「旅に病んで夢は枯野を駆け廻る」。
これはあの松尾芭蕉の辞世の句としてあまりにも有名だが、
実際には最後に作った句ではないと言われている。
もう1つ、自らの癌闘病中に綴った江国滋氏の名著「癌め」
の最後に“敗北宣言”の前書きと共に、「おい癌め酌みかわさうぜ秋の酒」
と辞世の句が添えられている。
しかし、これもある作家がこの句は闘病中すでにこういう結末を
予測して用意していたんではないかと、書いてあったが
わたしもそう思ったし、私自身でもやるんじゃないかと思えるのである。
なにせ江国滋氏といえば紀行、随筆、評論、エッセイの名手として
知られる人なので、このぐらいのラストは死の病床にあっても
書ける人なのである。
それでいいんではないだろうか、やはり辞世の句となれば
それなりの名句を残したいのが人情である。
死の間際のうつろいの中で変な辞世の句を作ったらそれこそ
浮かばれないというものだ。
実はわたしもすでに辞世の句は用意してあるのだが、昨日
書いたようにそれは日々枕元で更新されるかもしれないのだが、
実はその後さっぱりできず、相変わらずベッドに横たわると
すぐグースカ寝入ってしまい、名辞世の句は夢の中で作って
いるのが現状なのだった。
ダメだこりゃ。
これはあの松尾芭蕉の辞世の句としてあまりにも有名だが、
実際には最後に作った句ではないと言われている。
もう1つ、自らの癌闘病中に綴った江国滋氏の名著「癌め」
の最後に“敗北宣言”の前書きと共に、「おい癌め酌みかわさうぜ秋の酒」
と辞世の句が添えられている。
しかし、これもある作家がこの句は闘病中すでにこういう結末を
予測して用意していたんではないかと、書いてあったが
わたしもそう思ったし、私自身でもやるんじゃないかと思えるのである。
なにせ江国滋氏といえば紀行、随筆、評論、エッセイの名手として
知られる人なので、このぐらいのラストは死の病床にあっても
書ける人なのである。
それでいいんではないだろうか、やはり辞世の句となれば
それなりの名句を残したいのが人情である。
死の間際のうつろいの中で変な辞世の句を作ったらそれこそ
浮かばれないというものだ。
実はわたしもすでに辞世の句は用意してあるのだが、昨日
書いたようにそれは日々枕元で更新されるかもしれないのだが、
実はその後さっぱりできず、相変わらずベッドに横たわると
すぐグースカ寝入ってしまい、名辞世の句は夢の中で作って
いるのが現状なのだった。
ダメだこりゃ。