芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

立花隆が特別寄稿

2010年01月20日 | Weblog
予想通り、立花隆が河北新報1月18日号に(ケチな話で終わらない)という題で、特別寄稿している。
要するに、逮捕された石川知裕議員の元秘書、金沢敬が文芸春秋2月号に小沢事務所で証拠隠滅工作をした事を暴露して、「これを特捜部から隠せて本当に良かった。あと2時間おそかったら全部特捜部に押さえられていた。こんなもの押さえられた、みんな逮捕だったな」と書いている事を紹介して、「金沢が自民党の勉強会に呼ばれて、もっと詳しく事情を語った」とも書いている。
この文章から、金沢元秘書が石川知裕議員のところに探りに送り込まれたスパイである事が明らかになっている。
以前、日本はスパイ天国である事を書いた事があるが、その関係者がわざわざそれを公表している。それだけでも興味深い。この立花隆の文章は、おそらく共同か時事通信の全国配信で、一部の新聞だけに載るのではなく、全国の新聞に載るようにしたところも用意周到だ。

人生八十年時代

2010年01月19日 | Weblog
私の子供時代には、「人生五十年」とよくいわれていた。おまけに織田信長の舞の謡も付け加えて、それをうなる人までいた。もっとも、本能寺で最期を迎えた織田信長がよく謡ったと言われる「幸若舞」の「敦盛」の一節では、「人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢まぼろしの如くなり。一度生を享け滅せぬもののあるべきか」である。「じんかんごじゅうねん、げてん」と詠むようだが、「にんげん」と読んでもいいようでもある。これは戦国大名が好んだ謡だという。
上杉謙信も、49歳で亡くなる時に、「四十九年、一睡の夢 一期の栄華、一盃の酒」という辞世を残しているそうだ。
佐藤元大工さんとの話しでも、「人生五十年」といわれていたことが話題に上った。要するにもうお互いに余生を生きているということである。佐藤元大工さんは70歳代半ばであるから、電機製品の保証であと10年の話しになると、そんな先にはもう自分は終わっていて存在しないという意味で、「そんどぎには、もうきしゃまってっから、そいな保証はいらねえのっしゃ」という。
敦盛は平家の武将として数え十六歳で熊谷次郎直実に殺されている。今でいえば、中学3年生のときである。
これがきっかけで熊谷次郎直実は出家したという。

日差し暖かく風冷たく

2010年01月18日 | Weblog
日差しが、春のように暖かだが、気温は零下のままで、外に出ると寒い。十年前は、寒さ暑さが気にならなかったが、このところ寒さや暑さに身体が敏感に反応する。そして早く温かになると良いと待望するのだ。年齢相応なのか、弱っているせいか分からない。一つには、東京の気候に身体が馴れて、東北の田舎の寒さが強く感じられることもあろう。
人間の身体というか、動物が気候に順応するには、若くないとできないように、組織も若くないと環境の変化に順応できないのではあるまいか。
日本の国家も戦後、占領体制に順応してきたが、その宗主国が崩壊しはじめて、そろそろ若返りの時期に来ているのであろう。特に防衛、外交は、占領体制に馴れきってきた。
今、それから独立しようとするなら、その馴れきった状態から、抜け出さなければならないが、それを構成している細胞を先ず若返らせなけらばならない。しかし、年よりの繰り言的にいえば、若い細胞必ずしも健康な考えでないように見える。

