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ぽかぽか春庭「会田誠、天災でごめんなさい」

2013-06-18 00:00:01 | エッセイ、コラム
会田誠展

2013/06/18
ぽかぽか春庭@アート散歩>春庭の現代ゲージツ入門(1)会田誠、天災でごめんなさい

 今、生きている人で現代美術家といって思い浮かぶ名前。年齢順でいくと、草間彌生(1929~)、横尾忠則(1936~)、森村泰昌(1951~)漢字四文字名前の世代。そのちょっと下の世代が、村上隆(1962~)、会田誠(1965~)、山口晃(1969~)、漢字三文字名前だ。現代美術に弱い私でも知っている名前。そしてヤノベケンジら、カタカナ名。

 森美術館の「会田誠-天才でごめんなさい」は、森美術館開館以来の観覧者数を集めて無事閉館した。私が見たのは、3月23日の六本木アートナイトの夜。図録買いたかったけれど、入館料1500円払ったので、絵はがき2枚買うだけにしておいた。

 絵はがきは、水着の女生徒たちの「滝の絵」と、零戦がニューヨークを爆撃して回っている「紐育爆撃乃図」。どちらも、会田作品としては、腰のひけたお買い物である。つまり、「これなら私が児童ポルノ好きだと思われないですむデショ」みたいな。PTAに義理立てした「ギリ、セーフです」的な。(展覧会ポスターにも「滝の絵」が使われている)

 森美術館は何を恐れたか、あるいは意図的にサボったのか、入り口に出品目録パンフレットを置いてない。だから、タイトルとかを覚えられない私は、ただずらずらと見て行く。

 入場すると最初に目に入るのが、「切腹女子高生」
 女子高生たちは恍惚として切腹をして、腸がはみ出たり首ちょん切られたりしている。
 若い女性ふたりの観覧者のうち、ひとりが、早くも「きもち悪い、コレ」と眉を寄せている。気持ち悪い人は、見ないがよろしい。見たい人だけ見にくるのが美術館というもの。

 別段年代順の展示とはうたっていないのですが、本来なら、「切腹女子高生」の次に掲げるべきは、会田誠初期の話題作「巨大フジ隊員VSキングギドラ(1993)」でしょう。でも、フジ隊員は18禁の展示室へ行ってしまっている。
 
 2作目展示は、鶯谷に張られていたピンクチラシを集めてコラージュした「鶯台図」。

館内撮影禁止です。監視役の目を盗んで撮影。盗撮ですね。

 遠目には「ピンクちらし」の女の子たちの顔だとはわからない。(近めで見たい方は、16日春庭コラム「ピンク色の研究」をご覧あれ。ボケてますが)
 ただ、美しい桜の木であり、屏風などに日本画で描かれる技法をきちっとつかって「桜の精が住んでいそうな老桜樹」に描かれています。近づくと女の子たちの顔がわかる。桜の精は、ピンクちらしの女の子たち。

 見る者と見られる者の関係。美しいものを愛でる視線の先に表れる欲望。そんなこんなを、まとめて表現し、なおかつやはり美しい。会田誠は、鶯谷のフーゾク街やチープなラブホテルが立ち並ぶ町でこの女性たちに、ちゃんと「美しいもの」としてのオマージュをささげてつつピンクチラシを収集したのだと思う。
 しかるに、そのチラシをぎらぎらとした欲望をみなぎらせた手が受け取るということも描き混まれています。
 「切腹女子高生」の「キャッチーな図柄」にはそんなに「毒」を感じなかったけれど、この「鶯台図」一作で、早くも私は会田誠ファンになりました。 

 2012年の展示説明では「あぜ道」が展示してあるようだったけれど、「2013年3月23日には展示してなかった。この「あぜ道」は、東山魁夷のおちょくり作品です。(オマージュ作品と言い換えてもOK)女の子の髪の分け目が道になっている絵。作品保存や作品貸し出し主の意向から、会期中に展示品の入れ替えはよくあることですが、美術館側が何の説明もない。それで、展示品目録の配布もやめたのだと思います。
 森美術館が会田誠展を企画した心意気は買うが、その後の処置はいろいろ間が抜けている。

