なんだかんだで作品展示は刺激的なのと、G・Wで
時間が取れたことも重なって、けっこうブログを
真面目に書くことができた。
作品展示には案内状を出したり出さなかったりするのだが、
今回はいろんな人に出させてもらった。
その中で以前は考えられなかった会社の人たちがいる。
公私が混同するのを恐れて、絵を描いていることすら会社では
内緒にしていたのだが、一昨年新聞にとり上げられたため、
社内で周知されてしまったのだ。
正直そのことだけは嫌だったのだが、「展示するときは教えて」
とあちこちで言われるようになり、何名かに案内状を出した。
ある人は、パート仲間と連れ立って、ある人は友人と、またある人は
家族を伴って来てくれた。みんな熱心に観てくれ、会場で話し込んだ。
そして今回感じたのは、一種の心強さだったのだ。
妙な身内意識みたいなものを感じて、素直に喜べたのである。
やっぱり何だかんだ言っても、会場へ出かけるというのは
億劫で面倒なものだと思う。
特に今回の場所は駐車場がないので、電車やバスを利用する人が
多く、より面倒なのだった。
そんな中をわざわざ来てくれたのである。わたしは案内状は
一種の時候挨拶状だという認識なので、ほんとにたまたま近くを
通りかかったらついでに覗いてくれるぐらいでいいのだ。
みんなそれぞれやることがあるし、ゆっくりもしたいと思う。
浮世の義理のプレッシャーはあまり掛けたくないのである。
来てくれなくて当たり前だと思っている。絵なんて見なくても
生きるのに何の差支えもないのだから。
それだけに来てくれた人には心から感謝できるのである。
ほんとに職場のみんなありがとうござんした。
時間が取れたことも重なって、けっこうブログを
真面目に書くことができた。
作品展示には案内状を出したり出さなかったりするのだが、
今回はいろんな人に出させてもらった。
その中で以前は考えられなかった会社の人たちがいる。
公私が混同するのを恐れて、絵を描いていることすら会社では
内緒にしていたのだが、一昨年新聞にとり上げられたため、
社内で周知されてしまったのだ。
正直そのことだけは嫌だったのだが、「展示するときは教えて」
とあちこちで言われるようになり、何名かに案内状を出した。
ある人は、パート仲間と連れ立って、ある人は友人と、またある人は
家族を伴って来てくれた。みんな熱心に観てくれ、会場で話し込んだ。
そして今回感じたのは、一種の心強さだったのだ。
妙な身内意識みたいなものを感じて、素直に喜べたのである。
やっぱり何だかんだ言っても、会場へ出かけるというのは
億劫で面倒なものだと思う。
特に今回の場所は駐車場がないので、電車やバスを利用する人が
多く、より面倒なのだった。
そんな中をわざわざ来てくれたのである。わたしは案内状は
一種の時候挨拶状だという認識なので、ほんとにたまたま近くを
通りかかったらついでに覗いてくれるぐらいでいいのだ。
みんなそれぞれやることがあるし、ゆっくりもしたいと思う。
浮世の義理のプレッシャーはあまり掛けたくないのである。
来てくれなくて当たり前だと思っている。絵なんて見なくても
生きるのに何の差支えもないのだから。
それだけに来てくれた人には心から感謝できるのである。
ほんとに職場のみんなありがとうござんした。