2014/04/13
ぽかぽか春庭@アート散歩>桜めぐりと花のアート(4)富士とさくらin山種美術館
今期の仕事は、9日がスタート。4月8日は、春休み最後の日。ほんとうは、新学期の準備にしなければならない仕事が山のようにあるのですが、いつものように「なるようにしかならぬ」というよくいえば楽天的悪く言えば投げやりな方針によって、春の最後を楽しむ方に走りました。
招待券をもらってあった山種美術館へ。「富士と桜と春の花」
山種美術館の向かい側にある広尾中学校では入学式当日。例年東京は入学式には桜が散ってしまったあとになることが多かったのですが、今年は桜をバックに記念写真が撮れたのではないかと思います。
・広尾中学校入学式のさくら
山種美術館は日本が専門の美術館です。戦前に活躍した株屋山崎種二(1893-1983)の個人コレクションを公開しています。株で儲けたら茶道具や絵画を収集したくなるのがお金持ちの倣い。こうして私のようなお金に縁のない者もよい絵を見て楽しめるのですから、文句はございません。できるなら、高齢者入館料を無料にしてほしい。
さて、今回は世界遺産登録記念の富士の絵と桜、春の花の絵を並べています。
富士の絵で気に入ったのは、小倉遊亀(1895-2000 105歳没)と片岡球子(1905 - 2008 103歳没)という両長寿女性画家の渾身の富士。それぞれ迫力ある富士です。小倉遊亀の「霽(は)れゆく」(1975富士ミュージアム蔵)は、大津祭の山車の幕に使われている図柄で、大津の人にはなじみの富士。雨のあと、からりと晴れていく雄大な富士です。祭の気分もこの富士なら盛り上がることでしょう。
・片岡球子「めでたき富士」1991年96歳の作 東京美術倶楽部東美ミュージアム蔵
・小倉遊亀「咲き定まる」1974年79歳 山種美術館蔵
・奥村土牛「吉野」1977 山種美術館蔵
西洋画の花も、最高傑作のいくつかは、生きとし生けるものの命の輝きや神の姿を感じさせるものがなくはないですが、多くの花は、美や若さが失われやすものだということの象徴として描かれています。また、女性を飾るアクセサリーとしてあしらわれている絵も多い。
しかし、日本画の富士も桜も、画家たちは目の前の富士の姿、桜の姿にある神聖なものを表そうと格闘しているように感じました。
桜はやはり特別な花だと思います。
晩香盧の庭の桜。頭上すぐ上に枝が伸びている枝がありました。中国人女性の二人連れがやってきて、頭上の枝に飛びついて折れてしまいそうにたわめて、自分の顔の前に持ってきました。代わる代わる「美しい桜と美しい私」のショットを取り合っていました。枝が折れはしないかとハラハラしましたので 簡体字が書けなかったので「请不要触摸樱花的樹枝」と紙に書いて、彼女たちに見せました。
係員でもない私が注意したことは、彼女らにとって不本意で「意地悪な日本人」と出会ったいやな思い出になってしまったのかもしれません。
彼女らは、紙きれの注意書きなど気にせず、10分ほど撮影を続けました。
枝は低くたわめられていて、花びらも散りました。彼女たちにしてみれば、枝を折ってしまったならいけないことだけれど、折れてはいないのだから、何一つ悪いことなどしていない、美しい花に顔を近づけてとるのは、ポーズとして最高のもの、私たちの勝手。
桜をただ見るだけ愛でるだけという楽しみ方は、つまらないと感じるのかもしれません。中国の武漢市にある武漢大学キャンパスに咲く桜は、近年中国中から観光客が集まる場所になってしまい、集団で木登りをして写真を撮るわ、枝を折るわで、無残なことになっている、という中国国内ニュースを見ました。
中国からの観光客が春の日本を楽しみに来るのは歓迎ですが、花見の楽しみ方について、文化差を知ってほしいです。中国に3度暮らした私、中国人に親しみを感じるからこそ、かれらが「マナーを心得ていない」と非難されることのないよう、願っています。
外国人が温泉の入り方を知らないからと「外国人お断り」の看板を出したり、サッカー場に「Japaneze only」という垂れ幕をだして世界中の顰蹙を買ったりすることのないように。皆で楽しむには、銭湯のマナーも花見のマナーも互いに知り合うことが大事だと感じた今年の花見でした。「おもてなし」は、あいてを知ることあいてに知らせることから第一歩を。
