20150118
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>おい老い笈の小文(30)シニア海外協力隊
OCNカフェ掲載「おい老い笈の小文」再録を続けています
~~~~~~~~~~~
シニア海外協力隊
at 2003 11/08 06:43 編集
日本語のイロハも知らない留学生に、初日に教え込まなければならないこと。90分ヒトコマで、「N=N」の文型、名詞繋辞文(copura文)を教える。
どうです、日本語を教えるなんて、日本語話せたらだれでもできると思っている方、繋辞コピュラ文なんて言葉をきくと、なんだか難しそうで、たいへんそうに思いませんか。ハッハッ、ちょっとこけおどしをしてみたかっただけ。
要するに、「私は○○です」「国は○○です」という、名詞=名詞、英語で言えば、I am Bety.I am a girl.から始めるということですな。(ジャック&ベティで、英語を始めたと言う方、ご長命およろこび申し上げます)
ほんとは、日本語話せれば、だれでも日本語教えられます。ただし、それは1対1の「スペシャル個人授業」の場合に効果が上がる。
外国語を学ぶのに二番目にいい方法は、学びたいと思う国の言葉でポルノ小説を読みふけることだという。
前後の単語が分らなくても、ずんずんと気にせず読み進めれば、「ハハン、この言葉は、こう腕を背に回して、こうあぐらの上に乗せて、おぅ、おぅ、これは、忍び居茶臼じゃありませんか!おお、これは尺八演奏、春の海」という具合に、理解が早い。(この部分、さっぱり理解できなかった心正しき方々、気にせず、先をお読みください)
そしてポルノより効果的な、一番目にいい方法は、学びたい言葉を話す恋人と同居することである。
逆もまた真なり。誰かが学びたいと思っていることばをしゃべれさえすれば、人はだれでも自分の恋人の優秀な語学教師となれる。
ただし、1対1じゃない教室で、何人かの学生相手に、しかも特別日本語を学びたかったワケじゃないのに、一番必要だったUSA留学の奨学金はライバルに取られてしまい、しかたがなく、ま、日本でもいいか、なんて動機で来日した留学生相手に、4ヶ月のコースで初級修了まで教えるのは容易なことではない。
初級修了というのは、日本の中学生が英語を習うのにたとえると、中学3年間で習う内容の英語と同程度の日本語力、ということである。日本の中学生が3年かけて覚える初級語学を、日本語コースでは、集中コースは3~4ヶ月、一般コースだと1年で修了する。
もっとも、週に3時間や4時間しか英語の授業が受けられない中学生と、1日に、50分授業を4~5コマ、または90分授業3コマを1週間に5日受けるのと、時間数はあまり変わらない。
だいたい初級語学は300時間程度で教えるというのが多い。日本の中学校英語も、3年間でおよそ300時間の授業だ。
「日本語教育能力検定」という日本語教師の試験に合格するのは、本当に大変。
毎年6千人から7千人が受験して、合格は千人程度、合格率15%くらい。
言語学、日本語文法、音声学、語彙論意味論、言語対照論、異文化理解教育、外国語教授法、日本の文化、文学歴史などなどを頭の中に詰め込んで、教育実習で授業もやってみて、それでもなかなか合格しない。
試験は朝9時から、夕方5時すぎまで、丸一日かかる。
私は1988年に第1回目の試験に合格した。試験制度がはじまったばかりで、試験官もどんな設問が適切なのか、試行錯誤の混乱の間に合格しちまった、早い者勝ちである。
合格したとき、娘は4歳。日本語教師としては遅いスタートだった。
しかし、何事をも、新しくはじめようと思い立ったときからが青春。
私が日本語教授法を受け持っているクラスに、50代の男性がいる。日本語教師の資格を得たら、海外で教えてみたいとはりきり、海外で日本文化を指導するときに備えて、お茶の稽古、着物の着付けも習っている。
私の従妹が青年海外協力隊のハイスクール理科教師をしていたことを10/21に書いた。青年協力隊は40歳までだが、シニア協力隊は40歳から60歳過ぎまでOK。
定年を迎えた後、自分の技術や特技を海外でもう一度役立てたいという多くの方が、協力隊員として活躍している。
旅をするのもひとつのすてきな生き方だし、年金で悠々生活もうらやましい。もうひとつ、シニア海外協力隊というのも、選択肢のひとつとして、老後の過ごし方リストに加えておきたい。
海外で教えることができる技術を持っている方はぜひご一考を。
ただし、日本語教育での参加はきわめて難しい。
JAICAが出しているシニア協力隊参加の質問回答で、日本語教育については次のように答えている。
日本語教育は、毎回応募者が最も多い人気科目の一つです。
日本語教師として派遣されるには、以下の条件が揃っていないと難しいでしょう。
(1)外国人に対する日本語教育の経験(フルタイムで3年以上)
(2)日本語教育能力検定試験合格
