芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

ワラーナシー再訪

2015年11月15日 | Weblog
昨日、パトナーから夜行列車に乗り、今日、15日(日)の昼過ぎにジャバルプルに戻った。コルカーターのリットンホテル以来、Wi-Fiが繋がらない所ばかりで持って行ったリライアンスのデータカードがまるで役に立たなかった。データカードが悪いのか、インドのWi-Fi事情が悪いのかわからないが、最後に泊まったワーラナシーのホテル・デ・パリスでは、Wi-Fiも知らない従業員で、話にならず、おまけに風呂桶の水が排水できず、汚れた水に足が浸かったまま、バケツからお湯をかぶるしかなかった。このホテルは、昔の王様の迎賓館で、広い庭が気に入っていたので、遠藤周作氏から『深い河』の取材同行を依頼された時に、執筆向きの面白いホテルなので氏を泊めた所で、一度タージ・ガンジスというワラーナシーでは高級なホテルで食事をしたら、遠藤周作氏から、こんないいホテルがあるのに、なんであんなところに泊めるのかと責められたが、帰国して、いざ執筆にかかった時に、「執筆にはこのホテルで非常に良かった」とあと評判の良かったホテルである。熊井啓監督の映画『深い河』のロケでもこのホテルが宿泊先になり、その時の記念撮影が今も、ロビーに飾ってある。熊井啓監督と製作の佐藤正之氏は、『深い河』の中の、私がモデルになっている江波の役で私を出演させることに熱心で、勤務先の役員たちに何度か交渉に来てくれたが、役員会の大反対で実現しなかったうえに、コーディネーターとして、ロケに同行するように熊井啓監督たちが、航空券まで用意してくれたのに、丁度、インドで黒死病と言われるペストが流行したので、私自身がそれにかかってこっそりインドに行ったのが役員たちにばれてはまずいので、同行をあきらめた経緯がある。

中華料理屋で昼食

2015年11月09日 | Weblog
ネルー子供館から歩いてパーク・ストリートへ。途中で見かけた聖ポール・カテドラルの中に入って、ステンドグラスの立派な会堂を拝見。パーク・ストリートの和食レストランを探しあぐねて、中華料理屋、バーべキューで昼食、シュウマイ、餃子、エビ揚げをそれぞれ2皿ずつと野菜チャーハンを頼み、飲み物も含め、全部で、4千数百ルピーであった。美味しいが、安くはないのに、満席であった。食事は、もういらないというほど満腹で、夕食はグランドホテルで、お茶にしたが、ビュッフェのデザートを食したために丸々食事代がかかり、6千ルピー強になった。往復ニューマーケットの前は、ディーワーリーの灯りが綺麗であった。

コルカーター着、カーリーガートとマザーテレサの療養所へ

2015年11月08日 | Weblog
8日(日)早朝、同室のベンガル人の顔立ちのインド人に着いたよと起こされた。時計を見ると、4時過ぎでほぼ時刻通りのハウラー駅到着だ。一時間は遅れて、丁度いい時刻の到着になると思っていたのが、こんな遅い急行に限って時刻通りに到着するのもインドなのだ。駅の便所は、大便のほうは有料で相当並んでいたが、小便のほうは空いていた。ところが、前払いのタクシーの料金所は、3軒もあるのに、延々と1時間ほど並んで、やっと買えた。サダル・ストリートまで132ルピーである。釣りがないと言われ、2ルピーの小銭は幸い持っていたので、丁度良く支払えた。デリーやムンバイの空港の前払い料金所のように誤魔化さないだけましだ。リットンホテルLytton Hotelは、朝早いにもかかわらず、快く受け付けてくれ、シャワーも浴びれた。朝食後、カーリーガートに行こうと、地下鉄駅に向かったが、今日は日曜日で、2時からしか走っていないと言われ、やむを得ずタクシーを200というところ70ルピーでカーリーガートに行った。例のように、案内者が現れ、神社の中を説明して案内してくれ、ご本尊のカーリーにもほとんど待たずに参拝でき、最後にバンヤンの聖樹に連れていかれ、家内安全を祈ってもらって、数千ルピーを求められたが、千ルピー程度で済ませた。隣のマザー・テレサ療養所にも入り、もう八年もそこで働いているという百合子さん?から、現政権になってから、ムスリムやキリスト教徒に厳しくなったというお話を聞き、こちらにも千ルピーを寄進して、帰りは、80ルピーでまずはプラネタリウムに、六カ月休みだというので仕方なく、隣りのネルー子供館に20ルピー足して行き、人形の展示を見た。日本の雛祭りも順列は違うが、展示してあった。

