2013/06/09
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>ことばの知恵の輪・色の世界(3)グーリングリーン
「みどり」が、もともとは「草木の新芽」を表す言葉であり、「新鮮な若葉」のことだった、ということは何度かお話ししてきました。「みどりの黒髪」とはツヤツヤとした若々しい美しい髪のことであり、「みどり児」とは生まれたての新芽のような子のことでした。
「みどり」に染織の「緑色」が重ねられて以後も、「みどり」には、「若々しく新鮮」「さわやかな若い気分」がイメージとして残りました。日本語で「みどりの牧場」とか「緑の丘」と表現するとき、そこには「新しい溌剌とした気分」はのせられても、「小銭ももたないで、相棒に借金をする放浪者」のイメージはのせにくい。
そこで、世に知られる「グリーングリーン」の日本語詞は、以下のようになりました。
片岡輝 作詞 B.Mcguite Rspark 作曲
1 ある日 パパとふたりで 語り合ったさ
この世に生きる喜び そして 悲しみのことを
グリーン グリーン 青空には 小鳥が歌い
グリーン グリーン 丘の上には ララ 緑がもえる
2 その時 パパが言ったさ ぼくを胸に抱き
つらく悲しい時にも ラララ 泣くんじゃないと
グリーン グリーン 青空には そよ風ふいて
グリーン グリーン 丘の上には ララ 緑がゆれる
3 ある朝 ぼくは目覚めて そして 知ったさ
この世に つらい悲しいことがあるってことを
グリーン グリーン 青空には 雲が走り
グリーン グリーン 丘の上には ララ 緑がさわぐ
4 あの時 パパと 約束したことを守った
こぶしをかため 胸をはり ラララ ぼくは立っていた
グリーン グリーン まぶたには なみだがあふれ
グリーン グリーン 丘の上には ララ 緑がぬれる
5 その朝 パパは出かけた 遠い旅路へ
二度と 帰って来ないと ラララ ぼくにもわかった
グリーン グリーン 青空には 虹がかかり
グリーン グリーン 丘の上には ララ 緑がはえる
6 やがて 月日が過ぎゆき ぼくは知るだろう
パパの言ってた ラララ 言葉の意味を
グリーン グリーン 青空には 太陽がわらい
グリーン グリーン 丘の上には ララ 緑があざやか
7 いつか ぼくも 子供と 語り合うだろう
この世に生きる喜び そして 悲しみのことを
グリーン グリーン 青空には かすみたなびき
グリーン グリーン 丘の上には ララ 緑がひろがる
男の子が父と別れ別れになった後、父を思い出し、父が伝えたことばをかみしめる。そして自分も同じように息子に語るだろう、という「家族の継承と明日への希望」というようなテーマの詩になっていました。
学校音楽教育の場ではたいてい3番までが歌われるので、多くの人にとって、「グリーングリーン」は、父が人生を語り、くじけるなと子を励ます歌、とイメージされています。
原詩と直訳詩を、日本語詞と比べてみましょう。(直訳:春庭)
Green Green(1963)/The New Christy Minstrels 原詩の引用は以下のURL
http://tabs.ultimate-guitar.com/m/misc_unsigned_bands/the_new_christy_minstrels_-_green_green_crd.htm
Green, green, it's green they say グリーングリーン 緑だ、とみなが言う
On the far side of the hill 丘のむこうのずっと遠く
Green, green, I'm goin' away グリーングリーン、僕は旅立つ
To where the grass is greener still もっと緑あざやかな草が、まだあるところへ
(1)
Well I told my mama on the day I was born 生まれたその日にママに言った
Don't you cry when you see I'm gone 僕が出て行ったとき、泣かないでね
You know there ain't no woman gonna settle me down 僕を引き留められる女はいない
I just gotta be travelin' on. Hear me singin'... 僕はただ旅を続ける 歌いながら
(2)
No, there ain't nobody in this whole wide world この広い世界に、誰もいないってことはない
Gonna tell me to spend my time 僕に言ってくれ、好きなようにすごせって
I'm just a good-lovin' ramblin' man 僕は愛すべき良き放浪者
Say, buddy, can you spare me a dime? 相棒よ言ってくれ。僕に小銭を分けてやるって
Hear me cryin', 泣けてくるよ
(3)
Here, I don't care when the sun goes down さて、いつ日が沈もうと僕は気にしない
Where I lay my weary head 僕の疲れた頭を載せられるところは
Green, green valley or rocky road 緑の上だよ、緑の谷や岩の道