(3)日本語教師養成講座420時間修了
(4)当該国の語学力
ただし、(2)については必ずというわけではありません。
日本語が話せるからという理由での応募は、避けた方が賢明です。また、経験のない人が「経験不問」とある要請に応募しても、経験を有する応募者と競合することになれば合格することは難しいでしょう。
日本語教育には応募者が多いため、選考委員から技術問題が出題されます。設問の一部を掲載しますので、参考にしてください。第二次選考時に日本語教育の応募者のみ技術面での面接も実施します。
<技術問題の出題例 >
第一言語習得における文法の役割と第二言語習得(学習)における文法の役割について知るところを整理して述べてください。
(以上、JAICAシニアボランティア質問コーナーより)
うっひゃー、難しい!と感じた方。(4)の、「当該国の語学力」を身につけるため、最初は、その言葉を話す人と親しくおつきあいをしながら習うところから始めるのが、一番楽しいような気がします。
日本語教師をめざすにも、まずは恋人探しから。
☆☆☆☆☆☆
春庭千日千冊 今日の一冊No.42
(や)山口昌男『道化的世界』
私は、日本語教師になるつもりはなかった。たまたまの巡り合わせでこうなってしまったのだ。
子供のころ、成りたかったのは「探検家旅行家」だった。
小学校時代の夢。1,童話作家。アンデルセンのように旅をして、飛行鞄や吟遊詩人みたいなお話を書く。(小学校の間、ノートに自作の童話を書きためていた)2,スタンレーのようなジャーナリストになって、アフリカ探検に行く。(卒業文集にはジャーナリストになる、と書いた)
中学生時代。3,スウェン・ヘディンが、ロプ湖を発見したように、考古学者になって桜蘭やゴビ砂漠を旅する。
高校生のころ。4,泉靖一のような文化人類学者になってインカやアステカを調査する。
20歳ころ。5,トール・ヘイエルダールのような海洋人類学者になって、葦船やいかだで航海する。
30歳前。6,川田順造・山口昌男のような文化人類学者、神話学者になってアフリカ世界を調査する。
夢見るころを過ぎて、振り返れば、1から6まで、何ひとつ実現しなかった。
ころころと目標人物が変わったが、一貫しているのは「遠くへ行きたい」ということだった。今でもむろん、夢を見ている。いつか必ず世界を放浪、右手に『地球の歩き方』左手にはデジカメ持って。
『地球の歩き方』は別名『地球の迷い方』。
この本片手に旅をして、迷ったヤツは数しれず。迷った人ごめんなさい。夫はダイヤモンドビッグ社の下請けです。本の奥付にある社名は、Free lance shield をもじった私のネーミング。
夫と出会ったのはケニアのナイロビ。山口昌男の『アフリカの神話的世界』にあこがれてアフリカに行ったものの、神話学も演劇人類学も落っことして、夫を拾って帰ったことは10/19ほか何度か書いた。
山口昌男の著作、一番最初に読んだのは『アフリカの神話的世界』。それから1977年以前に読んだ本をあげると、『人類学的思考』『歴史・祝祭・神話』『文化と両義性』『道化的世界』『道化の民族学』『知の祝祭』など。
山口は、道化トリックスターをとりあげ、世の中の事象をあざやかに解説して見せた。
山口やその他の文化人類学関連書を読んでのち、フレイザー『金枝篇』を読んだときにはさっぱり理解できなかった世界が、見渡せるようになった。
一度だけ、山口のすぐそばに腰を下ろしたことがある。岩手県遠野へ早池峰神楽を見に行ったときのこと。芸能人類学をめざして、能狂言、歌舞伎、民俗学、伝統芸能などを学んでいた頃だ。
早池峰には山伏神楽と神人神楽のふたつがあるというのだが、私が見たのがどちらなのか、覚えていない。
学生達は板の間にぎゅうぎゅう詰めに座って、神楽が演じられるのを見ていた。神楽もすばらしかったのだが、私はなんとかして山口昌男にミーハーファンとして話しかけられないかとチャンスをうかがい、気もそぞろ。
神楽は、延々と演じられる。能狂言を教わっている教授に連れられてきた私たちは、教授が全部最後まで見る、というので、席を立つわけにはいかない。
しかし、山口昌男は教授と話を続け、「さわり」の部分だけ見ると、さっさと席をたって出ていってしまった。
能狂言を学ぶにも、山口の『道化的世界』の中の「能の神話的古層」を読むことで、能舞台の松にもまったく異なる光があたる気がした。しかし、よく理解できないことも多かった。
「山口的世界」が本当によく理解できるようになったのは、言語学を学びなおして、記号論が理解できるようになってからだった。
山口は「一つの文化の中に生きている人間の世界についてのイメージ、(これを「宇宙観」「世界観」と呼ぶ)を再構築しようという試みが顕著になりつつある」と「能の神話的古層」の冒頭で述べている。
こういう内容、1977年ころの私の頭には、理解するのが難しかった。いったり何を言っているのか。世界観?宇宙観?再構築?