晴れのち曇り

2010年01月17日 | Weblog
昨日は、晴れていたが、雪の奥羽山脈から吹き下ろす冷たい風が強く、寒かった。今日は、曇っていて雪さえちらついているが、あまり寒くはない。
しばらく仙台に住むが、宿にインターネットがないため、カフェに行って鍵盤を打つとなると、寒い日は出そびれるであろうから、今までのように毎日はブログを書けないであろう。仙台市立図書館の蔵書数が多いから、読みに行けば、それで殆ど時間が過ぎるだろうとも思う。
それにつけても、今回の小沢強制捜査は、それまでの政権党の汚職に対するのとは全然違うと思う。田中、金丸、竹下といずれも政権党に対して捜査が及んだ。
今回は、政権を取りそうな民主党に対して先ず、総選挙前に小沢一郎を、政権を取ってからは、その首相を、そして、今回は民主党党大会と国会開会直前にというように民主党政権に対する妨害としか思えない。
日本は、大化の改新以前から、時の政権は常に外国勢力の影響を受けて、政変が起きてきている。国民による選挙での政権交替は、初めてである。戦後、外国勢力と一体化しての支配体制を維持してきた向きにとって、初めての、国民政党は心配のタネであろう。
独立国の態をなしていなかった防衛、外交を、宗主国と対等になどと言えば、あらゆる手段によって、その新政権を潰そうとするであろう。それに加えて、新興宗教の政党もその教主が外国人であれば、複雑な合従連衡が産まれる。

日米関係はインド・ブータン関係

2010年01月16日 | Weblog
小沢一郎の元秘書石川知裕議員が逮捕された。
かなり強引な捜査の進め方である。これで、小沢の外堀が埋められた。
小沢が中国と密接な関係にあることで、米国抜きでの中国と日本の接近をめぐり中国指導部に対する警告ともとれる。
小沢の私淑した田中角栄も、米国に相談なしに日中国交回復をしたあとで、米国軍需産業の航空機輸入の汚職を米国側からばらされて、立花隆「田中角栄研究」などマスコミを総動員しての田中角栄潰しが展開された。今回も「小沢一郎研究」などという類いものが出版されるのではあるまいか。
日本の外交、防衛は、米国政権の下で行なわれているのであるから、それからはみ出る動きに対して、反発する米国の一派がいるのは当然で、その一派がその支配から抜け出しそうな動きを抑えようとするのであろう。
民主党政権の国家戦略局が機能していないが、その一派がこれが機能することを嫌うであろうというのも、推測できる。民主党政権に対して、陰でかなりの圧力をかけているであろうことは、沖縄普天間問題で、民主党政権の大臣たちが、米国から来た親日派を称する人物たちと会ったあとで、次々と前言を翻して、米国が決めた方向になびいていっていることからも伺われる。
この国会会期で、沖縄普天間問題も民主党政権には、独自の方針を貫くのは難しくなるであろう。中国と組んでの東アジア構想も大幅後退になるである。日米関係は、以前にも記したが、インド・ブータン関係と同じである。

同級生たちと会話を楽しむ

2010年01月15日 | Weblog
昨日、午後から長谷川俊雄くんが寒い中、遊びに来た。というより、私が仙台へ行くのを歓迎に来た。昼食を一緒にとり、椎茸のホダ木を2本進呈し、来週仙台に引っ越してから必要になる荷物の一部を段ボール1箱だけ持っていってもらった。長谷川くんとは、今回の小沢強制捜査は、前回の總選挙直前と同じように、国会開会直前で、意図的であるという意見が一致した。米国政権のある部分が関与しているとも見えるし、前回、私が指摘したように、公明党も関与しているのではないかと思われる。もし、民主党政権が参議院選挙で敗北したら、公明党が有利な条件で政権入りできるからだ。
私がしばらく仙台に行くというので、秀夫ちゃんが音頭を取って、夜7時から送別の呑み会をしてくれた。例によって、秀夫ちゃんは、鍋に一杯豆腐、肉、野菜をあふれんばかりに入れて、それを温めるだけで良いようにして持参してくれた。漬け物も守んツアンと同様に、タッパひとつもってきてくれた。守んツアンはやはり例によって餃子を持って来てくれた。守んツアンのうちに、一昨日、夜に餅を食べに車で送り迎えされたばかりで、その時にも貰った白菜の漬け物は、長谷川俊雄くん夫妻とそのお嬢さん母子に喜んで食べてもらった。呑み会の話題は、最後にはやはり、健康の問題で、照るちゃんは前立腺肥大が見つかり、石巻赤十字病院に毎月検査に通っているという。私を除く他の三人は、皆、血圧が170前後で小さい顆粒薬を飲んでいるという。私の血圧は下が70~80で上が120~130で問題ない。皆が帰った9時過ぎに、門松を取り込んだが、今冬一番の冷え込みで、どんと祭にそれから行く気にはとてもなれず、裏の畑で枯らしてから燃やすことにした。
前立腺肥大だと、今は悪性腫瘍でなくともそうなる可能性が高いという理由で、毎月検査に通わされるのだ。仙台で精密検査を受ければ、単なる前立腺肥大でも仙台の病院に毎月通わされることになるということであろう。