It's there I'm gonna make my bed どこだって僕は寝床にできる
Easy, now かんたんさ、今はね
原曲のヒットは、1963年。アメリカはケネディ政権によってベトナム戦争介入が本格化した頃です。そのアンチとしてヒッピー文化がアメリカから世界に広がりました。「自由と平和、そして愛」が、ヒッピーたちの合い言葉。そのヒッピー文化の広がりのなかで、この「グリーングリーン」は歌われたのです。
日本の「うるわしい父と子の情愛」じゃなくて、平穏かつ退屈な人生を捨て親を捨てて出て行く若者が、ダチ公に「小銭を分け合おうぜ」と呼びかけながら放浪するって内容なのです。ここでのグリーンは、丘のむこうのずっと遠くに、おそらくは「今ここには存在しない」緑の大地です。緑の谷や岩だらけの道で、ヒッピーたちは頭を並べ野宿しながら放浪する。自由と愛を求めて。
日本語の詩は、これはこれとして、音楽の教科書にふさわしい文部省唱歌的にまとまっていて、日本人にはなじめるイメージになっていると思います。緑の大地がどっしりと自分を包みこむ。
ビルの林立する町と機械文明を捨てて「緑」の中に帰ろうとするヒッピー文化のイメージは、日本の「緑」のイメージには向かない、という訳詞者の判断があったのでしょう。
以前に、「ホテルカリフォルニア」のけだるい、(大麻などの)グラス文化が、なんだか明るすぎる観光地カリフォルニアのイメージに大きく模様替えされた、という訳詞の話をしました。
http://hal-niwa.blog.ocn.ne.jp/blog/2010/09/hotel_californi.html
http://hal-niwa.blog.ocn.ne.jp/blog/2010/09/post_7edc.html
グリーングリーンの「文科省的健全化」も、また日本文化のひとつの有り様だとは思います。
なにはともあれ、「みどり」は「みどり」
私にぴったりの「みどり」を季語とする俳句を見つけました。石橋秀野(1909-1947)の句。石橋は、俳句評論家山本健吉の妻。
緑なす松や金欲し命欲し 石橋秀野
緑をみて、私も友に歌いかけたい。
♪Say, buddy, can you spare me a dime? 私に小銭を分けておくれよ。
いえいえ、小銭だなんていわず、大金を分けてくれる友こそ、真の友。吉田兼好も、「ものくれる友こそよき友」と徒然草に書いています。
117段 よき友、三つあり。一つには、物くるる友。二つには医師。三つには、知恵ある友。
わたくし?当然宝くじ6億円が当たったときには、あなたに分けてさしあげますとも。だから、宝くじ買うお金をわけてくれない?
<つづく>
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>ことばの知恵の輪・色の世界(3)グーリングリーン
「みどり」が、もともとは「草木の新芽」を表す言葉であり、「新鮮な若葉」のことだった、ということは何度かお話ししてきました。「みどりの黒髪」とはツヤツヤとした若々しい美しい髪のことであり、「みどり児」とは生まれたての新芽のような子のことでした。
「みどり」に染織の「緑色」が重ねられて以後も、「みどり」には、「若々しく新鮮」「さわやかな若い気分」がイメージとして残りました。日本語で「みどりの牧場」とか「緑の丘」と表現するとき、そこには「新しい溌剌とした気分」はのせられても、「小銭ももたないで、相棒に借金をする放浪者」のイメージはのせにくい。
そこで、世に知られる「グリーングリーン」の日本語詞は、以下のようになりました。
片岡輝 作詞 B.Mcguite Rspark 作曲
1 ある日 パパとふたりで 語り合ったさ
この世に生きる喜び そして 悲しみのことを
グリーン グリーン 青空には 小鳥が歌い
グリーン グリーン 丘の上には ララ 緑がもえる
2 その時 パパが言ったさ ぼくを胸に抱き
つらく悲しい時にも ラララ 泣くんじゃないと
グリーン グリーン 青空には そよ風ふいて
グリーン グリーン 丘の上には ララ 緑がゆれる
3 ある朝 ぼくは目覚めて そして 知ったさ
この世に つらい悲しいことがあるってことを
グリーン グリーン 青空には 雲が走り
グリーン グリーン 丘の上には ララ 緑がさわぐ
4 あの時 パパと 約束したことを守った
こぶしをかため 胸をはり ラララ ぼくは立っていた
グリーン グリーン まぶたには なみだがあふれ
グリーン グリーン 丘の上には ララ 緑がぬれる
5 その朝 パパは出かけた 遠い旅路へ
二度と 帰って来ないと ラララ ぼくにもわかった
グリーン グリーン 青空には 虹がかかり
グリーン グリーン 丘の上には ララ 緑がはえる
6 やがて 月日が過ぎゆき ぼくは知るだろう
パパの言ってた ラララ 言葉の意味を
グリーン グリーン 青空には 太陽がわらい
グリーン グリーン 丘の上には ララ 緑があざやか
7 いつか ぼくも 子供と 語り合うだろう
この世に生きる喜び そして 悲しみのことを
グリーン グリーン 青空には かすみたなびき
グリーン グリーン 丘の上には ララ 緑がひろがる
男の子が父と別れ別れになった後、父を思い出し、父が伝えたことばをかみしめる。そして自分も同じように息子に語るだろう、という「家族の継承と明日への希望」というようなテーマの詩になっていました。
