芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

検察のあり方

2010年01月29日 | Weblog
最近は、特捜部を始め、検察のよく出てくること。神戸の警察副所長を不起訴に続けてしたのが覆された。警察と検察の癒着を感じさせるのが、是正されそうである。
菅谷さん事件でも、元取り調べ検事が出てきて、深刻だとは言ったが、申し訳なかったとはいわなかった。当時の科学を信頼して、そのDNA鑑定に寄り掛かって誘導したどこが悪いのかといわんばかりの態度であった。それは、それでわかるが、先日記した西山太吉記者とその情報元の外務省女職員のときといい、結果は、その人たちを不幸に陥れている。検事の仕事が人を幸福にすることでないと開き直られれば、それに反論はできないが、しかし、昔の奉行もこうであったのであろうか。江戸時代は、朱子学やら論語やら中国の学問を同時にした人たちが、幕府の役人になっていたから、事務的なことばかりではなかったのではないか。明治維新以後は、徳川幕府の時代をおとしめる教育をしたから、世の中がよくなったように思い込まされているだけかもしれない。
特に現代は、余裕というものがなくなり、きつきつの生活を強いられている。逃げ場がないから異常な犯罪が続発するのであろう。日本の上層部は、もっと、その辺を考えて政策を作るのでないと、つまらない人生ばかりになるのではないか。