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ぽかぽか春庭「文化と色-太陽はどうして真っ赤に燃えるのか」

2013-06-11 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/06/11
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>ことばの知恵の輪・色の世界(4)文化と色-太陽はどうして真っ赤に燃えるのか

 ♪真っ赤に燃える~太陽だからあ~、とミニスカートをはいた美空ひばりがテレビの中で歌っていました。1967年のこと。

 多くの日本語母語話者にとって、太陽は赤いのです。

 こどものころ、私は、昼の太陽を直接目で見てはいけないと禁じられても、ときどき薄目にして太陽を見るのが好きでした。輝くお日様が好きだったのです。お日様はキン金キンと黄金色に燃えていました。しかし、小学校のお絵かきで太陽を書くとき、私は赤いクレヨンを使いました。先生に「お日様は赤いクレヨンで描くんだよ」と注意されて、「学校のお約束」に素直に従ったからです。当然、虹は七色で描きました。

 西欧文化では、多くの地域で「太陽は黄色」が基本であると、鈴木孝夫の『ことばと文化』(1973岩波新書)に、書いてありました。西欧では「黄色い太陽」は当たり前のことだというのです。目からウロコ!でした。なんだ、太陽を黄色のクレヨンで描いても間違いじゃなかったんだと思いましたが、私は「日本文化のしばり」にしばられて「太陽は赤いもの」に従ったのでした。

 なぜ、日本では太陽は「真っ赤に燃えている」のか。これは、前回説明した日本の基本色彩名詞が「赤青白黒」であった、ということと関わります。
 黒は光をすべて飲み込んでしまう、暗い闇の色。
 白は、「他から際立って明確な色、加工を加えていない、素のままの色」でした。白木というのは、木材を削ったまま、何も塗っていない木です。
 青は、緑色や灰色を含む、「はっきりしない曖昧な色すべて」でした。
 赤は、「明るく輝く燃える色」「鮮やかに際立つ色」すべて」でした。

 漢字が導入されて「明るい」と「赤」という漢字に固定されてしまうと、アカるいのアカとアカ色のアカが別物になってしまいましたが、「赤し」と「明かし」は、同根の語です。漢字導入以前に「日、あかあかし」という表現があったとしたら、「お日様が明るく輝く」という意味であり、後代に染め物の「赤い色」と固定される前の、「明るく輝く色」の意味であったと思われます。

 もうひとつ、日本人にとって、赤い太陽の固定概念に、太陽信仰がかかわります。ヒエ粟など焼き畑農耕開始以来、大地と日照と雨は農業のもとです。日の出を拝むことは、農耕にとって大切な行為でした。「山頂での初日の出来迎」など、現代にまで残された民間習俗です。今も「毎朝日の出を拝む」というお年寄りは残っています。また、仏教伝来後は、欣求西方浄土信仰が加わり、日の入りを礼拝する習慣も生まれました。

 太陽光線の屈折のために、日の出と日没の太陽は赤くなります。毎朝毎夕礼拝する太陽が赤いので、「太陽は赤い」という固定イメージが出来上がりました。
 旗の「日の丸」が、「赤地の布に金色の丸」で描かれたものから、「白地に赤い丸」になったのは、定説はありませんが、平安末期から鎌倉初期という説が有力です。

 こうして日本では、太陽は「真っ赤にもえる~」になったのです。

 人気絶頂のグループサウンズ「ブルーコメッツ」がバックバンドとなった『真っ赤な太陽』は、歌謡史に残るシングル140万枚の大ヒットとなりました。

 次回、『真っ赤な太陽』を歌う美空ひばりのミニスカート姿、レインボーカラーの衣装と虹の語彙論。
 
<つづく>
コメント (2)
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