20150103
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>ひつじの文化史(1)羊太夫
群馬県で小学校中学校時代を過ごしたという人に会ったら、「好きな上毛カルタを3つ言ってください」と、聞いてみてください。
3つ言ったあと、止まらず、たぶん、ほとんどの人が10や20、記憶力のいい人なら、いろはの「い」からゑひもせずの「す」まで、全部そらんじているはず。かくいう、私も、いろは順なら、伊香保温泉日本の名湯、から、裾野は長し赤城山、五十音順なら「浅間のいたずら鬼の押し出し」から「和算の大家関孝和」まで、すらすらとはいかず、途中つっかえながらも、言える。ちなみに関孝和は、歴史書にでている「せきたかかず」ではなく、「せきこうわ」と発しておりました。
この上毛カルタ暗記によって、群馬県の子どもは、群馬の津々浦々の名所旧跡名人大家の事跡を頭にたたき込むのであります。大人になって、クイズ大会などに出たとして、「日本で最初の製糸工場となったのは、どこか」なんて問題が出たとして、すぐに「日本で最初の富岡製糸」と、言えた。もっとも、世界遺産に決まって以後は、他県のひとでも富岡製糸の名を知らない人はいなくなりましたけれど。
ノーベル文学賞受賞川端康成の名作『雪国』の冒頭、「国境の長いトンネルをぬけると雪国であった」の長いトンネルの名前は、というクイズにも「ループで名高い清水トンネル」と、答えられる。こちらは、ループもなくなったので、他県の人は、トンネルの名だど知らない人が多いけれど。
さて、以上が枕です。ここから、今日のメインテーマに入ります。
上毛カルタ「む」は、「昔を語る多胡の古碑」
私は、2009年に中国集安市に残る世界遺産の「広開土王の石碑」は、見たことあるのに、多胡の古碑は見たことがないのです。今年こそ見に行けるといいなあ。なぜなら、未年だから。
なぜ、未年と多胡碑が関わるかというと。8世紀に立てられたという石碑には、こう書かれているからです。
弁官符上野國片罡郡緑野郡甘
良郡并三郡内三百戸郡成給羊
成多胡郡和銅四年三月九日甲寅
宣左中弁正五位下多治比真人
太政官二品穂積親王左太臣正二
位石上尊右太臣正二位藤原尊
二行目の最後「羊」の文字があります。
冒頭の文意は、「上野国の片岡郡・緑野郡・甘良郡の三郡の中から三百戸を分けて新しい郡を作り、羊に支配を任せる」
群馬県の南西部、8世紀には「羊」なる人物が支配を任されていたのです。
「羊」は、人名ではなく方角を表す、という論もあったのですが、現在最新の学説では、古代の渡来系、すなわち中国北部、百済、高麗などから倭国にやってきた人々の長であったろう、という説がもっとも有力です。
埼玉県高麗川の付近には、朝鮮半島北部の高麗から渡来した人々が大和朝廷から土地を与えられた、という記録もあります。2014年の読書「広開土王の素顔」「韓のくに紀行」によって、古代朝鮮半島の歴史に深く心動かされました。
多胡に渡来した人々は、中国で「五胡十六国」と称された時代の「胡」、北方ツングース系の民族のうち、中国内での争いに敗れた人々の子孫であったのではないか、と私は想像しています。
百済の滅亡後、朝鮮半島から日本に亡命してきた人々によって飛鳥天平の文化が華やかに繰り広げられたように、荒々しい「毛の人々=毛人(えみし)」の住む土地であった毛の国に、中国北方文化がもたらされ、その結果、馬の飼育技術が入ってきた。その結果、毛の国が有数の牧場となり駿馬の産地になったのではないか、と想像しているのです。
毛の国が算出した馬は、関東武士にも珍重され、現代のゆるキャラ「ぐんまちゃん」まで続くのです。
さて、その毛の国を支配した「羊」です。
大和朝廷から関東国司に任じられた者の多くは、渡来系の帰化人とその子孫でした。
正倉院古文書や万葉集にも「羊」という人物は出てくるので、個人名というよりは、ある一族がこの名で呼ばれたのかも知れません。
下って、寺の縁起に出てくる「羊太夫」の伝説が残っています。ただし、多胡石碑の「羊」と、寺社縁起の「羊太夫」が同一人なのか、子孫のだれかなのか、まったくの別人か、さだかではありません。
緑野郡上落合村宗永寺縁起に「羊太夫、諱小水麻呂、姓阿部。其先天児屋根命遠裔中臣羽鳥孫、菊野連子也。人皇三十二代用明帝崩御時物部大連叛、羽鳥党之、羽鳥謫上野国府蒼海・今之本惣社也」
また、慈光寺実録に「和銅元年、上毛国多胡郡羊太夫に勅命有て、大般若経を令書写、当山観世音へ備へ給ふと矣。又小水麻呂と云は羊の孫也。」
と、あります。
羊太夫の子孫は、毛の国で一族が繁栄していった、ということです。
羊太夫をまつる神社が、安中市に建立されています。その名も「羊神社」
今年は初詣客が多かったかも知れません。
午年は群馬県には関わり深いと思っていましたが、未年も、古代のゆかりで親しめる動物であり、1年間、いろいろ出てくるであろう羊の話題も楽しめることと思います。