同じ旅先を何度も訪ねる楽しみ

2015年11月07日 | Weblog
パソコンを持って行くのは、重いが、今回の旅は、比較的長いので、持参することにした。いずれも行ったことのある所ばかりであるが、思い出の土地でもある。バナーラスなどは、何回行っても飽きない。知り合いもいるが、それぞれ相当のお歳ではあろう。尤も自分を顧みての憶測だから、人のことばかりは言えない。大体が、コルカーターのホテルなどは、1969年に初めて行ってから、今では、代替わりしていて、一昨年行った時には、当時の人は誰もおらず、主人も従業員も知らない人ばかりだ。ホテルが残っていてくれるので、今も利用できるのがせめてもの楽しみだ。

州選挙直後のビハールへ

2015年11月06日 | Weblog
今夜の11時50分の汽車でコルカーターに行く。明日出たかったが、明日出発の汽車はついに取れなかった。ヤムを得ず、一日早く出るが、その汽車の到着は、明後日の朝になる。車中2泊である。今の時期は、ディーワーリーという灯りをともす祭りで、日本の正月に当たるので、多くの人が移動するために、汽車は3ヵ月丁度前に予約しないと取れなかった。コルカーターからガヤーに、そこからワーラーナシーへ行く汽車を丁度3ヵ月前の予約が始まると直ぐに申し込んだので、取れた。帰りは、パトナーからジャバルプルでこれも取れた。この一ヵ月ほど、ビハール州の選挙だったので、ビハールは今、騒然としているであろうが、8日に結果が発表される時は、コルカーターにいるから騒動に巻き込まれる可能性は少ないと思われる。現政権は、前にも書いたかも知れないが、母体がヒンドゥー教徒至上主義で、暴力的な一団である。北から南まで、ムスリムと事を起こすことで、選挙の人気取りをしている。8割がヒンドゥー教徒のインドであるから、先日も書いたように、牛肉を食したと嘘のアジを流して、ムスリムを殺し、気晴らしをする手である。政権に批判的な多くの作家達も殺されている。その感情をくすぐることで、人気取りをして政権についていると言える。少数宗派にとっては迷惑な話しであるが、これがここの選挙の現実である。しかし、日本でも、米国に服従していた創価学会を母体とする公明党と組んだ小泉政権の経済政策に批判的な植草一秀氏は、数人の暴徒に囲まれて性犯罪を暴力的に押し付けられた上に裁判でも有罪を言い渡されており、インドと変わりない。怒り狂って滅茶苦茶なことをしない所が、彼の偉さである。

新学長が正式に指名されるみたいだ

2015年11月05日 | Weblog
3日前に、冷蔵庫の電源が入らなくなった時に、宿舎担当オームプラカーシ君に連絡して電気係を呼んでもらった。電気係は翌日朝来てくれたが、電気そのものは、電気係が来る前に何故か通じたので、中身の買ったばかりの鶏肉は腐らずにすんだ。翌日、オームプラカーシ君も来てみてくれたが、現在、彼は大学構内の新しい宿舎の方に勤務しているので、こちらには滅多に来ない。今回彼が来て言うには、色々な不便が起きるが、新しい学長が来たら改善されると期待している。新しい学長は、ルールキーのIITから来年の一月から来るのだそうだ。このニュースは確証がないが、一年以上新学長が決まらない空白期間がそろそろ終了していい頃ではあるから、信用できるかも知れない。この大学の担当である人材開発省の女性大臣は、野党から政権攻撃の対象にされていて、現政権は、息のかかった人物を学長にしようとして、なかなか決まらなかったのではないかと思われる。というのも、プネーの映画大学に指名された新学長が3流の映画人であるとその大学の学生たちがストを行なっていたのが、最近になってやっと強引に開校させらることになったから、この大学の学長選びも政治的な思惑が絡んで遅れていると思われる。