<つづく>
ぽかぽか春庭@アート散歩>桜めぐりと花のアート(4)富士とさくらin山種美術館
今期の仕事は、9日がスタート。4月8日は、春休み最後の日。ほんとうは、新学期の準備にしなければならない仕事が山のようにあるのですが、いつものように「なるようにしかならぬ」というよくいえば楽天的悪く言えば投げやりな方針によって、春の最後を楽しむ方に走りました。
招待券をもらってあった山種美術館へ。「富士と桜と春の花」
山種美術館の向かい側にある広尾中学校では入学式当日。例年東京は入学式には桜が散ってしまったあとになることが多かったのですが、今年は桜をバックに記念写真が撮れたのではないかと思います。
・広尾中学校入学式のさくら
山種美術館は日本が専門の美術館です。戦前に活躍した株屋山崎種二(1893-1983)の個人コレクションを公開しています。株で儲けたら茶道具や絵画を収集したくなるのがお金持ちの倣い。こうして私のようなお金に縁のない者もよい絵を見て楽しめるのですから、文句はございません。できるなら、高齢者入館料を無料にしてほしい。
さて、今回は世界遺産登録記念の富士の絵と桜、春の花の絵を並べています。
富士の絵で気に入ったのは、小倉遊亀(1895-2000 105歳没)と片岡球子(1905 - 2008 103歳没)という両長寿女性画家の渾身の富士。それぞれ迫力ある富士です。小倉遊亀の「霽(は)れゆく」(1975富士ミュージアム蔵)は、大津祭の山車の幕に使われている図柄で、大津の人にはなじみの富士。雨のあと、からりと晴れていく雄大な富士です。祭の気分もこの富士なら盛り上がることでしょう。
・片岡球子「めでたき富士」1991年96歳の作 東京美術倶楽部東美ミュージアム蔵
・小倉遊亀「咲き定まる」1974年79歳 山種美術館蔵
・奥村土牛「吉野」1977 山種美術館蔵
西洋画の花も、最高傑作のいくつかは、生きとし生けるものの命の輝きや神の姿を感じさせるものがなくはないですが、多くの花は、美や若さが失われやすものだということの象徴として描かれています。また、女性を飾るアクセサリーとしてあしらわれている絵も多い。
しかし、日本画の富士も桜も、画家たちは目の前の富士の姿、桜の姿にある神聖なものを表そうと格闘しているように感じました。
桜はやはり特別な花だと思います。
晩香盧の庭の桜。頭上すぐ上に枝が伸びている枝がありました。中国人女性の二人連れがやってきて、頭上の枝に飛びついて折れてしまいそうにたわめて、自分の顔の前に持ってきました。代わる代わる「美しい桜と美しい私」のショットを取り合っていました。枝が折れはしないかとハラハラしましたので 簡体字が書けなかったので「请不要触摸樱花的樹枝」と紙に書いて、彼女たちに見せました。
係員でもない私が注意したことは、彼女らにとって不本意で「意地悪な日本人」と出会ったいやな思い出になってしまったのかもしれません。
彼女らは、紙きれの注意書きなど気にせず、10分ほど撮影を続けました。
枝は低くたわめられていて、花びらも散りました。彼女たちにしてみれば、枝を折ってしまったならいけないことだけれど、折れてはいないのだから、何一つ悪いことなどしていない、美しい花に顔を近づけてとるのは、ポーズとして最高のもの、私たちの勝手。
桜をただ見るだけ愛でるだけという楽しみ方は、つまらないと感じるのかもしれません。中国の武漢市にある武漢大学キャンパスに咲く桜は、近年中国中から観光客が集まる場所になってしまい、集団で木登りをして写真を撮るわ、枝を折るわで、無残なことになっている、という中国国内ニュースを見ました。
中国からの観光客が春の日本を楽しみに来るのは歓迎ですが、花見の楽しみ方について、文化差を知ってほしいです。中国に3度暮らした私、中国人に親しみを感じるからこそ、かれらが「マナーを心得ていない」と非難されることのないよう、願っています。
外国人が温泉の入り方を知らないからと「外国人お断り」の看板を出したり、サッカー場に「Japaneze only」という垂れ幕をだして世界中の顰蹙を買ったりすることのないように。皆で楽しむには、銭湯のマナーも花見のマナーも互いに知り合うことが大事だと感じた今年の花見でした。「おもてなし」は、あいてを知ることあいてに知らせることから第一歩を。
<つづく>