 次は、愛ちゃん盆栽シリーズというオブジェの展示。松、桧、ほおづきなどの盆栽に仕立てられているかわいらしい愛ちゃんの頭部。ひとつひとつの顔はかわいいけれど、それが盆栽だから、不気味。盆栽の手入れをして恍惚の表情を浮かべるジーサンがいたら、その目には松や桧もこんなふうに映っているんじゃなかろうか、という感慨を湧かさせるオブジェです。

 展示最初のほうで、一番若者に受けていたのは、白土三平風の百姓ジーサンが、一面の「ルイヴィトン畑」で、ハンドバッグの持ち手をひっぱって「今年もヴィトンが豊作じゃあ」と吹き出しに書いてある絵。その前にヴィドンバックをぶら下げた女の子が立っていたので、写真とりたかったけれど、館内撮影禁止の監視が強くなっているエリアなのでした。残念。消費社会を痛烈に諷刺しつつ、消費と生産をきっちり描いていて、笑えます。

 戦争画Returnsシリーズ。「題しらず-原爆ドーム」「紐育空爆乃図」などが、黄色いプラスチックビール箱の上に展示してある。古い民家を解体したときに捨てられていたような襖の裏側に絵を描いて屏風に仕立ててある。
 作品が古い襖に描かれた屏風仕立てになっていたことがわかったことによって、いっそうこれらの戦争画の制作意図がわかった気がする。

 会場を見て、「ネトうよ」が会田の天皇肖像あたりに抗議してこないのは、ネトうよの感性が鈍いからだと思いましたが、「ポルノ被害と性暴力を考える会」が先に抗議文を出したので、そのおかげで、この戦争画シリーズは抗議対象にはならなかったのかもしれません。ネトウヨは、「反ポルノ」とは並びたくなかったのかも。

 「一日一善」という絵。中国西安の大雁塔を背景として描かれているのは、今上天皇・平山郁夫、笹川良一。中国ご訪問時の背景に、にこやかに横顔を向けておられる陛下ご肖像に、ウヨからのケチがつかなくて、ようございました。この大雁塔の絵には、ご丁寧にでかいサインで「郁夫」と書き込んである念の入れよう。笑た。平山郁夫は、会田誠、東京ゲーダイ在学中の学長である。

 戦争画Returnsシリーズの「天皇陛下万歳」という文字が入った屏風。銀紙を古襖に貼り、ガムテープを貼り付けたような茶色の絵の具で斜めっている鳥居が描いてある。ガムテープを貼ったのではない、ということは、絵に目を貼り付けて見ないとわかりません。「ガムテープをはりつけたように描く」というリアルな絵。チープな鳥居と「天皇陛下万歳」の文字の取り合わせが絶妙ですが、描いた人が「おちょくってません、心から鳥居にも陛下にも敬意を表している」と言い張れば、うよも文句は言えない。

 「みにまる」これだって、ネトうよが騒ごうと思えば騒げる作品なのに、みな、平然と眺めてすぎる。たぶん、うよにはこの絵の意味もわからないのだ。
 名古屋在住の中堅アーティストと思われるお方のブログ感想では「私には、右翼に自宅襲われそうな、こんな絵はとても展示できません」と書いていました。そうだろうなあ。

 戦争画の部屋には、ほかにも、グァムやサイパンなどの島々の観光写真が大量に貼り付けられている作品がありました。太平洋戦争の戦場であり、日本兵が無残に殺され飢えて置き去りにされた島々や、日本兵が現地の人々を殺戮した島々。
 その島の平和な観光写真の上から、原色の絵の具が塗りたくられている絵です。タイトルは、「大皇乃敝尓許會死米(おおきみのへにこそしなめ)」痛烈です。

 ワカゾーがひとり、美術雑誌だかテレビのアート番組だかで見た「作品解説」を連れにしてやっていたが、たいていの若者は、ただ、通り過ぎる。ワカモンに意味が伝わらないのだとしたら、これらの戦争画Returnsシリーズは、本人が明言しているように「叙情」であることで許されているのだろう。ものはいいよう。

 「たまゆら」は、ビキニ環礁とアリゾナ沙漠と思われる場所での原爆実験の爆裂のようすが描かれている。「太平洋戦争は意味でなく、抒情である」と、画伯自身の解説がついている。
 「国に命をささげた英霊に対して、叙情であるとは失礼ではないか」という感想を書いているブログもあったので、会田誠の狙い通りの反応なのだと思います。

<つづく>
コメント (3)
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