学校音楽教育の場ではたいてい3番までが歌われるので、多くの人にとって、「グリーングリーン」は、父が人生を語り、くじけるなと子を励ます歌、とイメージされています。
原詩と直訳詩を、日本語詞と比べてみましょう。(直訳:春庭)
Green Green(1963)/The New Christy Minstrels 原詩の引用は以下のURL
http://tabs.ultimate-guitar.com/m/misc_unsigned_bands/the_new_christy_minstrels_-_green_green_crd.htm
Green, green, it's green they say グリーングリーン 緑だ、とみなが言う
On the far side of the hill 丘のむこうのずっと遠く
Green, green, I'm goin' away グリーングリーン、僕は旅立つ
To where the grass is greener still もっと緑あざやかな草が、まだあるところへ
(1)
Well I told my mama on the day I was born 生まれたその日にママに言った
Don't you cry when you see I'm gone 僕が出て行ったとき、泣かないでね
You know there ain't no woman gonna settle me down 僕を引き留められる女はいない
I just gotta be travelin' on. Hear me singin'... 僕はただ旅を続ける 歌いながら
(2)
No, there ain't nobody in this whole wide world この広い世界に、誰もいないってことはない
Gonna tell me to spend my time 僕に言ってくれ、好きなようにすごせって
I'm just a good-lovin' ramblin' man 僕は愛すべき良き放浪者
Say, buddy, can you spare me a dime? 相棒よ言ってくれ。僕に小銭を分けてやるって
Hear me cryin', 泣けてくるよ
(3)
Here, I don't care when the sun goes down さて、いつ日が沈もうと僕は気にしない
Where I lay my weary head 僕の疲れた頭を載せられるところは
Green, green valley or rocky road 緑の上だよ、緑の谷や岩の道
It's there I'm gonna make my bed どこだって僕は寝床にできる
Easy, now かんたんさ、今はね
原曲のヒットは、1963年。アメリカはケネディ政権によってベトナム戦争介入が本格化した頃です。そのアンチとしてヒッピー文化がアメリカから世界に広がりました。「自由と平和、そして愛」が、ヒッピーたちの合い言葉。そのヒッピー文化の広がりのなかで、この「グリーングリーン」は歌われたのです。
日本の「うるわしい父と子の情愛」じゃなくて、平穏かつ退屈な人生を捨て親を捨てて出て行く若者が、ダチ公に「小銭を分け合おうぜ」と呼びかけながら放浪するって内容なのです。ここでのグリーンは、丘のむこうのずっと遠くに、おそらくは「今ここには存在しない」緑の大地です。緑の谷や岩だらけの道で、ヒッピーたちは頭を並べ野宿しながら放浪する。自由と愛を求めて。
日本語の詩は、これはこれとして、音楽の教科書にふさわしい文部省唱歌的にまとまっていて、日本人にはなじめるイメージになっていると思います。緑の大地がどっしりと自分を包みこむ。
ビルの林立する町と機械文明を捨てて「緑」の中に帰ろうとするヒッピー文化のイメージは、日本の「緑」のイメージには向かない、という訳詞者の判断があったのでしょう。
以前に、「ホテルカリフォルニア」のけだるい、(大麻などの)グラス文化が、なんだか明るすぎる観光地カリフォルニアのイメージに大きく模様替えされた、という訳詞の話をしました。
http://hal-niwa.blog.ocn.ne.jp/blog/2010/09/hotel_californi.html
http://hal-niwa.blog.ocn.ne.jp/blog/2010/09/post_7edc.html
グリーングリーンの「文科省的健全化」も、また日本文化のひとつの有り様だとは思います。
なにはともあれ、「みどり」は「みどり」
私にぴったりの「みどり」を季語とする俳句を見つけました。石橋秀野(1909-1947)の句。石橋は、俳句評論家山本健吉の妻。
緑なす松や金欲し命欲し 石橋秀野
緑をみて、私も友に歌いかけたい。
♪Say, buddy, can you spare me a dime? 私に小銭を分けておくれよ。
いえいえ、小銭だなんていわず、大金を分けてくれる友こそ、真の友。吉田兼好も、「ものくれる友こそよき友」と徒然草に書いています。
117段 よき友、三つあり。一つには、物くるる友。二つには医師。三つには、知恵ある友。
わたくし?当然宝くじ6億円が当たったときには、あなたに分けてさしあげますとも。だから、宝くじ買うお金をわけてくれない?
<つづく>