2012/09/22
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>(2)幕末太陽傳・さよならだけが人生だ
「幕末太陽傳」は、戦後復活した日活の「復活3周年記念映画」として1957年に公開されました。日活創立100周年記念にデジタルリマスター版が作られ、世界公開。
大勢の人がこの傑作について語っているので、私が付け加える言葉など残っていないけれど、一言だけ。60年たってもこれほど面白い映画。すごい!
ただ、時代劇や落語の言い回しになれているはずの私にも聞き取りにくい部分があり、早口の台詞がわからないところが何カ所かありました。全体の流れがわからなくなることはなかったけれど。これは封切り当時はちゃんとはっきり聞こえたのか、それとも最初からこうだったのか、わかりません。
主人公佐平次のフランキー堺ほか、芸達者たちてんこ盛りなのに対して、長州藩の攘夷派志士たちがみなへたくそであるのも、今から見ればかわいらしくて許せる。
石原裕次郎って、ほんと何を演じてもユーちゃん。伊勢谷友介が演じた高杉晋作は、陰翳に富む表情を見せていたけれど、ユーちゃん晋作は、ひたすら元気よく、単純バカっぽくて太陽族晋作でした。これはこれでいいのかも。
維新前に死んじゃう高杉や久坂玄瑞=小林旭が「若気の至り」であるのはいいとして、志道聞多(後の井上馨)=二谷英明、伊藤春輔(後の伊藤博文)=関弘美ら、そろってばかっぽいのは、ああ、こんなヤツラでも明治の世になれば元勲なんだと思わせる深慮遠謀なのか。
一言に付け足して、蛇足。川島雄三監督が描きたかったのは、彼の座右の銘であるという下記の漢詩の井伏鱒二訳、だとの説に一票。
勧酒 于武陵(さけをすすむ うぶりょう)
勸君金屈卮
滿酌不須辭
花發多風雨
人生足別離
君に勧む金屈卮
満酌 辞するを須(もち)いず
花発(ひら)けば風雨多し
人生 別離足る
井伏鱒二訳
コノサカズキヲ 受ケテオクレ
ドウゾナミナミト ツガシテオクレ
ハナニアラシノ タトエモアルサ
サヨナラダケガ 人生ダ
ラスト、品川の海辺を走り去る佐平次。横浜まで駈けていって、ヘボン先生の治療を受けられたのかどうか。佐平次の走り去るその先には明治が待っていることを知る観客は、「地獄も極楽もあるもんけぇ。俺はまだまだ生きるんでぇ」と叫ぶ佐平次だから、明治の世もしたたかに生き抜いた、と思いたい。しかし、スプレプトマイシンが普及する1950年代まで、労咳は死病であったし、川嶋監督自身が自分の死を見据えながらの映画作りであったことも考えると、やはり「サヨナラだけが人生だ」と走って行った、というのがオチで、これは川島が1957年の品川光景をラストに据えたとしても変わらないでしょう。
もんじゃ(文蛇)の足跡:
この映画を見たあと、はじめて知った江戸ことば
ガエン者=火消役与力の下で働く火消し人足のこと。江戸市中に200~300人いたという。
落語で聞いたことがあるはずなのに、耳で聞くことばは聞き流してしまう。幕末大陽傳の配役表を見て、あれ、ガエンってなんだ、と思った。目で文字を確認しないと頭に残らないタチです。
<おわり>
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>(2)幕末太陽傳・さよならだけが人生だ
「幕末太陽傳」は、戦後復活した日活の「復活3周年記念映画」として1957年に公開されました。日活創立100周年記念にデジタルリマスター版が作られ、世界公開。
大勢の人がこの傑作について語っているので、私が付け加える言葉など残っていないけれど、一言だけ。60年たってもこれほど面白い映画。すごい!
ただ、時代劇や落語の言い回しになれているはずの私にも聞き取りにくい部分があり、早口の台詞がわからないところが何カ所かありました。全体の流れがわからなくなることはなかったけれど。これは封切り当時はちゃんとはっきり聞こえたのか、それとも最初からこうだったのか、わかりません。
主人公佐平次のフランキー堺ほか、芸達者たちてんこ盛りなのに対して、長州藩の攘夷派志士たちがみなへたくそであるのも、今から見ればかわいらしくて許せる。
石原裕次郎って、ほんと何を演じてもユーちゃん。伊勢谷友介が演じた高杉晋作は、陰翳に富む表情を見せていたけれど、ユーちゃん晋作は、ひたすら元気よく、単純バカっぽくて太陽族晋作でした。これはこれでいいのかも。
維新前に死んじゃう高杉や久坂玄瑞=小林旭が「若気の至り」であるのはいいとして、志道聞多(後の井上馨)=二谷英明、伊藤春輔(後の伊藤博文)=関弘美ら、そろってばかっぽいのは、ああ、こんなヤツラでも明治の世になれば元勲なんだと思わせる深慮遠謀なのか。
一言に付け足して、蛇足。川島雄三監督が描きたかったのは、彼の座右の銘であるという下記の漢詩の井伏鱒二訳、だとの説に一票。
勧酒 于武陵(さけをすすむ うぶりょう)
勸君金屈卮
滿酌不須辭
花發多風雨
人生足別離
君に勧む金屈卮
満酌 辞するを須(もち)いず
花発(ひら)けば風雨多し
人生 別離足る
井伏鱒二訳
コノサカズキヲ 受ケテオクレ
ドウゾナミナミト ツガシテオクレ
ハナニアラシノ タトエモアルサ
サヨナラダケガ 人生ダ
ラスト、品川の海辺を走り去る佐平次。横浜まで駈けていって、ヘボン先生の治療を受けられたのかどうか。佐平次の走り去るその先には明治が待っていることを知る観客は、「地獄も極楽もあるもんけぇ。俺はまだまだ生きるんでぇ」と叫ぶ佐平次だから、明治の世もしたたかに生き抜いた、と思いたい。しかし、スプレプトマイシンが普及する1950年代まで、労咳は死病であったし、川嶋監督自身が自分の死を見据えながらの映画作りであったことも考えると、やはり「サヨナラだけが人生だ」と走って行った、というのがオチで、これは川島が1957年の品川光景をラストに据えたとしても変わらないでしょう。
もんじゃ(文蛇)の足跡:
この映画を見たあと、はじめて知った江戸ことば
ガエン者=火消役与力の下で働く火消し人足のこと。江戸市中に200~300人いたという。
落語で聞いたことがあるはずなのに、耳で聞くことばは聞き流してしまう。幕末大陽傳の配役表を見て、あれ、ガエンってなんだ、と思った。目で文字を確認しないと頭に残らないタチです。
<おわり>