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ぽかぽか春庭「みどりいリンゴ」

2013-06-08 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/06/08
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>ことばの知恵の輪・色の世界(2)みどりいリンゴ

 日本人学生に「ことばと文化」を考えさせる例題として、毎年「緑色なのに、どうして緑リンゴ、緑葉と言わないで、青リンゴ、青葉というんですか」という留学生の質問を学生に紹介しています。
 インターネットなどで調べれば、昨今はすぐに回答がみつかりますが、まずは自分の頭で答えを考えさせます。日本人学生の感想の多くが「どうして青葉というのか、これまで考えたこともなかった」
 慣れていて当然と思って使っているものについて、考えてみることなどしないからです。

 色彩名詞の表現について、「フランスでは虹の色は6色」「多くの日本の子どもがお絵かきで太陽を描くとき、赤いクレヨンや絵の具を使うけれど、西欧文化の多くの地域の子どもたちは、太陽は黄色いクレヨン絵の具で描く」という、文化差を紹介します。

 名詞にはその土地の文化がさまざまな面に表れます。色の名前もしかり。ある地域の言語には、その土地に重層する文化が重ね合わされているのです。
 まだ日本語教師になって日が浅かった頃、「青いりんご」を英訳して「日本にはほんとうにblue appleがあるのか」と、質問してきたのはイスラム圏の学生でした。まだイスラム教についてあまり知らなかった私は、この学生にラマダンの行事のことなどいろいろ教えてもらいました。

 このたびはじめてイスラム圏出身者で関取になった大相撲の大砂嵐金太郎さん。エジプト出身のイスラム教徒です。関取として土俵にあがる名古屋場所、ちょうどラマダンにあたります。イスラム教徒にとって大切な宗教行事、断食月にあたっていて、日の出から日の入りまで食事も水を飲むこともできません。つらいでしょうが、がんばりってほしいです。

 イスラム教は厳密な一神教です。イスラム教徒の中には、「我が神たっとし」と思う余り、他の宗教の神を排斥しようとする一派もあります。しかし、もともとイスラム教は、他の宗教も尊重することで世界に勢力を拡大してきた宗教です。

 大砂嵐は、毎日5回のアッラー神への礼拝を欠かさないと同時に、相撲の世界で「土俵の神様」を祀る神棚へも柏手を打つ。この柔軟な考え方があったからこそ、相撲の世界になじむことができました。2012年春場所の初土俵から1年半弱で、2013年名古屋場所では十両に昇進します。これからも柔軟な思考法と柔軟な身体で活躍して欲しいです。

 さて、大相撲の土俵の上の屋根には、赤房青房白房黒房が下がっています。これは、かって土俵の屋根を支えた四隅の柱が姿を変えたものです。 
 赤青白黒は、日本の色彩名詞のうち、もっとも古くからある色の名です。

 青リンゴ、青葉の解説にあたって、はじめに、古代日本語の色彩表現について説明します。古代日本語の色彩名詞は、白黒赤青の四色のみです。赤白黒以外の曖昧な色はすべて青。灰色も緑色も青でした。やがて、高度な染織方法が渡来人から伝わると、しだいに色彩名詞もふえ、現在はJIS規格にある色彩名詞だけでも500色。語彙論基礎として教えます。

 ついでに、幼い子どもが、「赤いくつ、みどりい靴下、むらさきいシャツ」と言うと、お母さんは「みどりい靴下じゃないのよ。みどりの靴下です」と訂正します。どうして「赤」は「あかい」なのに、「緑」は」「みどりい」じゃないのか、も考えさせます。
 語の形態論、品詞論の初歩です。

 古代からの色彩名詞は形容詞としても使えるため、形容詞語尾の「い」をつけて「赤い」「青い」と表現できます。しかし、「萌え出づる若々しいもの」を表していた「みどり」を色彩名詞として転用するようになったのは、赤青白黒の色彩名詞が使われていた古代よりずっとあとになってからのことでした。ですから、名詞としての用法しかなく、形容詞として「みどりい」「むらさきい」と言うことができないのです。
 例外は、黄色と茶色。あとからできた色彩名詞ですが「きいろい花」「ちゃいろい小瓶」と、「い」をつけて形容詞として成立しています。

 ですから、「みどりい」や「ピンクいろい」も、このあと何十年何百年たったあとでは、成立すると思われます。数百年後に日本語が残っているならば、、、、
 世界の多くの地域では、英語優先社会が成立しています。「英語をつかったほうが、公務員になりやすいし大企業にも就職できるし、いい暮らしができる」とみなが考えるようになった社会では、英語をつかう社会が成立して、もともとの土地のことばは「古老がはなす古くさい言語」として滅び去ろうとしています。

 英語が世界で「共通語」として席捲していることはすでに「事実」です。しかし、共通語としての英語ができるだけでは「有能で、共に語り合える仲間」としては見なされません。自分自身のアイデンティティを確立し、自分の文化に誇りを持てる人でなければ、パートナーとして信用されないからです。
 英語で日本語の色彩名詞について語れる、相撲について語れる、そのような「語れる内容」を持ってこその「英語」です。

 日本語教育を学ぶ人には、「まず日本語で語れる内容を身につけよ」と叱咤激励しています。
 不思議と思うこともなく使っているニホン語、実はおもしろいことが山のようにあります。25年日本語教師を続けていると、もう新しい質問は出ないかと思うのに、まだまだ新しい発見を留学生から学ばせてもら貰えるのです。

 自分の文化を大切にすることはたいへん重要ですが、他者と向き合ったとき、自分の文化の尺度が絶対と考えないことが、これからの「地球社会」に必要なことだと思います。固有の文化を尊重しつつ、他者の文化にも深い敬意を示すこと。
 地球共生社会を目指したいです。

<つづく>
コメント (3)
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