春庭Annex カフェらパンセソバージュ~~~~~~~~~春庭の日常茶飯事典

今日のいろいろ
ことばのYa!ちまた
ことばの知恵の輪
春庭ブックスタンド
春庭@アート散歩

ぽかぽか春庭「ペコロスの母に会いにいく」

2014-04-23 00:00:01 | エッセイ、コラム
2014/04/22
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記4月(2)ペコロスの母に会いにいく

 4月21日月曜日、仕事帰りに映画を見てきました。映画館はいつもの飯田橋ギンレイホール。2本だてのうちのひとつは、『ペコロスの母に会いにいく』です。

 出講先のエントランスホールに「大学生に新聞を無料配布するキャンペーン」の新聞が各社置いてあります。留学生センターのエントランス。日本語上級の留学生は手に取りますが、授業終了時間になっても、さほど新聞の山は減っていません。留学生にとって漢字がいっぱい並んでいる日本語の新聞は、なかなか手ごわいものです。

 夜になって余っている新聞は処理されてしまうだろうと思うので、帰り際に1部2部もらっていきます。家でとっていないのを選ぶので、21日は、毎日と東京をカバンにいれました。毎日に私の好きな西原理恵子の「毎日かあさん」が連載されているのは知っていたけれど、今話題の、「続ペコロスの母に会いにいく」が東京新聞に、毎週月曜日連載になっているとは、知りませんでした。自費出版から単行本刊行となって、大ヒットしたことは知っていましたが、実際に連載中の漫画を見たのは、はじめてです。

 21日の作は、入所先に見舞いにきた息子ユーイチが、発語がなくなってきた母に、言葉がけをするようすを描いていました。まだ若かった母が、幼い息子に「生きとこうで(生きていこう)」ということばをつぶやく。
 幼い心を励ましたそのことばを、こんどは息子が母に「一日でも長くいきとこうで」と、おかえしする。母はそれを聞いて、「あ、あ、あ、、、」と発語する。息子の思いが伝わったのでしょうね。

 それで、21日の仕事帰りの電車の中で「そうだ、ギンレイで映画やっているから見ておこう」と、思い立ちました。2013年にNHKでドラマになったときは、見逃していました。
 この映画が初主演作となる赤木春恵 (1924- )は、クランクイン時で86歳で、「初主演」としては世界最高齢。ギネスブックに登録されたそうです。現在は90歳。また、監督の森崎東(1927-)も、現在86歳。

 あたたかい笑いや長崎ランタン祭の華麗な画面に彩られて、とてもいい映画になっていました。キネマ旬報2013ベストワンというのもうなずけます。原作者の岡野雄一も森崎東も、ペコロス役の岩松了も長崎出身です。長崎の町の今昔を映画を通して知ることもできました。

 主人公は、ペコロス(ミニ玉ねぎ)という筆名のとおり、ペコロスの形のままの「ハゲチャビン」頭。ペコロスさんのお母さんみつえさんは、息子と他の人の区別がつかないくらい認知症がすすんできましたが、ペコロス頭をなでると、「おお、ユーイチか」と、息子を思い出すのです。

 幼い頃の父との思い出が、回想シーンとなっています。泥酔してなけなし月給袋の中身を全部なくしてしまうようなダメおやじでしたが、ユーイチはそんな父が大好きでした。息子には母親が夫のダメぶりにいやけがさしているように見えましたが、心の中では慕う気持ちが残っていたようで、ボケればボケるほど、夫の姿が蘇ってくるようす。
 長崎ピカドンの原爆症でなくなった幼馴染を思い出すことも多いけれど、息子や孫のことはしょっちゅう忘れてしまう。

 認知症がすすみ、自宅での介護が無理になって、介護施設に入居した母に、息子はせっせと会いにいきます。施設の熱心な職員と、入居者たちのようすも映画に出てきますが、介護はほんとうにたいへんな仕事ということがわかります。
 たぶん、みつえさんは、自分が主人公になっている映画を見ても、もうわからないのかもしれません。でも、なつかしい長崎の光景を見て「あ、あ、あ、、、」と発語していたらいいな。
 「一日でも長くいきとこうで」と、感じてくれますように。