しかし、今や中学生までが「このFF9の世界観が好きだ」などと、「世界観の再構築」などについて熱く語り合っているのだ。息子たちのゲームバーチャル世界での話である。
「聖剣伝説の世界観ではね。世界はイメージで成立しているんだ。だから、自分がイメージできないことは、存在していないってことだし、自分がゲーム世界で演じているってことは、すなわちイメージが構築できているってことなんだよ。ただし、主人公は、プレイヤー自身の個人的背景を投入することによって存在できて、、、、」などと、息子に熱く語られても、さっぱり「ゲーム的世界」「世界の再構築」が理解できないのだ。
「あんたらのやってること、言ってること、まったくわからん」というのは、30年前に私たちも言われたことなんだけどね。かくして世代は交代し、かくのごとくに季節はめぐる。
ふぅ、団塊の世代の「働き盛り時代」も、まもなく終わる。季節はめぐり、廻ってゆく。もうすぐ冬がくるんです。冬支度はOK?こたつ出した?電気毛布にホッカイロは?。
でも、木枯らし吹くのはもうちょっと待って!来週、日本事情の授業は教室飛び出る。戸外でピクニックしながら日本文化のレポート発表するって、留学生と約束しちゃった。「こども動物園」で、お弁当食べながらの授業です。
ぽかぽか小春日和の日だといいな。春庭いつでもポカポカです。主に頭が。
<つづく>
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>おい老い笈の小文(30)シニア海外協力隊
OCNカフェ掲載「おい老い笈の小文」再録を続けています
~~~~~~~~~~~
シニア海外協力隊
at 2003 11/08 06:43 編集
日本語のイロハも知らない留学生に、初日に教え込まなければならないこと。90分ヒトコマで、「N=N」の文型、名詞繋辞文(copura文)を教える。
どうです、日本語を教えるなんて、日本語話せたらだれでもできると思っている方、繋辞コピュラ文なんて言葉をきくと、なんだか難しそうで、たいへんそうに思いませんか。ハッハッ、ちょっとこけおどしをしてみたかっただけ。
要するに、「私は○○です」「国は○○です」という、名詞=名詞、英語で言えば、I am Bety.I am a girl.から始めるということですな。(ジャック&ベティで、英語を始めたと言う方、ご長命およろこび申し上げます)
ほんとは、日本語話せれば、だれでも日本語教えられます。ただし、それは1対1の「スペシャル個人授業」の場合に効果が上がる。
外国語を学ぶのに二番目にいい方法は、学びたいと思う国の言葉でポルノ小説を読みふけることだという。
前後の単語が分らなくても、ずんずんと気にせず読み進めれば、「ハハン、この言葉は、こう腕を背に回して、こうあぐらの上に乗せて、おぅ、おぅ、これは、忍び居茶臼じゃありませんか!おお、これは尺八演奏、春の海」という具合に、理解が早い。(この部分、さっぱり理解できなかった心正しき方々、気にせず、先をお読みください)
そしてポルノより効果的な、一番目にいい方法は、学びたい言葉を話す恋人と同居することである。
逆もまた真なり。誰かが学びたいと思っていることばをしゃべれさえすれば、人はだれでも自分の恋人の優秀な語学教師となれる。
ただし、1対1じゃない教室で、何人かの学生相手に、しかも特別日本語を学びたかったワケじゃないのに、一番必要だったUSA留学の奨学金はライバルに取られてしまい、しかたがなく、ま、日本でもいいか、なんて動機で来日した留学生相手に、4ヶ月のコースで初級修了まで教えるのは容易なことではない。
初級修了というのは、日本の中学生が英語を習うのにたとえると、中学3年間で習う内容の英語と同程度の日本語力、ということである。日本の中学生が3年かけて覚える初級語学を、日本語コースでは、集中コースは3~4ヶ月、一般コースだと1年で修了する。
もっとも、週に3時間や4時間しか英語の授業が受けられない中学生と、1日に、50分授業を4~5コマ、または90分授業3コマを1週間に5日受けるのと、時間数はあまり変わらない。
だいたい初級語学は300時間程度で教えるというのが多い。日本の中学校英語も、3年間でおよそ300時間の授業だ。
