんて誰にも書けやしないよ。なにしろ個人情報みたいなものがほとん
 ど存在しないんだから。父親は友だちもつくらず、家族なんか放ったらかしにして、ただただ一
 人で山の上にこもって仕事をしてきた。かろうじてつきあいがあったのは馴染みの画商くらいだ。
 ほとんど誰とも口をきかなかった。手紙ひとつ書かなかった。だから伝記を書こうにも、書くべ
 き材料ってものがろくすっぽないんだ。その一生は空白部分が多いというよりは、ほとんど空白
 だらけと言った方が近いかもしれない。身よりは穴ぼこの方がずっと多いチーズみたいなもんだ」

 「あとには作品だけが残されている」
 「そう、作品の他にはほとんど何も残されていない。おそらくそれが父の望んだことだ」
 「きみも残されたもののひとつだよ」と私は言った。
 「おれが?」と言って雨田は驚いたように私の顔を見た。でもすぐに視線を前方の路上幌尻した。
 「たしかにそうだな。言われてみればそのとおりだ。このおれも父があとに残したもののひとつ
 だ。あまり出来は良くないが」
 「でも代わりはきかない」
 「そのとおりだ。たとえ凡庸でも代わりはきかない」と雨田は言った。「ときどきおれは思うん
 だ。むしろおまえが雨田典彦の息子だったらよかったんじやないかって。そうすれば、いろんな
 ことがすんなりと運んだかもしれない」
 「よしてくれよ」と私は笑って言った。「雨田典彦の息子役は誰にもつとまりっこないよ」
 「たぶんな」と雨田は言った。「でもおまえならそれなりにうまく精神的な引き継ぎみたいなこ
 とはできたんじやないのかな。そういう資格は、おれよりはむしろおまえの方に典わっているん
 じやないか――おれとしてはただ素直にそんな感じがするんだよ」



  そう言われて、私は『騎士団長殺し』の絵のことをふと思い出した。ひょっとしてあの絵は、
 私が雨田典彦から引き継いだものなのだろうか? 彼が私をあの坦坦畏部屋に導いて、その絵を
 見つけさせたのだろうか? 彼はその絵を通して、私に何かを求めているのだろうか?
  カーステレオからはデボラ・ハリーの「フレンチ・キッスイン・イン・ザ・USA」が流れて
 いた。我々の会話のバックグラウンドにはずいぶん不似合いな音楽だった。

 「父親が雨田典彦だというのは、きっとずいぶんきついことなんだろうな」と私は思い切って尋
 ねてみた。

 「ちらりともな。おまえにはDNAを半分やったんだから、そのほかにやるものはない。あとの
 ことは自分でなんとかしろ、みたいな感じなんだ。でもな、人間と人間との関係というのは、そ
 んなDNAだけのことじゃないんだ。そうだろ? 何もおれの人生の導き手になってくれとまで
 は言わない。そこまでは求めないよ。しかし父親と息子の会話みたいなものが少しはあってもよ
 かったはずだ。白分かかつてどんなことを経験してきたか、どんな思いを抱いて生きてきたか、
 たとえ僅かな切れっ端でもいい、教えてくれてもよかったはずだ」

  私は黙って彼の話を間いていた。

  彼は長い信号で止まっているあいだ、レイバンの濃いサングラスを外してハンカチで拭いた。
 そして私の方を向いて言った。「おれの印象からすると、父親は何か個人的な重い秘密を隠して
 いて、それを自分一人で抱え込んだまま、この世界からゆっくり退出しようとしている。心の奥
 には頑丈な金庫みたいなものがあって、そこにはいくつかの秘密が納められている。彼はその金
 庫に鍵をかけ、その鍵を捨てるか、あるいはどこかに隠すかしてしまったんだ。どこだったか自
 分でももう思い出せないところにな」
  そして一九三八年のウィーンで何か起こったのか、それは誰にもわからない謎として闇の中に
 葬られてしまう。でも『騎士団長殺し』という絵が、ひょっとしたらその「隠された鍵」になる
 のかもしれない。そういう思いがふと頭に浮かんだ。だからこそ彼は人生の最後に、おそらくは
 生き霊となり、山の上までその絵を確認しにやってきたのではないか。
  私は首を曲げて後部座席に目をやった。そこに騎士団長がちょこんと腰掛けているかもしれな
 いという気がして。しかし後部座席には誰もいなかった。 

 「どうかしたのか?」と雨田が私の視線を追って尋ねた。
 「どうもしない」と私は言った。

  信号が青になり、彼はアクセル・ペダルを踏んだ。

                                     この項つづく


 

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