20150128
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十五夜満月日記1月冬の夜(1)姑の入院
年の初めに「今年は、私にとってあまりよい年になりそうもない」と書いたせいだと思うけれど、口にしたことは実現するのが言霊。ほんとうに1月そうそう、悪いことがつづきました。
1月4日に、姑を囲んで鍋パーティ。新年を祝ったのはよかったのですが、このとき、姑の動きが去年よりずっとモッサリとしていて、動きにくそうでした。姑は「いっぱい着込んで着ぶくれしているから」と、立ち居のスローモーさを言い訳していたので、「90歳になるんだもの、多少動きがモッサリしてきても当然だろう」と思い、姑が「体操教室を週2日通うことにした」というので、「そうやって体を動かしていれば春になればまた体が軽くなりますよ」なんて、なぐさめていました。
夫は、ムクミがとれないという姑の手をマッサージしてあげて、「ほら、血行よくすれば、ムクミもよくなる」と、なでています。
1月9日に、娘と夫が付き添って、いつもの病院の定期検診。血糖値の数値も血圧の数値もよくなかったと姑はがっかりしていた、というのですが、夫は医者からは「このとしですから、検査をすればいろいろ不備も見つかるのは当然でしょうけれど、本人が望まなければ、無理して病気を見つけることはないですよ」と言われて、「年寄りの気持ちをわかっていてよい先生だ」と信じていました。
1月9日、私は、仕事が終わってから、ジャズダンスサークルの新年総会のあつまりへ。
初級クラスの試験をして、採点に時間がかかりました。約束の時間に遅れてしまい、早く着かなけりゃと思って焦ったせいか、信号を超えたところで自転車で転んでしまいました。自転車の後ろにつけている荷物カゴが四角形から平行四辺形に変形しましたが、手と顔が痛いのを我慢して、集合場所のお好み焼き屋へ。
お好み焼きをつつきながら、今年の活動方針を決定しました。
家に帰ってみると、顔の半分がふくれています。手首も曲げ伸ばしが痛い。ばあちゃん付き添いの病院から帰ってきた娘に「明日、すぐお医者にいきなさい。頭を打ったあと、しばらくは何でもなくて、内出血が少しずつ進み、1ヶ月くらいしてから卒倒する人もいるんだよ」と、叱られました。
翌日10日に近所のクリニックで、手首と頭のレントゲンをとりましたが、医者の見立てでは「骨に異常はないけれど、内出血のあるなしはレントゲンには出ないので、1ヶ月のあいだに、頭痛やめまいがしたら、すぐに救急車を呼ぶこと」でした。
1月11日、姑から「こたつが壊れたので、新しいのを買いに行って」というリクエスト。夫も「ひまない」というし、私は、自分の顔の怪我のほうが心配だったので、娘と息子を家電店に行かせ、姑の希望するこたつを買わせました。
姑は、普段の生活費は年金でまかない、臨時の出費は私が誕生日や母の日に渡している祝い金を貯めておいて買います。だから、今回のこたつも「ヨメさんにもらったお金で買う」ということになり、私は何もしないのにイイ嫁と、姑に感謝される。
私の顔のふくれたところは、腫れはひきましたが、色が黒く変色しました。美人台無し。
ちょっと気になったこと。去年洗濯機を新調するときは、「どれがいいか自分で選びたい」と言い、家電店まで娘息子といっしょに出かけたのに、今回は「どれでもいいから、買ってきて」と言って、いっしょに買い物に出ようとしなかった、というのです。それでも「この寒さだもの、年寄りが無理して外に出ると風邪引くのがおちだ」と、思って姑の変化を見過ごしました。娘と息子は「おばあちゃん、新しいこたつに入っている」というので、安心していました。
1月14日。毎週水曜日にお掃除に来てくれるヘルパーさんから、夫に電話。「玄関チャイムを鳴らしたのに、返事がない」という連絡を夫が受け、姑宅に行ったら、姑が「立ち上がれない」と、弱っていたのだって。
木曜日15日に、夫と娘が、定期検診に通院している病院にタクシーで連れて行き、いつもの主治医に診察してもらいました。主治医の「老人だから、調子悪いときもある」という診断のみで、帰宅。
金曜日16日夜、夫が姑宅に泊まりに行くと、姑は「今日一日動けなかったから、何も食べてない」と、言ったのだって。