「日本語教育能力検定」という日本語教師の試験に合格するのは、本当に大変。
毎年6千人から7千人が受験して、合格は千人程度、合格率15%くらい。
言語学、日本語文法、音声学、語彙論意味論、言語対照論、異文化理解教育、外国語教授法、日本の文化、文学歴史などなどを頭の中に詰め込んで、教育実習で授業もやってみて、それでもなかなか合格しない。
試験は朝9時から、夕方5時すぎまで、丸一日かかる。
私は1988年に第1回目の試験に合格した。試験制度がはじまったばかりで、試験官もどんな設問が適切なのか、試行錯誤の混乱の間に合格しちまった、早い者勝ちである。
合格したとき、娘は4歳。日本語教師としては遅いスタートだった。
しかし、何事をも、新しくはじめようと思い立ったときからが青春。
私が日本語教授法を受け持っているクラスに、50代の男性がいる。日本語教師の資格を得たら、海外で教えてみたいとはりきり、海外で日本文化を指導するときに備えて、お茶の稽古、着物の着付けも習っている。
私の従妹が青年海外協力隊のハイスクール理科教師をしていたことを10/21に書いた。青年協力隊は40歳までだが、シニア協力隊は40歳から60歳過ぎまでOK。
定年を迎えた後、自分の技術や特技を海外でもう一度役立てたいという多くの方が、協力隊員として活躍している。
旅をするのもひとつのすてきな生き方だし、年金で悠々生活もうらやましい。もうひとつ、シニア海外協力隊というのも、選択肢のひとつとして、老後の過ごし方リストに加えておきたい。
海外で教えることができる技術を持っている方はぜひご一考を。
ただし、日本語教育での参加はきわめて難しい。
JAICAが出しているシニア協力隊参加の質問回答で、日本語教育については次のように答えている。
日本語教育は、毎回応募者が最も多い人気科目の一つです。
日本語教師として派遣されるには、以下の条件が揃っていないと難しいでしょう。
(1)外国人に対する日本語教育の経験(フルタイムで3年以上)
(2)日本語教育能力検定試験合格
(3)日本語教師養成講座420時間修了
(4)当該国の語学力
ただし、(2)については必ずというわけではありません。
日本語が話せるからという理由での応募は、避けた方が賢明です。また、経験のない人が「経験不問」とある要請に応募しても、経験を有する応募者と競合することになれば合格することは難しいでしょう。
日本語教育には応募者が多いため、選考委員から技術問題が出題されます。設問の一部を掲載しますので、参考にしてください。第二次選考時に日本語教育の応募者のみ技術面での面接も実施します。
<技術問題の出題例 >
第一言語習得における文法の役割と第二言語習得(学習)における文法の役割について知るところを整理して述べてください。
(以上、JAICAシニアボランティア質問コーナーより)
うっひゃー、難しい!と感じた方。(4)の、「当該国の語学力」を身につけるため、最初は、その言葉を話す人と親しくおつきあいをしながら習うところから始めるのが、一番楽しいような気がします。
日本語教師をめざすにも、まずは恋人探しから。
☆☆☆☆☆☆
春庭千日千冊 今日の一冊No.42
(や)山口昌男『道化的世界』
私は、日本語教師になるつもりはなかった。たまたまの巡り合わせでこうなってしまったのだ。
子供のころ、成りたかったのは「探検家旅行家」だった。
小学校時代の夢。1,童話作家。アンデルセンのように旅をして、飛行鞄や吟遊詩人みたいなお話を書く。(小学校の間、ノートに自作の童話を書きためていた)2,スタンレーのようなジャーナリストになって、アフリカ探検に行く。(卒業文集にはジャーナリストになる、と書いた)
中学生時代。3,スウェン・ヘディンが、ロプ湖を発見したように、考古学者になって桜蘭やゴビ砂漠を旅する。
高校生のころ。4,泉靖一のような文化人類学者になってインカやアステカを調査する。
20歳ころ。5,トール・ヘイエルダールのような海洋人類学者になって、葦船やいかだで航海する。
30歳前。6,川田順造・山口昌男のような文化人類学者、神話学者になってアフリカ世界を調査する。
