つぶや句

夢追いおっさんの近況および思うことを気まぐれに。

ヒデの背中

2006-07-09 00:59:49 | ちょっとした出来事
日本のワールドカップはブラジル戦で、早々と終わった。
いや、初戦のオーストラリア戦で終わっていたのである。
しかし、最終まで戦った中田英寿のサッカー人生も、同時に終わった。

ブラジル戦が終わった後、ヒデはピッチの芝生に
しばし背を預け、黄色いタオルで目を覆った。
今にして思えば、視界を閉ざしたヒデの背は、今戦った余韻の残る

芝生の感触を、じっくり味わっていたのかも知れない。
そこにブラジルのアドリアーノが近づき、声を掛けていた。
ヒデは小さく笑ってうなずくと、アドリアーノは

ポンポンとヒデをいたわるようにたたいて、去っていった。
戦いあった者だけに通じる何かがあったのだろう。
ピッチ上に何とも言えない雰囲気が漂っていた。

ヒデはやおら身を起こし、かすかに笑って観客に手を上げ、ピッチを後にした。
その背中がゆれていた。すでに万感の思いの背中だったのだ。
彼の背に負ったものは、あまりに大きく、あまりにも重かった。

ヒデは、去り際、というのを我らに示し、
静かに去って行った。
さらばヒデ、そしてまた会おう…。

全日本代表の監督として。

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「癌め」

2006-07-06 18:56:12 | 俳句
「冴返る癌ですと医師こともなげ」
これは「癌め」江国滋著、冒頭の二句目である。
江国滋氏はエッセイストで、慈酔郎の俳号を持つ俳人でもある。
また、作家江国香織さんの父でもある。
平成九年に食道癌で亡くなったのだが、この[癌め」は癌を告知されてから
亡くなるまでの壮絶な闘病句集である。
たまたま本を整理してたら出てきたのだ。
「残寒やこの俺がこの俺が癌」
告知されてからの無念さをにじませながら、
「三枚におろされているさむさかな」
手術する自分を冷静に見ているのである。
それでいて
「死神にあかんべえして四月馬鹿」
というユーモアも忘れていない。
この渾身のユーモアに涙が止まらなかった。と
ある俳人が書いていた。
私は前にも書いたのだが、今いかにその日その時を
生きてる大切な時間として愉しむか
という想いで日々を過ごしたいと思っているのだが。
この闘病俳句は、今や死の淵をさまようような状況下で
どこかそんな自分を見つめている余裕を感じるのである。
そしてこころなしか愉しんでいる感じがするのである。
もちろん本人はそれを意識はしていないと思うのだが、
病を全身全霊で受け止めている結果だと思う。
あれこれ書くよりも、以下彼の句を…
「癌告知され闘志満つ春の虹」
「春の宵癌細胞と混浴す」
「毛布に鼻うづめ癌めとののしる夜」
「がん保険うるせえと消す春の夜」
「滅入るなというほうが無理寒病棟」
「蟻地獄死と向き合って向き合って」
「目にぐさり転移の二字や夏さむし」
「一喜一憂の憂ばかりなり梅雨に入る」
「四度目の手術前夜の冷酒かな」
約半年にわたる闘病の推移を綴っている。
そして「おい癌め酌みかわそうぜ秋の酒」
最後のこの句を辞世の句として、闘病俳句は終えている。
この句の前書きに、敗北宣言と
書かれてあった。
癌との壮絶な戦いに自ら敗れたことを認め、
その癌と共に死出の盃を交わそうというのである。
なんという受け止め方であろうか。これがもし
我が身に降りかかった時、果たしてこのように
振舞えるかどうかはなはだ自信はないが、
この一冊が、指針の一つになるのは
間違いないと思っている。合掌…。
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存在感

