2014/04/03
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記春(3)動物園プチクラス会
女子高クラスメートのやっちゃんからの葉書を受け取りました。
「このところクラス会に顔を出せないでいたひとりと会うことになって上京するから、いっしょにどうですか」という連絡です。
ハガキには「妙義山に登ったとき、ハルちゃんが妙義の大砲岩で逆立ちしたのを今でも思い出します」と書いてあり、びっくり。女子高時代、やっちゃんといっしょに自宅から自転車で2時間かけて妙義山に到着し、ふもとに自転車を置いて頂上まで登ったことは覚えていたのですが、「大砲岩で逆立ちした」なんてこと、さっぱりと忘れていました。元気いっぱいの高校生でしたね。今ではすっかりくたびれたオバアになっていますが。
3月25日に集まることになったのは、葉書をくれたやっちゃん、千葉に嫁に行ってから一度も会っていなかったSちゃん、ずっとクラス会の幹事を続けているひさちゃん。幹事のひさちゃんから毎年クラス会の案内をもらうのですが、私は、クラス会に1度参加しただけ。地元の温泉一泊のクラス会です。
みなが子育てを終えてクラス会出席を楽しみにしだしたころも、子供を持つのがおそかった私は、まだ子供が小さくて参加できず、息子が中学生になったとき、はじめて参加しました。そのあと、みなは60歳で定年退職して平日に集まるようになって、平日は仕事がある私は、参加したくてもできなくなりました。
上野公園口に集まり、公園内の精養軒でランチ。
1787年に建てられた鐘楼「時の鐘」。前回精養軒でひとりランチしたときには、さっさと通りすぎた所ですが、みなが見ているので、私も説明書きを読んで、由緒来歴を知ることができました。
ランチ後は、ぶらぶらと公園を散歩。24度まで気温があがった上野公園。桜も咲き始めた枝があって、ほんとうにのんびり楽しくすごせました。
咲き始めの枝にさっそくやってきた小鳥。
さいしょは、Sちゃんが「五重塔が見たい」と言うので五重塔見物。でも五重塔は修理中で、下側半分にはシートがかけられていました。私は動物園にはよく来るのに、五重塔をじっくり眺めたことがなかったので、次回、修理が終わったらゆっくりみたいと思います。
重要文化財の上野東照宮唐門は、金箔修理を終えたところで、ぴかぴかでした。1651年建築の国指定重要文化財、正式名称は唐破風造り四脚門という立派な門なんですが、ぴかぴかすぎて、ちょっとありがたみが薄い気がしました。
左甚五郎作の「昇り龍・降り龍」彫刻柱がある総金箔の唐門前で。左がひさちゃん、中がS
ちゃん、右がやっちゃん。
東照宮の次は、動物園へ。動物見てまわりながら、閉園までおしゃべりしました。
パンダやぞうを見て、しろくまが泳ぐようすを見て、とらが歩き回っているのをみました。
おめでたは残念でしたが、シンシンは元気でした。
水中で遊びまわっていたしろくま。光の屈折で水面に出ていた頭が写りませんでした。
動物園の園内でソフトクリームを食べながら、クラスメートの近況などを聞きました。
クラスメート、ほとんどが60歳で教員や公務員を退職していました。女子高三年六組50人のうちクラスの半数が教師か公務員になった、というのも、当時女性が男性と同じ仕事をして同じ賃金がもらえるのは、教師か公務員だけだったからです。
やっちゃんは私立高校の理科教師になり、60歳で定年。ひさちゃんは小学校の先生になり、健康問題から停年の2年前に早期退職。
教師は嫌いだ、なりたくない、と言っていた私も、中学校教師や大学講師になって、まだ働いている
絶対に医者になると言っていたとみちゃんは、今では同業のご主人と大きな病院経営しているというし、クラス一のピアニストだったかずこさんは、音楽大学のピアノ教授と結婚して、いったんは家庭に入ったけれど、お姑さんに勧められて高校ピアノ教師の仕事を再開したのだそうです。
ちょうど、管理職に女性を登用しだした時期だったので、クラスメートの多くが校長や教頭、教育委員会管理職になりました。教員定年退職組の元校長元教頭たちは、それぞれいろいろな役職について活躍しているそうです。
近況報告やら女子校時代の思い出話やら、おしゃべりは続きました。
