芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

思惑が交錯

2011年06月22日 | Weblog
19日(日)、教授宅に夕飯に呼ばれ、鳥カレーをご馳走になった。
デリー大学教授宅は夫君のネルー大学教授宅であり、ネルー大学教授が、料理を作って下さったが、美味しかった。
デリー大学教授は、私に是非大学に勤めるように勧め、そこで、デリー大学教授の教え子を後任に採用してほしいとも言う。
大学側と面倒な交渉をすることにいささか嫌気がさしていたので、そう言ってくれるのなら、そのほうが良いとも思ったが、後任については、就職したにしてもできるだけ、早く辞めたいから、東京外国語大学の先日の学内レガッタで会った、学長補佐の日本語教授に適当な学生がいれば紹介してほしい旨伝えてある。問題は、日本の給与よりインドの給与が少ないことであるが、インドではそれで十分食べていけるのだから、努力次第で、そこから日本の大学にまた就職できるのではないかと思うのだが、そこまでやる気がある若者がいるかどうか分からない。
私が初めてインドに来たのは、まだ大学院の時で、美術カメラマンの助手というアルバイトで来て、その後、1年ほど、インド、パーキスターン、アフガーニスターンをぶらついて、ビルマ経由でタイに入り、そこでプール付きの贅沢な邸宅に出張して来て住んでいた、ボート部一級先輩の永澤昭夫さんのところに転がり込み、そこで一ヵ月ほどいてその間に国際免許を取り、帰ってからその免許証を国内免許に変えて今に至っている。そんな免許証だから、自分の証明の時しか使わない。
デリー大学の文学の日本語科は廃止になるのだから、今から、他の大学にその教え子を就職させて、生き残りを考えるのも尤もである。
ネルー大学は広いので、中を歩くのも相当あり、構内に来ているバスがどこに行っているのか分からない。
昨日は、大学から、あてもなくモーリー門行きのバスに乗って行ったが、途中下車したところが、オールドデリーに近いことしかわらず、やむを得ず、そこからオートリキシャでベンガルマーケットに行って、喫茶店に入り、またオートリキシャで大学まで帰った。喫茶店は、ナートゥの店といい、おいしいパンを売っているので、晩飯にパンを買った。