2013/06/04
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>ことばの知恵の輪・数え方の世界(3)指で数える
かって、ネパール人がクラスにいました。彼は「私の母語はネワール語です。私は、ネワール語とネパール語と英語が話せます」と言っていたので、ネワール語というのは、ネパール語の方言なのだろうと思っていました。「青森弁と京都弁と英語が話せます」と似たような感じなのかなと。
しかし、今年ネパール語を母語とするネパール人とネワール語を母語とするネパール人の両方がクラスにいたので、ちょっと気になって、両方の語の言語系統樹を調べてみました。すると、ネパール語はヒンディ語などとおなじようにインドヨーロッパ語族であるのに対して、ネワール語は、シナチベット語族で、全く別の言語であったことを知りました。
ネワール語もネパール語も、ネパールの公用語になっているけれど、ネワール語母語話者は、ネパール語を学ばねばならず、小学校教育から英語教育が始まるので、義務教育修了者なら英語も話せるとのことでした。
ネパール語の数字の言い方を教わり、書き方も知りました。「q 」というのが、「1」のことなので、びっくりです。「q 0 」とは、「90」のことかと思いきや「10」のことなんです。
世界中の数え方でおもしろいのは、指で数える方法。
日本人はたいてい、握り拳をつくり、1は人差し指を立て、2は人差し指と中指をたてます。薬指、小指の順に建てて、親指を立てるのが5にあたります。
しかし、国によって文化によって指の折り曲げ方が異なる。握り拳を作って、1は小指を立て、2は薬指、3が中指、4が人差し指、5が親指、という数え方がふつう、という国もあれば、1が親指立て、2が人差し指立てと、いく国もある。この方法だと、私はどうしても、4ができない。薬指を立てるのがむずかしい。しかし、この方式で数えている文化だと、容易に薬指を立てられるのです。自分が出来ないからといって、他の人もできないと思うことはない。逆もまた真。日本語母語話者にできることで、外国人学習者にとっては難しくてたまらないことはたくさんあります。
中国の指数え方法も独特です。5までは日本と同じですが、6は、親指と小指を建てて、中の三つを折る。7は、親指人差し指中指を立ててくっつける。薬指と小指は折る。8は親指と人差し指を立てて、あとは折る。(漢数字の八を表している)9は、人差し指だけを立てて、指先を少し折る。10は、人差し指と中指を立てて、二つの指を絡ませて重ねる。
留学生クラスのなかで気づいた、数え方の「指サイン」。指を折るのではなく、左手を広げて、右手の人差し指でタッチして数えるのもありました。日本語の数え方の指導をするとき、それぞれの指で数える方法を教え合って、小さな「異文化交流」の時間を楽しみます。
指の数え方もそれぞれの文化で多様だなあと思います。自分のやり方が唯一ではない。世界にはさまざまな文化があり、それぞれを尊重しあっていきたいと教えるのが、日本語教育学の第一歩です。
かって「日本がアジアの覇者になるべきだ」という為政者を信じて、強制的に日本語を押しつける教育を行った暗い時代がありました。「日本文化が最高のものである。文化の遅れた人々を指導してやるのが日本の役目。そのために日本語を教え、土地のことばなど話させないようにする」という方針でした。姓名までも固有の名を奪い、日本名を押しつけた地域もありました。「よだか」という固有の名を奪われ「あしたからはイチゾー」と名乗れと鷹に命じられた鳥には同情の涙を流しても、固有の名を奪われた人々がいたことを忘れようとしています。
私が担当する留学生のための日本語教室内では「その人がこう呼ばれたいという名で呼び合う」ことを基本にしているのは、「固有の文化を大切にし、互いの文化を尊重することが言語教育の基本」と信じているからです。
日本の数え方や助数詞を教えるとき、それぞれの文化の指での数え方を披露しあうのは、「みんな違ってみんないい」を確認するためです。
日本の小学校の教室では、金子みすずの「わたしと小鳥と錫と」が壁に貼ってあったりする所も多いのですが、現実には、ちょっとでも「教室内の空気」に反することをやろうとしたり、「大勢」と異なる態度であろうとすると、強い圧力が働き、排除される。クラスメートからも教師からも。
運動会の入場行進でバラバラに歩くのもダメ。音楽の時間に使うリコーダー、指定業者外の笛を購入するのもダメ(他の子とちがうと指導する音楽の先生が困る、という理由だとか)
むろん、教室では「みんなそろって」をやらないとダメな場合もあるのです。日本語教育でも「コーラス・リピート」といって、センセイの発音をクチをそろえてまねする練習があります。語学の基礎練習において、リピートは大切な方法です。
基礎ができてはじめて「自由発話」に応用ができるので。
センセイが「いっぽん」と言ったら学生も「イッポン」センセイが「にほん」といったら学生も「ニホン」。「さんぼん」と言ったら学生もくりかえして「サンボン」
イチボンや、ニポンやサンホンでは、今のところ「ダメです」とやりなおし。将来、すべてのものをいっこ、にこ、さんこで数える時代もくるでしょう。今のところは、「多様な数え方」を確認した後、「日本語ではこう数える」というのを、声を揃えて学ぶ毎日です。
そして、日本語教師は、留学生が「どうして、ホンとボンとポンと変わるのですか。不合理です。全部ホンでもいいのに」と質問してきたら、それにきちんと答える力量は必要です。漢字音の発音変化には、きちんとした法則があるからです。母語として自然にこの変化を身につけた人は気づかないうちに習得しているけれど、短期間で学ばなければならない日本語学習者には、「法則」を教えたほうがいい場合もあります。