 さて、我が家の89歳姑、「卒寿の祝いに連れて行ってもらいたい店がきまった」と、夫に言ったそうです。
 姑は、自ら「一日でも長生きしたい」と、宣言している1925年生まれ。来年卒寿ですが、米寿祝いの年に体調不良が続き、祝い事をする状態ではありませんでした。それで、少しは体調がよくなってきた89歳の今年に、卒寿を前倒しでやろうということになりました。夫から「祝いの席を決めなくちゃ」と言われていたのですが、どこがいいのやら、足が悪くなっているから、電車に乗ったり遠出は無理。家族だけの卒寿祝いだから、小さな店でいいから、おいしいところ、など、条件はなかなか厳しい。私も決めかねていました。

 それが、夫が姑の買い物散歩に付き添って緑道を歩いていたとき、緑道沿いの小さな店を見つけて、「ここで、食べてみたい」と言い出した、というのです。20年前にできた最寄り駅近くのイタリアンの店なのですが、これまで姑とイタリアンの店が結びつかず、店の候補になっていなかったのです。

 姑は、舅や舅の親族たちといっしょに何度かヨーロッパ旅行に出かけており、「ツアー中の食事が口にあわず、欧州旅行に出るたびに痩せて帰った」という思い出を、何度もきかされていました。それで洋食はダメなのだと思い込んでいました。
 しかし、駅前のフレンチレストランに誘ってみたところ、すっかり気に入り、何度もでかけ、今年の誕生日もフレンチで。ヨーロッパの食事は口に合わなかったけれど、東京の洋食はおいしいのだと納得して、こんどはイタリアンレストランに挑戦してみようという気になったのでしょう。

 姑が元気で一人暮らししているうちは、姑の家にめったに寄り付かなかった夫でしたが、米寿の夏に体調を崩してからは、姑宅にこまめに顔をだすようになりました。娘は病院や買い物の付き添い、息子は、「蛍光灯の取り替え」や、「新聞をまとめて資源ゴミに出す」係など、分担しておばあちゃんの家に行きますが、娘が嘆くに「私がばあちゃんの晩御飯作るとね。おばあちゃんは、これ、あのこに食べさせたい、と言って、取り置きしようとするんだよ。私はおばあちゃんのために晩ごはん作っているのに、おばあちゃんは、自分が食べるよりも、チチに食べさせたいって。どんだけ息子がかわいいのやら」と。

 夫は、このところ、一日おきくらいに通い、土曜日の夜は泊まります。それでも、「ばあちゃんちに泊まると、よく寝られないから、翌日の仕事にさしさわる」と、同居するつもりはないのです。まあ、通いの息子でも、実娘を15年も前に亡くしている姑にとっては、誰よりかわいい長男です。
 夫は、おばあちゃんの爪切りをしてあげるなど、これまでになく親孝行をしているので、感心感心。これまでこんなに親孝行なんだと思ったことがありませんでした。いつも仕事しごと、ばかりで家族を無視して暮らしてきた夫だったので。

 でも、夫の親孝行ぶりを見ていると、きっと我が息子くんも、私が年取ったら親孝行してくれるんじゃないかという気になります。娘が言うことに「父と弟くんは、ものの考え方とか行動がすごく似ているところがあって、ほんと、遺伝子ってこわいなあと思う」のだそうで。
 夫は家によりつかず、息子は「父の背中」なんぞ見たこともなく育ったのに、「思考回路が同じ」というのも、DNAのなせるわざか。

 ペコロスさんが、寝たきりになった母の頬をなでて「生きとこうで」と、呼びかける漫画を見ていて、ぼけ老人になった私に、我が息子も「一日でも長く生きて」と言ってくれるかしら、と思います、、、、、しかし、、、、、親孝行思考回路が私の方の遺伝子を受け継いでしまったら、「そう、いつまでもがんばらんで、そろそろご先祖様にむかえにきてもらってもええのんちゃうかい」と、言う可能性も、大です。

 とりあえず、卒寿祝いの準備、がんばります。

<つづく> 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする