芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

日本の製造会社に行く学生に日本語を教える

2013年04月23日 | Weblog
今日は、ジャイナ教祖マハーヴィーラ誕生日で休日なので、ゆっくりと寝ていたら、朝早く、学長秘書アワシェーシュ氏が9時半に呼んでいると、食堂の料理人が連絡してくれたので、急いで朝食を済まし、迎車で宿舎から8キロの大学に向った。途中の左側に500メートルおきくらいに見張り台が立っているのが見える。その奥が砲弾製造工場だからだ。このインド情報技術デザイン製造科大学に勤める条件に、大学を創った省庁から、禁止区域に入らないようにと指示があったが、近づいたら、いきなり銃撃されると教えられていたから、写真さえ撮るつもりもない。
アワシェーシュ氏は、私たちの雇用ヴィザ用書類を作っているので、その事で呼ばれたのかと思ったら、雇用通知をすでにしているから、その文中の条件で用は足り、雇用契約書はいらないと言われ、来月日本に行く学生に日本語を教えてくれるように言われ、物理学部の会議室に案内された。現在試験中であるから、その授業をするのは今週末かと思っていたのだが、日本に行く5人の学生のうち、3人が出席した。一人遅れて来た学生が「おはようございます」といって入って来たので、どうして習ったのか聞くと、一昨年の地震被災地に救援で日本に行き、女川などに行ったという。その時に日本語会話を習ったという。ヴィカースという学生で、次の授業があるからと途中で退席した。今日は、挨拶程度を教えるので、彼には不足であろうが、残りの授業で教える分は他の学生から教えてもらうと言って出て行った。約2時間教えて宿舎に帰った。宿舎の写真は、高級長屋である。