<つづく>
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記春(3)動物園プチクラス会
女子高クラスメートのやっちゃんからの葉書を受け取りました。
「このところクラス会に顔を出せないでいたひとりと会うことになって上京するから、いっしょにどうですか」という連絡です。
ハガキには「妙義山に登ったとき、ハルちゃんが妙義の大砲岩で逆立ちしたのを今でも思い出します」と書いてあり、びっくり。女子高時代、やっちゃんといっしょに自宅から自転車で2時間かけて妙義山に到着し、ふもとに自転車を置いて頂上まで登ったことは覚えていたのですが、「大砲岩で逆立ちした」なんてこと、さっぱりと忘れていました。元気いっぱいの高校生でしたね。今ではすっかりくたびれたオバアになっていますが。
3月25日に集まることになったのは、葉書をくれたやっちゃん、千葉に嫁に行ってから一度も会っていなかったSちゃん、ずっとクラス会の幹事を続けているひさちゃん。幹事のひさちゃんから毎年クラス会の案内をもらうのですが、私は、クラス会に1度参加しただけ。地元の温泉一泊のクラス会です。
みなが子育てを終えてクラス会出席を楽しみにしだしたころも、子供を持つのがおそかった私は、まだ子供が小さくて参加できず、息子が中学生になったとき、はじめて参加しました。そのあと、みなは60歳で定年退職して平日に集まるようになって、平日は仕事がある私は、参加したくてもできなくなりました。
上野公園口に集まり、公園内の精養軒でランチ。
1787年に建てられた鐘楼「時の鐘」。前回精養軒でひとりランチしたときには、さっさと通りすぎた所ですが、みなが見ているので、私も説明書きを読んで、由緒来歴を知ることができました。
ランチ後は、ぶらぶらと公園を散歩。24度まで気温があがった上野公園。桜も咲き始めた枝があって、ほんとうにのんびり楽しくすごせました。
咲き始めの枝にさっそくやってきた小鳥。
さいしょは、Sちゃんが「五重塔が見たい」と言うので五重塔見物。でも五重塔は修理中で、下側半分にはシートがかけられていました。私は動物園にはよく来るのに、五重塔をじっくり眺めたことがなかったので、次回、修理が終わったらゆっくりみたいと思います。
重要文化財の上野東照宮唐門は、金箔修理を終えたところで、ぴかぴかでした。1651年建築の国指定重要文化財、正式名称は唐破風造り四脚門という立派な門なんですが、ぴかぴかすぎて、ちょっとありがたみが薄い気がしました。
左甚五郎作の「昇り龍・降り龍」彫刻柱がある総金箔の唐門前で。左がひさちゃん、中がS
ちゃん、右がやっちゃん。
東照宮の次は、動物園へ。動物見てまわりながら、閉園までおしゃべりしました。
パンダやぞうを見て、しろくまが泳ぐようすを見て、とらが歩き回っているのをみました。
おめでたは残念でしたが、シンシンは元気でした。
水中で遊びまわっていたしろくま。光の屈折で水面に出ていた頭が写りませんでした。
動物園の園内でソフトクリームを食べながら、クラスメートの近況などを聞きました。
クラスメート、ほとんどが60歳で教員や公務員を退職していました。女子高三年六組50人のうちクラスの半数が教師か公務員になった、というのも、当時女性が男性と同じ仕事をして同じ賃金がもらえるのは、教師か公務員だけだったからです。
やっちゃんは私立高校の理科教師になり、60歳で定年。ひさちゃんは小学校の先生になり、健康問題から停年の2年前に早期退職。
教師は嫌いだ、なりたくない、と言っていた私も、中学校教師や大学講師になって、まだ働いている
絶対に医者になると言っていたとみちゃんは、今では同業のご主人と大きな病院経営しているというし、クラス一のピアニストだったかずこさんは、音楽大学のピアノ教授と結婚して、いったんは家庭に入ったけれど、お姑さんに勧められて高校ピアノ教師の仕事を再開したのだそうです。
ちょうど、管理職に女性を登用しだした時期だったので、クラスメートの多くが校長や教頭、教育委員会管理職になりました。教員定年退職組の元校長元教頭たちは、それぞれいろいろな役職について活躍しているそうです。
近況報告やら女子校時代の思い出話やら、おしゃべりは続きました。
<つづく>