<つづく>
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>ひつじの文化史(1)羊太夫
群馬県で小学校中学校時代を過ごしたという人に会ったら、「好きな上毛カルタを3つ言ってください」と、聞いてみてください。
3つ言ったあと、止まらず、たぶん、ほとんどの人が10や20、記憶力のいい人なら、いろはの「い」からゑひもせずの「す」まで、全部そらんじているはず。かくいう、私も、いろは順なら、伊香保温泉日本の名湯、から、裾野は長し赤城山、五十音順なら「浅間のいたずら鬼の押し出し」から「和算の大家関孝和」まで、すらすらとはいかず、途中つっかえながらも、言える。ちなみに関孝和は、歴史書にでている「せきたかかず」ではなく、「せきこうわ」と発しておりました。
この上毛カルタ暗記によって、群馬県の子どもは、群馬の津々浦々の名所旧跡名人大家の事跡を頭にたたき込むのであります。大人になって、クイズ大会などに出たとして、「日本で最初の製糸工場となったのは、どこか」なんて問題が出たとして、すぐに「日本で最初の富岡製糸」と、言えた。もっとも、世界遺産に決まって以後は、他県のひとでも富岡製糸の名を知らない人はいなくなりましたけれど。
ノーベル文学賞受賞川端康成の名作『雪国』の冒頭、「国境の長いトンネルをぬけると雪国であった」の長いトンネルの名前は、というクイズにも「ループで名高い清水トンネル」と、答えられる。こちらは、ループもなくなったので、他県の人は、トンネルの名だど知らない人が多いけれど。
さて、以上が枕です。ここから、今日のメインテーマに入ります。
上毛カルタ「む」は、「昔を語る多胡の古碑」
私は、2009年に中国集安市に残る世界遺産の「広開土王の石碑」は、見たことあるのに、多胡の古碑は見たことがないのです。今年こそ見に行けるといいなあ。なぜなら、未年だから。
なぜ、未年と多胡碑が関わるかというと。8世紀に立てられたという石碑には、こう書かれているからです。
弁官符上野國片罡郡緑野郡甘
良郡并三郡内三百戸郡成給羊
成多胡郡和銅四年三月九日甲寅
宣左中弁正五位下多治比真人
太政官二品穂積親王左太臣正二
位石上尊右太臣正二位藤原尊
二行目の最後「羊」の文字があります。
冒頭の文意は、「上野国の片岡郡・緑野郡・甘良郡の三郡の中から三百戸を分けて新しい郡を作り、羊に支配を任せる」
群馬県の南西部、8世紀には「羊」なる人物が支配を任されていたのです。
「羊」は、人名ではなく方角を表す、という論もあったのですが、現在最新の学説では、古代の渡来系、すなわち中国北部、百済、高麗などから倭国にやってきた人々の長であったろう、という説がもっとも有力です。
埼玉県高麗川の付近には、朝鮮半島北部の高麗から渡来した人々が大和朝廷から土地を与えられた、という記録もあります。2014年の読書「広開土王の素顔」「韓のくに紀行」によって、古代朝鮮半島の歴史に深く心動かされました。
多胡に渡来した人々は、中国で「五胡十六国」と称された時代の「胡」、北方ツングース系の民族のうち、中国内での争いに敗れた人々の子孫であったのではないか、と私は想像しています。
百済の滅亡後、朝鮮半島から日本に亡命してきた人々によって飛鳥天平の文化が華やかに繰り広げられたように、荒々しい「毛の人々=毛人(えみし)」の住む土地であった毛の国に、中国北方文化がもたらされ、その結果、馬の飼育技術が入ってきた。その結果、毛の国が有数の牧場となり駿馬の産地になったのではないか、と想像しているのです。
毛の国が算出した馬は、関東武士にも珍重され、現代のゆるキャラ「ぐんまちゃん」まで続くのです。
さて、その毛の国を支配した「羊」です。
大和朝廷から関東国司に任じられた者の多くは、渡来系の帰化人とその子孫でした。
正倉院古文書や万葉集にも「羊」という人物は出てくるので、個人名というよりは、ある一族がこの名で呼ばれたのかも知れません。
下って、寺の縁起に出てくる「羊太夫」の伝説が残っています。ただし、多胡石碑の「羊」と、寺社縁起の「羊太夫」が同一人なのか、子孫のだれかなのか、まったくの別人か、さだかではありません。
緑野郡上落合村宗永寺縁起に「羊太夫、諱小水麻呂、姓阿部。其先天児屋根命遠裔中臣羽鳥孫、菊野連子也。人皇三十二代用明帝崩御時物部大連叛、羽鳥党之、羽鳥謫上野国府蒼海・今之本惣社也」
また、慈光寺実録に「和銅元年、上毛国多胡郡羊太夫に勅命有て、大般若経を令書写、当山観世音へ備へ給ふと矣。又小水麻呂と云は羊の孫也。」
と、あります。
羊太夫の子孫は、毛の国で一族が繁栄していった、ということです。
羊太夫をまつる神社が、安中市に建立されています。その名も「羊神社」
今年は初詣客が多かったかも知れません。
午年は群馬県には関わり深いと思っていましたが、未年も、古代のゆかりで親しめる動物であり、1年間、いろいろ出てくるであろう羊の話題も楽しめることと思います。
<つづく>