20150125
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>おい老い笈の小文(35)身勢打鈴(シンセタリョン)
身勢打鈴(シンセタリョン)
at 2003 11/13 07:57 編集
メールで質問や反響をいただけるようになった。本当にうれしい。春庭という名乗りについての質問もいくつか。のちほどまとめてメール紹介もするつもりだ。
書き始めたとき、娘と息子に「誰にも読まれないだろうけど、自己満足で書いていけばいいさ。でも、必ず子供のプライバシーを守ってね。お母さんのページの中に書かれている子供のことが私のことだって、絶対にクラスメートとかに、わからないように気をつけて」と、釘をさされた。
子供のことがなければ、本名で書いても私はかまわない。
しかし、小説でなく、エッセイやリアル日記として書いているので、子供やその他の日記に登場する人のプライバシーは尊重しなければならない。子供は親の持ち物ではなく、別人格なのだから。
それでハンドルネームやIDネームを用いている。
OCNカフェではIDネームを使う。私は本宅の「ウェブログハウス春庭」の別棟AnnexをOCNカフェに建てたので、春庭と名乗っている。
ただし、本宅のHAL-niwaという表記でなく、ローマ字でharuniwa。英数半角文字のみ使用できるので、ハイフンと大文字が使えなかった。
本宅のウェブログハウス春庭は、本居宣長の息子春庭からとった。もうひとつ『2001年宇宙の旅』に出てくるコンピュータHALとの掛詞にするため、HAL-niwaという表記にしている。
そのほか、あちこちの掲示板に書き込むたびに、いろいろなハンドルネームを使い分ける。いちばん多くつかっているのは、「話しことばの通い路」サイト「フリースペースちえのわ」に使用している「ちえのわ」ハンドル。
つまり、春庭と、知恵の輪という二つの名があり、姓が春庭、名がちえのわ、あざながトキ。ちえのわ日記のなかでは「トキ=ニッポニアニッポン」と名乗っている。
作家の中には、本名を使う人もいるが、多くはペンネームを用いる。太宰治のように作家名と同じくらい本名津島修司がよく知られている人もいるし、いくつかのペンネームを使い分けて、純文学、推理小説、ポルノ小説などを書き分ける人もいる。
芸能界では、途中で芸名を改名するひとも多い。
五木ひろしは、1965年(17歳)「松山まさる」の芸名でデビュー1967年(19歳)「一条英一」 に改名・再デビュー1969年(21歳)「三谷謙」に改名・再々デビュー1971年(23歳)「五木ひろし」に改名・再々々デビューと、何度も名を変えた。
一、三、五、と奇数なので、次は「七五三 一九(なごみ かずひさ)」なんてどうだろうか。
ユーミン荒井由美が、松任谷由実と改名したのは、結婚によって夫の姓に変えたため。
樹木希林のように、元の芸名悠木千帆をオークションで売りに出してしまい、そのため新しい名をつけた、という人もいる。人の名を買ってどうするんだろうと思ったが、買い手は、自分のブティックのブランド名に使用するために競り落としたのだという。
日本語のクラスで一番最初の授業は教師も学生も緊張する。
緊張をほぐす一番いい方法のひとつは、出来る限り早く名前を覚えて、学生の名を呼ぶことだ。
若い頃は記憶力が今よりはよかったから、4クラス5クラス分、200名くらいの名前と顔が1週間のうちに一致するよう努力した。
今は記憶力が衰えた上、留学生の名が、日本人には発音しにくい名前だと間違えてしまうことも多い。
また、おなじような名が二つ並んでいると、取り違えることもある。
留学生のクラスで気をつけること。学生がこう読んで欲しいという名で呼ぶこと。
タイの学生は、本名のほかに、日常生活で友だちや家族とすごすときに用いる「呼び名」を持っていることが多く、たいていはこの呼び名のほうを希望する。名簿にある名前とちがうので、最初はまちがえてしまう。
