2014/04/26
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記4月(4)石っ子けんさん
桜は散ったけれど、花みずきも白ぴんくが美しく、紫もくれんも華やかっです。水曜日に郊外の大学に出講するとき、スクールバスの道すじでは、畑の菜の花が黄色い絨毯になって咲いていました。
花を見るのも絵を見るのも楽しい。
西洋画では、花は美しさの表現であるよりも、「どんな美しい花も、やがて枯れ果てて散る」という「はかなく消えゆくもの」の象徴として描かれていると教わりました。果物も、瑞々しかった皮もしぼみ、熟れた実も果肉は崩れ腐ちていく。テーブルいっぱいにのせられた花と果物の静物画は、実は「怖い絵」なのだ、と、『「怖い絵」で人間を読む』を読んでいて、若桑みどり先生に西洋美術史講義を受けたことを思い出しました。
アンリ・ファンタン=ラトゥール「花と果物、ワイン容れのある静物」西洋美術館蔵
一方、石は、永遠に変わらないものの象徴になります。日本の古事記でも、石長比売ではなく木花之佐久夜毘売を妻として選んだために、人間の寿命が石のように永遠ではなく花のようにはかないものとなった、という物語が書かれています。
石と花。仕事帰りに見てきました。
4月24日、上野へ行き科学博物館の「石の世界と宮沢賢治」
https://www.kahaku.go.jp/event/2014/04kenji/
宮沢賢治は地域の地質調査を行うなど、地学研究者としても成果を残しています。宮沢賢治らの書き残した地質図が近年発見され、高く評価されたのだそうです。
宮沢賢治は、子供の頃から石を拾い集めるのが好きで、「石っ子けんさん」とあだ名されていました。
今回の科学博物館企画展では、賢治が知識の源泉とした鉱物学の本や、賢治が作成した鉱物の薄片標本などが展示されていました。薄片標本は、たったひとつが奇跡的にのこっていたのだそうです。賢治の母校、盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)本館(現農業教育資料館)に保存されています。この本館は1994に重要文化財に指定された近代建築のひとつですから、岩手に行ったらぜひ見学したいと思っています。
賢治文学には、鉱物の名前や地質の学術用語が展示されていました。
賢治の詩や童話の中に出てくる鉱物名や地学のことばは、文体に大きな魅力を与えています。加藤碵一「賢治と鉱物」2011工作社も、そのうちぜひ読んでみたいです。
石集めが大好きで石を拾ってすごした宮沢賢治に対し、私は子供のころ、石にはあまり興味がなかったのです。利根川の川原できれいな石を拾い集めるのはやりましたが、それはあくまで「きれい」が基準で、みた目が綺麗でない石には興味がなかったのです。
石に興味を持つようになったのは、娘が化石好きになり、化石掘りを目的として「日曜地学ハイキング」に参加するようになってからです。地層の解説や石の説明を聞いているうちに、石のおもしろさもわかってきました。
「石の世界と宮沢賢治」展には、賢治の持っていたのと同じ時代の鉱物標本箱などが展示してありました。地球の46億年の成り立ちに思いをはせながら、科学博物館を出ました。にぎやかに見学していた修学旅行生も5時の閉館でいなくなり、私はとなりの西洋美術館に移動。閉館までの30分だけですが、ささっと常設館を歩きました。新蔵の絵もあったし、「はかない美」の象徴としての女性像や花の絵を見て回りました。
「いつかは朽ち果てる美」である花や女性の姿は、一瞬のきらめきなのかもしれませんが、その一瞬に魅力があります。ゴッホの薔薇の絵も、モネの睡蓮の絵も、とても美しい。印象派以後の画家たちは、なんの気兼ねもなく美しいから花を描いたのでしょうけれど、教会の権威に従って生きた近代以前の画家だって、やはり美しい対象を美しいものとして描きたかったのだろうと思います。絵の注文主たちも、教会の教えによって「朽ちるものとしての花と実と女性美」と口実はもうけても、実際は、この一瞬の美しさを愛でるために絵を壁にかけたにちがいない。
節理をなしている石や結晶構造の石、磨くときらめきをみせる宝石類。永遠の美をほこる石、一瞬の美を輝かせる花。どっちも美しいけれど、プレゼントしてくださるというのなら、石のいちばん硬いやつを。10カラットほどの大きさで。