<つづく>
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>ことばの知恵の輪・数え方の世界(3)指で数える
かって、ネパール人がクラスにいました。彼は「私の母語はネワール語です。私は、ネワール語とネパール語と英語が話せます」と言っていたので、ネワール語というのは、ネパール語の方言なのだろうと思っていました。「青森弁と京都弁と英語が話せます」と似たような感じなのかなと。
しかし、今年ネパール語を母語とするネパール人とネワール語を母語とするネパール人の両方がクラスにいたので、ちょっと気になって、両方の語の言語系統樹を調べてみました。すると、ネパール語はヒンディ語などとおなじようにインドヨーロッパ語族であるのに対して、ネワール語は、シナチベット語族で、全く別の言語であったことを知りました。
ネワール語もネパール語も、ネパールの公用語になっているけれど、ネワール語母語話者は、ネパール語を学ばねばならず、小学校教育から英語教育が始まるので、義務教育修了者なら英語も話せるとのことでした。
ネパール語の数字の言い方を教わり、書き方も知りました。「q 」というのが、「1」のことなので、びっくりです。「q 0 」とは、「90」のことかと思いきや「10」のことなんです。
世界中の数え方でおもしろいのは、指で数える方法。
日本人はたいてい、握り拳をつくり、1は人差し指を立て、2は人差し指と中指をたてます。薬指、小指の順に建てて、親指を立てるのが5にあたります。
しかし、国によって文化によって指の折り曲げ方が異なる。握り拳を作って、1は小指を立て、2は薬指、3が中指、4が人差し指、5が親指、という数え方がふつう、という国もあれば、1が親指立て、2が人差し指立てと、いく国もある。この方法だと、私はどうしても、4ができない。薬指を立てるのがむずかしい。しかし、この方式で数えている文化だと、容易に薬指を立てられるのです。自分が出来ないからといって、他の人もできないと思うことはない。逆もまた真。日本語母語話者にできることで、外国人学習者にとっては難しくてたまらないことはたくさんあります。
中国の指数え方法も独特です。5までは日本と同じですが、6は、親指と小指を建てて、中の三つを折る。7は、親指人差し指中指を立ててくっつける。薬指と小指は折る。8は親指と人差し指を立てて、あとは折る。(漢数字の八を表している)9は、人差し指だけを立てて、指先を少し折る。10は、人差し指と中指を立てて、二つの指を絡ませて重ねる。
留学生クラスのなかで気づいた、数え方の「指サイン」。指を折るのではなく、左手を広げて、右手の人差し指でタッチして数えるのもありました。日本語の数え方の指導をするとき、それぞれの指で数える方法を教え合って、小さな「異文化交流」の時間を楽しみます。
指の数え方もそれぞれの文化で多様だなあと思います。自分のやり方が唯一ではない。世界にはさまざまな文化があり、それぞれを尊重しあっていきたいと教えるのが、日本語教育学の第一歩です。
かって「日本がアジアの覇者になるべきだ」という為政者を信じて、強制的に日本語を押しつける教育を行った暗い時代がありました。「日本文化が最高のものである。文化の遅れた人々を指導してやるのが日本の役目。そのために日本語を教え、土地のことばなど話させないようにする」という方針でした。姓名までも固有の名を奪い、日本名を押しつけた地域もありました。「よだか」という固有の名を奪われ「あしたからはイチゾー」と名乗れと鷹に命じられた鳥には同情の涙を流しても、固有の名を奪われた人々がいたことを忘れようとしています。
私が担当する留学生のための日本語教室内では「その人がこう呼ばれたいという名で呼び合う」ことを基本にしているのは、「固有の文化を大切にし、互いの文化を尊重することが言語教育の基本」と信じているからです。
日本の数え方や助数詞を教えるとき、それぞれの文化の指での数え方を披露しあうのは、「みんな違ってみんないい」を確認するためです。
日本の小学校の教室では、金子みすずの「わたしと小鳥と錫と」が壁に貼ってあったりする所も多いのですが、現実には、ちょっとでも「教室内の空気」に反することをやろうとしたり、「大勢」と異なる態度であろうとすると、強い圧力が働き、排除される。クラスメートからも教師からも。
運動会の入場行進でバラバラに歩くのもダメ。音楽の時間に使うリコーダー、指定業者外の笛を購入するのもダメ(他の子とちがうと指導する音楽の先生が困る、という理由だとか)
むろん、教室では「みんなそろって」をやらないとダメな場合もあるのです。日本語教育でも「コーラス・リピート」といって、センセイの発音をクチをそろえてまねする練習があります。語学の基礎練習において、リピートは大切な方法です。
基礎ができてはじめて「自由発話」に応用ができるので。
センセイが「いっぽん」と言ったら学生も「イッポン」センセイが「にほん」といったら学生も「ニホン」。「さんぼん」と言ったら学生もくりかえして「サンボン」
イチボンや、ニポンやサンホンでは、今のところ「ダメです」とやりなおし。将来、すべてのものをいっこ、にこ、さんこで数える時代もくるでしょう。今のところは、「多様な数え方」を確認した後、「日本語ではこう数える」というのを、声を揃えて学ぶ毎日です。
そして、日本語教師は、留学生が「どうして、ホンとボンとポンと変わるのですか。不合理です。全部ホンでもいいのに」と質問してきたら、それにきちんと答える力量は必要です。漢字音の発音変化には、きちんとした法則があるからです。母語として自然にこの変化を身につけた人は気づかないうちに習得しているけれど、短期間で学ばなければならない日本語学習者には、「法則」を教えたほうがいい場合もあります。
<つづく>