姑宅に泊まった夫は、17日土曜日午前中に駅前にある別のかかりつけ医院に連れて行って、また「老人だから」という診断を受けて帰宅。
火曜日から金曜日まで、仕事をこなしてようやく週末。土曜日の昼、私も姑宅に駆けつけました。娘とふたりで姑を励まし、昼ご飯夕ご飯を食べさせました。手や足のムクミだけでなく、顔がぱんぱんに腫れて面変わりしています。ごはんを食べているときのほかは、こたつに横になったまま、動こうとしません。こりゃ、へんだ、と思いました。
夫が夜8時すぎに事務所から戻ったので、「すぐに入院させたほうがいい」と言いました。夫は「でも、土曜日の朝に駅前の医者に診てもらったのだし、月曜日の午後にもまた見てもらう予約をしてきちゃったんだけど」と、緊急入院を渋っています。
「そんなこと言ってないで、すぐにも病院へ連れて行ってあげて」と、夫を叱咤激励して、娘も付き添わせて、定期検診を受けている病院へ行かせました。
私はその間、姑の部屋の片付けをしていました。普段私はプライバシーだと思って姑の部屋に入るのを遠慮してきましたが、この際遠慮していられません。きれい好きの姑の部屋なのに、ものすごい状態になっていました。掃除と片付けが生きがいのような姑なのに、ここまでになるのは、どれほど体がしんどかったのかと、涙が出ました。投げ出されていた汚れた下着などを洗濯しました。こういうとき、実の娘が下着の始末などしてあげられたら一番いいのでしょうが、夫の姉は、13年前に先立っています。
病院夜間の担当は研修医だったとのことですが、いくつかの検査をして、夜中の2時に入院決定。
日曜日午後、夫と娘は姑宅から、私と息子は自宅から病院へかけつけました。姑は、病院食を「味がなくてまずい」と文句を言い、娘に「うちにある梅干しとふりかけを持ってきて」と、頼んでいます。娘は「先生に聞いて、いいって言われたらね」と、なだめています。
月曜日19日に、仕事が終わってから病院へ。午後、担当医から夫と娘に病状説明があったのですが、それを聞いても私には納得できませんでした。姑は1月9日と15日に、診察を受けているのです。それなのに、主治医は「老人だからしかたがない。検査をすれば病名は出るだろうけれど、病気を掘り出すことはない」と言い、「老衰だから仕方がない」としか考えなかったのです。ヤブ医者!! 別の医者が検査して診断したら、「緊急入院が必要」と判断されるほど悪い状態だったのに、なぜ、主治医はこのようになるまでほっておいたのかと、腹がたちました。私たち素人は「医者が言ったのだから」と、思うしかないのに。
娘は、「たしかに、私たちもおばあちゃんが、足が上がらなくて、体操教室のバスに乗り込むのがたいへんだ、と訴えていたのに、老人だから仕方がないと思っていた」というのです。でも、できるだけ老人の健康状態をいい方に解釈したい家族と、病気を判断するのが仕事の医者が、同じように「老人だから、90歳だから」と判断したのではいけないでしょう。
入院したあとの主治医の説明では「しばらく入院することになるが、退院したあとも、これまでのような生活は望めないから、退院後の体制をととのえておくように」という説明だったと言うことです。きちんと検査をしてみたら、腎臓なども悪くなっていた、ということでした。
娘が病院に通ってくれます。
私は、19日と22日、仕事が終わったあと、病院へ。
「着ぶくれているから、おなかが膨らんでいるの」という姑のことばを真に受けていたのですが、実は腹水がたまり、12月に計ったときは50kgだった体重が60kgにもなっていたのだそうです。治療を受けてパンパンに膨らんでいた顔も元に戻っていました。体重も3日間で3kgも減ったのだそう。おなかの水が抜けたから体重も減ったのです。
平日病院に詰めていた娘を休ませるため、週末は私と息子が病院つきそいに。つきそいと言っても完全看護なので、とくに看護がいる訳ではないのですが、姑が心細がり「毎日病室にいてね」というので、病状が落ち着くまでは、毎日交代で付き添うことにしたのです。
入院の経験は、白内障の手術とか検査入院くらいで、今回のように完全に動けない状態で入院したのは初めてのことだから、姑も心細いのです。
姑の回復まで、みなで力合わせなくては。
それにしても、90歳になるまで、家族の世話を受けずに一人で暮らしてきた姑、えらいと思います。