<つづく>
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記4月(4)石っ子けんさん
桜は散ったけれど、花みずきも白ぴんくが美しく、紫もくれんも華やかっです。水曜日に郊外の大学に出講するとき、スクールバスの道すじでは、畑の菜の花が黄色い絨毯になって咲いていました。
花を見るのも絵を見るのも楽しい。
西洋画では、花は美しさの表現であるよりも、「どんな美しい花も、やがて枯れ果てて散る」という「はかなく消えゆくもの」の象徴として描かれていると教わりました。果物も、瑞々しかった皮もしぼみ、熟れた実も果肉は崩れ腐ちていく。テーブルいっぱいにのせられた花と果物の静物画は、実は「怖い絵」なのだ、と、『「怖い絵」で人間を読む』を読んでいて、若桑みどり先生に西洋美術史講義を受けたことを思い出しました。
アンリ・ファンタン=ラトゥール「花と果物、ワイン容れのある静物」西洋美術館蔵
一方、石は、永遠に変わらないものの象徴になります。日本の古事記でも、石長比売ではなく木花之佐久夜毘売を妻として選んだために、人間の寿命が石のように永遠ではなく花のようにはかないものとなった、という物語が書かれています。
石と花。仕事帰りに見てきました。
4月24日、上野へ行き科学博物館の「石の世界と宮沢賢治」
https://www.kahaku.go.jp/event/2014/04kenji/
宮沢賢治は地域の地質調査を行うなど、地学研究者としても成果を残しています。宮沢賢治らの書き残した地質図が近年発見され、高く評価されたのだそうです。
宮沢賢治は、子供の頃から石を拾い集めるのが好きで、「石っ子けんさん」とあだ名されていました。
今回の科学博物館企画展では、賢治が知識の源泉とした鉱物学の本や、賢治が作成した鉱物の薄片標本などが展示されていました。薄片標本は、たったひとつが奇跡的にのこっていたのだそうです。賢治の母校、盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)本館(現農業教育資料館)に保存されています。この本館は1994に重要文化財に指定された近代建築のひとつですから、岩手に行ったらぜひ見学したいと思っています。
賢治文学には、鉱物の名前や地質の学術用語が展示されていました。
賢治の詩や童話の中に出てくる鉱物名や地学のことばは、文体に大きな魅力を与えています。加藤碵一「賢治と鉱物」2011工作社も、そのうちぜひ読んでみたいです。
石集めが大好きで石を拾ってすごした宮沢賢治に対し、私は子供のころ、石にはあまり興味がなかったのです。利根川の川原できれいな石を拾い集めるのはやりましたが、それはあくまで「きれい」が基準で、みた目が綺麗でない石には興味がなかったのです。
石に興味を持つようになったのは、娘が化石好きになり、化石掘りを目的として「日曜地学ハイキング」に参加するようになってからです。地層の解説や石の説明を聞いているうちに、石のおもしろさもわかってきました。
「石の世界と宮沢賢治」展には、賢治の持っていたのと同じ時代の鉱物標本箱などが展示してありました。地球の46億年の成り立ちに思いをはせながら、科学博物館を出ました。にぎやかに見学していた修学旅行生も5時の閉館でいなくなり、私はとなりの西洋美術館に移動。閉館までの30分だけですが、ささっと常設館を歩きました。新蔵の絵もあったし、「はかない美」の象徴としての女性像や花の絵を見て回りました。
「いつかは朽ち果てる美」である花や女性の姿は、一瞬のきらめきなのかもしれませんが、その一瞬に魅力があります。ゴッホの薔薇の絵も、モネの睡蓮の絵も、とても美しい。印象派以後の画家たちは、なんの気兼ねもなく美しいから花を描いたのでしょうけれど、教会の権威に従って生きた近代以前の画家だって、やはり美しい対象を美しいものとして描きたかったのだろうと思います。絵の注文主たちも、教会の教えによって「朽ちるものとしての花と実と女性美」と口実はもうけても、実際は、この一瞬の美しさを愛でるために絵を壁にかけたにちがいない。
節理をなしている石や結晶構造の石、磨くときらめきをみせる宝石類。永遠の美をほこる石、一瞬の美を輝かせる花。どっちも美しいけれど、プレゼントしてくださるというのなら、石のいちばん硬いやつを。10カラットほどの大きさで。
<つづく>