2006-07-04 04:22:25 | つらつら思うこと
近頃、自分の存在感というのが気になり始めた。
というのも、以前二十四年ぶりに会った中学の時の初恋の
人に、まったく覚えていてもらえなかったのだ。
同じクラスだったのにもかかわらずだ。
自分というのは、一体どういう存在なんだ、
と思うようになってしまった。そして、存在感というのは
一体何なんだ。と考え始めた。
そんな時、会社でうとまれていた人が亡くなった。
全ての行動が鈍く、みんなにあれこれ文句を言われ、
一杯の熱燗が生きがいの人だった。
しかし、亡くなった後しばしば「あの人は…」と話題に
のぼり、その存在感を示したのである。
「負けてる…」私はそう思った。
周りを見回しても、詩人のHひろみさん、画友M氏、友人F氏、etc…。
我がブログに登場する人達は、確固たる存在感を持っているのだ。
そして、オーラの強さを感じるのである。
こうしてみると、存在感というのは心の想いの大きさと
それを維持するある種のガンコな個性の強さなのかも知れない。
すると、私は心の想いが小さく、ガンコな個性が弱い、ということになる。
そして何よりオーラの弱さを自分で感じるのである。
私はかつてマンガの某プロダクションに居たことがあるのだが、
その先生が、自伝記を書いた。それを読んでみると
私が登場するくだりで、「この男ほどガンコな奴はいなかった」
と書いているのである。え~オレってそんなにガンコだったの、と
自分で驚いた。私は優柔不断でいつも迷っていじいじしていた
ような気がしていたからである。
自分の思いと他人からの目は随分違うんだなあ…と
思ってしまった。さて、今そのガンコさは健在なのだろうかと、
身内に聞いてみると、未だに夢をあきらめずに
追っかけまわしているのがその証拠だという。
まあともあれ、少しは個性があるようでホッとしたが、
まだ自分の存在感に自信がない。そしてオーラにも…。
果たして自分が逝ってしまった後、「あの人は…」と
言ってもらえるのかどうか…ウ~ン
はなはだ自信が無いのである。

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いま一度恥ずかしながら「はうまっち!」

2006-07-03 06:04:50 | 絵・まんが
今年は珍しく展示会が多くなってしまった。
大体年一回がベースなのである。
とはいっても、ギャラリーでちゃんとした個展を
開いたのは今年が初めてだった。
いつもは、無料のアート喫茶とか、郵便局、などで
展示させていただいているのだ。
今年はそのギャラリーの個展の後、
もう二回決まっているので、計三回である。
これではとても新作が間に合わないので、
案内を出すのは遠慮することにした。
今度の展示場は「茶房じゅん」という
ママさんの趣味の行き届いたギャラリー喫茶で、
予約して展示するのに2年もかかる人気のところだ。
美味しいコーヒー&紅茶&ケーキをいただきつつ、
展示作品を鑑賞できるようになっている。
ここでは、販売も可能で作者の自由にまかせている。
そこで今回私は作品の一つに値段をつけてみようかと思っている。
というのも、今年のギャリー展示で、絵の値段というテーマを
真剣に考えるようになったからである。
私は売るつもりは全然なかったので、考えもしなかったのだが、
画友のM氏に「本当は画家が値段をつけないというのは
失礼なことなんだよ」と言われ、真剣に考えるようになったのである。
彼は実際絵を売っているし絵を売ることに誇りを持っているのだ。
その言葉には重みがある。実際前回の「はうまっち」で
考えたのだが、やっぱりちゃんと値段を出すことは、できなかった。
私は今までどうしてもほしいと言われる方には、差し上げていたのだ。
しかし、画友のM氏に「原画は絶対やっちゃいけないよ、
どんなに気に入った作品でもタダだと大事にしないから」と
注意されたのだ。これには「ウ~ン」と考えさせられてしまった。
思えば絵を生業にしている人には、売ると
いうのは当然な事なのである。
さて、初めての試みだが、手放してもいいという作品を考えてみた。
それには三つの条件があることに気づいた。
一つは、今まで展示していたが、改めて見ると少し不満が
出てきた作品。
二つ目は、私は割りと気に入っているのに、家族に不評な
作品。(けっこうこれで未発表のがある。)
いま一つは、絵を描いて気に入っているが、
俳句が入りきれず「はいまん彩」になっていない作品。
それらを探してみると、あるわあるわ、それで個展が開ける程である。
しかし「はいまん彩」になってない作品では意味がないので、
ちゃんと俳句の入っているのから選ぶことにした。しかし、一つ目の
不満が出てきた作品には、ほしいと言う方に差し上げることは
できても、不満が出てきた以上、値を付けることはできない。
結局二つ目ということになる。
さて…その内の一作にどんな値段を付けれるのか、
それも又チャレンジの一つだ。
今度こそ「はうまっち!…。」

<はいまん彩>展
「茶房じゅん」水・木(休)
東海市大日町寺下53
tel0562・32・1826





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