つぶや句

夢追いおっさんの近況および思うことを気まぐれに。

泣かせるぜ

2009-04-10 08:08:01 | 絵・まんが
会社が休みの度に「奈邪」へと通っている。
先週の日曜日「奈邪」へ行くべく、電車を降りた後歩いていたら、
携帯に電話が掛かってきた。飲み仲間でもある旧友からだった。

随分携帯に電話したがつながらなかったと言う。きのうは
携帯の電池切れで充電していたのだ。
今回の展示へ友人と来てくれると言うのである。友人も飲み仲間でもあり
旧友でもある。

確かに二人は前回も来てくれ、今回も案内状は出したのだが、前回と違い
今回は遠いのと、飲み会でわたしは一人で暴走酔っ払いをやってしまったのとで、
てっきり今回は、来ないと思い込んでいたのだった。

「遠いし無理しなくていいよ」と言うと「最初から行くつもりだったから
行く」というのだ。どうせ行くのならわたしが居るときに行きたいので
何回も電話をしたと言う。これを聞いたとき、「泣かせるぜ…」と素直に
うれしかった。

「奈邪」に着いて、おいしいコーヒーを飲んでいると、もう一人から
電話があり、やっぱり今度行くと言うのだ。「今桜が満開だから
今からでも来れば~」と言うときょうは「ちょっと外せない用事があって…」
と言う。う~んこの佐奈川の桜を見せたかったのになあと思ったが…やむなし。

実は前回飲んでいるとき、「わたしの作品はいいからこの佐奈川の桜は
すごいから見においでよ」と言っていたのだ。
まあ桜はあきらめたが、久しぶりに二人の顔が見れそうである。

それにしてもやっぱり自分の作品展示に来てくれると言うのは
嬉しいもんである。大抵は浮世の義理なので、一度は…ぐらいが
当然なのだ。そのことはわたしも十分承知してるし、自分に振り替えても
よくわかることなのだ。

大体が自分の絵を見てくれ、という案内状を出すなどというのは、
プロならいざ知らずわたしのような素人は、ほんと厚顔無恥な
振る舞いだと思っているだが、(それでも…見てほしいんだネエ…

だから来れなくて当たり前なのである。人は皆何だかんだといっても
日頃の生活に、振り回されているのが実情ではないだろうか、そこへ素人の
案内状だ。さりとて、知人とあれば無視もしにくい…という具合で、
否応なくご迷惑をお掛けする次第なのだ。

まあ…それだけに、逆にうれしさもひとしおというわけなのだ。
ったく…あいつら…ぜ。


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哀しみは…

2009-04-09 03:12:04 | つらつら思うこと
人は一人では生きられないなどと言われるが、実際の話
外国のどこやらで、赤ちゃんに同じようにミルクをやり、
人が付いている状態の赤ちゃんと、人を付けない赤ちゃんを
比べる実験をしたところ、人を付けなかった赤ちゃんは何日か後に
死んでしまったという恐ろしい話を聞いたことがある。

それがどんな実験なのか忘れてしまったのだが、いかに人が他の人を
必要としているかがわかろうというものである。その一方で、会社などでは
うんざりするぐらい多くの人と接して、ストレスの大半は対人関係だと
言われているのも事実だ。これをもってしても人と人は否応なく影響しあって
生きているのがわかる。

最近人によって様々な距離があることを改めて、思い知らされたことがある。
日頃仕事に追われる会社ライフでは、すれ違ってもろくに顔も見ないで
挨拶を交わしたり、誰かが休んでも気づかなかったりということも
珍しくないし、顔を見ないとかえってせいせいする人も一人や二人は
いるに違いない。

この人と人の距離を親近感という尺度で測ってみると割とわかりやすいことに
気づいた。会えばちょっと声を掛け合うホッとする癒し系、顔を見ると
挨拶もそこそこにそそくさと立ち去る緊張系、又ある人は、遠くでチラリと
顔を見てもうれしくなる、ほんわりゆるみ系、などと分類できるのかもしれない。

しかしこの距離はほんとに不思議な気がする。最初に見たとき
この人と個人的に話するようなことはないだろうなあ、と思った
人と、ひょんなことから話するようになって、一番親しみを感じるように
なったり、一番親しく話していた人に、思いっきりシカトされて一番
遠い存在になったりと、予測できない距離になったりする。

