芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

人生八十年時代

2010年01月19日 | Weblog
私の子供時代には、「人生五十年」とよくいわれていた。おまけに織田信長の舞の謡も付け加えて、それをうなる人までいた。もっとも、本能寺で最期を迎えた織田信長がよく謡ったと言われる「幸若舞」の「敦盛」の一節では、「人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢まぼろしの如くなり。一度生を享け滅せぬもののあるべきか」である。「じんかんごじゅうねん、げてん」と詠むようだが、「にんげん」と読んでもいいようでもある。これは戦国大名が好んだ謡だという。
上杉謙信も、49歳で亡くなる時に、「四十九年、一睡の夢 一期の栄華、一盃の酒」という辞世を残しているそうだ。
佐藤元大工さんとの話しでも、「人生五十年」といわれていたことが話題に上った。要するにもうお互いに余生を生きているということである。佐藤元大工さんは70歳代半ばであるから、電機製品の保証であと10年の話しになると、そんな先にはもう自分は終わっていて存在しないという意味で、「そんどぎには、もうきしゃまってっから、そいな保証はいらねえのっしゃ」という。
敦盛は平家の武将として数え十六歳で熊谷次郎直実に殺されている。今でいえば、中学3年生のときである。
これがきっかけで熊谷次郎直実は出家したという。