保険と入院費の関係

2010年01月14日 | Weblog
昨日、郵便局に行って、簡易保険に入るのを断ってきた。65歳までだと、終身保険に入れるが、それを過ぎると、70歳までに入って10年間毎年、137万円強を払って1000万円の保険金になるのしかないと言われ、説明書をもらってきてよく見てみると、保障は、10年間で10年目に1000万円戻るといい、入院一日につき1万5000円で、手術には、その20倍まで払うとあった。一度入院して払われるのは、50万程度が限度である。考えてみれば、保険というのは、払ったお金のうちで、保証するわけで、満期まで3年以前に死んだ時だけ、その保険料の支払い以上にもらえるということだ。ということは、あと7年も生きないということなら、保険金をもらえるが、この年になってあと数年で死んでからもらっても仕方ないわけで、簡易保険加入は止めにした。おそらく他の民間の保険も同じであろう。
郵便局の帰りに、石井所長の国立病院への紹介状をもらおうとトヨマ診療所に寄ったところが、まだできていないというので、これも次回いつ来れるか分からないし、いつ国立病院に行けるかも分からないからと、紹介状を書いてもらうのを止めにした。あと、7年間で1000万円をどう使うかを考えれば良いのではないか。その間に緊急入院して、仮にやりたくない手術などしても健康保険加入なしでかかる費用は数百万円であろう。それまで、健康保険に入らずにいれば、その数百万円が貯まるわけだし。そもそもが勤めていた時に健康保険料を、総額で1000万円以上払っていながら、病院通いをしていないのだから、もう充分に健康保険制度には貢献したのだ。この年になってまた、高齢者何とかいう健康保険料まで払うのは、余計なことだ。
2年前のことになるが、私の高校の同級生後藤勅君は国立病院に入院して、大腸がんの手術を何度かして、一年も経たずに退院して亡くなっている。

基地のあるべき姿

2010年01月13日 | Weblog
日本の防衛がどうあるべきかについては、現在、日米同盟を前提にしているが、これは、太平洋戦争による敗北がもたらしたもので、米国の世界支配の中に組み込まれているのは、申すまでもない。
敗戦と同時に日本軍は解体され、ソ連・中国という共産圏との対峙で、朝鮮戦争の最前線基地として、日本特に沖縄は、位置づけられた。それに伴って、敗戦で解体された軍隊を再編成して、警察予備隊、続いて自衛隊としたのである。
米国は、日本・ドイツとの戦争で、軍需企業が巨大になり、特に、その航空機産業の維持のため、戦後も戦争を欠かせない体質になっている。あるいは、その軍需産業の輸出先を常に必要としている。日本は日米同盟下にあるのだから、その体制に組み込まれているのは、当然である。
そういう体質の米国政権が世界支配をしてきているのに対して、異を唱えているのが、イスラーム圏の過激派である。
本来、ソ連が崩壊したのであるから、巨大な敵はいないのであるが、今は、北朝鮮やイーラーンを敵に仕立て上げて、戦争のための基地の必要性を主張している。
軍隊や軍需産業は、癌細胞のように自己増殖する存在である。自動車産業は、倒産しても軍需産業は、国家ある限り倒産はない。
国家は聖戦を唱えて、軍需産業の支援で軍隊を派兵していれば良いのである。しかし、それを永遠に続けられた国家は、かつてなかった。
日本に置かれている基地も、永遠に置かれることはないであろうから、先ず、自分たちで、基地の存在意義を考えて、それをどうするかを自分たちで決めるのが望ましい。
そういえば、アルカーイダは、アラビア語で基地を意味する。それほどにも基地とは重要な意味を有する。
民放に入り込んでいる外人タレントの意見で世論操作するのは、もうそろそろ止めてしかるべき時である。

