つぶや句

夢追いおっさんの近況および思うことを気まぐれに。

「イ・ヨンエsama」

2006-05-27 20:29:17 | テレビ
それにしても第二の母ともいうべきあのチェゴ・サングンを殺すかなあ…と
脚本家にちょっと不満を感じていたら、やはり韓国でもそうだったたようで、
“なんとか助けて”とメールやハガキが殺到して、
結局10話分ほど死ぬのが伸びたという。さもありなん…と
ちょっと胸をなでおろしたが、死んでしまったのには違いないのだ。
これでチャングムは文字通り天涯孤独になってしまった。
それを思いやる親友のヨンセンがまたかわいい。
ヨンセンの一途な行動に応援したくなってしまう。
あのチェ・ジュウにさえ心動かさなかったのに、
コロリとチャングム、ヨンセンのミーハーファンになってしまったのだ。
そのイ・ヨンエが来日した。いやあ素敵でした。
「チャングム」役のときより清楚できれいだと思ってしまった。
私はオタッキーなところの足りない人間で、
何かにハマッタとしても夢中になり過ぎるということはないのだが、
日本のオバサマ達がペ・ヨンジュンを「ヨン様」
と呼ぶ気持ちはよーっく理解できるようになりましたです…ハイ
当然私にとってイ・ヨンエは「ヨンエ様」なのです。
一度言われてみたいもんだ
「issei.sama」なーんてね。
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戸惑いながら鑑賞文を書いている。

2006-05-27 00:26:05 | 俳句
心の琴線に触れながら共鳴して鳴るのは、月か電線か、
季節は秋より冬に近い、少し丸みを帯びて凍てかかった月、
僭越ながら上五の月帰るが見事に利いていると思う。
暗天を西へ帰る月と、白く光る電線が奏でる幽玄のうつつ、
思考は現実を離れモノクロームの彼方へ、
心は空想の世界に自由に遊ぶことが出来る、
それへ誘う舞台さえあれば、この句はその舞台となる。
郷愁にみちたメルヘンの空間へ心あそばせたい。ふと思う。
谷内六郎がこの句を描いたらどんな絵になるだろうかと……。(K・S)

月帰る触るる電線奏でつつ

これはこの俳句に対しての鑑賞文である。
私の友人で、映画監督の黒沢明が大好きな人がいる。彼はよく黒沢映画のワンシーンをうれしそうな顔をして語ってくれる。それが微にいり細にわたって「この辺が黒沢はすごいんだよ」と強調して解説してくれるのだ。私は「ホ~」と感心して本物の映画を観るのだが、確かに映画も面白いのだが、彼の解説のほうがもっと面白いので「ウ~ム…」と多少不満が残ってしまうほどなのである。これは
この鑑賞文と俳句の関係に似ているのではないかとふと思った。
そしてある俳句の大家が「選句も作品なり」と言ったそうだが、
この鑑賞文もしかり、まさにりっぱな作品ではないだろうか。私はこの鑑賞文に一票を投じたい。
あわれ名鑑賞文に恐れ入ってしまったあの俳句の作者はissei.kawabataなのなのだ。



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