<つづく>
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十五夜満月日記1月冬の夜(1)姑の入院
年の初めに「今年は、私にとってあまりよい年になりそうもない」と書いたせいだと思うけれど、口にしたことは実現するのが言霊。ほんとうに1月そうそう、悪いことがつづきました。
1月4日に、姑を囲んで鍋パーティ。新年を祝ったのはよかったのですが、このとき、姑の動きが去年よりずっとモッサリとしていて、動きにくそうでした。姑は「いっぱい着込んで着ぶくれしているから」と、立ち居のスローモーさを言い訳していたので、「90歳になるんだもの、多少動きがモッサリしてきても当然だろう」と思い、姑が「体操教室を週2日通うことにした」というので、「そうやって体を動かしていれば春になればまた体が軽くなりますよ」なんて、なぐさめていました。
夫は、ムクミがとれないという姑の手をマッサージしてあげて、「ほら、血行よくすれば、ムクミもよくなる」と、なでています。
1月9日に、娘と夫が付き添って、いつもの病院の定期検診。血糖値の数値も血圧の数値もよくなかったと姑はがっかりしていた、というのですが、夫は医者からは「このとしですから、検査をすればいろいろ不備も見つかるのは当然でしょうけれど、本人が望まなければ、無理して病気を見つけることはないですよ」と言われて、「年寄りの気持ちをわかっていてよい先生だ」と信じていました。
1月9日、私は、仕事が終わってから、ジャズダンスサークルの新年総会のあつまりへ。
初級クラスの試験をして、採点に時間がかかりました。約束の時間に遅れてしまい、早く着かなけりゃと思って焦ったせいか、信号を超えたところで自転車で転んでしまいました。自転車の後ろにつけている荷物カゴが四角形から平行四辺形に変形しましたが、手と顔が痛いのを我慢して、集合場所のお好み焼き屋へ。
お好み焼きをつつきながら、今年の活動方針を決定しました。
家に帰ってみると、顔の半分がふくれています。手首も曲げ伸ばしが痛い。ばあちゃん付き添いの病院から帰ってきた娘に「明日、すぐお医者にいきなさい。頭を打ったあと、しばらくは何でもなくて、内出血が少しずつ進み、1ヶ月くらいしてから卒倒する人もいるんだよ」と、叱られました。
翌日10日に近所のクリニックで、手首と頭のレントゲンをとりましたが、医者の見立てでは「骨に異常はないけれど、内出血のあるなしはレントゲンには出ないので、1ヶ月のあいだに、頭痛やめまいがしたら、すぐに救急車を呼ぶこと」でした。
1月11日、姑から「こたつが壊れたので、新しいのを買いに行って」というリクエスト。夫も「ひまない」というし、私は、自分の顔の怪我のほうが心配だったので、娘と息子を家電店に行かせ、姑の希望するこたつを買わせました。
姑は、普段の生活費は年金でまかない、臨時の出費は私が誕生日や母の日に渡している祝い金を貯めておいて買います。だから、今回のこたつも「ヨメさんにもらったお金で買う」ということになり、私は何もしないのにイイ嫁と、姑に感謝される。
私の顔のふくれたところは、腫れはひきましたが、色が黒く変色しました。美人台無し。
ちょっと気になったこと。去年洗濯機を新調するときは、「どれがいいか自分で選びたい」と言い、家電店まで娘息子といっしょに出かけたのに、今回は「どれでもいいから、買ってきて」と言って、いっしょに買い物に出ようとしなかった、というのです。それでも「この寒さだもの、年寄りが無理して外に出ると風邪引くのがおちだ」と、思って姑の変化を見過ごしました。娘と息子は「おばあちゃん、新しいこたつに入っている」というので、安心していました。
1月14日。毎週水曜日にお掃除に来てくれるヘルパーさんから、夫に電話。「玄関チャイムを鳴らしたのに、返事がない」という連絡を夫が受け、姑宅に行ったら、姑が「立ち上がれない」と、弱っていたのだって。
木曜日15日に、夫と娘が、定期検診に通院している病院にタクシーで連れて行き、いつもの主治医に診察してもらいました。主治医の「老人だから、調子悪いときもある」という診断のみで、帰宅。
金曜日16日夜、夫が姑宅に泊まりに行くと、姑は「今日一日動けなかったから、何も食べてない」と、言ったのだって。
