<4月の鑑賞予定映画>
先日は、みなさんからお悔やみの言葉を頂戴し、ありがとうございました。
おかげさまで、無事、祖母の葬儀が滞りなく終えることができました。
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◆12日
早朝、実家から一報が届き、そこから慌ただしい3日間が始まりました。
・(水)(木)の生徒さんのレッスン日程の変更連絡
・塾、および学校への連絡
・新幹線の切符手配、およびモモのペットホテルの手続き
・で、銀行へダッシュ!^^;
◆13日
娘はこの日から修学旅行のため、こちらを優先。
米原に停まる新幹線に乗車だったので、私も同じ新幹線に乗車。
米原に5分間停車するため、前日に学校へ事情を説明し、許可を得て
タラップに下ろさせてもらい、ホームで待っていたうちの家族と対面。
祖母の写真を持ってきてもらい、娘にそこで簡易焼香をさせて、
修学旅行へと向かった。(先生方には感謝です)
◆14日
葬儀告別式
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とまぁ、こんな3日間でした。
うちの実家は、本家なので、今から考えてみると人の出入りが多い家でした。
加えて弟が生まれるまでは、私がこの家を継ぐかもしれない、なんていうのが
あったから、小さいころから、「長女には厳しく次女には甘い」祖母でした。
ですが、祖母と2人で旅行に行った、というのは3姉弟では私だけだったと思います。
東京に叔父が住んでいますが、そこへ2~3回祖母と一緒に行った記憶が
あります。また、祖母と遺族会で富士山登山(小4)、社会人になってからも
同じく遺族会で北海道旅行に一緒に参加したこともあるので
そういう意味では祖母孝行してたんでしょうね~。
物心ついてからは、いろんなことがあってすっかり確執ができてしまい、
最後のほうは孫の中で、一番疎遠だったと思います。
そんな複雑な関係ですが、今でも記憶に残っている写真がこれ。
4歳の時、初めて祖母と2人で新幹線に乗って、東京の叔父宅へ
行く日に庭で撮った写真。
わずか4歳ですが、なぜかこの写真をとった記憶は鮮明に残っています。
28歳で、夫が戦死。そこから父と叔父を女手一つで育て上げ
二人を国立&私立の最難関大学に行かせたことが祖母の自慢。
加えて、あのでっかい家を守ったんですから、相当「家」への思い入れが
強い祖母でした。だから、自宅で亡くなったのはある意味幸せな
ことだったと思います。
さて、そんなわけで今回、息子は2日間学校を休ませました。
こういうことも経験ささないといけませんよね。
はじめは、自由がきかなくてブゥブゥ言っていた息子。
お通夜の時は、最前列に座っていたのですが、なんと口あけながら爆睡。(^◇^;)
しかし、告別式の時は、眠いの我慢して、お焼香もきちんとやり
めっちゃ多い親戚の人に対して、挨拶もなんとかしていたから
「やればできるじゃん」と思いましたね。加えて、いとこがまだ1~3歳と
小さい子ばかりなので、お兄ちゃんぶりを発揮。
けっこうまめに、面倒みてくれていましたよ。
お骨拾いにも、自分から進んで参加していた息子。
子供なりに、気を使っていたんだろうと思います。
しばらくは、仏壇にお経を唱える日が続きそうです。
<追記>
新幹線に乗った直後、妹&弟から携帯が
「姉ちゃん、喪服忘れて帰ってどうすんの!」
必ずオチがあるんですね・・・私。