韓国の学生にも気をつかう。日本の漢字音で読むのを嫌う人が多い。過去の不幸な時代の創氏改名によって、日本名を強制されたことについての暗い記憶がよみがえる。
いまだに、「仕事を欲しい人が、日本名を自分から望んだのだ」などと発言する政治家もいる。麻生某氏には、これから先、阿呆氏という名に創氏改名をお勧めしたい。選挙のために票をほしい人が、覚えてもらいやすい名を自分から望んだらいかがと。
韓国の学生が「私はイです」というなら、李さんは「イ」と呼べばいいし、「林」さんが「イムです」と名乗ったら、イムさんと呼べばいい。文さんはムンさん。
ただし、中国の学生は「日本の呼び方でいいです」と言う人が多い。これは中国内でも、地方によって発音がことなり、土地によって同じ漢字名の呼び方が異なるためだ。
陳さんは、チンとよぶ地方もあれば、チェンと発音する地方もある。学生は生まれ故郷から、州都の大学に出たとき、別の発音で呼ばれ、北京に行ったらまた別の発音で呼ばれるという経験をしてきている。
日本では「日本の呼び方」でいいと考える。林さんに、「リンさんと呼びましょうか、それとも?」とたずねると、「ハヤシさんがいい」などと答える。その方が覚えてもらいやすいというのだ。
それに、日本人は四声の発音ができないので、日本人が正しく発音しているつもりの呼び方が、中国人には正しく聞こえない。
「王」さんをオウさんではなく、ワンさんと呼んでも、四声をまちがえてしまえば、正しい発音ではない。日本人が普通に「ワンさん」と発音したとき、たいていワの音が高く、ンの音が低い発音になる。しかし中国語では「王」の四声は、第二声なので、ワの音が低く、ンの音が高い上昇の発音になる。間違った発音で呼ばれるくらいなら、オウさんのほうがいい、と言うのだ。
今年の私のクラスでは「霞」と言う名の学生が「カスミさんがいい」と言ったので、そう呼んでいる。
要は、敬意をもって、相手の名前を尊重することだ。
しかし、日本語教師の中にも、英米系の学生には敬意をもって接するがアジアの学生には敬意を持てないという人もいる。
ある日本語学校で「韓国人は生意気でいやなのよね」と怒っている先生がいた。
理由を聞くと、パスポートにLiと書いてあるから「リさん」と呼んだら「イと呼んでください」と訂正を要求されたのだという。
英語がよくできる先生で「英米系の学生とは英語で話せるからいいけれど、中国語や韓国語はできないから、教えづらい」と話していた。「Liとパスポートにあるからリと呼んだのに、リはいやだという、まったく生意気な」と、憤慨している。
英語がよくできる先生、じゃ、英語のKnowは、生意気じゃないのか?読みもしないKを語頭にくっつけていて、すごく生意気じゃありませんか。
英語は高級だから、発音しない文字が入っていてもいいが、韓国語は発音しない文字をつけてはならない、とでも考えているのだろうか。
Knightなんて、Kも、ghも発音しないのだから、もう生意気のきわみ、ぶっとばしてやればいい。ほら、そこのKnight(騎士)をぶっとばして、チェック!あ~あ、王をとられちゃったよ。
このように日本語教師でも、学生に対して、名前に対して態度はいろいろ。
名前は自己認識の第一歩。名付けるという行為は、その存在を認める、ということなのだ。アイデンティティにとって、固有名は何より大事なもの。
親が子供の成長を願ってつけた大切な名前。ひとりひとりの名前を大切にしたい。
大好きなミュージカル『ウェストサイドストーリー』の中の歌「マリア」一目惚れをした女の子の名を呼ぶ。(春庭拙訳:メロディにのせてないので、これでは歌えない)
マリア・・・今まで聞いた中で最高に美しい音 マリア、マリア、マリア・・・
世界の中で一番美しい響き マリア、マリア、マリア・・・マリア!
マリアという名の娘に会った
すると、突然 僕にとってその名はまったくちがってきこえてきた マリア!
マリアという名の子とキスをした。キスしたとたん、僕には分かった
その名が、なんてすてきな響きになるかと!