夢見るころを過ぎて、振り返れば、1から6まで、何ひとつ実現しなかった。
ころころと目標人物が変わったが、一貫しているのは「遠くへ行きたい」ということだった。今でもむろん、夢を見ている。いつか必ず世界を放浪、右手に『地球の歩き方』左手にはデジカメ持って。
『地球の歩き方』は別名『地球の迷い方』。
この本片手に旅をして、迷ったヤツは数しれず。迷った人ごめんなさい。夫はダイヤモンドビッグ社の下請けです。本の奥付にある社名は、Free lance shield をもじった私のネーミング。
夫と出会ったのはケニアのナイロビ。山口昌男の『アフリカの神話的世界』にあこがれてアフリカに行ったものの、神話学も演劇人類学も落っことして、夫を拾って帰ったことは10/19ほか何度か書いた。
山口昌男の著作、一番最初に読んだのは『アフリカの神話的世界』。それから1977年以前に読んだ本をあげると、『人類学的思考』『歴史・祝祭・神話』『文化と両義性』『道化的世界』『道化の民族学』『知の祝祭』など。
山口は、道化トリックスターをとりあげ、世の中の事象をあざやかに解説して見せた。
山口やその他の文化人類学関連書を読んでのち、フレイザー『金枝篇』を読んだときにはさっぱり理解できなかった世界が、見渡せるようになった。
一度だけ、山口のすぐそばに腰を下ろしたことがある。岩手県遠野へ早池峰神楽を見に行ったときのこと。芸能人類学をめざして、能狂言、歌舞伎、民俗学、伝統芸能などを学んでいた頃だ。
早池峰には山伏神楽と神人神楽のふたつがあるというのだが、私が見たのがどちらなのか、覚えていない。
学生達は板の間にぎゅうぎゅう詰めに座って、神楽が演じられるのを見ていた。神楽もすばらしかったのだが、私はなんとかして山口昌男にミーハーファンとして話しかけられないかとチャンスをうかがい、気もそぞろ。
神楽は、延々と演じられる。能狂言を教わっている教授に連れられてきた私たちは、教授が全部最後まで見る、というので、席を立つわけにはいかない。
しかし、山口昌男は教授と話を続け、「さわり」の部分だけ見ると、さっさと席をたって出ていってしまった。
能狂言を学ぶにも、山口の『道化的世界』の中の「能の神話的古層」を読むことで、能舞台の松にもまったく異なる光があたる気がした。しかし、よく理解できないことも多かった。
「山口的世界」が本当によく理解できるようになったのは、言語学を学びなおして、記号論が理解できるようになってからだった。
山口は「一つの文化の中に生きている人間の世界についてのイメージ、(これを「宇宙観」「世界観」と呼ぶ)を再構築しようという試みが顕著になりつつある」と「能の神話的古層」の冒頭で述べている。
こういう内容、1977年ころの私の頭には、理解するのが難しかった。いったり何を言っているのか。世界観?宇宙観?再構築?
しかし、今や中学生までが「このFF9の世界観が好きだ」などと、「世界観の再構築」などについて熱く語り合っているのだ。息子たちのゲームバーチャル世界での話である。
「聖剣伝説の世界観ではね。世界はイメージで成立しているんだ。だから、自分がイメージできないことは、存在していないってことだし、自分がゲーム世界で演じているってことは、すなわちイメージが構築できているってことなんだよ。ただし、主人公は、プレイヤー自身の個人的背景を投入することによって存在できて、、、、」などと、息子に熱く語られても、さっぱり「ゲーム的世界」「世界の再構築」が理解できないのだ。
「あんたらのやってること、言ってること、まったくわからん」というのは、30年前に私たちも言われたことなんだけどね。かくして世代は交代し、かくのごとくに季節はめぐる。
ふぅ、団塊の世代の「働き盛り時代」も、まもなく終わる。季節はめぐり、廻ってゆく。もうすぐ冬がくるんです。冬支度はOK?こたつ出した?電気毛布にホッカイロは?。
でも、木枯らし吹くのはもうちょっと待って!来週、日本事情の授業は教室飛び出る。戸外でピクニックしながら日本文化のレポート発表するって、留学生と約束しちゃった。「こども動物園」で、お弁当食べながらの授業です。
ぽかぽか小春日和の日だといいな。春庭いつでもポカポカです。主に頭が。
<つづく>