今週末からの旅行準備を始める

2015年11月04日 | Weblog
昨日、3日(火)ガネーシュ運転手が3時過ぎに迎えに来たので、3時半近くに大学に着いた。日本語の学生ラーフル君と3時半に研究室で会う約束をしていたので、その前にニティン君に会いに行ったが、いなかった。医務室で旅行中に使う塗り薬を貰い、研究室が銀行の隣りなので、銀行で旅行中に使うお金の1部3万ルピーを引き出した。ただ、支店長がいないため、実際にお金を貰えたのは、支店長が戻って来た5時過ぎである。ラーフル君とは、彼に依頼していた自転車のデザインを見せてもらった。7例作ってあり、それぞれの特色に応じて、改善すべき点を指摘し、それを、矢張り昨年の日本語の学生であったシュローク君と今夕我が宿舎に見せに来てもらうことにした。結局、ニティン君はどこかに出ていて会えなかったので、彼のパソコンに日本語の試験結果を落とし込んでから、宿舎に帰った。日本語サーティフィケート課程の試験の出席日数75%を上回って受験資格があるのは、受講登録学生63名中31人であったが、実際に試験を受けたのは、18名であった。残りの13名は、親に払わせた受講料1000ルピーを無駄にしただけだ。

日本語サーティフィケート課程の試験が終わる

2015年11月03日 | Weblog
11月2日(月)17:45から日本語サーティフィケート課程の試験をした。最初に会話の試験をしてから、ニティン君に筆記試験用紙を配ってもらった。31名の学生が受験資格があるのに、参加したのは18名だった。試験の演習をしていたので、容易に答えられ、18:15頃に全員が解答用紙を提出した。ガネーシュ運転手に家に送ってもらい、直ぐに採点をして、夕食前に終わった。カンニングが多く、同じ間違いを何人もしている。100点が4名、殆どが90点以上で、80点台は2名しかいなかった。パソコンで点数と評価を表に入れたのを明日、ニティン君にメモリーでわたして、今年の授業は終わりである。

サダルバーザールの仕立て屋に行った

2015年11月02日 | Weblog
土曜日に、ナポレオンと呼んでいるサダルバーザールの仕立て屋に行った。破れたズボンや少し大きすぎる服を詰めるだけの仕事をしてもらい、いらないと言われたが、40ルピーを払った。行く時に20ルピーのお茶を持ち込んで、皆で飲んだので、いつもはそれだけで良いと言われるのだが、今日は、ドゥパッタというスカーフの端を縫ってもらうのに、10ルピーで外に出したりしていたので、その分を考慮しての40ルピーではある。そこから、インディアン・コーヒーハウスに行き、昼食に、イードリー、ワダ、野菜麺を食べた。その近くの薬屋で、タムスロシン・ハイドロクロライドの10個入りを2枚買った。今週末からバナーラス、ボードガヤーに行くから、念のために薬を買っておくのだ。120ルピー(約240円)払って、お釣りにあめ玉一つ貰った。あめ玉が2ルピーということのようだ。1ルピー、2ルピーのお釣りの替わりにあめ玉というのは、このジャバルプルではよく使われる方法だ。

日本米は腹がもたれる

2015年11月01日 | Weblog
テレビがずっと映らなかったが、金曜日に大学の電気係になかなか直らないと言っておいたら、同じ修繕屋が土曜日に黒い箱を持って来て、取り替え、屋上のケーブルも直したら彼が来て5日目にしてやっと映るようになった。
インド米がなくなったので、リライアンスでいつものHMT というヒマーチャル州産の米を5キロ買って来た。このところアラハーバード産の日本米を頻繁に食べてたが、どうも日本米をインドで食べると、お腹が持たれることが分かった。木曜日にジョーティ女医におにぎりをご馳走したら、味噌味と醤油味のをそれぞれ半分ずつ食べただけなのに、土曜に来た時に、腹がもたれて大変だったと言っていた。インド米は、餅の系統でないので、あっさりしている。それに対して、今食べている秋田小町は、餅があまり入っていないにも拘らず、インドで食するとかなりもたれる。インドではインド米を食べるのが一番かも知れない。