マリア! 強くその名を呼べば音楽のよう、やさしく呼べば祈りのよう
マリア!僕はその名を呼び続ける!今まで聞いたすべての中で、一番美しいその名前を
マリア・・・
どこにでもある平凡な名、マリア。でも恋をしたその日から、それは特別な響きになる。
祈りのように娘の名を呼び続ける。
私もねぇ。こんな風に名前を呼んでもらいたかった。私の夫は、姑の前では、私を「うちのおくさん」と呼び、子供達の前では「かぁちゃん」と言う。
私にも名前があるのよ。夫婦別姓法案が成立したら、「昔の名前で出ています」になろうと思うよ。
♪ケニアにいるときゃ、ンジョキとよばれたのぉ、中国じゃダォツンと名乗ったの。東京のクラスに戻ったその日から あなたがさがしてくれるの待つわ 昔の名前で出ています。
探してもらおうにも、たぶん、私の名前を忘れちゃっているんじゃないかな。長いこと呼ばれていない。
<つづく>
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>おい老い笈の小文(35)身勢打鈴(シンセタリョン)
身勢打鈴(シンセタリョン)
at 2003 11/13 07:57 編集
メールで質問や反響をいただけるようになった。本当にうれしい。春庭という名乗りについての質問もいくつか。のちほどまとめてメール紹介もするつもりだ。
書き始めたとき、娘と息子に「誰にも読まれないだろうけど、自己満足で書いていけばいいさ。でも、必ず子供のプライバシーを守ってね。お母さんのページの中に書かれている子供のことが私のことだって、絶対にクラスメートとかに、わからないように気をつけて」と、釘をさされた。
子供のことがなければ、本名で書いても私はかまわない。
しかし、小説でなく、エッセイやリアル日記として書いているので、子供やその他の日記に登場する人のプライバシーは尊重しなければならない。子供は親の持ち物ではなく、別人格なのだから。
それでハンドルネームやIDネームを用いている。
OCNカフェではIDネームを使う。私は本宅の「ウェブログハウス春庭」の別棟AnnexをOCNカフェに建てたので、春庭と名乗っている。
ただし、本宅のHAL-niwaという表記でなく、ローマ字でharuniwa。英数半角文字のみ使用できるので、ハイフンと大文字が使えなかった。
本宅のウェブログハウス春庭は、本居宣長の息子春庭からとった。もうひとつ『2001年宇宙の旅』に出てくるコンピュータHALとの掛詞にするため、HAL-niwaという表記にしている。
そのほか、あちこちの掲示板に書き込むたびに、いろいろなハンドルネームを使い分ける。いちばん多くつかっているのは、「話しことばの通い路」サイト「フリースペースちえのわ」に使用している「ちえのわ」ハンドル。
つまり、春庭と、知恵の輪という二つの名があり、姓が春庭、名がちえのわ、あざながトキ。ちえのわ日記のなかでは「トキ=ニッポニアニッポン」と名乗っている。
作家の中には、本名を使う人もいるが、多くはペンネームを用いる。太宰治のように作家名と同じくらい本名津島修司がよく知られている人もいるし、いくつかのペンネームを使い分けて、純文学、推理小説、ポルノ小説などを書き分ける人もいる。
芸能界では、途中で芸名を改名するひとも多い。
五木ひろしは、1965年(17歳)「松山まさる」の芸名でデビュー1967年(19歳)「一条英一」 に改名・再デビュー1969年(21歳)「三谷謙」に改名・再々デビュー1971年(23歳)「五木ひろし」に改名・再々々デビューと、何度も名を変えた。
一、三、五、と奇数なので、次は「七五三 一九(なごみ かずひさ)」なんてどうだろうか。
ユーミン荒井由美が、松任谷由実と改名したのは、結婚によって夫の姓に変えたため。
樹木希林のように、元の芸名悠木千帆をオークションで売りに出してしまい、そのため新しい名をつけた、という人もいる。人の名を買ってどうするんだろうと思ったが、買い手は、自分のブティックのブランド名に使用するために競り落としたのだという。
日本語のクラスで一番最初の授業は教師も学生も緊張する。
緊張をほぐす一番いい方法のひとつは、出来る限り早く名前を覚えて、学生の名を呼ぶことだ。
若い頃は記憶力が今よりはよかったから、4クラス5クラス分、200名くらいの名前と顔が1週間のうちに一致するよう努力した。
今は記憶力が衰えた上、留学生の名が、日本人には発音しにくい名前だと間違えてしまうことも多い。
また、おなじような名が二つ並んでいると、取り違えることもある。
留学生のクラスで気をつけること。学生がこう読んで欲しいという名で呼ぶこと。
タイの学生は、本名のほかに、日常生活で友だちや家族とすごすときに用いる「呼び名」を持っていることが多く、たいていはこの呼び名のほうを希望する。名簿にある名前とちがうので、最初はまちがえてしまう。
