斎藤兄から頂いた長谷川櫂『「奥の細道」をよむ』に、蕉風俳句の特色として、「切れ」を挙げている。「や、こそ、けり」などにより、句に間を持たせるという。これを切れ字という。
しかし、俳句の実作に疎い私などには、「キレジ」と聞くと痛みを伴って全く別の字を思い浮かべる。「切れ痔」である。おそらく、句作りに縁のないひとは、私と同じではなかろうか。いや、私の想像力がその程度なのではある。
芭蕉自身、「おくのほそ道」の旅の途次、しばしば苦痛を訴えていたと曾良の日記に記されているのも切れ痔に悩まされていたのではなかったか。しかし、作句では切れ字に苦吟していた訳で、キレジに縁のある宗匠ではあったのだ。
長谷川櫂によると、旅も終盤の金沢で「かるみ』を見つけたというから、ふたつのキレジに苦吟した挙げ句が、気楽に行こうと、「かるみ』を編み出したのかもしれない。
しかし、俳句の実作に疎い私などには、「キレジ」と聞くと痛みを伴って全く別の字を思い浮かべる。「切れ痔」である。おそらく、句作りに縁のないひとは、私と同じではなかろうか。いや、私の想像力がその程度なのではある。
芭蕉自身、「おくのほそ道」の旅の途次、しばしば苦痛を訴えていたと曾良の日記に記されているのも切れ痔に悩まされていたのではなかったか。しかし、作句では切れ字に苦吟していた訳で、キレジに縁のある宗匠ではあったのだ。
長谷川櫂によると、旅も終盤の金沢で「かるみ』を見つけたというから、ふたつのキレジに苦吟した挙げ句が、気楽に行こうと、「かるみ』を編み出したのかもしれない。