芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

巨大組織の論理

2011年06月09日 | Weblog
東京電力は、国家予算というか、税金をふんだんに使う巨大な原発行政と一体になっているため、ほとんど官僚組織化しているのが、これまでの原発事故対応で見えている。菅首相が福島第一原発一号機の冷却水注入継続を良かったとほめたので、東電本社側からの冷却停止命令を聞かなかったことを、口頭注意にとどめたというのも、いかにも、巨大組織のメンツを保つために間違った命令でもそれに服さなければ、処罰するという組織優先の論理が浸透していて、面白い。
かつて、日本軍が負け込んできた時に、参謀本部の命令に従わないで、兵士達を救った現場の司令官が処罰されたのと同じである。
第二次世界大戦の際、リトアニアのカウナス領事館に赴任していた杉原千畝が、ナチス・ドイツの迫害によりポーランド等欧州各地から逃れてきた難民たちの窮状に同情して、外務省からの訓命に反して、大量の日本通過ビザ(査証)を発給し、6,000人にのぼる難民を救ったたために、外務省から追放され、死後大分経った最近になって、当のユダヤ人達の運動で、外務省という官僚組織を動かして名誉回復した例もそれだ。組織は巨大になるほど、その組織が多くの人々を破滅させることになっても逆戻りできない。それに内部で抵抗する人物は、様々な理屈を付けて排除される。小沢一郎が良い例だ。
巨大組織は、それにぶら下がる輩が産官学にやたら多いだけに、始末に困ることになり、原発行政も簡単には変更できなくなっている。