特にこのほんわり系は、殺伐たる会社ライフにおいて、顔を見るだけで
気持ちがゆるみ、ほんのひと時とはいえ、ほんわりしあわせ感を与えてくれる
言わばうるおい系ともいうべき大切な存在かもしれない。ましてやこちらが
親近感を覚えている人であればなおさらである。しかしこんなことを
強く意識しているということでもなく、普段何気なく顔を見て知らないうちに
そういう感じを賜っているというのが実情ではないだろうか。

だからそんな人がたまに平日に休んだりすると、他の部署であったとしても
当然チラリとも顔を見ないわけだから、なーんとなく寂しい空気が一日
漂ったりするのだ。それは休みと知らなくても存在する気を感じて
いないのである。この前、このなーんとなくというのを意識してみたら、
「あ…この人がいないのは間違いなくさびしいんだな…」とわかった。

そして思ったのだが、さびしいって哀しみにつながっているいるんだなあ…と
居ないと哀しいんだなあ…と、そして哀しいって嫌だなあ…と。
まあ…このような人は、わたしだけでなくもっと多くの人にほんわりした
幸せと哀しみを与えているのだろうが。

我が身内が「寒いって哀しいよう」と名言を吐いたことがある。
すると哀しみは、寒さにつながっているということになる。
やっぱり親近感を覚える人が居ないというのは寒くなることなのかも
しれない。

そうなると逆に嬉しさは温かいということになる。なるほど…つじつまは
合ってくるではないか。こうして、われわれは日頃人の温かさ、寒さに
もまれて生きているに違いない。まあ…その点、存在感の薄いわたしなど
少し休んだところで、だーれも気づかないんだろーなあ…。
これはこれで、サビシイ…

もう春も深まって三寒四温を抜け出ようとしている。暖かな日々が
一日でもほんの一瞬でも多くなって、しあわせ感をたくさん味わいたい
ものである。

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墨田の花火

2009-04-08 04:30:26 | 
好きな花というのは、見る人を楽しませ心を和ませてくれる。
これも生活の上での大切ないろどりだろうと思う。

残念ながら、郵便局でサービスにもらった菜の花の種は、結局芽吹きを
見ることはできなかった。ちょっとガックリだが、まあ…仕方がない。
しかし、我が家には毎年夏に楽しみにしている花があるのだ。
それは「墨田の花火」と命名されてる額アジサイである。
玄関周りに配置している鉢植えの中のひとつなのだが、その名の通り
花火がパッと開いたような形に赤紫の花を咲かせてくれるのだ。

当然そのためには、きっちり冬を過ごさなければならないに違いない。
そのことを考えて、昨年の秋あたりに肥料の油かすをやったりしていた。
ところが、どっこいしょ、雑草という妙なる命がこの墨田の花火の鉢の中に
芽吹いていたのである。

わたしは同じ命と尊重し、母の反対を押し切り同居を放置していたのだが、
雑草は、鉢に撒いた油かすの栄養をまるで独り占めするかのように
みるみる繁茂し、主の「墨田の花火」の生育をおびやかすかに思えてきた。

さすがのわたしも「ウ~ン」と考えてしまった。なにせ、本家の「墨田の花火」
の葉っぱは全て、枯れ色になってしょぼくれ、楽しみにしている開花がピンチに
思えてきたのだ。やっぱり同居人は本家をおびやかしてはいけないのだ。

再び母の雑草刈りの要請もあり、やむをえん、泣いて馬ショクを斬るではないが、
泣いて雑草を刈る決断をした。まず、墨田の花火の枯れ色葉っぱを
全部切り落すと、ビッシリ生えてる雑草を両手でムンズと掴み、思いっきり
引っ張った。…が、葉っぱは何枚かちぎれたものの、根っこはビクともしない。
ゲ~これが雑草の強さかと驚いたが、感心している場合ではない。

何度かチャレンジして、やっと引き抜くことができたのだが、根の先っぽは
鉢中に張り巡らされていて残ってしまうのだ。実はまあ…このたくましさは
予想していて、どうせ又出てくるに違いないと思っていたのだ。
ただ、「墨田の花火」が咲く間はおとなしくしていてもらいたいのである。

あれから約二週間が経つのだが、雑草が無くなりすっきりした「墨田の花火」の
枝には、青々とした若葉がたくさん出始めてきている。どうやら今年も無事に
開花を見れそうである。よかったよかった。

