芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

デリーをクラレの車であちこち走り回る

2013年04月29日 | Weblog
汽車は例によって、2時間遅れた。ホテルで待っていてもらったクラレの車に、ホテルに着くと直ぐ乗り、私の想定の1時間を上回ったため、まず、国際交流基金に予告より30分遅れの2時半に到着、T氏からは、今日1日空いているということだったのに、会議で外部に出かけていると、受付で言われた。そもそもが、『竹取物語』ウルドゥー語訳の本を5冊図書館用に買って現金で払うと言われたので、現金なら、日本に帰国する4月か5月の、デリーに行った時に受領になるが良いかと質問したのに対して、何の返事もないまま、今回、デリーに出かける旨、今月半ばから連絡をしてもまるで返事がなく、国際交流基金デリーのメールもつながらず、やむを得ず、国際交流基金の日本本部に連絡して、異動なら今の責任者を教えて欲しいと連絡して、やっと、連絡がつき、異動でいない訳ではなく、デリー事務所がメールアドレスを変えたのだと言い訳された。29日ならいつでも良いと言うので、到着を1時間遅れると見込んで、2時過ぎにお邪魔すると連絡したが、それに対して良いでも悪いでもなかった。そして来てみれは、いない。しかも、誰か代わりの人はいないのかと聞いても埒があかないので、責任者を出して欲しいというと、会議中だという。その責任者に1分だけ会って、文句を言うから、会議室を教えるように言ったら、やっと、違う日本人女性が出てきて、今、Tさんから話しを聞きました。いくら払えばいいのですかと、領収書を持って来た。それに署名して、1,500ルピーを貰って直ぐ辞去した。ここでまたまた遅れたので、クラレには4時過ぎに着いた。クラレの事務所開設の仕事に紹介したヴァルマー氏が私に会いに来たので、話しが長くなり、日本大使館のE氏から「どうなっているのか」と、電話がかかって来てしまい、「遅れて済まない、これからでも良いか」と聞いて、良いと言われたので、直ぐに行ったが、もう5時近かった。終業時間までお話しし、IIITDM-Jにご紹介下さったことのお礼を述べてから、ホテルにそのクラレの車で送ってもらった。昼食もせずに暑い中を走り回ったので、疲れ、昼夕食を一緒に食べたのは、もう7時過ぎだった。