芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

坂口安吾『堕落論』に想う

2014年02月17日 | Weblog
坂口安吾は、一方で、日本人は男女とも気が変わりやすく、「昨日の敵は今日の友だ」と「忽ち、二君に仕えたがる」とも言っている。
それ故に、戦中は、その日本人を抑え込むために、生きて虜囚の恥を受けるべからずと押し付けていたのだともいう。
また、「文士は未亡人の恋愛を書くことを禁じられていた。戦争未亡人を挑発堕落させてはいけないという軍人政治家の魂胆で彼女達に使徒の余生を送らせようと欲していたのであろう。軍人達の悪徳に対する理解力は敏感であって、彼等は女心の変り易さを知らなかったわけではなく、知りすぎていたので、こういう禁止項目を案出に及んだまでであった。」と記している。
子供の頃良く親達に聞かされたのは、「鬼畜米英」と言って、天皇という神様がその鬼畜に勝利するのだと、言わないと、「国賊」と密告されて、警察にしょっぴかれたという。
それが敗戦と共に、そんなことがまるでなかったかのように、「昨日の敵は今日の友だ」と「忽ち、二君に仕えた」のだから、そんなことを今更持ち出す事自体、愚かにな事ではあろう。
天皇を神から人に引きずり落とした米国大統領を神と崇めてそれに従うのは変わり身の早い日本人としては当然と言えば当然な態度であろう。
否、庶民はそんなお上の言葉を信じたつもりになっている、あるいは信じたふりをしてそれに従い、お上が変わると忽ち、二君に仕える知恵を有しているから、生き延びられていると言えるのではあるまいか。
安倍首相が原発は完全に統御出来ていると言った途端、マスコミの記者達は、それに触れなくなり、東京新聞だけが、原発の危険性について追跡しているのは、愚直というしかなく、そのうち、大事故が再び起こった時に、別の首相が訂正すれば、忽ちそれに従うのが、日本のマスコミで生き残る知恵と言えば、知恵であろう。これも庶民としては、そういう頼りない報道を見越して生きのこる道を探るしかないのかもしれない。