韓国の学生にも気をつかう。日本の漢字音で読むのを嫌う人が多い。過去の不幸な時代の創氏改名によって、日本名を強制されたことについての暗い記憶がよみがえる。
いまだに、「仕事を欲しい人が、日本名を自分から望んだのだ」などと発言する政治家もいる。麻生某氏には、これから先、阿呆氏という名に創氏改名をお勧めしたい。選挙のために票をほしい人が、覚えてもらいやすい名を自分から望んだらいかがと。
韓国の学生が「私はイです」というなら、李さんは「イ」と呼べばいいし、「林」さんが「イムです」と名乗ったら、イムさんと呼べばいい。文さんはムンさん。
ただし、中国の学生は「日本の呼び方でいいです」と言う人が多い。これは中国内でも、地方によって発音がことなり、土地によって同じ漢字名の呼び方が異なるためだ。
陳さんは、チンとよぶ地方もあれば、チェンと発音する地方もある。学生は生まれ故郷から、州都の大学に出たとき、別の発音で呼ばれ、北京に行ったらまた別の発音で呼ばれるという経験をしてきている。
日本では「日本の呼び方」でいいと考える。林さんに、「リンさんと呼びましょうか、それとも?」とたずねると、「ハヤシさんがいい」などと答える。その方が覚えてもらいやすいというのだ。
それに、日本人は四声の発音ができないので、日本人が正しく発音しているつもりの呼び方が、中国人には正しく聞こえない。
「王」さんをオウさんではなく、ワンさんと呼んでも、四声をまちがえてしまえば、正しい発音ではない。日本人が普通に「ワンさん」と発音したとき、たいていワの音が高く、ンの音が低い発音になる。しかし中国語では「王」の四声は、第二声なので、ワの音が低く、ンの音が高い上昇の発音になる。間違った発音で呼ばれるくらいなら、オウさんのほうがいい、と言うのだ。
今年の私のクラスでは「霞」と言う名の学生が「カスミさんがいい」と言ったので、そう呼んでいる。
要は、敬意をもって、相手の名前を尊重することだ。
しかし、日本語教師の中にも、英米系の学生には敬意をもって接するがアジアの学生には敬意を持てないという人もいる。
ある日本語学校で「韓国人は生意気でいやなのよね」と怒っている先生がいた。
理由を聞くと、パスポートにLiと書いてあるから「リさん」と呼んだら「イと呼んでください」と訂正を要求されたのだという。
英語がよくできる先生で「英米系の学生とは英語で話せるからいいけれど、中国語や韓国語はできないから、教えづらい」と話していた。「Liとパスポートにあるからリと呼んだのに、リはいやだという、まったく生意気な」と、憤慨している。
英語がよくできる先生、じゃ、英語のKnowは、生意気じゃないのか?読みもしないKを語頭にくっつけていて、すごく生意気じゃありませんか。
英語は高級だから、発音しない文字が入っていてもいいが、韓国語は発音しない文字をつけてはならない、とでも考えているのだろうか。
Knightなんて、Kも、ghも発音しないのだから、もう生意気のきわみ、ぶっとばしてやればいい。ほら、そこのKnight(騎士)をぶっとばして、チェック!あ~あ、王をとられちゃったよ。
このように日本語教師でも、学生に対して、名前に対して態度はいろいろ。
名前は自己認識の第一歩。名付けるという行為は、その存在を認める、ということなのだ。アイデンティティにとって、固有名は何より大事なもの。
親が子供の成長を願ってつけた大切な名前。ひとりひとりの名前を大切にしたい。
大好きなミュージカル『ウェストサイドストーリー』の中の歌「マリア」一目惚れをした女の子の名を呼ぶ。(春庭拙訳:メロディにのせてないので、これでは歌えない)
マリア・・・今まで聞いた中で最高に美しい音 マリア、マリア、マリア・・・
世界の中で一番美しい響き マリア、マリア、マリア・・・マリア!
マリアという名の娘に会った
すると、突然 僕にとってその名はまったくちがってきこえてきた マリア!
マリアという名の子とキスをした。キスしたとたん、僕には分かった
その名が、なんてすてきな響きになるかと!
マリア! 強くその名を呼べば音楽のよう、やさしく呼べば祈りのよう
マリア!僕はその名を呼び続ける!今まで聞いたすべての中で、一番美しいその名前を
マリア・・・
どこにでもある平凡な名、マリア。でも恋をしたその日から、それは特別な響きになる。
祈りのように娘の名を呼び続ける。
私もねぇ。こんな風に名前を呼んでもらいたかった。私の夫は、姑の前では、私を「うちのおくさん」と呼び、子供達の前では「かぁちゃん」と言う。
私にも名前があるのよ。夫婦別姓法案が成立したら、「昔の名前で出ています」になろうと思うよ。
♪ケニアにいるときゃ、ンジョキとよばれたのぉ、中国じゃダォツンと名乗ったの。東京のクラスに戻ったその日から あなたがさがしてくれるの待つわ 昔の名前で出ています。
探してもらおうにも、たぶん、私の名前を忘れちゃっているんじゃないかな。長いこと呼ばれていない。
<つづく>