同じように油かすをやっていた「君子蘭」2鉢も雑草を取り払ってスッキリ
していたが、銃弾のような塊りのつぼみが出始めている。こちらは一足先に
朱色の見事な花を咲かせてくれそうだ。すでに桜は満開、春は確実に深まって
開花の楽しみを次々と用意してくれているのだ。

しかし…又すぐやつらも出てくるよなあ…。



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あ~ミートスパゲティーが…

2009-04-07 23:29:04 | 食べ物
「奈邪」のマスターからのコメントで、ミートスパゲティーのアドバイスが
あったのだが、見るのが一足遅かった。もう作ってしまったのだ。
それも、ちょっと失敗作を…。

作品展示に来てくれたHさんにいただいた、イタリアンレストラン
落合務シェフの「ミートソースの作り方」は、レシピとその極意が丁寧に
書いてあるのに、我がヘボ料理人が解釈違いで、ミートソースが大ダマに
なりすぎてしまったのだ。麺もあまりかき回すなということで、ちょっとだけ
かき回してゆでるにまかせておいていたら、硬く、くっつきまくった麺に
なってしまったのだった。

落合シェフさんHさん申し訳ありませんでした。
必ず、再チャレンジでリベンジいたします。

実はカルボナーラに釈然とした後、二度ミートスパゲッティーを作ったのだ。
こちらは、割と身内には好評だったので、この新作に勇んで挑んだのだが
見事、撃沈の憂き目にあってしまったのである。

それにしてもありがたいことである。我が拙ブログをちゃんと見てくれていて、
手を差し伸べてくれたり、心あるアドバイスを送ってくれたりしてくれるのだ。
お酒の付き合いはノミニュケーションというが、ブログニュケーションも
相当なものだと思った。



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やったー満開だー

2009-04-05 01:12:30 | 絵・まんが
4月1日からギャラリー喫茶「奈邪」での展示が始まった。
もう佐奈川の桜は満開のはずなので、やっぱり花見で一杯やるべく
初めて電車で出掛けた。

車で行くと、何だかんだで約2時間かかってしまうのだが、電車だと
思ったよりも早く、半分の1時間で着いてしまった。
展示後初めて「奈邪」へ来たのだが、又マスターのセンスのいいポスターが
入り口のドアのところへ掲示してあった。相変わらずのいいセンスで、展示者
冥利につきるというものだ。これも楽しみの1つだったのだ。

早速作品を見て回る。全部で15点、この配置もマスターのセンスにおまかせだ。
作品の全部に短冊状の俳句を書いたが、これを全部マスターが発泡スチロール板に
貼り付けてくれ、作品の下に掲示してあった。
すでに案内状を出した人が遠路はるばる来てくれていて、感想帳に
書いてくれていた。
Hさんなど旦那様と来てくれていて、わたしがブログで挑戦したいと
書いていたミートソーススパゲティーのレシピを添えてくれていたのだ。
(早速作りますよ)


おいしいブルーマウンテンをいただいた後、又マスター手作りの弁当と燗酒
を引っ下げて佐奈川へ…。しかし川沿いに行く前から、続々と花見帰りと思える
人達とすれ違うのだ。それも半端な数ではない、まるで行列である。
川沿いはもっとすごく、行き交う人の群れなのである。
どうなってんだ。わたしはキツネにつままれた感じだった。

と言うのも、2年前に来たときは、満開の桜にもかかわらずガラガラだったのだ。
この日は「○○ウオーキング」というのをやっていたこともあるのだが、
後で聞いたところによると、このところの町の合併で、豊川を活気づけるべく
マスコミを通じて宣伝活動をした成果が出ていると言うのである。
そういえばわたしもこの佐奈川の桜のことを、最近ラジオで聴いた事がある。

「佐奈川の桜を見てから、近くにある自衛隊駐屯所がきょう開放してあるので、
見てきたらどうですか。」というマスターの勧めもあって、燗酒でいい
酔い加減でふらつきつつ、戦車やミニタリーグッズを見てきた。
いやあ~またまた充実した花見でした。

4時過ぎまで「奈邪」にいて、雨に降られた帰りは、「奈邪」のお客様に
車で、駅まで送っていただいたのだった。何から何までありがとうございました。

天気はだったけど、心は

コメント (2)
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