芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

3度目のヴィザ申請

2011年06月13日 | Weblog
今日3回目のヴィザ申請し直しに行った。
大使館の領事部は今、ヴィザ発給業務を業者に委託しているから、そこのインド人係員が、指示する形になっている。
雇用ヴィザ用書類が大学から来なかったから、観光ヴィザに変更して申請しますというと、それは絶対に駄目だという。既に申請していて受理されているのだから、書類をそろえるしかないという。観光ヴィザで行って雇用ヴィザ用の書類をもらってきて、申請し直すと言っても聞かず、その周りの受付の人達に誰がこれを受理して大使館に送ったのかと怒って聞いていたが、誰もそれをしていないと言われて、電話で大使館と話し始め、ヒンディー語で頻りと不許可にしようと思うと繰り返していたが、大使館の領事部の人であろうが、そこまでしなくても良いと言ってくれているようで、1~3ヶ月の短期の観光ヴィザなら発給するということになった。が、そのためには、働かないと言う誓約書を書き、フリーライターというジャーナリストの仕事でないということも書かせられ、さらに、何日かかるか判らないというので、大使館に友達がいるからその人に速めてもらおうかと言うと、自分を怒らせないでくれ、これ以上話したくないと、打ち切られた。自分は頭が悪いのだと2度も言い、どうも勝手に、興奮しているようなので、いや、インド人は頭がいいとおだてた。
一部始終を聞いていた窓口の女性は、その応対に慣れているのか、てきぱきと必要な文章を私に書かせ、明後日以後に受け取りに来るようと言ってくれた。
このての権限を振り回す輩はどこにもいるもので、周りがそれを適当にあしらっているのがよくわかった。
それにつけても、案の定というか、予想通りの展開で、出かける前からこれでは先が思いやられる。そもそもが大学の学長代理がこのての輩だからである。

原発行政を止めることの難しさ

2011年06月13日 | Weblog
昨日、東日本大震災からちょうど3ヶ月で、色々な催しがあった。原発は、高濃度放射能値の汚染が垂れ流しのままで、相変わらず、暴力団手配師に集められた社会的な弱者が作業員になっているという。「寂庵だより」二百九十號五月に、物理学、環境論の学者、藤田祐幸がこれまでの調査で700~1000人の原発作業員が癌や白血病で亡くなっているとインタヴューで応えている。彼は、『知られざる原発被曝労働』(岩波ブックレット)を書いている人だ。様々な妨害を受けているが、原発はいらないと言う立場をこれからも貫くという。かの竹中教授がいる慶応大学を助教授で辞めている。金子教授も慶応大学だから、竹中何とか研究所所長の竹中教授のような体制派ばかりが慶応大学にいる訳ではないであろうが、原発に反対する学者が大学に残るには、それに対する巨大な組織からの妨害があまりに大きくて大変に違いない。巨大な国家予算を背景にした原発族は、陰に陽に猛威を振るっているのであろう。
東電の原発一族は東大の原子力研究を専攻した人達が主流で、福島第一原発の吉田所長は東工大出身だから傍流だという。