姑宅に泊まった夫は、17日土曜日午前中に駅前にある別のかかりつけ医院に連れて行って、また「老人だから」という診断を受けて帰宅。
火曜日から金曜日まで、仕事をこなしてようやく週末。土曜日の昼、私も姑宅に駆けつけました。娘とふたりで姑を励まし、昼ご飯夕ご飯を食べさせました。手や足のムクミだけでなく、顔がぱんぱんに腫れて面変わりしています。ごはんを食べているときのほかは、こたつに横になったまま、動こうとしません。こりゃ、へんだ、と思いました。
夫が夜8時すぎに事務所から戻ったので、「すぐに入院させたほうがいい」と言いました。夫は「でも、土曜日の朝に駅前の医者に診てもらったのだし、月曜日の午後にもまた見てもらう予約をしてきちゃったんだけど」と、緊急入院を渋っています。
「そんなこと言ってないで、すぐにも病院へ連れて行ってあげて」と、夫を叱咤激励して、娘も付き添わせて、定期検診を受けている病院へ行かせました。
私はその間、姑の部屋の片付けをしていました。普段私はプライバシーだと思って姑の部屋に入るのを遠慮してきましたが、この際遠慮していられません。きれい好きの姑の部屋なのに、ものすごい状態になっていました。掃除と片付けが生きがいのような姑なのに、ここまでになるのは、どれほど体がしんどかったのかと、涙が出ました。投げ出されていた汚れた下着などを洗濯しました。こういうとき、実の娘が下着の始末などしてあげられたら一番いいのでしょうが、夫の姉は、13年前に先立っています。
病院夜間の担当は研修医だったとのことですが、いくつかの検査をして、夜中の2時に入院決定。
日曜日午後、夫と娘は姑宅から、私と息子は自宅から病院へかけつけました。姑は、病院食を「味がなくてまずい」と文句を言い、娘に「うちにある梅干しとふりかけを持ってきて」と、頼んでいます。娘は「先生に聞いて、いいって言われたらね」と、なだめています。
月曜日19日に、仕事が終わってから病院へ。午後、担当医から夫と娘に病状説明があったのですが、それを聞いても私には納得できませんでした。姑は1月9日と15日に、診察を受けているのです。それなのに、主治医は「老人だからしかたがない。検査をすれば病名は出るだろうけれど、病気を掘り出すことはない」と言い、「老衰だから仕方がない」としか考えなかったのです。ヤブ医者!! 別の医者が検査して診断したら、「緊急入院が必要」と判断されるほど悪い状態だったのに、なぜ、主治医はこのようになるまでほっておいたのかと、腹がたちました。私たち素人は「医者が言ったのだから」と、思うしかないのに。
娘は、「たしかに、私たちもおばあちゃんが、足が上がらなくて、体操教室のバスに乗り込むのがたいへんだ、と訴えていたのに、老人だから仕方がないと思っていた」というのです。でも、できるだけ老人の健康状態をいい方に解釈したい家族と、病気を判断するのが仕事の医者が、同じように「老人だから、90歳だから」と判断したのではいけないでしょう。
入院したあとの主治医の説明では「しばらく入院することになるが、退院したあとも、これまでのような生活は望めないから、退院後の体制をととのえておくように」という説明だったと言うことです。きちんと検査をしてみたら、腎臓なども悪くなっていた、ということでした。
娘が病院に通ってくれます。
私は、19日と22日、仕事が終わったあと、病院へ。
「着ぶくれているから、おなかが膨らんでいるの」という姑のことばを真に受けていたのですが、実は腹水がたまり、12月に計ったときは50kgだった体重が60kgにもなっていたのだそうです。治療を受けてパンパンに膨らんでいた顔も元に戻っていました。体重も3日間で3kgも減ったのだそう。おなかの水が抜けたから体重も減ったのです。
平日病院に詰めていた娘を休ませるため、週末は私と息子が病院つきそいに。つきそいと言っても完全看護なので、とくに看護がいる訳ではないのですが、姑が心細がり「毎日病室にいてね」というので、病状が落ち着くまでは、毎日交代で付き添うことにしたのです。
入院の経験は、白内障の手術とか検査入院くらいで、今回のように完全に動けない状態で入院したのは初めてのことだから、姑も心細いのです。
姑の回復まで、みなで力合わせなくては。
それにしても、90歳になるまで、家族の世話を受けずに一人で暮らしてきた姑、えらいと思います。
<つづく>