普天間について

2010年01月12日 | Weblog
先日、木野君の葬儀に行った時に、新宿で遅くまで飲んだ同期の一人が、沖縄普天間の移設に米国の立場が旧来通りで変えられないことを藤崎駐米大使を呼びつけてクリントン国務長官が申し渡したというのは嘘であると、「ゲンダイ」に載っていたと、教えてくれた。
そのご、NHKは訂正するかと思って見ているが、全然訂正しない。「ゲンダイ」が嘘の記事なのか、NHKを始めとする大手マスコミが嘘なのか、分からないが、かねてから、民主党政権になると直ぐ、その沖縄普天間移設変更に対する反対の立場を明確にする報道をNHKが続けているのに疑問を持っていた。
日米同盟が対等と思いこんでいるのは、先日、来日したオバマ大統領を始めとする米国政権の要人と、自民党の政権担当者であり、それに加えて、そのように教え込まれてきた日本国民の一部である。沖縄での米兵の犯罪を逮捕して裁判にかける日本の裁判権がないから、いわば、沖縄は日本の領土でないのと同じである。ソ連からの侵略を防衛するという名目で、米国の軍隊を日本駐留させるのに対して、駐留費の大半を日本が負担をしているのに、片務的に守ってもらっているかのように、教え込まれてきたのだ。そのあり方を既定の事実として、大手マスコミは変えられないかのように報道するのには疑問を持たざるを得ない。
外国の軍隊に基地を提供するのに、外国の意思だけで決められるということ自体が、対等でない証拠である。今の報道は、まるで、日本の立場を述べることさえできない雰囲気を作っている。大手マスコミには、米国のCIAが入り込んでいるように見える。尤も、敗戦後の日本に独立を与えた時に、大手マスコミを支配下においてからの独立供与であったろうから、それは、多くの国民にも浸透しているであろう。

今日は、成人の日で休みというのを失念

2010年01月11日 | Weblog
朝から好天で家の中にさす陽が暖かい。しかし、外に出ると、風が冷たい。家の中に戻って、帽子、手袋、襟巻きを身に着けて、郵便局に出かけた。ところが、今日は休みであった。どうも惚けている。月曜日は、ゴミを出す日で、今日は、沢山のゴミが出ていたから、私もゴミを出して、そのあと森林組合に電話したら、ちゃんと職員が出た。それですっかり平日の気になってしまったが、今日は成人の日で休日であった。
長谷川俊雄くんに椎茸のホダ木が欲しいといわれていたので、森林組合に聞いたら、在庫がなく、伐り出すのが3月後半であるという。近日に長谷川俊雄くんが遊びにくるというから、それまでに用意したかったが、私が持っている10数本のうち数本を上げて、そのあとで、私が買い増せば良いと思いついた。私の持っているうちの数本に昨年の秋、椎茸が10本足らずおがったから、今年はもっとおがるであろう。貰ったホダ木がなるべく早く椎茸をつけたほうが楽しみも大きいであろう。彼のマンションのヴェランダに置くというから、ホダ木に覆いをして日影を作れば良いであろう。私のほうは、ホダ木を佐藤元大工さんに貰うか、芳賀山に行って伐り出して来ても良いのだ。菌駒を植えるのも佐藤元大工さんに教えて貰うか手伝ってもらうかすれば良いということになろうか。都会では、こういう協力関係がなかなか得られないが、田舎の良さはこういう協力関係が直ぐに得られるところにある。